復讐と情愛と
光は深夜の薄暗い事務所で事務処理をしていた。
弁護士とはいえ事務所に雇われている身分では良くて普通のサラリーマンより毛が生えた程度の給料しか
貰えないが、光は今まで3年間勤めても下手をすれば大手企業の新卒より薄給の生活が続いていた。
「法」という筋肉を使わない世界最強の武器が幼少期の自分を義父の暴力から救ってくれた。
それ以来「法」も「弁護士」も自分にとってはこの世における至上の存在であることに疑いはなかった。
だから1日19時間×2年の勉強へのリターンにしては見合わなすぎるとしても事務所で懸命に働き続けた。
「光」といういつか来る希望に光を見いだしてほしいと女手一つで大学院まで行かせてくれた母のために。
その名の祈りが届いたのか、ある日「あの人」に声を掛けられてから私の運命は大きく変わることになる。
いきなり声を掛けてきて高級寿司を奢ってきた「あの人」に警戒心を抱かなかったのは、なんだかんだで
心の中では気づかぬうちに大規模のメーデーが起こっていたのだろう。
「あの人」に声を掛けられてから、「指示を受けること、自分の詮索をしないこと、指示以外の立ち回りをしないこと」を条件に私の待遇が大きく変わった。
翌日から旧石器時代の社長が自分の髪を触ってこなくなったどころか書類のミスに叱責一つもしなかった。
さすがにこの変わりように「あの人」が何物なのか興味が湧かなかったと言えば嘘になる。
しかし折角できた楽園を自ら荒らすほど自分は愚かではないので詮索はしなかった。
「…いや「純一」と「依頼主以上の関係」になっている時点で野次馬の千倍愚かだろうな…」
無音の事務所でドラマでしか見ないような独白をしながら「あの人」のメールチェックをした。
「被害者遺族 王谷葵氏への賠償金額を相場の1.5倍になるように立ち回ること。
加害者播磨純一が妻播磨玲華より洗脳状態にあったと言える証拠を収集、場合によっては捏造すること。
尚上記の2つの指令に必要な資金、根回しへの手伝いは惜しまない。玲華への交渉条件には添付するゲラを有効利用することを勧める Y」
事務所に提供された「あの人」からのメール送受信用のノートパソコンから光は指示を受ける。
文面にあるようにメールにはPDF形式の添付ファイルがあった。圧縮パスワードを解除するとそこには、
「”英雄殺し”の妻に夫を洗脳していた疑いあり 提供元Y」
という見出しの週刊誌のゲラ、つまりは「出版社の試し刷りの原稿」だった。
玲華とは深い付き合いわけでもないが事実無根にも程があるだろう。
しかしそれでもそんなデマを入手する力が「あの人」つまりは「Y」にはあるということだ。
光は自分が関わっている「闇の深さ」と、自分がYに「1つだけ命令に背いてしまっていること」を頭の片隅で戦慄していた。