67.おでこのガーゼ
「傷の具合はどうかな?主治医の話だと、明日までは、薬湯に入るべきらしい。軍には、こちらから連絡しておくから、ここで休んで、しっかり傷を治して欲しいと思っているよ。」
目の前に積まれた、山盛りの果物が、とても美味しそうな、瑞々しい香りを部屋中に漂わせている。食べやすい様に綺麗に切られ、美しく盛り付けられた果物は、白い器に、輝く様な果汁を滴らせている。
「弟が君にした事は……謝罪では済まされないと、理解はしている。あ、遠慮しないでどんどん食べてね!口の傷にしみなければ良いけど…とりあえず果物を用意したけどね、他にも食べたい物があったら、何でも言ってね。」
私は、真っ白な取り皿に、濃い橙色のオレンジをフォークで取って、口に運んだ。
おっいしい!!口の端にちょっとしみるけど、甘酸っぱくて凄くおいしい!いろんな種類があるな〜!食べ出したら止まらない。
「本当に……申し訳ない事をした。」
私、謝罪されているんだな。アイゼン家から。
やっぱりあれは…謝罪される様な事だったのか。
「この件についてだけどね、君も弟も、いい大人だ。子どもでは無い訳だから…きちんと話し合って、解決したい。君と弟には、すれ違ってしまっている部分があると思うよ。いや、まぁ…弟の言葉足らずというか………」
そして……
誠意ある謝罪をすれば、こちらは許すと考えている。高位貴族だしな。うちは男爵家…まあ、そうか。
すれ違いも何も…私が指示に背いた事が発端だ。
私も、頭突きとかしちゃったしなぁ……
「傷が癒えてからで構わない。話し合おう、ジゼル嬢。」
────────────
「私の名前は、ジルベールです。ルーカス様。」
彼女は、口の中に沢山詰め込んでいた果物を綺麗に飲み込むと、水色の瞳でこちらを見据えながら、はっきりとそう告げた。
今日の昼前、自宅の、バスルームの付いた客室に彼女を保護し、家の女医に診察をさせた。
診察が終わり、寝ていた彼女は昼過ぎに目を覚まし、意識もはっきりしていた。
今、客室のテーブルに、山盛りの果物を運んで、彼女と向かい合って座っている。
一見元気そうだが、おでこの真ん中にぺたっと貼られた、大きなガーゼが痛々しい。
彼女を診察したお抱えの女医によれば、彼女は、乙女を散らされる様な事は、されていなかったらしい。それを聞いて安心はしたが、発見が早くて助かったのだろう。ノアは、あのまま彼女に何をするつもりだったのか……
また、女医は、身体中の噛み跡や、拘束の跡も酷いが、おでこの真ん中にある、大きな痣が、特に痛々しいと報告してきた。
いったいノアは何をしたんだ……⁈
女性に対して…頭突きでもしたのか⁈
「それは……失礼した。弟も、そう呼んでいた様だったからね。」
「勝手にお呼びになっているだけです。」
彼女は言い捨てる様にそう言うと、またせっせと取り皿に、果物を取り始めた。動作がかなり、手慣れている。最小限で、無駄の無い動きだ。
「そうなんだね……重ね重ね、申し訳ない。」
「アイゼン少佐は中隊の上官ですので。私が意見する事はありません。」
「……そっか……」
そして彼女は、また果物を食べ出した。綺麗な動作で、どんどん口に入っていく。
彼女、かなり怒っているんじゃないのか⁈
まずいな……
「では…ガルシア軍曹。今回弟がした事について、こちらは全面的に、君が訴える事があれば、言い分は全て認めるよ。言い逃れはしない。どうすれば…許してもらえるだろうか……?」
彼女は、少し考えた表情をして、こちらに向き直った。
「近く……私の妹と、私の同窓が、結婚するのです。」
そして、脈絡無く、そう告げた。
「え?そうなんだね。それは、おめでとう。祝福するよ。」
「既にお聞きになっているか存じませんが、アイゼン少佐から、妹の結婚に際して、仲人はアイゼン家がする、とお約束頂いていました。」
「それは……初耳だね。」
ノアの奴、勝手にそんな約束をしていたのか。
まぁ、別に仲人位、駄目な話ではないが。
「妹は、直ぐにでも入籍させる予定です。お約束通り、仲人をお願いしたいのです。」
「直ぐに……君の妹さんは、まだ子どもだったよね。王命絡みで、手を打ったって事かな?」
「仰る通りです、ルーカス様。」
彼女はしっかりと、こちらを見た。
輝く銀髪──女医が処置をする際に、花の香油を髪に使ったと嬉々として報告してきた──本当に、底抜けに運の良さそうな人間だ。
ジキル殿もそうだが…武運に包まれている様に見える。多少の事では死にそうに見えないな。
だが、そう言った所で、「運が良ければこんな王命の掛かった家に生まれていない」と…俺が彼女ならそう思うだろうな。
「分かった。もう、婚姻の書類は書いたのかな?すぐに、仲人の手続きをしよう。君の妹の結婚に際して、仲人はアイゼン家がする。約束しよう。」
「ありがとうございます。」
彼女は、要求を通せた事で、少し安心した様だった。これで…多少怒りも収まってくれたかな。
「それと…今回私が森に入った件なのですが、私が独断でした事で、リー中尉は関係ありません。」
「ん?ああ、確かベネット公爵令嬢の元婚約者を助けに森に入ったと聞いているけど……元婚約者も、軍の医務室で休んでいるみたいだね。そうか。独断でした事でも、君も、彼も、無事で良かったよ。」
「リー中尉が叱責される様な事は……」
彼女は、上目遣いに、こちらを伺う様に聞いてきた。
「ああ、ノアには、リー中尉を叱責しない様言っておくよ。でも確か、既に医務室にいるのだったっけ……」
「え?」
「あ、いやいや!大丈夫だよ。ノアにはしっかり言っておくから。安心してね。」
「ありがとうございます、ルーカス様。」
彼女はそう言うと、少し微笑んだ。
「ガルシア軍曹、よかったら僕の事は、ルーカス義兄さんって、呼んでくれないかな?」
多少性急過ぎるかと思ったが、話の流れだ。彼女とは、親睦を深めておいて損は無い。微笑みながらそう尋ねると、彼女はきょとんとした表情になった。そうした表情をすると、まだ、あどけなさが残る様だな。おでこに貼られたガーゼが、子どもっぽさを助長している。
「え?何故ですか…?」
「リー中尉の事は、心配いらないからさ。君はもう、妹みたいなものだし!そう呼んでよ!ノアが喜ぶし…」
「はぁ………」
「ほら!せーのっ!」
「えっ!ル、ルーカス……兄さん……?」
「ありがとう!ガルシア軍曹!」
「………あの……それでしたら……よろしければ、ジゼルと…呼んで下さい。」
「えっ⁈いいの⁈あっ、でもノアがなぁ……ジルって呼んでも構わないかな?」
「はい。」
「ありがとう、ジル!」
そう言うと、彼女は少しはにかみながら、フォークで果物を刺し、口に運んだ。
「そういえば、ジル、私室は気に入ってくれた?ノアはね、君の野営訓練が始まる前に、君の好みに合うようにって、張り切って私室を整えたんだよ!どう?ティーセットとかさ、かわいいでしょ?僕も、妻と一緒に選んだんだよー?」
しかし、それを聞いて、彼女は驚いた表情になった。
「あれは……少佐が用意して下さっていたのですね…軍の私室にしては、整い過ぎているなと思ってはいたのですが……てっきり、私の家族が用意したものとばかり──」
「あ!聞いてなかった?ノアは…そうだね。自分からは言わないか…」
「あの……どうしてそこまで……」
「ん?それは、気にしなくて良いよ。ノアがしたくてやった事だ。気に入らなかった?変えたい所があるなら、遠慮なくノアに言うと良いよ。」
「いえ、とても素敵なお部屋で…すごく気に入っているのですが…」
「それなら良かった!ノアにも伝えてあげて?きっと喜ぶからさ!」
「はい……」
彼女は、何やら考え込んだ様に、俯いた。私室の件…知らなかったのか。驚きもするだろう。いや、それどころか、意図が分からなくて警戒するよな、普通。
ノアの奴、自分で言えよな…。
ノアの言葉の足りなさに、俺は小さくため息を付いた。
「あの……ルーカス……兄さん、」
「ん?何かな!ジル。」
彼女は、まだ言いたい事があるのか、様子を伺う様に口を開いた。
「あの……リー中尉の件なのですが……要望があるのです。聞いて頂けますか?」
「内容を聞こうか。」
「リー中尉は、私の直属の上官なのですが……出自を理由に、不当な扱いを受ける事が少なくありません。現に、リー中尉の出世を妬んで、妨害してくる者も多いのです。」
「確かに、軍は、身分や出自は関係無いとされているが、表向きの話だ。実際には差別や偏見を持つ者も多い。特に…王命を理由に徴兵されている君が居る時点で、既に公平な組織とは言い難いね。」
「リー中尉は、軍が不利益を被る様な行動を取る方ではありません。リー中尉が不当な扱いを受けずに済むよう、今後アイゼン家に、リー中尉の肩を持って頂きたいのです。」
「……ガルシア家の肩を持つ、では無くて、リー中尉の方で良いの?」
問いを返しても、彼女は迷わずに返事をした。
「はい。」
「……ジル、リー中尉の事は、僕も聞いているよ。彼は、優秀な軍人だと思う。訳ありの君を一人前に育て上げ、広報部と共に傾いた軍の財政を立て直した。偵察班の出身で、彼自身の実力も申し分無い。扱いが難しい君の中隊を……ごめんね、素直に言えば君の中隊は昔からそうなんだ。君の所属する中隊を、中隊長として、しっかり統率出来ている。」
彼女は静かに聞いている。
「リー中尉は、アイゼン家が肩を持たなくても、必ず出世するよ。間違い無く、佐官以上にはなると思う。君が申し出るのは、君の家の肩を持つ、で無くて良いの?その選択で合っているのかな。」
「…………」
「ガルシア家には、喜んで協力するよ?」
「ガルシア家は……私が必ず救います。」
彼女は、ふりしぼる様に、こちらを見据えてそう言った。
勝手な解釈だが、自分に対してこんな仕打ちをする様な…そんな奴らの世話にはならないと、そう言っている様に聞こえた。
綺麗な銀髪の彼女が、過去に目にした事のある、ガルシア家の家紋と、重なって見える。
つい、言葉を失った。
「ルーカス兄さん、」
「………何だい?」
「リー中尉の、肩を持って頂けますか?」
彼女はしっかり言い切った。
「君の言い分は分かったよ。でも、具体的には、リー中尉が誰に不当な扱いを受けたか……今、言う事は出来るかな?」
「挙げればきりが無いですが……かなり悪質な事をしてきた人だと、バートン家、フォスター家、パルヴィン家の御子息の方々は、特に酷くて───」
「ああ、そこは確かにあまり良い話は聞かないけど………ん?でも待って、その家の子息は確か皆、数年前に前線で殉職したはずじゃ……それぞれ、別々の戦場だったと記憶しているけど……」
「仰る通りです。例え酷い事をしてきた人だとしても、殉職してしまわれたのは、残念です……」
彼女は、そっと目を伏せたが、全く悲しくは無さそうだ。
「全員殉職──まぁ………いいや、今は。」
ルーカスは微笑みながら、ジルベールに向き直ると、自分も取り皿に、果物を取り分けた。
「ジル、君はきっと……代々王命に喘ぐガルシア家を、君の代で救う事が出来るよ。僕も、弟の為に、そう信じている。」
「弟の為……それはいったい……?」
「君の要望は理解した。重ねて言うけど、リー中尉は、アイゼン家が肩を持たなくても、必ず出世する。だけど、ジルがそれを望むなら……必要な局面に置いて、今後、彼の肩を持とう。それで良いかな?」
「ありがとうございます、ルーカス兄さん。」
彼女はアーモンド型の瞳を緩めた。そして続けて口を開いた。
「先程の、仲人の件と、リー中尉の件をお約束頂ければ、私は……アイゼン少佐に対しては…その………」
少し、目を泳がせながら、言い淀んだ。言葉に迷っている様だ。
「じゃあ、こちらからの要求としてはね。今後、ノアが君に何をしても、不問に付してくれるかな?」
「……………えっと………」
「あはは!そんなに警戒しなくても、別に、懲罰房に入れたりだとか、命に関わる様な事はさせないよ!安心して!」
「……はい、分かりました。必ず、先程の件は約束して下さい。」
彼女は、伺う様にこちらを見た後、悩んでいる表情をしたが、承諾した。
「約束するよ。ちなみに……本当に約束は守るから、心配しないで欲しいんだけどね。もし、約束を反故にされたら、君はどうするつもりなの?」
「今回、私がされた事を、モニカとアデル部長に全て話して泣きつきます。」
「…………それは………かなりまずいね。アイゼン家は取り潰しだけじゃ済みそうにないな。」
「約束さえ守って頂ければ──」
「ベネット公爵家と、マルティネス公爵家は、ただでさえ、仲が良いからね。加えて君を気に入っている。君に泣きつかれたら、直ぐに事を起こしそうだなぁ、あはは!大変な約束をしちゃったよ!」
「宜しくお願いします。」
こちらを見ながら念を押してくる彼女は、まだ、多少悩んでいるようだった。
「ジル、大丈夫だよ。今の所、悪手では無いと思う。」
悪手ばかりなのは、ノアの方だ。
「……………ルーカス兄さん……」
「僕は、妹が居ないからね。男兄弟ばかりだからさぁ、新鮮で良いね!妹ってものも!」
「そうですか……?」
ルーカスはジルベールに、柔らかく微笑んだ。
彼女は、紺色の室内用のドレスに、ドレスと揃いの暖かそうな紺色のカーディガンを着せられている。
銀色の髪、水色の瞳に、紺色のドレスが良く似合っているな。
早く、彼女をノアに与えたい。
喜ぶだろうなぁ、ノアは……
以外と、良い夫になると思うんだけどな。
彼女に取っては、の話だけど。
「そう言えば、話は戻るけど、ベネット公爵令嬢の元婚約者の件。彼は、野営訓練中の森に、うっかり迷い込んだ、という事になっている。」
ルーカスは果物を頬張った。
「美味しいね!料理長、君のために、市場に買い付けに行ったらしいんだよ、これ。」
「そうなんですね、わざわざ申し訳無いです。」
「気にしないで!おかげで僕らも、こんなに美味しい果物を食べる事が出来た。それで、元婚約者なんだけどね、」
「うっかりあの森に……というのは、多少無理がありませんか?」
彼女は呆れた様に答えた。
「そうだね。まあ、無理矢理押し通すのだろうね。でね、元婚約者は、自分を助ける様指示した、リー中尉に、正式に家から感謝を表明したいと申し出ているそうだけど……あ、大丈夫。ノアには、リー中尉を叱責しない様に言うから──」
「私は、リー中尉の指示で助けに向かいました。その様に公表して下さい!」
「ジル、君は、独断でやったと言ったり、リー中尉の指示だと言ったり……ころころ変わるよね。もはや堂々とし過ぎて清々しいよ。分かった。軍には、そう処理させるね。」
ルーカスは、少し吹き出した。
「ねぇ、ジル。僕は、本当はね……こんな取り引きみたいな事抜きに…君達に仲良くして欲しいんだ。ジル、君はさ、」
────────────
「ジル、君はさ、どうしてノアがこんな事したのか……疑問に思わないの?」
疑問に……だってもう、考えても───
───そんな言い訳信じられると思って?貴方戦場帰りだからって、欲求不満をジルにぶつけようとしたんではなくて?───
───ご冗談を、仮にも軍人ですから、欲求の発散相手位わきまえております。それに私にも好みがありますから───
「…………さ、先程も申し上げましたが……仲人の件と、リー中尉の件をお約束頂ければ、私は───」
あれ………私、どうして────
心臓が、ぎゅってなる────
「あれっ⁈ジル、どうしたの急に…泣き出して……あっ…もしかして、まだ、傷が痛むのでしょ⁈ごめんね、無理させて……もう、寝てて良いからね。」
「いえ……そういう訳では……」
「後で、ジルが食べたい物、部屋に持って来るからね。傷は、いったいどの位……ちょっとガーゼめくるよ?」
ルーカス兄さんは、そう言って私のおでこに右手を伸ばし、貼られたテープをそっと剥がしてガーゼをめくった。
「ジル────」
そして、ルーカス兄さんの目は、みるみる丸くなり、青ざめた。
「ちょっとちょっとちょっと!!まっっっ青じゃないか!これは痛かったよねぇ!もう寝てなさい!」
「えっ!ちょ……ルーカス兄さん、」
そして私の隣に来て、膝裏に腕を回して抱え上げると、私をさっさとベッドに寝かせてシーツをかけた。
「いや…想像以上の酷さだ…脳に障害が残らなくて本当に良かった!うちの医者に、また、よく眠れる薬をすぐに持って来させるから!」
「脳に障害…あの、お薬なら、さっきも飲んだ様な……」
「ジル、我儘は駄目だ!お薬はちゃんと飲まなきゃ!」
「は、はい……」
「おでこ、ノアにされたんだね⁈頭突きされたんだね⁈」
「えっ……いや、これは……その……」
「ノアに頭突きされたんだねっ!」
「は、はい。ある意味、そうです……というか……違うというか……」
「ノアは…僕がしっかり指導しておくから。じゃあ、寝てなさいね!」
そして、おでこのガーゼを元に戻し、右手の人差し指で私のおでこをピシッと指差すと、おやすみ、と言って天蓋を閉め、足早に部屋を出て行った。
そんなに青いのかな、おでこ。
じゃあ、少佐も青くなってるのかな。
少佐のせいに、してしまった……
天蓋に囲まれたベッドの中で、ジルベールはおでこのガーゼをそっとさすった。
そう言えば、前に、私は好みじゃ無いって、
はっきり言われていたんだったな。
なんだかおでこよりも、心臓がズキズキする。
次に女医の先生が来たら……
心臓にも、ガーゼ貼ってもらおうかなぁ。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
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