61.落穂を拾う
⬜︎⬜︎⬜︎
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
「モニカッ!」
煌びやかな夜会が行われている、豪奢な会場に、若い男性の声が響いた。男性の声は、会場に流れる音楽や、参加者達の騒がしい雑音に上書きされ、まださほど人目を引いてはいない。
「あら、クリストファー。貴方も今夜の夜会、来てたのね。」
男性に名前を叫ばれた女性が振り返った事で、多少、人目を引き始めた。
「来てたのね、じゃないだろう⁈君は……ここにいると言う事は、最後まで、俺の言う事を理解してはくれなかったのだな……」
クリストファーと呼ばれた男性は、自分が呼び止めた女性に、怒りを露わにしながら、ずかずかと近づいていった。そして、彼女の正面に立つと、怒りと悲しみの混じった表情を向けた。
「クリス……私は初めから、今日の夜会には出席すると、伝えていたでしょう?貴方に怒られる筋合いは無いわ。」
モニカは笑いながら、しかし、やれやれ…と言った口調で、理不尽に自分を叱責してくる婚約者に言葉を返した。
「モニカ、確かに、夜会に出る事も大事だろう。顔を売り、人脈を作る事が出来る。だけど、君には既に、俺という婚約者がいて……そこまで頻繁に出る必要はないだろう⁈俺がこんなに頼んでいるんだ。少しは、俺の予定に合わせてくれても良いのではないのか⁈別に、夜会に出るなと言っている訳じゃない!今日位──」
「分かって無いのは貴方よ、クリス!」
モニカも、ついに語気を荒げ出した。
「少し位と貴方は言うけれど、不要な夜会なんて、存在しないのよ!全て、大なり小なり、仕事に繋がるわ。そんなに騒ぎ立ててるけど…どうせまた、孤児院や教会の慈善事業なんでしょう?利益の上がらない貴方の予定こそ、私に合わせられるのでなくって⁈私だって、別に行かないと言ってる訳じゃありませんのよ!」
クリストファーは、婚約者に返された言葉を聞いて、感情が抜け落ちた様な表情になった。
「利益の上がらない………か………」
クリストファーの表情を見て、モニカは自分が言い過ぎてしまった事に、気が付いた。だが、既に投げかけてしまった、相手を深く傷つける言葉は、無かった事になど出来ない。
「君は間違っているよ、モニカ。」
「君は……君達は、何のために、その仕事をしている?この国には、落穂を拾って、食い繋ぐ者もいるんだ。その様な人間の、すがる様な懺悔を……君は一度でも、聞いた事があるのか?君は、周りが見えていない。」
「待って!クリス、私は──」
「俺は、君を心から軽蔑するよ、モニカ。君との婚約は、解消させてもらう。」
煌びやかな夜会の、鳴り止まない音楽に掻き消され、クリストファーの言葉は、モニカ以外には正しく届かなかった。
ただ、会場に取り残された、あまりに一方的に婚約破棄をされた公爵令嬢だけが、人々の同情を誘ったのだった。
取り残された公爵令嬢は、間も無く自身の前に、一人の若い軍人が現れ、ダンスのエスコートを申し出るまで、去ってしまった元婚約者の言葉を反芻しながら、涙を流していた。
きっと、自分が傷付けてしまった相手の方が、どれ程泣きたいだろうかと、そう考えながら。
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
⬜︎⬜︎⬜︎
ここは………どこだ……
俺は……まだ、生きているのか……
ジルベール…あいつは…無事なのか……
「クリストファー、」
まだ、ぼんやりとした意識の中、懐かしい声に名前を呼ばれて、目が覚めた。
「モニカ………」
「良かった……クリス……無事なのね……本当に…良かった……」
目の前で、こちらを覗き込みながら、モニカが涙を流している。
白い天井、俺はどうやら、どこかの病室のベッドに寝かされている様だ。
ぼやけていた視界がはっきりとしてきて、俺はベッドの上で体を起こした。
「君がいるって事は……天国では無さそうだな。」
「ちょっと……どういう意味よっ!泣いて損したわっ!貴方の言う通り、ここはね、天国とは程遠い、リソー国軍の医務室よっ!」
俺の嫌味に、モニカはキーキー騒ぎながら答えた。その様子に、少し笑ってしまうと、モニカも、はにかんだような微笑みを向けてくれた。
「軍の医務室……あいつは……ジルベールは無事なのか⁈」
「ジル?ジルは、兵舎の私室にいるみたいだけど…どうして?さっき、私も会おうと思ったんだけど、今は出て来れないみたいなの。野営訓練中だしね。忙しいのでしょう。」
「そうか……凄いな、あいつは……簡単に俺を助けて、何でも無かったみたいに戻って行ったのか。」
「貴方、ジルに助けられたのね。」
「あぁ。君が悲しむと思って、俺を助けに来てくれたんだ。」
「そうだったの……クリス…貴方、本当にどうしてこんな騒ぎを……」
そう呟いたモニカとの間に、数秒、穏やかな沈黙が流れた。
「そう言えば……クリス、婚約したんですってね。」
モニカは、すぐに沈黙を破った。
「あぁ。そうだ。」
「お相手は?」
「仕事上、繋がりのある公爵家の令嬢だよ。街の学校で、小さい子ども達の、教師をしてる。孤児院にも、勉強を教えに行っているんだ。」
「そう……立派な人なのね。貴方と、良い夫婦になれそうな人だわ。」
「人間として、尊敬出来る人だよ、彼女は……でも、君もここ数年、慈善事業に熱心じゃないか。今ではこの国で、君は慈善事業の代名詞だ。」
「クリス……」
モニカは、そっと、目を伏せた。
「私も、過去の自分を軽蔑するわ。」
「モニカ……」
「クリストファー、私はね、言い訳はしない。行動で、示すつもりよ。」
そう言い終わると、彼女は優しく微笑んだ。作り笑いや、愛想笑いでは無い、自然な微笑みで。
「モニカ、君の方はどうなんだい?誰かと婚姻を結ぶ予定はあるのか?」
モニカは、少し驚いた様な顔をした後、照れた表情になった。初めて見るな、彼女のこんな表情は───
「そんな予定はないわ。今は、仕事が楽しいし……綺麗な事を言っているけど、結局私は、仕事が一番大事なのよ。」
「でも、好きな相手はいるんだろ?」
「クリス……」
「どんな奴なんだよ?」
「いるけど……貴族では……ないの。」
思い悩む様にモニカが答えた時、窓の外から騒がしい声がした。少し前から、何やらうるさいとは思っていたが、ついにモニカの声も掻き消されてしまった。
『こんな人参いらないのよーっ!』
『ガーン……そんな……酷いよ……う…うぅ……』
『……ごめんなさい、ちょっと言い過ぎた。貴方、体は大きいくせに、すぐメソメソするのやめなさいよ。軍馬なんでしょ?いっつもそうなの⁈』
『あっ!ベーコンチャン、君は耳も小さくて、ぴょこぴょこしてて、可愛いね!ふわふわだー!カプ』
『キャーッ!!いきなり耳を噛まないでよ!この駄馬っ!』
『痛…頭突きは止めて…俺──じゃなくて…僕はね、本当に君のことが──』
『もうこんな所嫌ーっ!ジゼルーッ!どこなのーっ!助けに来てーーっ!』
『ジゼル……君の主人はジゼルっていうの?じゃあ、もしかして、ジゼル・ガルシア⁈それってノアの──』
「ちょっと!ちょっと!君達大人しくするんだっ!ベーコンちゃんっ!お友達の足に頭突きをしちゃダメでしょ!あー…困ったなぁ……」
「おーい!エイダン殿ーっ!」
「良かったー!追い付いて……すみません、フレデリックの奴、ベーコンちゃんを追いかけて、厩舎を抜け出してしまって……本当どうしたんだよ、お前……ゼェゼェ……」
医務室の窓の外では、動物の騒ぐ声が聞こえて来る。馬か……?
「何だか、外が騒がしいわね。馬の鳴き声がうるさいわ。」
「動物にも、いろいろ事情があるんだろ。で、貴族じゃ無いって事は、王族か⁈君も王族と結婚するのか!」
「まさか。一般市民よ。それに…私の片想いかもしれないの。ううん…たぶん…そうだと思う。」
モニカは憂う様に、そっと、騒がしい窓の外を見た。
かつての婚約者のその姿に、クリストファーは目を見張った。
「本当に、変わったな君は。以前の君は、口では優しい言葉を掛けても、身分の低い者や、財の無い者は、一切相手にしていなかったのに…」
「……そういう貴方はかわらないわね。口は酷いけど、どんな時でも、万人に変わらない眼差しを向ける。」
「モニカ、褒めてくれているのか?」
「別に。でも、どうせなら、その憎まれ口を叩く癖も、止めたらどうなの?いちいち人の怒りを買う必要は無いでしょう?」
「仕方ないだろ?そういう性格なんだ。それに、俺は確かに貴族連中に対して、褒められた態度ではないと思う。公爵家の家名を振りかざす事もある。だがそれは、与えられた環境に胡座を欠く事なく、責任を果たしていると、そしてこれからも果し続けると、自負しているからだ。」
「そうよね。分かってるわ。」
そう言って笑うモニカは、今度は晴れやかな顔をしていた。
「でもね、クリス。こんな騒ぎを起こした事については、きちんと謝罪するべきでなくって?ジルにも迷惑掛けたのでしょう⁈」
そして、ジロッと俺を横目で睨んだ。
「そ……そうだな。謝罪は必ずする。」
「全く…何でこんな事したのよ!」
モニカは腕組みをして、俺に詰め寄った。
「う……そう睨むなよ。」
モニカに睨まれて、俺は改まって彼女に向き直った。
「………モニカ、ずっと君に……直接謝りたかった。あの時の夜会で……例え、どんなに本当の事だろうと、公衆の面前で言って良い事では無かった。本当に、酷い事をしたと思っている。俺が、悪かった。」
「貴方ねぇ……まあ、良いわよ。本当の事だし。」
「その通りだ。俺は、君には何度でも謝罪するが、この事について神に赦しを乞うつもりは無いからな。なぜなら、本当の事を言ったまでだからだ。しかし大勢の前で君に──」
「もう!分かったわよ!黙りなさいっ!」
モニカは、両手をグーにして、木製の丸椅子から立ち上がった。俺が、まぁ座れ、となだめると、こちらを睨みながらフンっと鼻を鳴らしてまた椅子に座り直した。
「私は……貴方に会うのを避けてた。ジルから何度か、貴方が会いたがっていると言われたのだけど…会いたく無いって言って……きっと私は、また貴方に、正面から正しい事を言われるのが怖かったのね。」
「ごめん、モニカ……」
「だから、私の責任でもあるわね。今回、貴方がした事は……臆病だった、私が悪いのよ。」
「クリストファー、貴方の性格は分かっているわ。だからね、何度言ってもらっても結構よ。私は、何度でも、貴方を許すわ。」
「モニカ、ありがとう。なんと君らしい、謝罪の受け入れ方だ。」
「さすが、崇高な神父さまの謝罪は違うわね。私、ちょっと感動したわ。」
「君の口の酷さも、なかなかだと思うが。間違っても、教会に懺悔には来ないでくれよ。君の口の強さには対応しかねる。」
「あら、貴方の家にお茶に行く事はあっても、懺悔する事なんかないわ。私は、神に赦してもらう事なんか、一つも無いもの。」
「そうか。じゃあ、お茶を用意して待ってるよ。君に好意を寄せられてしまった、不幸な子羊も連れて来たらいいさ。」
「ちょっとクリスー……!」
「ふ……あははは!」
「全く。信じられない口の酷さだわ。」
朝日が差し込む軍の医務室で、二つの家が仲直りをした。
「モニカ、ジルベールに聞いたよ。アルバート殿と、ジルベールの事……入り込んだ森の中で、それを聞いて思った。俺とジルベールは、2人ともなり損ねだな……ってさ。まあ、ジルベールは、俺と違って、どうしようも無かっただろうが……」
「馬鹿ね、なり損ねたのは、私達兄妹の方よ。」
「モニカ──」
「おかげでお兄様は、家のために、愛のない結婚をした。私はお兄様に、忠告されたわ。お前は同じ選択をするなよって──」
「まさか……アルバート殿はあいつの事──」
「あら、クリス。私達と言っているのに、お兄様の方だけなの?冷たい人ね。」
「モニカ、」
モニカは、なぜか勝ち誇った様に微笑んでいる。そんな姿が、彼女らしいと思った。
いつも、自信に満ち溢れているくせに、よく失敗して、落ち込んで……でも直ぐに立ち直る。
努力家で、口調が強くて、前向きで───
彼女もまた、素晴らしい人間だ。
「モニカ。こんな国で、公爵家同士が仲違いしているのは良くない。民衆が不幸になるだけだ。君の慈善事業に、微力だが、協力させてほしい。」
「ありがとう、クリス。心強いわ。」
俺は、かつての婚約者の右手を取った。
人は誰しもが、幼く、道に迷いながら生きている。
だが、迷い、戸惑い、悩みながらも進むその姿に、傍観者がもしいるとするならば……心打たれ、赦しを与えるのではないだろうか。
「リー中尉、大丈夫ですか⁈派手にふっ飛ばされましたね。」
「野営訓練中に悪いな、オーウェン……すまないが、マシューに、俺の代わりに訓練の指示を出す様に伝えてくれ。」
「分かりました、中尉。」
「ジルが森に入るのを許可した時点で、少佐の指示に背いたことになるからな…覚悟はしてたが…痛ってぇ………」
その時、医務室に誰かが担ぎ込まれて来た。軍医の指示で、診察室に近いベッドに寝かされた様だ。
「あら?あれって確か……ジルの上官じゃない?」
「え?」
俺が視線をやると、担ぎ込まれて来たやつと、目が合った。
「あーっ!ジルの付き纏い犯!てめぇのせいで、俺達はえらい目に……痛てて…くそっ……」
「リー中尉、大声出さないで下さい!痛みますよ!」
ジルベールの上官は、何やら痛みで悶絶している。軍医が慌てて処置をし出した。
「ちょっとクリストファー…ジルに付き纏いって、どういう事よっ!本当なのっ⁈」
「いや、モニカそれは誤解で───」
「本当っすよ、ベネット公爵令嬢。そいつ、軍の正門まで押し掛けたりしてるんですから。守衛にも聞いてみて下さい。」
ジルベールの上官を担いで来た、がたいの良い男が、都合の悪い事を喋ってしまった。こいつは確か、ジルベールの同窓だったな。
「お前…べらべら喋るな──モニカ、これには訳が……待てっ!モニカっ!落ち着け!俺はすでに怪我人で……う、うわあぁぁぁぁーっ!」
クリストファーとリーは、これから数日間、仲良く並んで、軍の傷病兵用のベッドで、過ごす事となった。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
続きが気になる!と思って頂けましたら、
「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。