64.湯気
「ジルベール様、薬湯の準備ができましたよ!こちらにどうぞ!ゆっくりで大丈夫ですよ……そう。歩けますか?」
私は、アイゼン家に連れて来られた。
ここは───客室みたいだ。
広い部屋、天蓋の付いた大きくてふかふかのベッド、続き部屋にバスルームがあり、女医だと名乗る優しそうな人が、お風呂に入るように促してくる。
「バスローブを取りますね。ちょっと傷を見ますよー。」
何となく…オリビア先生に似てるな。
どこか、ほっとする人だ。
「そうですね、明日位まで、薬湯に入れば、すぐに治ると思いますよ………ジルベール様、背中の……この古傷は、いつの物ですか?」
バスルームには、ピカピカの白いバスタブに、薄黄色のお湯が、薬草みたいな匂いの湯気を立てている。
「……ごめんなさい。今は、答えられませんよね。後で、傷痕が薄くなる塗り薬も持ってきます。背中に塗っておきましょうね。さぁ!ゆっくり入って下さい。最初は少し、傷に滲みるかもしれませんが、大丈夫ですからね。」
お湯に入ると、初めは全身がピリピリしたけど、すぐに気持ちの良い温度に包まれた。顔の周りも、温かい湯気に包まれていく───
「ジルベール様、傷は痛みませんか?」
ジルベール……私の事だ。
この名前にも、違和感は無くなっていたはずなのに。
なんで……他人の様な気がするんだろう。
「少し、上を向けますか?髪の毛も、洗いましょうね。」
─懲罰房に送られたく無かったら、じっとしていろ─
─念の為に足枷を付けただけだ。そのまま歩き回られて、窓から落下でもされたら、かなわないからな─
少佐は…どうして、あんな酷い事……
でも……
指示に背いた事、後悔はしてない。
「あら…あらあら…ジルベール様…傷が痛みますか?涙が……痛かったら、我慢しないで仰って下さいね?少し熱すぎましたか?お水を足しましょうね。」
私が…こんな身体じゃなかったら。
傷だらけじゃなかったら。
あんな扱いは、受けなかったのかな。
他の…令嬢みたいに……
「ジルベール様の髪の毛、とてもお綺麗ですね。」
でも…だったら、傷のせいじゃないな。
綺麗な貴族の令嬢が、野盗狩りなんかするもんか。
「ノア様の紺色の髪と、良くお似合いだと思いますよ。お二人で並ばれた所をぜひ見たいです!」
もう、いいや……懲罰房に入れられるよりマシだ。
慣れてるだろ。蔑まれる事なんか。
致命症を負わされた訳じゃ無い。
「ジルベール様は、水色の瞳もとても素敵ですね。ノア様ったら…家の料理長にも、ジルベール様が可愛いと何度も仰ったみたいで。話が長すぎて、料理が焦げたって、料理長が言うんですよ!ほら、ジルベール様が、先日上官の方と夕食にいらっしゃったでしょう?その日のメニューを伝えに来た時らしいのですけど!ジョセフ様が伝えていたのに、結局ご自分でも、伝えに来られて───」
考えても分からない事を悩むより、
私は……やらなきゃいけない事があるだろ。
「ジルベール様、」
アイゼン家は、メイジーとオーウェンの、仲人を申し出てくれたんだ。
仲人がアイゼン家なのは…メリットが大きい。
絶対白紙には、したくない。
今度は……
今度こそは、絶対失敗しない。
「どうか……ノア様を、お嫌いにならないであげて下さい。こんな事になって…許される事では無いとは、思うのですが……」
あとは………
あぁ、そうだ…リー中尉、
私が指示に背いたせいで、上官のリー中尉も叱責される可能性が高い。
なんとか…しないと……
「私や、料理長や……アイゼン家で働く者は皆、そう願っているのです。」
私は、薬湯の中で膝を抱えて、湯気に顔を埋めた。
視界が、白く、もやがかかったみたいに
どんどん見えなく…なっていく。
「ノア様も、ジルベール様と同じ、軍人で……6歳の頃から、ずっと軍にいらっしゃるのです。きっと、ジルベール様に対して、理解ある夫になられるはずですから……」
どうして止まらないのか分からない涙が、
湯船の中に落ちていった。
「ノア様と……一緒に居てあげて下さい……」
落ちていった涙の先も、
すぐに、湯気で見えなくなった。
「……さぁ、ジルベール様、そろそろ上がりましょうね。」
気がつくと、薬湯から出されて、髪や身体をタオルで拭かれている。そして、塗り薬を塗られていた。
「大丈夫ですよ、綺麗に治りますから。」
そう言いながら、女医が私を見て優しく微笑んでいる。
「お薬、塗り終わりましたよ。お洋服を着ましょうか。」
身体が温まったからか、なんだかすごく、眠たくなってきた……まだ、お昼頃なのにな……眠い……
「あぁ!ジルベール様!やっぱり紺色のお洋服が、凄くお似合いですよ!ジルベール様の髪色にも、瞳の色にも、ぴったりですね。」
「ジルベール様、温かい紅茶です。よく眠れるお薬が入ってますから、ゆっくり飲んで下さいね。飲めそうですか?」
「横になって下さいね。寒くはないですか?何かありましたら、遠慮なく仰って下さいね。」
「安心してお休み下さい。」
────パタン────
アイゼン家の女医が、ジルベールの眠る客室の扉をそっと閉めると、部屋の前に、ルーカスが不安気な表情で立っていた。
「彼女の容態は?」
「今、お薬を飲まれて、良くお眠りになっています。身体の傷も、明日まで薬湯に入って、きちんと塗り薬を塗れば、大丈夫でしょう。ただ───」
「何かあったのか?」
「よほど……精神的にショックだったのでしょう。私が話しかけても、お返事は無く……心此処に在らず、といった状態で───」
「そうか……詳しい診察結果について、向こうの部屋で、聞かせて欲しい。」
「承知しました。あの、そう言えば、旦那様の具合は、診なくてよろしいのですか?」
「あぁ、父上か。良いよ、放っておいて。勝手に倒れたんだから……そのうち起きるでしょ。それより、ノアが来る前に、彼女の容態を聞きたいからね。」
「では、その様に……」
「あっ!彼女、洋服似合ってた?ソフィアが選んでおいてくれていた物なんだけど……」
「紺色のお洋服ですね!とても良くお似合いでしたよ!落ち着いた雰囲気で……ノア様が見たら、きっとお喜びになると思いますー!」
「本当⁈僕も見たかったな〜!」
「旦那様とルーカス様とも、一緒のお色ですね。ふふ。」
「……それは、ノアの前で絶っ………対!!言っちゃ駄目だよっ!!」
2人はそっと、ジルベールの眠る客室を後にした。
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