あたしが死んだあとの、あなたへの願い。
扉がゆっくりと開いていく。
その奥の薄暗い空間から、女の声が響いてくる。
――魔道具の三日月堂へようこそ。私は店主のクロエです。
当店は絶大な力を持った魔道具を数多く取り揃えています。
あらゆる奇跡を起こすことから、私のことを『三日月の魔女』クロエ・アナと呼ぶ方もいらっしゃるそうで。
例えばどんな商品があるのかって?
それでは、こちらの魔道具をご覧ください。
……誰にでも、死は必ず訪れるもの。
どんなに幸せな2人にも、いつか必ず別れの時はやってきます。
その時、残された相手に対して何かひとつだけ、願いを叶えてあげられる魔法の道具があったとしたら、あなたならどうしますか?
参考までに、あるエピソードをご紹介しましょう……。
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「あたしが聖女だなんて、信じらんないよね」
夏の夕焼け空のように赤い髪の毛先をいじりながら、マリエルはそう言った。
長机の向かいに座るクロエは何も応えなかったが、お構いなしにマリエルは続ける。
「あたしなんか、どこにでもいる普通の町人の娘なのにさ。大神官か何か知らないけど、立派な馬車で大勢引き連れて突然ウチにやってきてさ。あたしに向かって、『お主こそが異世界から転生し、その命をもって世界を救う聖女なのじゃ』だって。それで、あたしは1週間後に死ななきゃいけない。もう、わけわかんないよ」
そう言いながら、マリエルの目に涙が溜まっていく。
「来月には、ロニーと結婚する予定だったのに。世界のためだからって、どうして、あたしが死ななきゃいけないのよ……」
それから、マリエルは声を押し殺して泣いた。
クロエは黙ってそれを眺め続けた。
「……あなた、すごい力を持った魔女なのよね?」
マリエルは顔を上げるとそう言った。
クロエは「まあ、そうですね」とうなずいた。
「だったらさ、あたしが死ななくてもよくなる魔法の道具、何か出してよ」
クロエは目を伏せて首を振った。
「残念ですが、それはできません。聖女が命を捧げることで、世界の均衡を保つ。それがあなたたちの世界のルールなら、私がそれをねじ曲げることはできないのです」
マリエルはうつむいて「でも……」と言葉を絞り出す。
「あたしが死んだら、ロニーが一人ぼっちになっちゃう……」
クロエは限りなく無表情に近い微笑みを浮かべたまま、マリエルの言葉の続きを待つ。
「ロニーは優しいけど、気が小さくて声も小さくて、一人じゃ市場で買い物だってできやしないのに。あたしがいなくちゃ、あたしがいなくちゃロニーは……」
マリエルの目から再び涙がこぼれ始めた。
クロエは「でしたら」と言って、長机の上に小さな箱を置いた。
「こちらの魔道具は、いかがでしょう?」
クロエが箱を開けると、その中には流れるようなデザインの指輪が入っていた。
銀色の輪の中心で水色に透き通る小さな宝石が一粒、光を放っている。
「これは……?」
「この魔道具は、流れ星の指輪。死を前にした者が自分への願いではなく、相手への願いを込めて渡すと、その願いが叶うというものです」
「あたしへの願いじゃなく、相手への願い……」
「そうです。あなたに関する願いは叶いません。ですが、あなたが死んだあと、ロニーさんにどうなって欲しいか。その願いを込めてロニーさんにこの指輪を渡せば、その願いは必ず実現します」
「ロニーに、どうなって欲しいか……」
そうつぶやいてから、マリエルは沈黙した。
指輪に視線を落としたまま、ずいぶん長いこと、微動だにしなかった。
長い長い沈黙の末、マリエルは
「……わからないわ」
とだけつぶやいた。
「ロニーさんへの願いは、指輪を渡す時までに決めれば大丈夫です。彼に何を願うかは、彼と2人で相談してみては?」
クロエのその問いを、マリエルは噛み締めてからうなずいた。
「……そうね。そうするわ」
クロエは流れ星の指輪が入った箱を閉じて、マリエルに手渡した。
「ただし、最終的に何を願ったのかは誰にも絶対に教えないでください。もちろん、彼にも。願いの内容を教えてしまうと、願いは叶いませんからね」
**********
「ねぇ、あたしが死んだら、ロニーはどうしたい?」
三日月堂から帰った夜、マリエルはロニーにそう尋ねた。
ロニーは眉根を寄せて「え……」とつぶやく。
「わかんないよ、そんなの……」
「何でもいいの。どうしたいかでも、何が欲しいかでも。もし何でも願いが叶うとしたら、ロニーは何を叶えたい?」
「そんなの、マリエルを死なせないでって願いに決まってる」
ロニーが今にも泣き出しそうな顔でそう言うと、マリエルはうつむいて首を振った。
「ダメなんだってさ、それは。聖女のあたしが死ぬのはこの世界のルールだから、変えられないんだって。よくわかんないけど」
「……それなら、もし死んじゃっても、マリエルにすぐ生き返って欲しい」
「……それも、ダメみたい。あたしに関する願いは、叶わないんだってさ」
「じゃあ……叶えたい願いなんか、ないよ」
「そんなこと言わないで。何だっていいのよ? 大金持ちになりたいでも、世界一のパン屋さんになりたいでも」
マリエルとロニーは、2人でパン屋を営んでいた。
もともと孤児だったロニーが、マリエルの生家であるパン屋に店員として雇われたのは4年前。マリエルとロニーが15歳の頃だった。
それから3年後、今から1年前にマリエルを男手ひとつで育てた父は亡くなり、マリエルとロニーは店舗兼住居のこの家に2人で暮らしている。
そこに大神官が訪れて、マリエルを聖女だと告げたのだった。
世界を救うために、命を捧げなくてはいけない聖女だと。
「マリエルがいないのに世界一のパン屋になんかなっても、虚しいだけだよ……」
ロニーはそう言って頭を抱える。
冬の朝に積もった雪のようなロニーの銀髪は、くしゃくしゃに乱れている。
「マリエルは、僕にどうなって欲しいのさ……」
そう言ったロニーを見て、マリエルは大きくため息をつく。
「あたしだって、わかんないわよ……」
マリエルは唇をぎゅっと噛んで、考えを巡らせる。
――あたしが、死んだあと……。
あたしが死んでも、あたしだけを愛して……?
いや、ちがう。
あたしが死んでも、新しい恋人なんか作らないで……?
ううん、それもちがう。
あたしが死んでも、ロニーには……。
「やっぱり僕は、マリエルに死んで欲しくないとしか思えないよ」
ロニーの言葉に思考を中断されて、マリエルは顔を上げる。
「ずっとずっと、2人ともしわくちゃになるまで、一緒にいたいんだ」
涙を流してそう言うロニーを見て、マリエルは立ち上がる。
「そんなの、あたしが一番そうしたいよ!」
思いがけずあふれ出した激情を抑えられず、マリエルは叫ぶ。
「2人ともおじいちゃんとおばあちゃんになるまで、ずっと一緒にいたいよ! あたしだって死にたくなんかないよ! 心配なんだから! ロニーのことが! ロニーなんか一人で買い出しも行けないし、夜中に怖い夢見たからってあたしのこと起こすし、あたしがいなくなったら困るのわかってるんだから!」
早口でまくしたてると、マリエルは大声を上げて泣き崩れた。
ロニーは「ごめん……」とつぶやいて彼女を抱きしめた。
それから2人は抱き合い、言葉もなく泣き続けた。
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マリエルが聖女として命を捧げるまでの1週間、2人は片時も離れなかった。
毎朝、抱き合ったまま目を覚まし、肩を並べて食卓についた。
外に出れば町の住民たちの憐れみの視線が気に障ったが、無視して手をつないで歩いた。
小さな泉のある広場や川沿いの散歩道など、お決まりのデートコースも歩いたし、今まで行ったことのない高級なレストランにも行った。
ロニーが育った孤児院にも、マリエルの両親が眠る墓にも行った。
町から逃げ出すことは考えなかった。
取り囲む城壁と結界の向こうには、恐ろしい魔物がはびこっている。
この町を出て生き延びる手段はない。
町を守る結界がなければ、住民たちはたちどころに全滅してしまう。
その結界を維持するために、マリエルの命が必要なのだった。
儀式の前日、ステンドグラスが美しい教会で、予定より早い結婚式を挙げた。
列席者はいない。
マリエルとロニーは神父の前で愛を誓った。
ロニーから指輪を受け取ると、マリエルも小さな箱から指輪を取り出した。
三日月堂で手に入れた魔道具、流れ星の指輪。
マリエルがロニーのために願いを込めると、水色の宝石は桃色に変わった。
ロニーの薬指に指輪をはめて、マリエルは「指輪に込めた願いの内容は言えないけどさ」と言って顔を上げた。
「あたしが死んでも、幸せでいてね」
ロニーは涙をこらえるのに必死で、何も言えなかった。
「次の恋をしてもいいからさ、できるだけ、笑っていてね」
そう言ったマリエルの笑顔は、ロニーの視界の中ですぐにぼやけた。
いつの間にか、ロニーの目から涙がこぼれ落ちていた。
「もう、泣かないで。あたしは、ロニーの笑顔が好きなんだから」
「だって……」
「だってじゃないの。ほら、涙を拭いて」
マリエルがロニーの頬を伝う涙をぬぐうと、神父は言った。
「それでは、誓いのキスを」
オルガンが音楽を奏でて、マリエルとロニーの唇が重なった。
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その翌日、マリエルは死んだ。
神殿の入口の床に描かれた魔法陣の前にマリエルが立つと、マリエルの全身から強烈な光が立ち上り、その光は町を包む結界となった。
すべてを出し尽くすと、マリエルはその場に崩れるように倒れた。
ロニーはその亡きがらにすがりついて大声を上げて泣いたが、神官たちや群衆は祈りの言葉をつぶやき続けた。
これであと100年、町は安泰だという。
ロニーにとっては、どうでもいいことだった。
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マリエルが死んだあと、ロニーは世界を呪った。
こんな世界など滅んでしまえばいいと、何度も思った。
だが、そのたびにロニーの頭の中にマリエルの声が響いた。
――そんなこと言わないの。ほら、笑顔を見せて。
「無理だよ……! 君がいないのに、笑えるわけなんかないじゃないか……!」
ロニーの声に応える者は誰もいなかった。
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ロニーの涙が枯れ果てた頃、ロニーはパンを焼いた。
最初は、つまずくことばかりだった。
人見知りのロニーには材料の買い出しもひと苦労だったが、マリエルに笑われるような気がしてどうにか乗り越えた。
生地をこねるのはもともと自分の役割だったので問題なかったが、成形はマリエルの仕事だったため、ただ丸めるだけでも同じ大きさにならなかった。
火加減も難しくて、不揃いのパンのいくつかは黒焦げになってしまった。
それでも、焼き上がったパンを手でちぎると、湯気とともに柔らかな匂いがふわりと鼻をくすぐった。
――ふふ、やればできるじゃない。
マリエルがそばで笑っているような気がした。
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パンを焼くたびにマリエルの存在を近くに感じられるような気がして、ロニーは来る日も来る日もパンを焼いた。
パン屋を再開するつもりはなかったが、毎日パンの香りがする店に客足は自然と集まった。
――ほら、お客さんが待ってるわよ。
マリエルにそう言われているような気がして、ロニーは一生懸命パンを焼いた。
パン屋は盛況となり、毎日昼過ぎにはすべてのパンが売り切れた。
そんな日々が続き、数年が経った。
ある日、閉店間際のロニーの店に、美しい女性がやってきた。
有力な商人の娘だった。
彼女は頬を赤く染め、店を閉めたら一緒に食事をしないかとロニーに言った。
――いいよ、次の恋をしても。幸せになってね、ロニー。
ロニーの頭に、マリエルの声が響いた。
しかし、ロニーは商人の娘の誘いを断った。
自分でも理由はわからなかった。
それからも、ロニーのもとには様々な女性が現れた。
普通の町娘だけでなく、時には貴族家の令嬢や舞台女優、名のある女冒険者までがロニーに近づいて声をかけた。
気が小さく、しがないパン屋にすぎない自分にこれほどの女性が集まるのはおかしいと、ロニーは思った。
――きっと、この指輪のおかげなんだろうな。
ロニーの薬指で、指輪がキラリと輝いていた。
マリエルが自分への願いを込めた魔道具、流れ星の指輪。
それでも、ロニーは誰の誘いにも乗らなかった。
――もう、何してるのよ、ロニー。せっかくのチャンスだったのに。
マリエルがそう言っている気がしたが、ロニーは黙々とパンを焼き続けた。
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数十年が経ち、ロニーはすっかり年老いた。
パンをこねる力もなくなり、数年前にパン屋は閉めた。
命の灯が消えるまでもう長くないと、自分でもわかっていた。
ロニーは杖をつきながら、マリエルが死んだ神殿の前の広場にやってきた。
ベンチに座り、ロニーは薬指の指輪に視線を向ける。
――ねえマリエル、君は僕に、何を願ったんだい?
『あたしが死んでも、素敵な恋をして』?
だとしたら、ごめん。
僕はやっぱり、君を忘れられなかった。
どんなに素晴らしい女性が現れても、君だけがずっとずっと好きだった。
でも、僕は幸せだったよ。
もちろん、君がいなくなって寂しかったけど、それでも幸せだった。
君は、僕の中にずっといたから。
もしかして、僕が『君とずっといたい』としか願わなかったから、いつまでも君の声が聴こえ続けてたのかな。
だとしたら、もし、できることなら……。
ベンチに座るロニーは、息を吐いてうつむき、静かに目を閉じた。
――生まれ変わったら、今度こそ、しわくちゃになるまで君といたいな。
そのためには……。
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それからさらに長い時が経ち、神殿を少年と少女が訪れた。
「この町も、もう結界はいらなくなったんだってさ。勇者様のおかげね」
外界の魔物はほとんど討伐され、人々の往来も増えた。
かつては荘厳な雰囲気だった神殿も、今は観光客でごった返している。
「それにしても、そこまであたしのことが好きだったとはね」
そう言って少女は、少年に笑いかけた。
少年は照れてうつむく。
「だって仕方ないじゃないか。他に方法はなかったんだ」
「だからって、まさか転生して世界中を旅して魔王までやっつけて、平和にした世界でもう一度あたしとやり直そうだなんてさ」
「……前の前の人生の最期に思ったんだよ。君が僕に願ったのは具体的な何かじゃなくて『僕の願いが叶うように』みたいなことなんじゃないかって。それでも君に関する願いは叶わないってことだったから、僕は次の人生を望んだ。それで、必死に頑張って魔王を倒し転生も操れるほどの力を手に入れたんだ」
少女は「ふふっ」と笑って少年の前に出て振り返った。
その拍子に、少女の長い髪が揺れる。
その髪は、夏の夕焼け空のように赤く輝いている。
「やっぱり、やればできるじゃない」
少女はそう言って、少年の髪をくしゃくしゃとなでた。
冬の朝に積もった雪のような銀色の髪が乱れる。
「わ、やめてよ」
髪を気にする少年の手を引っ張り、少女は歩き出す。
「さ、行くわよ、ロニー」
「ちょっと待ってよ、マリエル」
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クロエ・アナが、薄暗い店内で佇んでいる。
――今回ご紹介した魔道具は、いかがでしたでしょうか。
いつか必ず、別れは訪れるもの。
それでも、ともに過ごした時間がなくなることはありません。
それに、別れのあとには出会いがあるもの。
ただし、それが必ずしも新しい出会いとは限りません。
一度別れた人と再会することだって、あるはずです。
その人生の中だけでなく、来世やその先の人生のどこかでは、いつかきっと……。
当店では、他にも様々な魔道具をご用意しています。
ですが、あいにく本日はそろそろ閉店のお時間。この他の商品のご紹介は、もし次の機会があればということで。
それでは、またのご来店を心よりお待ちしています……。
読んで頂きありがとうございます。
ジャンルをまたいで、いくつか短編を投稿しています。
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