悪魔の正位置
「あの大事件」から1年。純一は服役生活にもすっかり慣れていた。
時間やルールに徹底的に管理させるのは苦痛に他ならなかったが、身も蓋もないことを言えば元々ホワイトカラーの仕事に嫌気が差して派遣の日雇い軽作業バイト生活を送っていた純一にとって工場での刑務作業はドラマや暴露本なんかで書かれている程のひどいものではなく皮肉にも労働に対して今まで味わったことのない充実感すら感じさせていた。
単調な労働ロボットとしてアスリートでいう「ゾーン」のようなものに入りかけていた昼下がりに看守から
緊急の面会があると呼び出しがかかった。
「玲華が?いやまさかな…」
純一は1年間全く連絡の取れない、いや取らなかった彼女が今になって面会するとは考えにくい。
頭の中で仮説と根拠を一端の探偵気取りで顎に手を当てて頭の中で考えているうちに面会室の前にいた。
ガラス越しに座っていたのは全く見覚えのないポニーテールの女性だった。
「初めまして。私今回玲華様から依頼を受けて玲華様と純一様の調停離婚の仲介をさせていただきます。
リスタ法律事務所の阿部光と申します。」
女性はゆっくりイスを引いて立ち上がり、深くお辞儀をしてからやんわりと微笑んだ。
「黒髪のキレイな…いやそんな事よりやはりこの時が来たか…」
普段だったら久しく見てない美女との邂逅に浮かれていただろうが、会話の内容への衝撃を上回ることは
さすがに無かった。心の中で焦燥と拍動のリズムは高鳴り続けた。
「やはり離婚の相談ですよね?まぁ遅すぎな気も今となってはしますが…」
純一は自嘲気味に半笑いで後頭部を掻きながら問いかけた。
「心中お察ししますが、我々リスタ法律事務所は離婚調停や協議離婚、浮気トラブルにより生じた民事刑事裁判などを主に取り扱っております。リスタはリスタートの略で、ご依頼者様とご依頼者様のお相手
双方が新たな人生を歩めるようにという企業理念を掲げております。数ある法律事務所で私どものような
決して大きくない事務所をわざわざ玲華様が選ばれたのも純一様が新たな人生を少しでも良く歩めるようにと熟慮した結果だと思います。」
光は目を細め、うつむき気味に言った。
今まで自分の素性を知った人間は侮蔑や哀れみ、嫌悪感などを露わにするものだったが、この女性は
自分への真摯な姿勢が伝わってきた。
その後、彼女今後の流れや手続き、話し合いの内容についての詳しい説明を受けた。
「ーダメだ。ダメだ。ダメだ。」
純一は面会当初から鳴り続けた心臓の拍動の属性が途中から変わっていくのを恐れていた。
「玲華様としましては親権はー」
「ーダメだ。ダメだ。ダメだ。」
純一は心の中にあった「玲華への贖罪や悔恨の割合」が減少していくのを己自身で察知してしまう。
「こういった書類を裁判所に提出しー」
「ーダメだ。ダメだ。ダメだ。」
純一は自分という人間を省みることを恐れ続けていたがいよいよ認めなくてはならないだろう。
「それでは来週再びお伺いします。お疲れ様でした。」
光は軽くお辞儀をして立ち去っていった。
「ーそうか。俺は救いようのないクズだったんだな…」
恵まれた容姿に比例してもてはやされ続けた人生。フリーターで居続けても自分をマイナスに評価したことなんて一度もなかった自分は初めて自分に対して「E評価」という成績を点けた。
純一は、会って間もない光に対して恋心を抱いてしまっていた。