54.馳せ参ず
はぁっ…はぁっ……
くそっ……
一体……どうなってんだ……ここは───
────────
「そう言う訳でして…捜索は見送りになりました、守衛殿。」
「そうでしたか。まあ、紅茶でもいかかです?リー中尉。」
温かな湯気と、紅茶の香りが広がる軍の守衛室で、ウィリアム・リーと守衛の男が、簡素なパイプ椅子に腰掛けて話していた。守衛室の窓からは、綺麗な月が見えている。
「捜索の見送りは、至極真っ当な判断ですね。アイゼン少佐の仰る通りだ。あの人、仕事の判断だけは的確ですから。それだけは。本当に。全くそれしか能の無い──」
「守衛殿、何もそこまで……」
「いやはや、失礼しました。」
守衛の男は、紅茶をゆっくり飲み、安堵した表情を見せた。
「しかし、今回ばかりは安心しましたよ。公爵家の子息だかなんだか知りませんけどね!度々正門に押しかけて来ては、ガルシア軍曹を出せと喚き散らして…何度注意しても聞きやしない。おまけに、街でもガルシア軍曹に付き纏い行為をしていたんでしょう?ガルシア軍曹が、あまりにかわいそうだ!良かったじゃないですか、自分から森に入ってくれたんですから。」
「そうですね。ですが、多少、同情する気持ちもありまして…複雑です。酷い死に方をしなければ良いのですが…」
「リー中尉は優しいですね。貴方が気にする必要はありませんよ!まあ、かなりの高確率で、するでしょうね。酷い死に方を。ですが、自業自得と言う物です。こちらは親切に、本人の実家に警告までしていたのですから。」
「……こちらも、こんなくだらない事で、無駄に中隊の兵を出したくないのも事実です。人手が減って、夜間行動に慣れた兵も、今は不足しています。かつ、夜目も効く兵となると──」
──コンコン──
「失礼します。リー中尉、いらっしゃいますか?」
守衛室の扉がノックされ、ジルの声がした。扉を開けると、迷彩服のジルが立っていた。
「こいつを筆頭に数名です。」
「それは本当に人手不足ですね。少佐の判断は益々正しかったと言えます。」
「ジル、お前──」
リーは、守衛室を出て扉を閉めた。
こちらを真っ直ぐに見据えるジルは、軍の迷彩服を着ていた。軍用の弓を背負い、腰には、軍刀の他に、ジルが個人で収集し愛用しているナイフが数本、頭には大きめのゴーグルを付けている。
ジルが、軍服で森に入る格好の中では、一番の重装備だ。
「モニカが悲しむ気がして………」
「あ?」
「あんな人でも、このまま死んだら…モニカが悲しむと思うから……」
「………」
「リー中尉、私は森に入ります。」
「……もしかしたら、お前がそう言い出すかもしれねぇとは、思っていた。」
リーは、しょうがない、と軽くため息を付いた。
「リー中尉…」
「お前はこうなったら、俺の言う事なんか聞かねえからな…まあ、お前単独なら、まずこの森で、死ぬ事はないだろ。だが、深追いするなよ。どんな結果になっていたとしても、受け入れろ。回収が必要なら翌朝だ。」
ジルベールは頷いた。
「あとは……あいつの後を追うにしても、問題はどこから入るかだ。」
「リー中尉、ガルシア軍曹、こちらに森の入口を記載した地図がありますよ。どうぞ。」
リーの背後から守衛室の扉が開き、守衛の男が手招きした。守衛室からは、紅茶の温かな香りが漂って来た。
「例の公爵子息が侵入したと、見張りから連絡があった入口は、ここですね。」
守衛の男が指差した地図の上を、リーとジルベールは覗き込んだ。その入口は、軍事基地からは距離があり、街に一番近い箇所だった。
「街に近い入口ですね。ここから、こちらに向かって来ているなら、東門から入った方が良いですかね?」
ジルベールは首を傾げた。
「こちらに向かって来れているのなら、そうだな。」
ジルベールの問いに、リーは冷静に言い放った。
「ガルシア軍曹、一般市民が無装備でこの森に入って…野盗も獣も、虫だって多い中、まともには進めないでしょう。どちらに進んだか分からない。正直、運ですね。この人と同じ入口から、気配を頼りに追いかけるのが、一番確実でしょう。」
「ジル、守衛殿の言う通りだ。お前なら、こいつの踏み荒らした形跡や、気配を辿って行けるだろう。単独での捜索なら、ここから入口までは遠いが、それしか無いだろうな。」
「分かりました。」
「ジル、2時間だ。2時間経っても帰らなかったら、俺も森に入る。」
「リー中尉、そこまでして頂く必要は──」
リーの申し出に、ジルベールは戸惑った。
「ジル、お前の実力は分かっている。けどな、お前は今日、妹の結婚が決まって浮ついてるだろ?そう言う時が、一番危ねえんだ。相手は野盗だけじゃねぇ。最近、黄土犬の目撃情報もあるからな。」
「確かに、この森にも出だした様ですね。あいつは厄介だ。出来れば遭遇したく無い相手です。」
「ジル、明日以降、手が空いた時に森の黄土犬を狩っといてくれ。下級兵の強化訓練が終わるまでに、なるべく数を減らしておきたい。」
「えーーーっ!あいつ強いから、私嫌だなーっ!肉もそんなに美味しくないし…」
「我儘言うなっ!レオやアシェリー達が、黄土犬に殺られても良いのか⁈」
「う…それは……分かりました。」
ジルは、それは困ると思ったのだろう。割と素直に指示を聞いた。
「ガルシア軍曹!そうと決まれば、とりあえず、守衛室で紅茶でもいかがですか?落ち着きますよ。」
守衛の男はにっこりと微笑んで、守衛室の扉を開き、ジルを中へ促した。
「守衛殿、今は落ち着いている場合では…」
「ガルシア軍曹、私の経験上、こういった状況では焦った所で結果は変わりません。むしろ、紅茶でも飲んで一旦落ち着いた方が、事態は好転するものです。」
戸惑うジルベールを、まるで、落とし物でも探しに行く子どもに言い聞かせるかの様に、守衛の男は微笑みながら、やんわりと諭した。守衛室のテーブルの上には、先程まで守衛の男と、リーが飲んでいた紅茶のカップが並んでいる。守衛の男は、新しいカップを戸棚から出すと、ティーポットから紅茶を注ぎ、ジルベールに差し出した。
「そうですかね……」
「物事ってのはね、だいたいそんなものですよ。はい、どうぞ!」
温かな湯気の立つ紅茶のカップを、ジルベールは両手で、少し不安気に受け取った。
「ジルベール様〜!」
ジルベールが、紅茶のカップを受け取った時、正門の外から、聞き慣れた声がした。
「エイダン!!」
外を見ると、エイダンが馬車に乗ってこちらに向かって来ていた。馬車の窓から手を振っている。
ジルベールは、守衛室を出て、エイダンの馬車に駆け寄り、守衛の男とリーも、続いて守衛室から外に出た。
「エイダン、こんな夜中に一体どうして…ベーコンちゃんまで…!」
「プルル!」
馬車を引いている馬の横に並んで、小柄なロバがてくてくと歩いて来た。ロバのベーコンちゃんは、ジルベールを見ると、嬉しそうに頬ずりをした。
「くすぐったいよー!ベーコンちゃん!」
ジルベールはそう言いながら、ベーコンちゃんのふわふわの毛並みを優しく撫でてやった。その様子を見ながら、エイダンは馬車から降りて来て、守衛の男と、リーに挨拶をすると、そわそわとジルベールに向き直った。
「すみません、ジルベール様。軍事速達を見まして…いても立ってもいられず、オーウェン様にお礼を伝えに参りました。あっ!ベーコンちゃんは、今、ジルベール様が野営訓練中で、お帰りにならないでしょう?会いたいみたいで、自分も連れて行けとうるさいものですから。一緒に来たのですよ。」
「軍事速達、もう届いたんだね。でも、いつもより早い様な…エイダン、もしかして、メイジーも馬車に乗ってるの⁈」
「いえ…メイジー様は、奥様とお出掛けで、ご不在ですので。」
「プルプル!」
「そうなんだ…ベーコンちゃん、よしよし!」
ベーコンちゃんは、頭をジルベールにぐりぐりと擦り付けている。ジルベールは、じっと、ベーコンちゃんを見つめた。
「エイダン、ごめん。私、直ぐに行かなきゃいけないの。」
「そうでしたか、訓練中ですものね。申し訳ありません、お邪魔しまして…」
「違うんだ。ちょっと事情があって…ベーコンちゃん、借りるね!」
「プルルル!」
「え⁈どういう事です⁈」
「明日の朝には、軍の厩舎に返すから、また迎えに来てあげて!リー中尉、申し訳無いですが、エイダンにモニカの元婚約者の事、ご説明お願いします。」
ジルベールはそう言うと、ベーコンちゃんに跨った。ベーコンちゃんは、背に乗るジルベールを嬉しそうに、振り返りながら見つめている。
「分かった。ジル、気を付けろよ。さっきも言ったが、どうなっていようと受け入れろ。」
「はい、中尉。」
「行ってこい。」
ジルベールが、姿勢を低くして合図すると、ベーコンちゃんは指示された方へ、すぐに駆け出した。
「ジルベール様……」
エイダンは、颯爽と街へ向かって駆けて行くベーコンちゃんに乗ったジルベールを、呆気に取られて、ぽかん、と見送った。
「エイダン殿、私からご説明します。」
「ウィリアム様…」
「それと…この度は、メイジー殿とオーウェンのご結婚、おめでとうございます。ジルとオーウェンは、まだ幼い頃から見てきましたが…本当に義姉弟になるのですね。私も感慨深いです。」
「ありがとうございます、ウィリアム様。メイジー様が成人なさるまで、手続きのみで式はあげませんが、落ち着いたら改めて、ウィリアム様のご実家にも、ご報告させて頂きます。あの、それで……ジルベール様は、一体ベーコンちゃんと、どちらへ……」
「さぁ、お二方!立ち話も何ですから、守衛室へどうぞ!紅茶でも飲みながらお話しましょう!」
守衛の男は、笑顔でリーとエイダンの肩を、ポンポンと叩いた。
「そうですね。中で話しましょうか、エイダン殿。」
「はい。守衛殿、いつもすみません、お騒がせしまして…」
「そんな事はありませんよ、エイダン様!どうぞどうぞ!美味しい紅茶がありますよ!最近、ベネット公爵令嬢の会社が取り扱っている、人気の紅茶なのですよ。」
「あぁ、美味しいですよね。街でも人気の様で…」
「ささ、どうぞどうぞ!いやー、それにしても、メイジー様がご結婚なさるのですね!実におめでたい!」
「はい、ガルシア家もこれで安心で──」
「うんうん!良かったです。付き纏いも居なくなって、良い事ばかりだ!」
「え?それはどういう……」
リーから事の成り行きを聞いたエイダンは、多少驚いたが、それ以上何も言わず、綺麗な動作で紅茶を飲んだ。
────────
「やっぱりベーコンちゃんは速いね!さすがだよ!」
「プルル!」
ベーコンちゃんは短くいななくと、走りながら、嬉しそうに耳をぴょこぴょこと動かした。そして、あっという間に、目的の入口に到着した。森への入口では見張りの兵達が、ベーコンちゃんに乗って現れたジルベールを見て驚き、直ぐに集まって来た。
「お疲れ様です、ジルベール・ガルシア軍曹です。開門願います。」
「プルプル!」
「ガルシア軍曹…遠くから姿が見えて、まさかとは思ったが、やっぱりか。おお、ベーコンちゃん!久しぶりだな。」
「お前…あいつを助けに行くつもりか⁈」
「そうです、知らせを受けまして。」
ジルベールの答えを聞いて、兵達は一斉に顔をしかめた。
「止めとけ!どうせ今から行っても無駄だ!」
「あの野郎、俺達がどんなに止めても聞く耳持たねぇんだ。勝手に入りやがって!」
「終いには、自分は公爵子息だなんだと、俺達を脅しやがったんだぞ⁈」
「承知しています。ですので…隊での捜索はせずに、私が単独で向かいます。」
「お前……あんな奴に何でそこまで……」
「プルル!」
ベーコンちゃんが鳴いた後、ほんの少し、沈黙が流れた。
「……ベーコンちゃんと入るつもりか?ガルシア軍曹。」
兵の1人が、ベーコンちゃんを見ながらそう尋ねた。
「いえ……ベーコンちゃんは、森や峠も得意なのですが、今回は私だけで入ります。まだ、野盗も多いでしょうから。申し訳ありませんが、交代の時に軍の厩舎に連れて行って頂けませんか?家の執事が、朝迎えに来ますので。」
「それは構わねえが………気をつけろよ。」
「ある程度で引き返せ。」
「ありがとうございます。ベーコンちゃん、また明日!」
「プルルー!」
「開門!ガルシア軍曹だ!」
ベーコンちゃんを見張りの兵達に預け、ジルベールは暗い森に踏み入った。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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