51.ベーコンちゃん
4年前、オーウェンとジルベールは、揃って一等兵から上等兵に昇進した。その後ガルシア家にて──
「只今帰りましたー。」
ジルベールは、軍事基地から自宅に帰ってきた。普段、兵舎を使用していない為、軍務が長引かなければ自宅に戻って来る。
「お帰りなさい、ジルベール様。昇進おめでとうございます。旦那様がリビングでお待ちですよ。」
庭先に、執事頭のエイダンが出て来て、出迎えてくれた。
「ベーコンちゃんは、私がお家に連れて行きますね!」
「プルル…」
エイダンは、ジルベールが乗っている、ロバのベーコンちゃんの手綱を取った。
ジルベールがベーコンちゃんの背から降りると、ベーコンちゃんは嬉しそうにジルベールの顔を舐めた。
「ありがとう、エイダン。」
ジルベールは、軍人令嬢として市民に広く知られる様になるまでは、ロバのベーコンちゃんに乗って軍まで出勤していた。ベーコンちゃんは、ジルベールと同じ、銀色の毛並みをした、ロバの女の子だ。ぴょこっとした、小さなお耳がとても可愛いとジルベールは思っている。
小柄なジルベールは、同じく小柄なロバのベーコンちゃんの背に、ぴったり収まっていた──が、後に広報部からの指示で、馬車で出勤する様になる。
ベーコンちゃんは、エイダンに連れられ、庭の一画にある、小さな馬小屋のお家へ帰って行った。
リビングに入ると、父親がテーブルに座って待っていた。
「ジル、戻ったか。」
「只今帰りました、お父様。」
「父上、だ。ジル。何度言ったら分かるんだ。」
「…すみません、お父様。あっ!」
「…父上、だ。とにかく座りなさい。」
ジキルはため息をついた。そして気を取り直して、向かいに座る、ジルベールに向き直った。
「ジル、上等兵に昇進したそうだな。おめでとう。」
「ありがとうございます、お……父上。」
「4年かかったが…一等兵になってからは、昇進は早かったな。少し安心したよ。」
「ご心配をお掛けしました。」
ジキルは、頷くと、一枚の紙をジルベールに差し出した。
「何ですか?これ……軍務及び任務の達成、統括する隊の帰還率、耳の取れない新兵がいない事……」
ジルベールは、紙に書かれた項目を読み上げ、首を傾げた。
「旦那様、ジルベール様!遅くなってすみません!紅茶をお待ちしましたよー!ベーコンちゃんが、遊んで欲しいと離してくれなくって……」
ジルベールが首を傾げた時、エイダンがカチャカチャとティーセットを持ってリビングに入って来た。
「エイダン、君も隣りに座りなさい。今からジルに、話をする所だ。」
「承知しました。」
ジキルに促され、エイダンはティーカップを配り終えると、ジキルの隣に腰掛けた。もちろん、自分の分のティーカップも、ちゃんと準備していた。
「父上、何なのですか?この紙──」
「それは、部下を持つ軍人が、評価される為の条件だ。多少足りない部分があるかもしれないが、私の経験を元に記載している。」
「父上──」
ジキルは真面目な顔で娘を見た。
「ジル、リー軍曹を、必ず出世させなさい。」
エイダンが、ゆっくり紅茶を飲み、静かにティーカップを置く音が、室内に響いた。
「ジル、分かっていると思うが、リー軍曹はお前の教育係になってから……正しく表現するならば、お前を押し付けられてから、恐らく、上層部に出世は見込まれていないはずだ。彼は、ガルシア家の為に、出世を諦めざるを得なかったのだ。だが、そんな役目を押し付けられても尚、彼はお前の事をここまで──」
「理解しています、父上。」
ジルベールは、真っ直ぐに父親の顔を見た。
「ジルベール様、ご存知でしょうが、ウィリアム様のご実家は、ガルシア家以上に、領地経営が難しい場所です。それどころか、あそこは領民も、過酷な生活を余儀なくされています。領地を支える為に、ウィリアム様はご長男でありながら、軍に志願されているのですよ?」
エイダンは悲しそうに事実を述べた。
王都から離れる程に、他国との境になる森や谷、険しい山が自分の領地に近くなり、一般的に獣や虫の被害も多くなる。
ガルシア家の領地も、王都からは少し距離があり、時期になると森に獣が多く出る。放っておけば、領民にも被害が出てしまうため、獣の駆除は必須だ。しかし、獣や虫の駆除に対して、国からの補助は一切無い。王都から離れた位置に領地を持つ貴族は、自分達で何とかしなければならないのだ。
ガルシア家では、領主夫人のフレイヤが獣の駆除を行っており、ジルベールも、暇があれば手伝っていた。
そして、リー軍曹の領地は、王都から最も離れた位置にあり、獣や、大型の虫による被害が酷い場所だ。領民達は、十分土地を耕す暇も無い程に、獣と虫の駆除に追われている。駆除に人手を雇うには、高額な依頼料が必要であり、リー軍曹はその為に、軍人として働いているのだ。
「分かっています。そんな状況でありながら、私を部下に付けられたせいで…リー軍曹は…」
ジルベールは俯いた。
「分かっているなら、その紙に書かれている行動を優先して取りなさい。そうすれば、リー軍曹の評価は上がる。」
「はい、父上。」
「ジル、私達は、ガルシア家に掛けられている、王命の撤廃を目標に軍人として努力してきた。だが、お前はそれよりも、リー軍曹を出世させる事が優先だ。彼は、元々優秀な軍人だと思うが、お前という部下を持っている以上、お前の行動が自身の評価に関わってくる。必ず戦果をあげ、彼を少なくとも佐官以上にしなさい。その為なら、多少どんな事をしても良い。逆に、それが出来ない様なら、お前にガルシア家の敷地は跨がせない。私は、それ位のつもりだ。」
「承知しました、父上。」
「お前も、やっと上等兵になった。これから、リー軍曹の恩に、必ず報いなさい。もし…万が一にも、お前が彼を裏切る様な事があれば、私がお前の首を刎ねる。良いな?」
ジルベールは、強い瞳で静かに頷いた。
「それから、お前の一般教養については、引き続きエイダンに任せる。武芸だけでなく、そちらもしっかり学びなさい。」
「………はい。」
「ジルベール様、お返事が小さいですよ?」
「だって……」
ジルベールは口を尖らせた。
「そういえば、お母様はどちらに?メイジーも見当たりませんが…いつもなら、ベーコンちゃんから降りる前に、出迎えてくれるのに。」
「奥様は、ウィリアム様の領地ですよ。」
エイダンが、微笑んで答えた。
「リー軍曹の?」
「ええ。ウィリアム様の領地の、獣狩りです。最近は、奥様が傭兵としての仕事を受ける際に、依頼主がウィリアム様の領地の獣狩りに兵を出す事を、条件にされていまして。今日は奥様もご一緒に出向かれています。獣じゃなくて、虫の方だったかな……?とにかく、本日は残念ですがお戻りにはなりません。ウィリアム様のご実家に、お泊まりになられますから。」
「へぇ!それは良い案だね。人手があれば、随分楽になるし……でも、メイジーも一緒なの?ちょっと危険なんじゃ……」
「それは──」
「メイジーが、どうしてもフレイヤと一緒が良いと言ってなぁ…フレイヤの獣狩り中は、リー軍曹のご両親が、世話をしてくれる事になっている。」
ジキルが、エイダンを遮って早口で答えた。
「そうなのですね。メイジーはまだ幼いですからね。お母様が大好きですし。それなら安心ですね。」
「そうなのですよ、ジルベール様!」
「ですが、会えないのはちょっと寂しいですね…最近は、よく、2人でカフェに行っていて、不在の事も多いですし…」
「フレイヤが、行きつけのカフェがあるからなぁ。ほら、お土産にケーキを買って来るだろう?我慢しなさい。」
「そうですね。お母様が楽しそうであれば、私も嬉しいです。」
「そうだろう、そうだろう。お前はほら…ベーコンちゃんとでも遊んであげなさい。馬小屋を抜け出して来てるぞ。」
リビングの窓に目をやると、ベーコンちゃんが窓に顔を押し付けて、部屋の中を覗き込んでいた。
「あっ!ベーコンちゃん!すみません…ちゃんとお家に繋いだはずなのに…」
エイダンが慌てて立ち上がった。
「ベーコンちゃん、頭良いからね。私が軍にいる間、軍の厩舎に預けてるんだけど、お世話してくれる馬の調教師さんが、ベーコンちゃんは本当に賢いって褒めてくれるんだよー!」
「そうなのですね。でも、こんなにしょっちゅう抜け出されては、困りますねー!」
エイダンとジルベールが外に出ると、すぐにベーコンちゃんが、プルルと鼻をならして駆け寄ってきた。
2人が笑いながら、ベーコンちゃんを馬小屋に連れて行く姿を、ジキルは紅茶を飲みながら見ていた。
ベーコンちゃんの階級解説(4年前時点)
リソー国軍の人達には、階級があって、縦社会になっているみたい。ジゼルも大変だなぁ。
人間の話によると、たぶん階級って下から順に、こうみたいだよ。
・新兵・二等兵…配属されたらこの階級ね。ジゼルは3年間ずっと、ここだったみたい。
・一等兵
・上等兵…ジゼルはここになったのね!プルル
・兵長
・伍長…ここら辺から下士官って呼ばれてるみたい。ジゼルはいつなれるのかなぁー。
・軍曹…リーは、ジゼルのお世話しだしてから、ずーとここみたい。
・曹長
・准尉…将校って呼ばれる人達みたい。
・少尉
・中尉
・大尉
・少佐…佐官って呼ばれる人達みたい。
・中佐
・大佐
・これより上は、将官って呼ばれる人達みたいだけど、私は会った事ないからまだよく分からないんだ。皆、閣下って呼ばれてる気がするけど。ジゼルは、なれるのかなぁ…?