52.闖入者
「ほら…ジゼル、落ち着いたか?夕食にしよう?せっかくの食事が冷めてしまうぞ。」
「……はい。」
私は、まだ涙でぼやけた視界で、少佐を見上げた。
用意された軍の私室、アイゼン少佐は、メイジーの結婚に際して、仲人を申し出てくれた。後ろ盾があった方が良いから、と。
高位貴族である、少佐の家からすれば、訳ありのガルシア家なんかに、関わりたくは無いはずなのに。こんなに、親切にしてくれるなんて…
嬉しくて、なかなか涙の止まらない私の事を、少佐は微笑みながら、待っていてくれた。時折、優しい口調で、泣き虫だなと言いながら、軍人らしい硬い指先で、私の涙をそっと拭ってくれる。
私を膝に乗せたまま───
そういえば…宜しい事なのか⁈こんな事…
冷静さを取り戻した私は、パッと膝の上から飛び降りた。
「……チッ……」
背後で、少佐が顔をしかめて舌打ちをした様な気がしたけど……気のせいだろうか。
私は、ふと、机の上に置いた、軍事速達を目にして、思い出した。
「アイゼン少佐!」
「ん?どうした、ジゼル。」
私は机の上に置いていた軍事速達を握りしめて、少佐を振り返った。少佐は、先程と変わらず、優しく微笑んでいる。
やっぱり気のせいか、舌打ちされた気がしたのは…
「夕食の前に、総務課に行って来ても良いですか?少しでも早く、家族に、オーウェンがメイジーとの結婚に応じてくれたと伝えたくて…家族を、安心させたいのです。」
「ああ、軍事速達を出したいのだな。」
少佐は、ベッドから立ち上がると、ゆっくり私に近づいて来た。
「それを貸しなさい。」
「え?」
「ほら、早く。」
少佐は、私の手から手紙をさっと取り上げると、ツカツカと扉の方へ歩いて行き、部屋を出てしまった。
「えっ……あの!アイゼン少──」
──バタン──
コンコン…
閣下、閣下!ご在室ですか⁈ノアです。
ギィ……
ノア君…どうしたんだい?急に。前線で、何か問題が起こったのかね?
申し訳ありませんが、至急これを総務課に出して来て下さい。
………はぁ?なんだね、これは…手紙?ガルシア家のサインの様だがねぇ…
軍事速達です。早く…お願いします。
軍事速達⁈どうして私が…
閣下しかいないのですよ、手が空いている人が…
いや、私も別に暇では無いのだよ。
私は取り込み中なのです。重要な局面なので…お願いします、閣下。
いやいや、話が見えないよ、ノア君…なぜ私が…
いいからっ!私達の邪魔をしないで頂きたいっ!
何で私が怒られるんだい?あっ!ちょっとノア君!
とにかく、それを至急、お願いしますね!
ノア君!あっ!またガルシア軍曹の私室にっ!自分の部屋に戻りなさいよっ!ノア君!
「ノア君!」
──バタン──
「出して来た。」
少佐は部屋に戻って来た。
「え…早すぎませんか…?少佐の、向かい部屋の方の声が聞こえた気がしますが……」
「気のせいだ。そんな人はいない。」
「…………」
そして、少佐はちゃっちゃと、バスケットから夕食を出し、テーブルの上に並べ始めた。
「おいで、ジゼル。早く食べよう。」
……
…………
………………
「ジゼル、早く来なさい。夕食の準備は、とっくに出来ている。」
テーブルの上には、少し冷めてしまったものの、美味しそうな匂いを部屋中に漂わせる夕食が、少佐によって綺麗に並べられていた。
今日のメニューは、私がリクエストしていた、東方の国の料理みたいだ。肉と野菜を油で炒めた、美味しそうな香りがする。油で揚げた、鶏肉もあるみたい。丸いお団子みたいな物もあるな。あれも油で揚げてるのかな?早く食べたい!
「ジゼル!」
でも……だけど………
少佐は、夕食が並べられたテーブルの前のソファーに座って、私に向き直りながら、ぽんぽんと自分の膝を掌で叩いている。
「ジゼル、来なさい!」
ぽんぽん
「でも…」
「だいたい、医務室でも乗ってただろ?この期に及んで今更……そうか、記憶が無いのだったな……」
「え?医務室?」
「何でも無い。とにかく、大丈夫だ!おいで!」
ぽんぽんぽんぽん
「うぅ……」
私は料理を前にして怯んだ。でも、確認はしないと…
「アイゼン少佐、」
「なんだ。」
「あの…ご確認なのですが…大人になって、家族以外の人の、膝に座る、というのは…その…マナーとして…良いのですか?」
「……良くはないな。そもそも、大人なのだから、家族であってもどうかと思うが。」
「ええっ!じゃあダメじゃないですかっ!」
「しかし、この場合は大丈夫だ!問題の無い範囲だ!」
「この場合⁈」
「問題無い!マナーには抵触しない!」
ぽぽぽぽぽぽぽぽ……
「でもでも…私、よく分からな──」
「チッ……」
私の答えを聞くと少佐は舌打ちして、顔をしかめ、両手を握りしめて拳で膝を叩いた。そして、ソファーから、立ち上がると、早足で近づいて来る。
「え…あの…申し訳ありません、少佐──わわっ!」
そして両手で私の両脇を抱え上げると、そのままソファーに歩いて行き、どかっとソファーに座り、私はまた横向きに、膝の上に乗せられた。座らせられた衝撃で、両脚が跳ね上がる。
「どうせこうなるのだから、初めから駄々をこねずに指示を聞きなさい。」
少佐は、私の頭の上で、ため息を付きながら、呆れた様にそう言った。
「も…申し訳ありません、少佐。」
「謝る必要は無い。」
「でも、さっき舌打ち……」
「してない。」
「え……そうですか?」
「そうだ。舌打ち等していないし、今後、君が取った行動において、君が俺に謝る必要は無い。」
「はぁ……」
何だか、よく分からない。
「さあ、夕食にしよう、ジゼル。」
よく分からないが、食べづらくないか?この体勢は…
私は、食事をする時は、真剣に食事と向き合いたいのだけれども……
「ジゼル、」
「はい、少佐。」
まだ、何かあるのか…ちょっと面倒くさくなってきたぞ。
「一応確認しておくが、嫌では無いのだよな?」
「え?」
面倒くさそうに返事をした私に反して、少佐は真顔で確認してきた。
「無いのだな?……な?」
嫌…では無いのだろうか…私は…
面倒くさい、とは思ってしまったけど…
嫌とは違うよね、それは…
そもそも、何が……?膝の上が……?
「は……はい、少佐……たぶん……」
「よし、言質取ったからな。」
「えっ⁈」
私の答えは自信なさげな物だったが、少佐はとても嬉しそうに破顔して、膝の上の私を、ぎゅううっと抱きしめ、私の後頭部に顔を寄せた。
「く、苦しいです、少佐──」
「ああ、すまない。つい…」
私の訴えを聞いて、少し腕の力が緩められ、私はぷはっと大きく息を吸い込んだ。
「ジゼル、」
「はい、少佐……」
少佐は、嬉しそうに笑っている。
「どれから食べたい?」
……
…………
………………
私、私は───
「ジゼル、」
「……もぐ……」
自分の心臓の音だけが、すごく大きく聞こえる。
ドクドクと脈を打って……
こんなの……
初めて、野盗を殺した時みたいだ───
「美味しいか?ジゼル。」
「……もぐ……はい、少佐……」
膝の上に大人しく座るジルベールに、せっせと夕食を食べさせながら、ノアは相好を崩した。
「君がアイゼン家の料理を美味しいと言ってくれて…料理長も喜んでいた。」
「……もぐ……」
正直な所、
心臓が苦しくて……何だか息も苦しくて……
味は良く分からない。美味しいのは確かだと思うけど……
「ジゼル……困るな、そんな顔をされたら──」
「……もぐ……」
少佐は紺色の瞳を緩めて、私に夕食を食べさせながらそう言った。挽肉で作られた餡を、小麦粉を練った薄皮に包み蒸した物を口元に差し出され、私は一口で頬張った。
口の中に肉汁がジュワッと溢れてくる。
だけど、心臓の音に掻き消されたそれは、味がぼやけてよく分からない。
そんな顔…
私……今、一体どんな顔をしているんだろう……
「ジゼル、茶を飲むか?料理長が、これも東方の物だと言っていた。」
そう言いながら、私に東方のお茶が入ったカップを差し出す少佐の頬は、少し赤くなっている気がした。
カップの中の、澄んだ金色のお茶が、少佐の瞳みたいに優しく揺れている。
ああ、このまま……
軍の嫌な仕事なんかしないで、
ずっと、ずっと、
ここに居れたなら────
私はそっと、優しく揺れる水面を飲み込んだ。
「!!」
「どうした?ジゼル。」
「美味しいっ………!」
私は美味しさに、目を見張った。
紅茶に似ている部分もあるけれど、独特の香りも後味も全然違う。飲んだ後は、口の中でスッキリ消えて…そうだ、今日の夕食にすごく合ってる!
「そんなに美味しいのか?」
少佐も興味深げに、お茶を口にした。
「少佐……!そのカップ、私の……!」
「確かに、美味しいな。この東方の料理に、合っていると思う。」
「そうですよね!私もそう思います!」
少佐の理解が得られて、私はちょっと嬉しくなった。食文化っていうのは、その国の文化や気候と、その国に暮らす人々の想いが複雑に混じり合っていて、知ると楽しい。誰かと一緒に知る事が出来ると、何だか幸せだな。
「君が頼めば、ベネット公爵令嬢が、この茶葉の流通経路を開拓してくれるのではないか?」
「そうですね、モニカならやってくれそう。すごく美味しいから、市民にも流行りそうですし。冷やして飲んでも美味しそうだな〜!」
私の顔を見て、少佐は笑っている。
「ジゼル、でも……いつか共に、東方の国でこの茶を飲んでみたいものだな。」
「えっ──」
見上げた少佐は、優しく微笑んでいたけど、冗談で言っている様には見えなかった。
「ここで異国の料理を食べるのも良いが、本当は、その国で本場の空気に触れながら、君は食べたいのだろう?この茶もそうだ。現地で飲めば、同じ茶葉でも違って感じると、君は考えている。」
「少佐──」
「君と、現地でこれを飲んだなら、どんな味がするのだろうな。」
「……………」
「ジゼル、」
アイゼン少佐、私……私も──
「ノ……ノ……っ………」
「ん?どうした、ジゼル。」
「ノ──」
「ジゼル──?」
「ノードレド地方にも……これに似たお茶があるのです……」
「……そうなのか。」
「はい、そうなのです。」
「なら、ノードレド地方にも、いつか一緒に行こう。」
「はい、少佐。」
「楽しみだな。」
少佐は、肩を落とす私の目の前に、お団子の乗ったお皿を差し出した。
「わぁ!美味しそう!これ、気になってたんですっ!」
「だろうな。食事を始める前から、ちらちら見ていたからな。」
少佐は、笑いを堪えた様にそう言って、私の口元にそのお団子を差し出した。
そのお団子は、掌にちょこんと乗る位で、綺麗なまん丸だ。周りに胡麻がくっついていて、油で揚げられている。お団子を差し出された私の口は、急いでそれにかじり付いた。
「……カリカリだけど、中は甘くてふわふわで美味しい!」
「擬音だらけの説明だな。ふふ…だが、美味しそうだ。」
少佐は、今度は声に出して笑った。お団子は、中に甘い餡が入っていて、すごく美味しい。
「ジゼル、」
「……もぐ……はい、少佐。」
「俺も、食べたい。」
「えっ!」
唐突にそう言われて、私は目を見張って、少佐の顔を見上げた。少佐は微笑んでいるけど、紺色の瞳が、少し濃い色になって沈んでいる。
「ジゼル、この前の続きを──」
「この前……?続き……?」
「ほら、早く。」
少佐は、有無を言わさぬ気迫で、私の右手にお団子を持たせた。わざわざ私にお団子を持たせる動作をするよりも、自分で食べた方が早いと思うのだけど……
「ジゼル、」
「少佐……」
右手に待たされたお団子を、少佐の口元にそっと差し出した。手が、少し震える。
あ…そうだ。少佐の家に招待された時、棒付きチョコレートを同じ様に───
「ジルッ!!急いで支度しろっ!!森に入るぞっ!!」
差し出したお団子が、今にも少佐の口に入りそうになった時、私室の扉がバンッと開いて、リー中尉が血相を変えて怒鳴り込んで来た。
「っ!!あむっ!!」
私は慌てて、右手に持っていたお団子を、自分の口に放り込んだ。
「くっそ!!またかっ!!」
少佐は何やら叫ぶと、悔しそうに右手で額を覆い、天を仰いだ。
「アイゼン少佐…!良かった、こちらにいらしたのですね!探していました!……おいジルッ!お前は呑気に団子なんか食ってる場合じゃねぇぞっ!」
リー中尉が部屋に入って来て、少佐は私を、すっと膝の上から下ろした。
リー中尉に、少佐の膝の上に乗っている所を見られた。どうしよう、何か言われるだろうか…
でも……何て言い訳したら……
だけどリー中尉は、その事には一切触れず、何やら慌てている。
「リー中尉、どうした。何があったのだ。」
「少佐、あの……あいつが……えっと……ジル!ほら、お前に付き纏ってた奴が居ただろ⁈あいつ、名前何だったか……」
リー中尉は顔をしかめて考え込んだ。
「ああ⁈ジゼルに付き纏い⁈そんな奴が居たのか!すぐに殺しておけっ!」
「せめて、法廷には立たせてあげて下さい…えっと…あ!ほら、ベネット公爵令嬢の、元婚約者だっ!!」
リー中尉は、やっと思い出して私の顔を指差した。
「えっ!あー!モニカの元婚約者…でもその人が、どうしたのですか?」
「そいつが、お前を追って、勝手に野営訓練中の森に入り込んだらしい!東門からじゃねぇが、見張りから、連絡があった。」
「えぇっ!!」
私はお団子みたいに目を丸くした。
「どういう事だ…話が見えん。」
「詰所でご説明します、少佐。」
──ノアくーん、手紙出して来たからねー!──
私室を出ようとした時、リー中尉が飛び込んで来たままの扉の隙間から、場違いな柔らかい声が滑り込んで来た。そして廊下から、パタンと扉の閉まる音がした。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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