出雲玲華への刺客
ー時は少し前に遡るー
私にとって純一とは何だったのだろうか?彼にとって私とは何だったのだろうか?
「あの事件」から1年間は周りの非難や裏切りよりもこの自問が頭の中を這い回るようになった。
事件当初は自身に向けられた悪意の視線やレンズに対しての恐怖や苛立ちは確かにあった。
純一が塀の中で守られているにも関わらず自分や玲央が危険にさらされる恐怖と苛立ちの日々は自分の心を質の悪い神経毒のように蝕んだ。
しかし自分は周りや自分が思っているよりも感情が希薄なのかもしれない。
時々見かけるネットの自分に対する数少ない擁護のコメントを見かけても良くも悪くも大して救われなかった。なぜならラーテルもびっくりする程の耐毒性で、自分への中傷は2ヶ月程で「慣れて」しまっていたからだ。むしろ息子玲央や両親に大して降りかかる災難のほうが胃を痛めた。
息子や両親への恐縮、自分と家族の今後の身の振り方、そして3番目に浮かぶのが純一への心配だった。
トップ2を大きく突き放しての3位だった。
最初純一を好きになったのは私でおそらく純一も私のことを好きだった、と思う。
しかし時を経るごとに「羊頭狗肉」という四字熟語が実用性のある言葉だと思い知ることになった。
彼という人間の薄っぺらさを見抜けなかった自分が厚かましい人間だったと思えるほどに。
玲央を産んでから子育てに協力をしないことに何も驚きはなく、彼への失った愛情を玲央に向けることができた。最後に彼を愛していたとするなら3人で行った森林公園の…
「ピンポーン」
急なチャイムがソファでうつ伏せてうたた寝しかけていた私に待ったをかけた。
何でかは分からないが最後思い出の情景が出そうで出なかったことにホッとしている自分がいる。
時刻は15時34分。また鬱陶しい自称か他称か分からないマスコミだろうか?
そう思いインターホンのスイッチを押す。そこにはスーツ姿の若い女性が立っていた。