愛情を餌にされて、これでもかと尽くしてたけどやっと目が覚めました。
ローズマリーは血走った瞳で男を押し倒していた。薄い下着のような派手な布を纏って、その肉体をブロウズ辺境伯であるヴィンセントに押し付けてどうにか扇情的に見えるように笑みを作った。
始めは驚いた様子のヴィンセントだったが、その顔は次第に険しいものへと変わる。
「どいてくれ、そんなことをされようと抱く気になどならない」
冷たく言われるが、それでは困るのだ。
どうにかして、ヴィンセントから引き出さなければならない言葉がある。
それはこんなことになった事の発端。目の前のローテーブルに置かれている書類つづりに関することだ。
「そこを何とかなりませんか、わ、私こうして、夫以外の殿方と逢瀬を交わすのが好きなんです」
「……」
震える声でローズマリーはそういった。
どうにか目を細めて、緩く縛っていた髪をほどいた。柔らかくカールのかかった赤髪がさらりとヴィンセントの上に広がった。
そんな姿にも彼はまったく不愉快だとばかりに顔をしかめるだけだ。
仕方ない、こうなればもう、自分から事をおこすしかないだろう、そう決心してローズマリーはぐっとヴィンセントに唇を重ねた。
……どうしても、成功させなければ、あの人に愛してもらえないの。
そう言い訳しつつも、自分の性分を忌々しく思う。
なんでも言いなりになって愛情を餌にされると、いつだって逆らえない自分が苦しかった。
今回の件の始まりは、ローズマリーの夫であるオースティン子爵領と目の前にいるブロウズ辺境伯領の間に大きな魔石の鉱脈が見つかった事だった。
始めは所有している土地の割合によって利益を分けるという話で共同での産業を始めた。
しかし、ローズマリーの夫トラヴィス・オースティンはあろうことか、その割合に文句をつけ始めた。
元から野心家なところがあるとは思っていたが、そんなところに口を出して国境を守る大貴族からお叱りを受けないかと心配していた。
けれども意外にもヴィンセントは、トラヴィスを無下に扱うことは無く、折り合いをつけられる場所を模索してくれる優しさまで見せた。
それに、味を占めて、少しゆすればまた利益が零れ落ちると考えたトラヴィスは妻のローズマリーを連れてブロウズ辺境伯邸を訪れた。
ヴィンセントには配偶者がいない。それは、婚約者をなくし他の人を愛するつもりがないからであると貴族たちの中でも知った話だ。
しかしトラヴィスは、それでも女を抱かずにいるなんて、相当女に飢えているはずだと下世話な考えで、色仕掛けで利権をもぎ取ってくるまで帰ってくるなと言い、ローズマリーは屋敷に置き去りにされてしまったのだった。
「……どけ、不愉快だ。オースティン子爵め、妻を連れてくるといった時点で怪しかったが、妻にこんなことまでさせるとは正気を疑う」
忌々しげに呟く彼に、グイと肩を押されるがローズマリーは顔をしかめるだけで、ヴィンセントのシャツにしがみついていた。
しかし、ベットまで誘えず、ソファーで押し倒してしまった弊害で、彼は背もたれに手をかけて体を起こした。
それを抑え込めるはずもなく、押し切られてヴィンセントの膝の上に乗るような形でローズマリーは収まっていた。
「はぁ、これだから他人と関わるのは嫌なんだ。ただでさえ既婚者以外は屋敷に入れないように徹底してるというのに」
困り果てるローズマリーを見下ろしながらも、ヴィンセントはそんな風につぶやく。
それもそのはず彼は、死んでしまった婚約者に義理立てするために妻をめとらないと公言している。
しかし、巨大な土地と莫大な資産を持っている彼と結婚したい女性は山ほどいる。
そんな女たちの猛攻から逃げるようにヴィンセントは屋敷に引きこもり、さらには使用人でさえ既婚者を入れない鉄壁っぷりだ。
そうしていても既婚者を使って色仕掛けで利益をかすめ取ろうとしてくる貴族がいれば参ってしまうだろう。
髪をかき上げて苛立たしげに鋭い瞳でローズマリーを見つめる。
いつまでも上に乗ってないで降りろ、そう瞳で示されているとわかっていたけれど、どくことは出来ない。
ローズマリーにはローズマリーの事情がある。
「ヴィンセント様が、女性に手出しをしたくないということはぞ、存じています。けれど、ね? 私、得意なんです」
「……」
「ほんの少しだけ心を許してくださるだけでいいのです。心地い事しかしませんから」
焦りと心臓の音がうるさくて、上手く笑みを浮かべられているかどうかも分からない。涙が出てしまいそうだったが、そんなわけにもいかないだろう。
言いながら太ももに指先を滑らせた。本当にそうだと思ってもらえるように精一杯の誘惑をする。
しかし、返ってきたのは舌打ちひとつで厳しい表情のままヴィンセントは言った。
「乱暴はしたくない、降りろ」
「いいえ、で、できません」
「……」
突き飛ばしたり、魔法で攻撃されたりすればローズマリーだって逃げ出すがそれをやりたくない様子で、彼は険しい顔のまま頑として譲らないローズマリーの事を見下ろした。
しばらくの間にらみ合いのような時間が続き、ヴィンセントの胸元にコアラのようにしがみつくローズマリーにヴィンセントの方が先に折れた。
彼ははぁとため息をついて、それから、面倒くさくなったのかそのまま座る向きを変えてソファーの背もたれに体を預けた。
「……旦那以外との行為が好きだなんてとんだ痴女だな」
そうまったく棒読みで言った。しかし、それにうんうんとうなづいてローズマリーはそうなのだと主張するように言う。
「は、ハイトク感がよいのですっ。ですから」
「馬鹿言うな。何が背徳感だ。……はぁ、鉱脈の権利問題だろ」
言い当てられて、ぎくっという反応をしたローズマリーにヴィンセントは視線をテーブルに落とした。
普通の色仕掛けならば、絶対にもってなんか来ない目的がまるわかりの書類がどんとテーブルの上に置かれていて、今すぐにでもそれにサインしてもらって帰りたいとローズマリーが思っているのがまるわかりだった。
どれほど間抜けだろうと人を騙そうという根性がある人間ならきっともっとうまくやる。
そうではないところを見ると、どうやら命令されてやっているだけといった様子で、ローズマリー自身はとても気弱な令嬢らしいということがうかがえる。
「オースティン子爵に脅されてでもいるのか? それにしても本当にひどいな」
言いながらしがみついているローズマリーの体を見た。灯りがつけっぱなしの状態で押し倒されていたので、薄着の彼女の肌が丸見えだった。
こんなあられもない姿、貴族令嬢なら誰にでも見せるものではないはずだし、プライドが許さないと思うのだ。
しかしそんな様子もなくそれどころか、男女のそれを好むような発言までさせられて、手足には無数の痣や鬱血。一目見て暴力を受けているのだとわかった。
「離婚した方がいい、こんな風に他の男のところに嫁を置いて帰るような男碌な奴じゃない」
「!」
助言されて、心配からくる言葉だと理性では理解しているのにローズマリーは反射的に体を固くして、ぐっと顔をしかめてヴィンセントを睨みつけた。
「そ、そんなわけありませんっ」
すぐにそう否定する。あられもない姿で誰が見ても哀れだと思うような風貌をしてるのに、そんな状況に貶めているトラヴィスを庇うようにさらに続けた。
「あの人はただ、野心家なだけなんです、使えるものは全部使うだけなんです。ヴィンセント様が言うような悪い人じゃないんです」
彼の名誉を守るためにローズマリーは断言した、しかしそんな言葉は真に受けずにヴィンセントは少し首をかしげて、空を見ていった。
「晩餐会を開いているときにはそんな風に見えなかったのに、見せかけだけじゃわからないものだな」
そう独り言のように言う。
こうしてローズマリーが彼を押し倒す前、二人してブロウズ辺境伯邸を訪れた時は、ただの交流の目的のような顔をしてローズマリーとトラヴィスは並んで仲睦まじく料理に舌鼓を打っていた。
二人ともそれなりに仲がよさそうで、朗らかな若夫婦といったように見えたのに蓋を開ければ全身ボロボロにされた令嬢が出てきたのだ。これでは人間不信になる。
それなりに貴族としても経験を積んで、人間の醜さにも慣れたと思ったがまだまだ下には下がいるものだ。
「……み、見せかけなんかじゃありません。あれがトラヴィスの本当の姿なんです」
まったくローズマリーの言葉を取り合わないヴィンセントだったが、それでもローズマリーは何も言わないことは出来なくてそう口にした。
それにヴィンセントも心が抉られる気がしてはぁっとまたため息をついた。
「私がこうして彼の言う事をちゃんと聞いてうまくやっていれば、怒ったりしないはずなんです」
「……」
「酷い事をするのは私がうまく彼の言葉に応えられないからで……」
「……」
「それにうまく出来んたら、うんと優しくして愛してるって言ってくれるんです」
話しているうちに、本当に心からの笑みを浮かべていて、晩餐会の時と同じようにほころぶような優しい笑みだった。
ヴィンセントはコアラみたいに自分に引っ付きながら、そんな風に笑う少女を見て、ああっと嘆きたい気持ちにとらわれた。
せめて、こんな風に最低な男に引っかかった男が最低な女だったらなんとも思わなかったのだろう。
しかし、上手く人も騙せないただの可哀想な女の子だというのだから世の中せちがらい。
「君は……ローズマリーは、頼れる親戚はいないのか」
まったくもって関わりたくなどなかった。しかしここは年上として少しだけでも助言をするのはどうかと考えた時にはもう口に出ていた。
「頼る、ですか。困っていませんし、お恥ずかしながら私は兄弟がおおく末っ子ですから親が私の事を覚えているかどうか……」
「……オースティン子爵の母、……義両親との関係は?」
「す、少しだけ毛嫌いされているようですけど、いつかきっと和解できると思います……あのなんのお話ですか? 抱いてはくださらないのですか?」
必死に胸を押し付けてくるローズマリーを押しのけつつ、ヴィンセントは考えた。そしてついでに、また大きなため息をついて部屋の中のある一角を見た。
そこには、失ってしまった婚約者の小さな肖像画が置いてある。描かれているのは今のヴィンセントから随分と年の離れてしまった子供の姿だ。
視線を逸らして、また一つローズマリーに問いかけた。
「よくこういう事は、させられてるのか」
真面目な顔をして聞けばローズマリーは未だに、色仕掛けだという事をはっきりさせないつもりか焦った様子で言った。
「こう、言う事とは、ど、っどどんなことでしょう」
「他の男に色仕掛けをすることだ、体を開いて他人に要望を飲ませること」
分からないふりをするローズマリーに、ヴィンセントは丁寧にそう口にする。
そういわれてローズマリーはヴィンセントが不意に視線を逸らしてローズマリーの後ろを見ているのを同じく目線でおった。
そこには終わったらすぐにでもサインしてもらおうと思って持ってきた物が置いてあって、今更ながら少しばかり、あからさますぎたかもしれないと思う。
「そんなことは……」
真剣な瞳を向けられて、ローズマリーは言い淀んだ。
思惑がばれているのだとしたら、これ以上嘘を突き通したって意味などない。
それどころか、この目の前にいる彼に嫌われてしまうかも。そう思うと嘘を重ねることは出来なくてしょんぼりしてローズマリーは答えた。
「……滅多にありません。……いつもはトラヴィスの友人の相手をさせられるぐらいで……」
なんだってこんなことを聞くのかは分からなかったが、少しでも好感を持ってもらって、事に及べればいいかと思い言ったのだった。
しかし、ヴィンセントは頬を引きつらせて、はぁっと大きくため息をついた。
それから、ローズマリーの両肩を掴んで、その瞳をじっと見つめた。
「……もう一度言うが別れた方がいい」
…………何言ってるんですかこの人。
ヴィンセントのローズマリーを思いやった提案に、ローズマリーはまったく理解できずにそう思って、それからなんでそんなことを言うのかと思う。
「そんなことありません」
だからすぐに返事をした。何故かという事よりもそうではないと断言することの方がローズマリーには重要でどうしても譲れなかった。
まったく揺るがずにそう返したローズマリーに、怒ったりせずにヴィンセントはまっとうに目をそらさずにローズマリーに聞いた。
「なんでそう言い切れる。別れた方がいいような相手ではない理由を言えよ」
……そんなの、山ほどあります。
そう反射的に思うのに、ローズマリーが口を開くまでに相当の時間がかかった。
何度か言葉を交わして見てみると、ヴィンセントがとても話の分かる人物であり、ローズマリーが女だからというだけで性欲の対象としている男たちとはどこか違って見えた。
つまりそれはまっとうにローズマリーと向き合っているということで、へたなことを言えば、返ってくる答えは心の奥底で想像がつく。
「……優しい人なんです」
「優しい人間は他人を殴らないし、置いていかない」
「私を幸せにしてくれるんです」
「……君は凌辱されることに幸せを感じるのか?」
「未来を約束してくれたんです」
「……」
それでも彼のいい所はあまりうまく思い浮かばなくて、漠然としたことばかりを口にした。それに逐一ヴィンセントが答える。
……それ以外にもハンサムですし、お金持ちですし。
そうたくさんの彼のいい所が思い浮かんだ。その内容にとても自分が醜い存在な気がしてきて嫌になったけれども、それらは口に出さなかった。
「ローズマリー、俺は君と今日会ったばかりだし、よく知らないが、体を安売りするような行為は自分を壊す、やめた方がいい」
「……」
何も言えなくなったローズマリーに諭すようにヴィンセントはいって、口から出ないように、零れ落ちないようにと考えていた言葉がふと口をついて出る。
「そんなこと言って、なんん、みんむんうむむ」
「ん?」
「んむむむ」
ローズマリーは途中まで言って、言いたくなくて自分の手で口を覆った。
困ったことに言ってしまいたい気持ちと、言えない気持ちが拮抗してしまって、そのままローズマリーは固まって困ったままヴィンセントを見上げた。
すると彼は、困り眉のまま笑って、その手を掴んでどかしてから「なんて?」と聞く。
……ああ、困りました。
そう思って続きを言った。
「そんなこと言って愛してくれる人に縋るのって悪い事ですか」
トラヴィスはローズマリーを愛してくれている。
それがどんな風に歪んだ安っぽいちんけなものでも愛してくれている。
その愛だけは本物だ。今はおかしな形をしているかもしれないけれども、きっといつか変わるかもしれない。
「愛情の示し方なんて人それぞれじゃないですか」
だから、間違っていてもきっといつか、ローズマリーも幸せになるような素敵な物になるかもしれない。
そうなるまで耐えればいい。
それでも、愛に飢えているからこそのそんな思考は、あさましいと思った。それに心配してくれているらしき人間にそういうのは多少なりとも罪悪感があった。
お前に何がわかる、そう言ってるのと変わらない言葉だからこそ言いたくなかった。
思い通りにならないとわかったら、きっと、呆れて切り捨てられるから、その見切りの瞬間を見たくなくて口を閉じていた。しかし、その言葉にもヴィンセントは当たり前のようにきちんと考えてそれから、真っ向から否定した。
「君が与えられているものは、愛ではないだろ。ただ征服欲を満たしているだけだ」
……そんなはず……。
「愛のない結婚もあってもいいが、今のまま幸せになれるとは到底思えない」
……幸せに……。
「目を覚ませ、君は彼の奴隷みたいだ。自由になった方がいい」
真っ向から言われてローズマリーは何も言い返せなかった。頭ではものすごく怒り狂って汚い言葉で罵るべきだと分かっているのだが体が動かない。
こうして結婚してから、まともにそんな風に言われたのは初めてだった。
使用人にも義両親にも暴力の事を相談したけれど、それを乗り越えた先にある物が幸せだと言われて、そういうものなのだと思ってきた。
だからそんな風に言うのは可笑しいはずで、ありえないと思ったが、どうきいてもヴィンセントの主張の方が正常な気がして、頭がおかしくなりそうだった。
「余計なことを言ったようだったら謝る。しかし、一理あると思えるなら男を捨てて、またこの屋敷に来たらいい」
言いながらヴィンセントはシャツのボタンをはずして首から服の中に下げていたペンダントを引き出して外した。
そしてローズマリーの手に握らせる。
「証としてこれを渡しておく、いらなければ手紙で送ってくれればいい」
「……」
「分かったら降りてくれ……抱くだ何だという話は次回きても同じくそうしたいなら考える、それでいいだろ」
そういってローズマリーをグイッと押しのけて立ち上がった。
彼はジャケットを脱いでローズマリーにかぶせて馬車を手配させ、その日のうちにオースティン子爵邸に送り返したのだった。
オースティン子爵邸についてトラヴィスに会いに行くと、まずは目的を達成できなかったことを怒られて、殴られた。
しかしそれから何故か沢山謝られてやさしくされたり、かと思えば烈火のごとく暴れまわる彼にどつかれたりした。
いつも通り、友人たちがやってきたらローズマリーは娼婦のように扱われ、痣や傷が増えていく。
しかし、苦しくなるたびにこれは愛情ゆえと縋っていた気持ちがヴィンセントに言われた言葉に代わって、それから、バレないように服の中に下げているペンダントの感覚を思い出して、逃げ場はあるのだと思った。
すると不思議なことに逃げたいと思うようになった。
逃げられるとも。
けれども今までの苦労がローズマリーの足を引っ張って、なかなか行動に移せない。
そんな中で必死に考えた。ヴィンセントが言ったことが正しいと本当に思える方法を頭から湯気が出るまで考えて、思い浮かんだ一つの案を行動に移した。
その間にも頭が冷めていくような、淡々とした冷静な感覚があって、怒られるかもしれないと思ったけれども怖くはなかった。
機嫌を取るような笑みではなく、珍しく真剣な顔をしているローズマリーとトラヴィスは向かい合っていた。
彼は家長をこんな風に呼び出すなんて何事かと険しい顔をしていた。
「話とは何だ。私を呼びつけておいてくだらない事だったらただじゃおかないぞ、ローズマリー」
低い声、威嚇するような視線、それに体は逃げ出したくなるけれど、胸元をぎゅっと握ってペンダントがちゃんと存在していることを確認した。
そうすると自然と安心できる。
「……見てください、ここ最近急にできてしまったんです」
彼の言葉には答えずに、考えていたセリフを言いながら着ていたゆるりとしたワンピースをめくって太ももまで露出させた。
彼らは大体、ローズマリーを脱がせないまま乗っかってくる。こんなものが急にできていたとしてもバレない自信があった。
「っ、おお、お前なんだその、醜い、肌は……」
目を見開いてトラヴィスはローズマリーの太ももを凝視した。
血の赤と膿みの黄色が混ざった派手な爛れ、そしてところどころに小さなあおぐろいできものがくっついている。
これは、薄い紙を糊と混ぜて作ったものだ。爛れは絵具を使っている。しかし元から傷があったのであまり違和感なくその皮膚病のような異常はなじんで見えた。
ローズマリーも鏡で自分を見た時驚いたものだが、絵画のセンスがあってよかったと思った。
「まま、まるで貧困街にいる娼婦の、ような……」
脅えた様子でそういう彼に、小さく頷いた。痛ましい話だが貧困層の娼婦たちには身をむしばむ性病が流行っている。不謹慎だが、その話をもとにこの作戦を立てた。
「……その病にかかってしまったそうです。体調もとても悪く、黙っていてごめんなさい」
数日前には医者を呼んでほしいとお願いして、仕込みをしておいた。もちろん何事もなかったと伝わっているだろうが、これなら隠すように言っていたと思うこともできるだろう。
唖然とした表情、焦り、それから病気に対する嫌悪、その表情を見てローズマリーは確信した。騙すことには成功しているだろう。
……後は、彼の気持ちが愛か愛ではないのか。
そう思って試すように見つめた。
「なんで黙ってたんだ!!」
大きな声で怒鳴って、その声に体が震える。
「私に移っていたらどうしてくれるんだ!!!」
……なるほど。たしかに愛ではないです。
醜く焦り、狼狽する彼に冷静にローズマリーは思った。
やっと認めて気持ちは冷めていく、ずっとずっと冷たくなって、すうっと頬から涙が零れ落ちた。
なんで泣いてるのかもよくわからなかったけれども、それでも盲目的であった時間んに終わりを告げると、今までの苦しみが襲ってくるようでそのまま涙を流す。
しかし、今までの堪えるための涙ではなく、こぼすたびにどんどんと心が軽くなっていく涙だった。
「今すぐに医者を呼べ!! それからその汚らしい女を追い出せ!!」
喚き散らす彼はこんなにも醜く小さな男だったのだと思う。そう素直に思える。
……もう、出ていかなければならないんですか。では、最後に。
出来る限りの復讐を。
笑みをうかべてローズマリーは彼を抱きしめた。
それから思い切り唇を重ねる。
病気の女に舐るように口をなめられ、さらには粘膜である眼球をなめられるとトラヴィスは失神した。それに、置き手紙をしてローズマリーは去っていった。
しばらく近くの町ですごし、離婚が成立してから、自分がとんでもない事を色々していると少し自覚した。
突然思い立ったように離婚を決意し、ついでに別の男の元に転がり込もうとしてるだなんて、あさましいと思うしそんなうまい話はあるのかと思ってしまうが、それでも約束したのだしと考え直して、ヴィンセントの屋敷へと向かった。
すると当たり前のように迎え入れられ、ヴィンセントに愛ではなかったと伝えると、また困ったような笑顔で「余計なことを言ったわけじゃなかったようで良かった」と言うのだった。
彼は、とてもやさしくその場所でローズマリーは静かで傷つかない生活を手に入れたのだった。