58.泣くなよジルベール
「おいっ!ジルベール!お前……遺体に何やってんだよっ!!」
星明かりだけが優しく降り注ぐ森に、モニカの元婚約者の叫び声がこだました。
もう二度と動き出す事の無い、野盗の前にしゃがみ込んでいたジルベールは、嫌そうに振り返った。そして、ジロッと元婚約者を睨む。
もはや、こいつを静かにさせるのは不可能に近いのだろう。
「本当にうるさいなー……耳を取ってんだよ。獣に襲われたくなかったら、良い加減静かに話して!どれだけ静かに話しても、獣は聴いているんだぞ。」
「耳………一体何の為に取るんだ⁈遺体に手を出すのは止めろっ!!」
「あんた達は知らなくて良い事だ、元婚約者。野盗の耳は、私達にとって、取れなきゃ大金を積んででも手に入れたい、貴重な物なんだ。」
「どんな事情だろうと、遺体から何も奪うなっ!何とも思わないのか⁈」
「…………」
ジルベールは、うんざりした顔で立ち上がると、向き直り、下から見上げながら睨み付けた。
「な、なんだよ。俺は間違った事は───」
「元婚約者、あんたが見張りの言う事を聞いて、ここに踏み入らなければ、少なくとも彼らは今日、私に見つかって殺される事は無かった。私も、あんたを助ける為に、彼らを殺す必要は無かった。」
「ぐ………それは………」
「分かったら、黙って見てて!」
ジルベールは、耳を削ぐために手にしていた、巻き布をした軍刀を、元婚約者にブンブンと振り下ろした。
「わ、分かった分かった!危ねぇな!止めろっ!」
元婚約者は、ようやく大人しくなると、木の根元に崩れる様に腰を下ろした。
「何だか…力が抜けた…」
そう呟いた元婚約者は手足が震えている。
「助かって、安心したんでしょ。今、周りに人の気配は無い。少し休んで落ち着いたら戻ろう。悪いけど、私は小柄だし、あんたを抱えては戻れないから。」
「……すまない。」
元婚約者、野盗に追われるのなんて、初めてだろうからな。緊張が解けて気が抜けたんだろう。
「ジルベール……悪かった。助けてもらった事は感謝している。」
「私は、上官のリー中尉の指示で来た。感謝なら、リー中尉にしてよね。」
「あぁ、あの小煩い、お前の上官か……」
「ちゃんと、リー中尉の実家に!お礼に行ってよ!」
「分かった。」
「ちゃんと、高級な菓子折りを持って───」
「分かった!分かったから!」
元婚約者はため息を付いた。
「お前、良く俺の居場所が分かったな。俺は、自分がどこに居るのか全く分からない…」
「あんたが無理矢理入った入口から、そんなに離れては無いよ……元婚約者、あんた入ってすぐ、賢猿に会ったでしょ?」
「けんてい…何だそれは…」
「小柄な猿だよ。その猿に食べ物あげなかった?」
「……そう言えば、木の上に猿がいたな。食べ物をやった覚えは無いが、俺に飛んで来た虫を、勝手に取って食ってたな。人の顔位のでかい虫で…」
「蟹って呼ばれる虫だね。賢猿の大好物だよ。本当あんた、運が良いね。どっちも、なかなか会えるものじゃない。」
「何が何だか良く分からないが…そいつらが何なんだ。」
「賢猿が、あんたの居場所を教えてくれたんだ。この辺じゃ最も賢い獣の一つだよ。彼等は人語を理解する。蟹をあげた事で、恩返しされたんだ。」
「その猿が勝手に取ったんだ。」
「大人しくあげてなかったら、あんたは今生きていない。賢猿と蟹に出会った事で、命拾いしたんだ。最も、最初からこんなとこに来なければ良かった話なんだけどね。」
「……………」
ジルベールは、野盗の死体を引きずって、目立たない木陰に集めると、茂みに隠す様に置いた。
「その遺体は、どうするんだ?」
「明日の朝、軍が回収する。」
「……埋葬するのか?」
「は?」
能天気な事を言う元婚約者に、ジルベールは目を丸くした。
「埋葬?する訳ないでしょ⁈いちいち埋めてたら国土が無くなっちゃうよ!焼却するんだよ!」
「そ…そんな……頼む、その3人は、俺の家で埋葬させてくれ…」
「えー⁈」
「俺の家は、王都の教会だ。代々そこの神父を務めている。もちろん俺も、神父の資格を持ってる。」
「な、何だとっ⁈」
ジルベールは、またも目を丸くした。
「あんたが神父様…ありえない。神への冒涜だよ。」
「ジルベール、お前は本当に失礼この上無いな。」
死体を隠し終わったジルベールは、元婚約者の横に、そっと膝を抱えて座った。
「神父様なんだ…本当に?」
ジルベールは、訝しげな目で、じーっと元婚約者を見た。
「信じてねぇな。まぁ、元々は教会を中心に扱う宮廷大工だったんだ。それが、神父のなり手が少ないって言うので、自分達で神父もやり出して…国の他の建物も修復や建築ついでに、自分達で建てて、不動産業をして…その利益で、国の教会を維持したり、神父やシスターのなり手を教育している。地方でも、教会なら無償で修復してるし、必要なら神父を派遣してる。」
「確かに…うちの領地も、教会は無償で補修してもらえてるけど、国じゃなくて、元婚約者の家がやってくれてたのか!そしてあんた、不動産王だったんだ!」
「やめろ、その言い方は。」
「不動産王……」
「………教会を維持するのには、金が掛かる。教会を一番必要としている民衆は、生活苦で、寄付なんか出来無いし、させるつもりもない。俺達で、維持しないといけねえんだ。不動産業は、金になるからな。ちなみに、俺は神父と不動産業をメインにやってるが、妹が宮廷大工をしてる。お前の領地の教会も、必要なら今度妹に、補修に行ってもらうよ。」
「ありがとう、不動産王。」
「やめろ。せめて神父様だ。懺悔なら、いつでも聞いてやるぞ。」
そう言いながら、元婚約は私を見た。
さっき…元婚約者の目が、都合良く、全てを許してくれそうな、そんな気がしたけど…
神父様だったのか。
「ねぇ、元婚約者。あんたみたいな高位貴族の人は…私の姿を見て結婚したいと思う?」
私は、小さな声で、元婚約者の顔を覗き込みながら、こっそりと尋ねた。
「思わないな。」
元婚約者は、秒ではっきりきっぱりそう告げた。
「ちょっと!そこまではっきり言わないでよっ!せめて少しは悩むとかさー!」
「悪い悪い。いや、思わないと言うかだな……率直に言えば、好みとか、好みじゃないとか、そういう範疇を通り越しているんだ。今のお前の姿は。助けられて、言える立場じゃない事は、分かっているが……お前の行動の全てが、別世界だからな……気を悪くしないでくれ。」
元婚約者は、申し訳無さそうに、そう言った。その申し訳なさそうな物言いが、余計に現実を突き付けて来る。
「そうだよね。分かってる。分かってて、聞いたんだ。」
見上げた夜空には、今も優しい星達が瞬いている。私にも、野盗にも、この明かりだけはいつも変わらず降り注ぐ。
よく見れば、元婚約者の瞳は、その明かりに良く似ているかもしれない。
「私が軍人として積み上げてきた物は、高位貴族にとっては、何の価値も無い。おまけにガルシア家は、爵位も低いし痩せた僻地で……王族に毛嫌いされていて。誰しも、婚姻を望む可能性は低い。」
「ジルベール、お前の家に掛けられている王命の話なら、俺も知っている。有名だからな。お前…それで、家の為に……」
私は、元婚約者を見た。本当に、領地の神父様に、話してるみたいだ。
「私はこう見えて、今でも、家に帰って暇があったら、教会に行ってるんだよ?」
「お前がか?以外だな。信心深いんだなー。」
「さっきの仕返しのつもり?やめてよね……軍人になりたての、まだ、子どもの頃は……自分が殺した人間に対して、祈っていたと思う。仕事とはいえ、何て事してるんだろうって。私の罪は…許されるのかなって……」
「そうか。それで今は、何を祈っているんだ?ジルベール。」
「分からない。もう、何を許して欲しいのかも分からない……」
「なるほど。」
元婚約者は、静かに、だけどしっかり肯定する様に相槌を打った。
「ガルシア家の王命を聞いた人達に……良く言われるんだ。頑張れよ、王族には天罰が下る……って。でも……そんな事、無いと思う。現に私達は、何世代にも渡って、王命で苦しんで……」
「そうだな。お前達は、苦しみ続けている。」
「だから……だからね、私がやっている事に対しても、天罰なんか……あれ、何が言いたいのかな…私。」
何だかいつも、途中で上手く説明出来なくなってしまう。
「ジルベール、俺が思うに、天罰ってのはな、罪の意識があって、初めて成り立つ言葉だ。お前の言う通り、そこに罪の意識が無ければ、天罰もクソも無いだろう。お前は無自覚にそれに気が付いて、罪の意識を捨てたんだ。」
「……よく分からない。」
「分からなくて良い。そして、苦しむ必要も無い。お前はそのままで良いんだ。神がどう思うかは知らねえが、俺はそう思う。お前は優しい人間だよ。」
「……あなた、本当に神父様なの?」
「まだ疑ってんのか?今度王都の教会に来い。そこで続きを聞いてやる。」
元婚約者は、微笑みながら、そう言った。
「……あんたを助ける事が出来て、良かった。」
「は?そんなに懺悔を聞いて欲しかったのか?」
「違うよ。このままあんたが死んだら、モニカが悲しむと思ったんだ。やっぱり、死なせずに済んで、良かった。」
「ジルベール……」
元婚約者は、今度は少し真面目な顔で、私の方を見た。
「お前さ…アルバート殿と、婚姻を結ぶ予定だったのか?」
「え?」
「悪い、話したく無いなら無視してくれ。いや、お前の話を聞いていて……以前、お前とアルバート殿が婚姻を結ぶって話を耳にした事があった。高位貴族の間じゃ、結構有名な話だったからな。ただ、その後すぐ、アルバート殿は──」
「本当の話だよ。モニカのお兄さんと私は……婚姻を結ぶはずだった。ガルシア家も、その時に王命から逃れられるはずだったんだ。」
私は膝を抱えたまま答えた。目の前の茂み、まだ遠くの方で、獣の気配がして、消えた。
「そうか。どうしてそのまま婚姻を結ばなかったんだ?お前は、ベネット公爵家と、仲が良いだろう?」
「もちろん、そのつもりだった。モニカの家族から、婚姻の提案をされて……当時の私は、その話に飛びついた。これで、ガルシア家は…妹は、王命から逃れる事が出来るって。」
私は元婚約者を見た。そう言えば…この人なんて名前なんだろう。
「だけど…モニカのお父さんと、アルバート兄さんが、国王に私達の婚姻と、王命の撤廃を求めに行ったら───」
元婚約者は、静かに私の話を聞いている。
「婚姻は自由だけど、王命の徹底を求めるなら、ベネット公爵家が手掛けてる武器商の……事業の半分を公共事業として、国に渡す事が条件だと言われたんだ。」
「半分は大きいな……それで、断ったのか。」
「モニカの家族は、最後まで断るとは言わなかったんだ。だけど、仕事が生きがいみたいな人達だからね。ガルシア家の為に、そんな事を強いる事は出来ない。私と父上が、断って欲しいと告げたんだ。」
「そうだったのか……」
「婚姻を取りやめてすぐ、アルバート兄さんは、王族との結婚が決まったんだ。」
「お前との婚姻を取り止めた礼って所だろうな。」
「私は、そういう事はよく分からないけど…皆そう言ってた。」
元婚約者は、怒りでも、悲しみでも、慰めでもない目で、ただ私の話を聞いてくれている。
「私が、浅はかだった。自分に何の価値もないのに……良く考えもせず……もし……もし、今……軍人令嬢として、多少軍の財政に影響を出せている今、アルバート兄さんと婚姻を結んでいたら…もしかしたら、結果は変わっていたかもしれないのに……私…」
「ジルベール、自分を責めてはいけない。」
「……今でも、時々夢に見るの。モニカの家に、夕食に呼ばれた日。アルバート兄さんが……結婚しようって言ってくれた時の夢。モニカの家で…私は泣いて喜ぶんだ。これで、王命を撤廃出来るって。モニカも、モニカの家族も笑っていて……でも、夢から覚めたら……私のせいで、駄目になった現実に帰ってしまう。」
「泣くなよ、ジルベール。」
私、私は……
王命の事だけじゃない……
こんなにアルバート兄さんに親切にしてもらったのに…
もし、今、軍務で殺せと言われたら、
実行出来るだろう。
どうかしてる……
私は……どんどんこんな風に…
分からなくなって……
「……ルベール、ジルベール!」
元婚約者に、左肩を揺すられて、私は我に返った。いけない、森で気を抜いてしまったら……
私達は、無事に戻らないといけないのに。
「ジルベール、お前の過去の選択は、間違っていない。誰でも同じ選択をしたさ。他の可能性は、元から無かった事だ。」
「元婚約者……」
「あのな、俺の名前は──まあ、今はどうでもいい。確かに、王命を撤廃出来る家を探すのは、条件的に、難しいだろう。だが、諦めるな。俺も、可能性のある家を探してやるよ。これでも仕事柄、割と人脈はある方だからな。お前の仕事に理解がある家も、きっと見つかるさ。」
「ありがとう、不動産王。」
「やめろ。」
「あんた、以外といい人なんだね。」
「そうだぞ、多少敬意を払えよ!」
その言い方に、私は少し、笑ってしまったと思う。
「よし、元婚約者、そろそろ帰還しよう。あぁ、帰ったら、食堂のオレンジミルクが飲みたい──」
────ザ、ザ────
「!!」
立ち上がった瞬間、はっきりと、二足歩行の足音がした。
「お、おい、ジルベール⁈いきなりどうした⁈」
私は元婚約者を囲う様に、背後に隠すと目の前の茂みを見た。
────ザ、ザ────
姿は、見えない。だが、四足歩行では無い、何かが近くに居る。私…冷や汗が出てるな…
「ジルベール、」
「静かに。」
獣の様な気配は、確かにしていたけど…二足歩行の獣だと…まずい。油断した。父さんに、そう言われていたのに。
「大丈夫、必ず助ける。」
私は、再び弓を構えた。
────ジル、僕と結婚しよう────
元婚約者に、昔話をしたからか、頭の中で、アルバート兄さんの声がした。
この前リアムが言ってくれたかわいいプロポーズとは違って…
恋人同士でも何でもなくて、お互い打算だけの…ただの契約みたいなものだったけど…
軍人としても、貴族令嬢としてもボロボロだった頃に、初めて権力を有する人から向けられた、善意だったと思う。
その言葉で、当時の私は、前を向けた。
だけど、私が最後に思い出すのは、きっとアルバート兄さんの声じゃない。
きっと、今はまだ、死ぬ時じゃない。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
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