68.アイゼン家に誓います
アイゼン家、ルーカスの書斎で、ノアはジョセフに投げ飛ばされ、壁際に座り込んでいた。
「ノア───」
ジョセフは、最早思考の読めない息子を前に、怒りで震えている。彼自身、先程までノアのしでかした惨劇を目の当たりにしたショックで寝込んでいた為、ふらつきながら、壁際のノアに近づいた。そして、ノアの胸ぐらを掴み、立ち上がらせた。
「ノア……自分がした事を……理解しているのか…?」
「はい。」
ジョセフは、平然と答えた息子の胸ぐらを掴んだまま、壁に押し付けて怒鳴った。
「彼女は物では無いっ!一人の人間だという事を…ましてや、自分が妻に望んでいる女性だという事を理解しているのかと聞いているんだっ!あんな犯罪まがいの……いや……どうこちらに都合良く考えたとしても、犯罪だ。監禁していたのだから……仮にも婚姻前の令嬢をな。訴えられでもしたら、言い逃れはできんぞっ!」
しかし、ノアは悪びれなく言い返した。
「近く彼女と婚姻を結ぶのであれば、彼女は私の物です。私の物を、私がどう扱おうと、非難される理由はありません。」
ジョセフは、ノアの言い分に目を見開いた。
「ノア………貴様はどこまで腐り切った思考をしているんだっ!!」
「父上、ノアの言う通りですよ。ノア、彼女の事は好きにしたら良い。」
ジョセフがノアの言い分に激昂し、ノアの胸ぐらを掴んだまま、ガンガンとノアの頭を壁にぶつけた時、ルーカスが部屋に入って来た。ノアは、父親の仕打ちに対して、面倒くさそうにしかめた顔のまま、部屋に現れた兄を見た。
「ルーカス!お前まで、何を言っているんだっ!」
ジョセフはノアを離し、ルーカスに向き直った。
「多少、脅されましたよ。でも、話は付きましたから。」
「ルーカス………」
ルーカスは、壁際で俯いているノアを見た。そして、怒りを含んだ声色で、ノアを非難した。
「ノア、だけどね……彼女のおでこ、あれはあんまりだよ。」
「おでこ………?」
ノアと、ジョセフの声が重なった。
「ノア、彼女のおでこに頭突きしただろう⁈」
「えっ⁈」
「ノアッ!お前は一体……本当に彼女と結婚する気があるのかっ⁈どこまで暴行を働けば気が済むのだっ!」
「ま、待って下さいっ!私は彼女に頭突きはしていません。頭突きをしたのは───」
「貴様…この期に及んで嘘をつくつもりか!そんな嘘が通用するかっ!」
ジョセフは、またノアの胸ぐらをつかみ、頭をガンガンと壁にぶつけ、ノアは眉間にしわを寄せた。
「彼女のおでこは、内出血で真っ青になっている。彼女を診察したうちの医者も、酷い状態だと言っていたよ……ノア、一歩間違えば、彼女は脳に障害が残っていたかもしれない。今回は俺も、許容出来ないよ。やり過ぎだ。」
ルーカスの言葉を聞いて、ジョセフは膝から崩れ落ちた。
「ノア……お前は何と言う事を……俺が…俺の考えが間違っていたのか……幼少期から軍に入れたからか?だから……お前には人の心が無くなったしまったというのか……神よ………あんまりだ……」
「父上、私にも人の心位ありますが……」
「ノア、人の心があろうと無かろうと、敵兵でも無い相手に頭突きをしてはいけないっ!」
「兄上、ですから私は頭突きはしていません!何度も言いますが、頭突きをしたのは彼女───」
ルーカスは、スタスタとノアに歩み寄ると、既に自分より背の高くなった、弟を見上げた。
そして右手で、今日は後ろに撫で付けられず、目の直ぐ上まで下ろされているノアの前髪を、そっと掻き上げた。
「ほら……彼女のおでこは真っ青になっているが、ノアのおでこは全然大丈夫じゃないか。当たり所を調整したんだろ?ノアが頭突きをした側という、何よりの証拠じゃないかっ!」
「そんな…………」
「それに、そもそもだね。彼女は、ノアに頭突きをされたと証言している。もはや決定的だ。言い逃れはできないよ⁈」
「…………………申し訳ありませんでした。」
ついに、ノアは謝罪した。
「ノア、アイゼン家に誓うんだ。」
しかし、ルーカスはノアを見ながら冷たく言い放った。
「なっ…………」
ノアは目を見開き、兄を見た。
「ルーカス、何もそこまで───」
「駄目です父上。今後、二度とこの様な事をしない様、しっかり誓わせなければ。」
ジョセフがノアを庇ったが、ルーカスの意思は変わらない。
家への誓い───主に高位貴族が、公の場に置いて、誓約を立てる際に用いられる作法である。それは王族に対しても用いられる事のある、格式高いものであり、軍に置いては戦地に赴く前に、必ず戦果を上げて帰還する事を、この作法を用いて国に誓う。
誓いを果たせなかった場合、特に罰則等は無いものの、非常に不名誉な事とされている。過去には誓いを果たせず自ら命を絶った者もおり、民草にはそんな事で死ぬなんて馬鹿げている、と理解はされないが、高位貴族達にとってはそれ程自身の名誉を掛けた事である。
「ノア、早く誓いなさい。」
「兄上───」
「ほら、早く。」
ノアはためらったが、ジョセフがちらりと視線を送ってきた。どうしようも無いから早く誓えと、その目が言っている。
「ですが……もし、次にまた、避けきれなかった場合、私は非常に不名誉な事に───」
「ノア!何をごちゃごちゃ言っているんだっ!」
ルーカスは腰に手を当てて、こちらを睨んでいる。
ついにノアは諦めた。左膝を折って地に付け、右膝は立てて跪くと、右腕は身体に対して平行にし右膝の上に、左腕は手のひらを開いて、左膝の横で地に付けた。
そして、やや俯いて軽く目を伏せると、誓いの言葉を発した。
「……二度と同じ過ちを犯さない事を、誓います。」
しかし、ルーカスはそれでは満足しなかった。
「ノア、違うでしょっ!何をしてごめんなさいなのっ⁈何に対して誓わなければいけないのっ⁈」
「ルーカス、もうその辺にしないか!」
「父上は黙っていて下さいっ!今回はしっかり反省させなければ……」
ノアは、兄が子どもを諭す様な口調になった時、何を言っても無駄な事を知っている。こうなると、逆らっても無意味だ。
「ガルシア家のジゼル嬢に、二度と頭突きをしない事を、アイゼン家に誓います。」
「そうだ、ノア!良く言えたね!」
言い直されたノアの誓いを聞いて、ルーカスは微笑み、ジョセフはため息をついた。まさか、格式高い家への誓いが、この様な事に使われるとは思ってもみなかったのだ。
ルーカスの怒りが解け、跪いていたノアは立ち上がった。そして不本意ながら、頭突きをしたのもこちらと言う事になってしまったのだった。
ノアは、傷一つ付かなかった、自身の丈夫な額を恨んだ。
「ルーカス、後の事は…お前に任せる。私は、何だか疲れた……」
ジョセフは盛大なため息を付き、顔をしかめ目頭を押さえながら、長男に告げた。
「承知しました、父上。」
「頼んだぞ。私は、部屋に戻って休むよ…」
「父上、戻られる前に、お聞きしたい事があるのですが───」
「何だ………」
「先程彼女と話をしたのですが、彼女は、上官のリー中尉の進退を、やけに気にしています。恩義があるのは分かるのですが…ガルシア家より優先する程なのが、気に掛かりまして───」
「彼女が出した、和解の条件がそれか?」
「まあ……他にもありますが、そうですね。」
ジョセフは一瞬考え込んだが、すぐに口を開いた。
「ならば…恐らく、ジキルの指示だろう。ジキルは義理堅い男だ。今時珍しい位にな。ガルシア家よりも、まずはリー中尉の家に報いる様、自分の娘に言い付けているのだろう。」
「なるほど。それで───」
「彼女が提示してきた要求は、後から聞かせてくれ。」
「はい。ですが、父上が気になさる必要のない位の、かわいい物でしたよ。」
「そうなのか?」
「ただ、それを反故にした場合、恐ろしい事になりそうですが。」
「………起きたら、必ず聞く。」
部屋を出ようとして、ジョセフはノアに向き直った。馬鹿な三男は、額を押さえながら、今度は絶対避ける……とかなんとか、訳の分からない事を呟いているが、訳の分からない事を言う位は、もはや疑問に感じない程に、この愚息の思考は理解出来なくなっていた。
「ノア、」
父親に呼ばれても、ノアは、俺の額が弱ければ…と呟き続けている。ジョセフは気にせず言葉を続けた。
「ノア…先日、エマとガルシア家に行って来た。」
「本当ですか⁈父上っ!」
「……お前は、自分に都合の良い事は聞こえているのだな。」
「それで……向こうは婚姻を認めたのですか⁈」
「最後まで話を聞け、このポンコツが……」
「父上、ノアはポンコツではありませんよ!ちょっと自分の欲求に正直で、女性に対して野蛮なだけで。仕事は出来る子ですからね。だよね、ノア!」
「…………」
「ルーカス、お前の言い方の方が、アイゼン家にとっては不名誉極まりないぞ。ちょっと黙っていなさい。ノア、私達は、婚姻の打診には行っていない。この前、お前が彼女を締め落とし、医務室送りにした件を、謝罪に行ったのだ。」
「父上──」
「先程も言ったが、ジキルは義理堅い男だ。お前は仮にも、貴族令嬢を……私の友人の娘を、締め落としたのだからな。まずはその件を謝罪するのが、筋と言うものだ。」
「御足労お掛けしました、父上。それで向こうは…」
ノアは、この件で初めて、父親に謝罪した。
「何度も言ってるだろう?ジキルは、義理堅い男だと。あいつは…多少他人に優しすぎる。自分の娘は軍人だから、娘に非が有ると…そう言っていたよ。私はそうは思わんがね。お前に非が有る。ただ──」
「ただ……?」
「ガルシア男爵夫人、フレイヤ殿は不在でその場にいなかった。私とエマが謝罪する事が出来たのは、ジキルと、執事頭の青年だけだ。」
「ノア、彼女の継母の事は、調べて知っているんだろう?」
ルーカスも心配そうに口を開いた。
「はい、多少……傭兵フレイヤですね。彼女の継母は。」
「その通りだ。ジキルが傭兵フレイヤを連れて来た時は、それは、驚いたものだが……まあ、それは今はいい。フレイヤ殿は、先妻の子どもの育ての親であり、自分が世話をした2人の子どもを溺愛していた。今も、そうだ。」
「ノアが彼女を締め落とした事、怒っているでしょうね。」
「恐らく……な。ガルシア家としては、ジキルの答えが全てだが、フレイヤ殿が許しているのかは、聞けていない。」
ジョセフは、ちょっと自分の欲求に正直で、女性に対して野蛮なだけの三男を見た。
「そういう訳だ。それなのにお前は、また事を荒立てる様な騒ぎを───ノア、とにかく…まずは彼女と和解し、お前もガルシア家に謝罪に行け。そうすれば、恐らく向こうも婚姻を認めるだろう。今、婚姻の打診に行っても、向こうは戸惑うだけだ。」
「ノア、父上の言う通りだ。俺も、婚姻の打診は、出来るだけ早い方が良いと考えていたけどね……ガルシア家よりも、まずはリー中尉の家に報いる様、彼女に行動させる位だ。例え王命の撤廃が出来そうであっても、ノアに信頼が置けないと判断されれば、断られる可能性もあると考えた方が良い。」
「………分かりました。」
ノアは渋々頷いた。
「まあ、そう言う事だ。しかしノア、今日はもう一切彼女には近付くなよ!お前を見て、彼女の容態が悪化したら大変だからなっ!」
「…………様子を見るだけでも駄目ですか?」
「駄目に決まってるだろっ!このポンコツがっ!」
「…………」
そう言い残して、ルーカスとノアを残し、ジョセフは書斎を後にした。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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