44.彼女の返事が嬉しくて顔を見れなかったけれど、おえーって言われて立ち直れないし、何故か泣いてて心配
「ちょっとちょっとちょっとーっ!どうなってんのよっ!」
アデル・マルティネスは、食堂の端、ジルベールの横の席に腰掛け、大声で騒ぎ立てている。
「何でハムサンドが買えないのっ⁈おかしいじゃない⁈」
「そうなんです、アデル部長!誰かが買い占めてるんですよー!」
「なんですってえぇぇぇ!風紀が乱れ切ってるじゃないの!ここの風紀は一体どうなってんのよ、アイゼン少佐っ!」
「………食堂は私の管轄下ではありませんので。」
ノアは腕組みして、俯いたまま、無愛想に返事をした。
何でこいつは勝手にジゼルの横に座っているんだ…
アデル・マルティネスは、ハムサンドが買えなかった事をカウンターの前でひとしきり嘆くと、ノアとジルベールの席に舞い戻って来た。そして、ジルベールと、買い占め犯への恨み言を言い合っている。
「はぁ……」
ノアはため息をついた。アデルの途切れる事の無い喋り声が、余計にイライラさせる。
せっかくジゼルと2人で昼食を食べていたのに。邪魔をしやがって…俺に取っては、買い占め犯より卑劣な行為だ。
午後の軍務の都合もある。そろそろ行かねばならないというのに…くそっ…
ノアは、いつもの癖で、軍服の左胸ポケットに入れている紫煙草に手を伸ばしそうになり、目の前にジルベールがいた事を思い出して、左手をテーブルの上に戻した。
「あんた、そういうのは良くないわよ⁈自分には関係ない、みたいなのは!じゃあ食堂はどこの管轄下なのよっ!文句言ってやるわ!」
アデルはノアに八つ当たりをする。
「…食堂は…自治権が認められているのではないですか?マルティネス部長殿。」
ノアはうんざりした顔で返事をした。真面目に回答するなら、総務課だ。
「なるほどね…ある意味ここはフリーダムってことね……」
ノアの回答を聞いて、アデルは納得した。
「でも、アデル部長!私本当にショックで…絶対今日はハムサンド食べるって、決めてたのにっ!」
今ジゼルは、オムレツとパンを、一生懸命に食べている。彼女がせっせと食べる姿は、応援したくなる程、可愛らしい。
「そうね、私もよ、ジルベールちゃん。ここのハムサンドは芸術品よ!定期的に、無性に食べたくなるわ。」
それに比べてマルティネス部長は……ジゼルの横に座っているため、どう頑張っても若干視界に入ってくるのが不快でしょうがない。
「それにしてもジルベールちゃん、いつも美味しそうに食べるけど、今日は一段と美味しそうに食べるわね。アイゼン少佐と一緒だからかしら?」
「!!」
アデルは頬杖を付き、ノアを横目で見ながらジルベールの反応を伺う様にそう告げた。
ノアは、残念な事に、ジルベールを前にどう返して良いか分からず、固まってしまった。
だが、ジルベールは、何でも無い事の様に、頬張っていたオムレツを飲み込んだ。そして、
「はい!」
と、迷う事なく笑顔で返事をした。
もちろん、食事の手は止まらない。
彼女の返事は元気が良すぎて、右手はスプーンを持っていなければ、敬礼をしていそうな位、堂々としており、アデルは、その黒い瞳を丸くした。
「…………そうなのね。分かったわ。ジルベールちゃん、私は貴女の為だと思って、抗議をしていた訳だけど……閣下の言う通りだったわ。人の幸せとは、第三者が見て分かる様な、単純な物じゃない──だとしても、貴女が受けた仕打ちを、私は許せないのだけど……アイゼン少佐、貴方を独房に放り込んだ事は、謝罪する───ちょっと!やだ!あんた、何その顔!!」
そこまで言いかけ、ジルベールを見て固まったままの、ノアの顔色を見たアデルは、笑い出した。
「ちょっと無愛想少佐!やめてよね!そのキャラで純粋なんて、可愛すぎるわよ!絵画にして、閣下に見せたいわー!」
「アデル部長、どうしたのですか?」
きょとんとするジルベールに、アデルは微笑み掛け、アデルに顔色を指摘されたノアは、俯き、右手で口元を覆った。
「なんでもないわ、ジルベールちゃん。ちょっと、安心しただけよ。感情に振り回されるのは、人間の特権よ。人を、人たらしめる。」
アデルは、そう言ってジルベールに微笑むと、またね!と言って、食堂を後にした。
ジルベールは、俯いたままのノアを見た。丁度、目の前にあった山盛りの料理は、綺麗に食べ終わった所だ。
「あの、少佐───」
「ジル!」
どうして俯いているのか、ジルベールがノアに尋ねようとした時、ウィリアム・リーが食堂に来た。
「リー中尉!」
「ジル、良かった、正気に戻ったんだな。アイゼン少佐、ありがとうございました。」
リーは、ノアに礼を述べると敬礼した。
「構わない。リー中尉、後は頼む。定例の報告会は予定通りだ。遅れない様に。」
「承知しました、少佐。」
立ち上がり、リーに淡々とそう告げると、ノアはジルベールの方を見ずに、さっさと食堂を後にした。
ジルベールは、何か失礼な事を言ってしまったのだろうかと、先程の会話を反芻したが、答えは分からなかった。
アデル部長の質問に、「はい!」と答えたのが失礼だったのだろうか。
聞かれた通り、少佐と食べる食事は、美味しいと思ったのだけれど……
もしかしたら、
図々しい返事だったのかもしれない……
私の頭の中で、エイダンが肩をすくめている。
難しいな…
ハムサンドは食べられなかったけど、
食堂に連れて来てもらえて、嬉しかった。
そう、伝えたかっただけなんだけど…
何と言えば、良かったんだろう…
ジルベールは、ぽっかり空いた、向かいの席を見つめた。
どうしてなのか、分からないけど、
この小さな引っ掛かりは、いつもみたいに、
ま、いっか!とは思えない。
上手く伝えられる様に、なりたいなぁ…
「ジル、一度詰所に戻るか?」
リー中尉の声で、はっとした。
「はい、中尉。」
リー中尉は、安心した様にこちらを見ている。
とりあえず…今考えても、分からないもんな…
──────────
ウィリアム・リーは、普通科連隊の会議室に向かっていた。途中、普通科の同窓や、顔見知りの者が声をかけてくる。
リーは、歩きながら、ほっと胸を撫で下ろした。
……心配したが、ジルが正気に戻って安心した。久しぶりだったな。以前は、軍務や任務の途中に錯乱して、手を焼いたものだ。
それにしても……
リーはゲホッと咳払いした。
普通科棟は、紫煙草の匂いがきつい。特科連隊は…特に偵察班の者は紫煙草を好まない者が多い。普通科の奴は、ほとんどが愛煙家だからな…廊下まで、独特の匂いが染み付いている様だ。
まぁ、しょうがない。
リーは会議室のドアをそっと開けた。
連隊長のこの人が、一番の愛煙家だからな。
広めの会議室の一番奥、横長のテーブルの中央に、アイゼン少佐がこちらを向いて座っている。両脇には、すでに提出された報告書が積まれ、その間に座って、書類に目を落としている。
右手には、常に火の付いた紫煙草を持っており、少しの間でも我慢出来ない様だ。寝ている時も吸ってんじゃないか、この人は。
そこまで考えて、ふと、野営訓練中に見かける時のアイゼン少佐は、紫煙草を一切手にしていない事に気が付いた。
特科連隊の者は、紫煙草を好まない者も多いからか……?
いや、それしか他に理由は無いだろう。
アイゼン少佐、その辺の分別は、ある人だったのか!意外だ。もの凄く意外だ。
会議室には、奥に座る連隊長に向かい合わせる様にして、横長のテーブルが、10台ほど前から順にきちっと並べられ、数名ずつ、中隊長達が座っている。
リーは、部屋の端に開けられた通路を通り、ノアの座っている席まで行くと、他の中隊長と同様に、氏名、階級、統括する隊を述べた。そして、自身の中隊の報告書を、積まれている報告書の上に重ねた。
紫煙草を咥え、書類に目を通しているノアはリーを見留めると、無言でまた書類に視線を戻した。
会議が始まるまで、もう少しか。まだ、ちらほらと中隊長達が会議室を出入りしている。室内も、軍務の会話や、会議室に来た、自分の部下に指示を出す声がする。
リーは、部屋の一番後のテーブルまで戻ると、一番端の椅子を引き、そっと席に着いた。
──カチャ──
「すみません、リー中尉、いますか?」
その時、室内に響く、中隊長達の低い声に混じって、ドアの方から、やや控えめに、鈴を転がす様な高めの声がした。ドアが、隙間が開く位にそっと開けられ、そこから水色の右目がキョロキョロと俺を探している。
あいつ………一体何だ?まさか厄介事じゃねぇだろうな?
リーは足早にドアに近づくと、ガチャッとドアを開けて、身体を半分会議室から出した。
そこにはやはり、さっき詰所に送ったばかりのジルベールが立っており、えへへ、と笑っている。
この笑い方は…良い予感も悪い予感もする。
「どうした?ジル。もうすぐ報告会が始まるんだぞ?」
リーは、少し顔をしかめながら聞いた。
部屋の中では、他の中隊長が、敬礼して立つ直属の部下から、真面目に報告や相談を受ける声がする。
それに比べてこいつは……
偵察班で俺が持っていた、軍務や任務は、その多くを、ジルに引き継がせている。実力は申し分ない。正直、実力だけなら軍曹以上の兵だろう。
だが……
リーは、緊張感のかけらも無く、会議前の上官を呼び出し、えへへ!と笑う部下を見た。
素行がなぁ……
俺が甘やかし過ぎたのか……
リーは小さくため息をついた。
まあ、今更、他人と比べてもしょうがない。生き抜く事だけを目標にしていた新兵の頃に比べたら、十分成長したと言えるだろう……
「リー中尉、はい!」
俺の憂いを他所に、ジルは笑顔でこちらに何か差し出した。右手で、元気いっぱい!に差し出されたそれは、四つ折りにされた、やや茶色の色合いの紙だ。
「リー中尉、できたら今日の報告会までに欲しいって言ってましたよね?私、錯乱してたから、渡しそびれちゃってて…」
リーは差し出された紙を広げた。それは確かに、以前ジルベールに、手に入れる様指示していた物だった。
「これは……ジル!良くやった!俺も、お前が錯乱しちまったから、聞くのをすっかり忘れていたが、早かったな!出所はどこだ?」
「狩人協会の物です。多少、協会にお金を払いました。この一帯の物は、戦時中という事もあって、許可が降りづらいのです。」
「なるほどな…確かに、協会印もある。分かった、助かったよ。」
リーは、またそれを丁寧に四つ折りにした。
「ねー、リー中尉!それは良いんだけど、ここ、臭すぎる!おえーってなっちゃうよ!」
しかし、喜んだのも束の間、ジルは大声で余計な事を言い出した。
何が、それは良いんだけど、だ。
「ジル!お前…声がでかいんだよっ!」
リーは慌ててジルベールの発言を咎めた。
俺以上に、ジルは紫煙草の匂いが嫌いだからな。だとしても、正直に口に出し過ぎだ。
全く……妹もそうだが、この年頃になると、己の若さを振りかざし、ちょっとでも自分が臭いと思えば口に出す。終いには、近くに来るなだの、平気な顔をして言いやがる。こいつらは…自分達以外の人間は、傷付かないとでも思っているのだろうか。
「だって、本当の事だもん。臭いものは臭いよっ!ちょっと私もう無理なんだけど!!」
「ジル、いい加減にしろっ!ここは軍だぞ⁈家じゃねぇんだっ!黙れっ!」
強めに叱ると、ようやく静かになった。
「で?後は何だ?」
「え?」
「他にも、何か言いに来たんだろ?」
ジルの感じからすると、おそらく他にも要件があると思える。当たった様で、ジルは、あのねー、と言いながら、ニヤけた顔で、上目遣いに顔を覗き込んできた。
何か要求を通したい時の、ジルの癖だ。ガキの頃から変わらない。そして、大抵碌でも無い。
リーは顔をしかめた。
「あのね、さっき、マリーちゃんに会って……マリーちゃんも、今日午後から諜報部の仕事、無いらしくて。午後から野営訓練出なくていいなら、一緒に街に行こうって誘われたんです!行っていいですか?」
「え?マリー殿が⁈」
今回は、以外とまともな要求だった。だが…
「マリー殿には申し訳無いが、今日は駄目だ、ジル。」
「えーっ!何でですかっ⁈」
ジルは、顔をクシャクシャにして、今にも泣きそうな顔になった。
「お前さっきまで錯乱してただろ?マリー殿が、お前を気にかけてくれるのは、俺もありがたいと思ってるが…今日は大人しくしとけ。」
「えー!でも───」
「でもじゃねぇ!街で体調が悪くなったら、ガルシア家も心配する!マリー殿には、丁寧に断っておけよ。」
「ううう…うわあぁぁぁぁぁん!」
「!!」
ジルベールは、子どもの様に泣き出した。
「しまった…錯乱した後は、情緒が不安定になるからな…ジル!やっぱりそんなんじゃ街には行かせられないぞ!」
「うえぇぇぇぇぇぇん!!」
「ジルッ!また今度行って良いから!俺からマリー殿に、日を改めて誘ってくれる様言っておく!」
「うぅ………本当に?」
「ああ。だから、今日は我慢しろ!ほら…もう会議が始まるから。戻れ。」
「うん……」
ジルは、項垂れながら、ショボショボと戻って行った。
全く……疲れるっ…………!
ドアを閉め、会議室の中を見ると、既に全員着席していた。もしや待たせていたか……
「大変失礼しました………」
リーは、無言で座っているノアに向かってそう告げると、さささ、と席に着いた。
「リー、ジルベールか?」
席に着くと、隣に座る、顔見知りの普通科の中隊長が、小声で話しかけてきた。
「ああ、そうだ。」
「大変だな、お前も。」
「……聞こえてたか?あいつとの会話……」
「臭くて悪かったな。」
隣の席の奴は、小声でそう言いながら、肩を震わせて笑いを堪えている。
「悪い……本当、ガキのままで困るよ…」
リーは申し訳無さそうに俯いた。
「まあ、良かったじゃねぇか。アイゼン少佐に咎められ無くて。おえーって、なっちゃうんだろ?」
隣の席の奴は、まだ、ぷるぷる肩を震わせている。
「………定例の報告会を始める。」
どことなく、普段より小さい様なアイゼン少佐の声で、報告会は始まった。
報告会は、特に問題無く進んでいく。
「ああ?貴様、これで何度目だ⁈」
「申し訳ありません、アイゼン少───」
途中、必要な報告を怠っており、そのせいで前線の兵の数が合わない事が発覚した普通科の中隊長が一名、激怒したアイゼン少佐に、謝罪を聞いてもらう事も叶わず蹴り飛ばされたが、これ位ならなんの問題も無い。通常運転だ。
定例の報告会の内容は、前線の情報共有に重点を置かれているため、普通科の方がメインだ。野営訓練中である、うちの中隊は、特段報告を上げる事は無い。
俺は、つい先程、ジルに渡されたこいつを提出すれば、無事終了だろう。
「次、特科連隊情報中隊。」
「はっ!ウィリアム・リー中尉であります。」
リーは、その場で起立し、敬礼をした。
「情報中隊は、野営訓練中だな。」
「はい、現時点で問題はありません。」
「分かった。何か、中隊で請け負っている任務で、報告はあるか?無ければ座って良い。」
「はっ、一件ご報告があります。偵察班の兵が、隣国の山間部及び、周辺の山岳地帯の詳細が記載された地図の入手に成功しました。」
リーの報告を聞き、ノアと、その他普通科の者が、敬礼をするリーを見た。
「今、手元にあるのか?」
「はっ。」
リーは、ノアの座るテーブルまで行き、ジルベールに渡された、四つ折りの紙を手渡した。
ノアは、渡された地図を開き、少し首を傾げた。
地図は、確かに隣国、グラノの周辺の山間部及び、山岳地帯の詳細が記載されているが、一般的に軍で使用する地図とは、書かれ方が異なっている。
やけに詳しく、記されているのだ。
崖などの高さや、水場の位置はもちろん、メインで生えている木々の種類や、生息する動植物も記載されている。人が通る道の他に、獣道も描かれていた。
「………これは…信頼性は、どう評価している?」
ノアは、訝しげに、テーブルの前に立つ、リーに尋ねた。
「はっ。その地図は、狩人協会から入手したものです。十分信頼に値します。」
「狩人協会…名前を聞いた事はあるが…」
ノアは、地図の左端に押された、協会印を見た。
狩人協会───その名の通り、狩人達で組織された団体である。狩人であれば、国籍は問わず、国を持たなくとも入会できるが、「一定の技量を持った本職の狩人である」という事を協会に認められなければ、入会する事は出来ない。協会の目的は、各国の統治による障害を受けず、協会員が目当ての獣を国境を跨ぎ自由に狩る事であり、多種多様な専門分野の狩人達が所属している。協会に所属する狩人は、貴重な獣を狩る者も珍しくない。リソー国は受け入れていないが、狩人協会員であれば、無条件で入国を許可する国も、少なくない。
「この地図を手に入れた偵察班の兵は───」
「はっ、ジルベール・ガルシア軍曹であります。」
「ジゼ…ガルシア軍曹は、協会と繋がりがあるのか?」
「協会員です。」
アイゼン少佐は、目を見張った。
そうだろう。
狩人協会は…いや、狩人達は、皆、国境を嫌う。
そのため、国境を守る軍人も嫌う。軍人に対し、友好的に接する事は殆ど無い。
俺も、どういう経緯なのか詳しくは聞かされていないが、ジルが勝手に例の狩人──飢えた春の民──に接触し、師事されて戻って来た後、あまりにも狩りの腕が立つ様になっていたため、国を持たない流れの狩人だとして、入会試験を受けさせた。前々から、無条件で多くの国に入国が出来る協会証は、偵察班として、欲しいと考えていた。しかし、狩人協会証は、世間に出回る事は殆ど無く、正規のルート以外で、入手や偽装は難しい。協会員になる他に手が無かった。
入会を提案されたジルは、嬉々として試験を受けに行き、見事合格した。ジルは、緑鱗鳥を難なく撃ち落とし、狩人の間で使われる古語も流暢に話す。狩りに関する知識も本物で、認められるのに、何の疑いも無かった様だ。今では、緑鱗鳥を専門にする、流れの狩人として活動している。
狩人協会では、協会員のために、狩りを行う森や、山岳部の詳細な地図を発行している。今回は、そこから入手した様だ。
「分かった。この任務は、この地図の提出を以て終了とする。よくやった。」
「ありがとうございます、少佐。」
リーは、今日の報告会での仕事を成し終え、晴れやかな顔で席に戻った。しかし──
「最後に、各隊で、1年以内に耳が取れていない兵がいる者、立て。順に該当者を述べろ。」
そうだ…これがあったな。
新兵で、1年以内に耳が取れていない者は、生き残っている場合、懲罰房に送られる。その後で、今後の使い方を上が検討するのだ。
ジルも…流石に庇いきれず、2年目の時に、懲罰房に送られ鞭打ちとなった。あいつの背中には、その時の古傷が、今も消える事なく残っている。訳ありのため、その後捨て駒にはされる事なく、俺が指導を継続し、今に至る。
いつもなら、うちの中隊は1名程度、耳が取れない者がいる。だが今回は───
「リー中尉の隊は、該当者無しか?」
三分の一程の中隊長が立つ中、珍しく起立しなかった俺を見て、アイゼン少佐に問われた。
「はい、少佐。」
本当かよ…と、他の中隊長も、訝しげに見てくる。該当者の有無は、評価に関わるからな…
正直な所、嘘を付いているのも否めないのだが…
「アシェリーという奴はどうなんだ?」
「……先日、野営訓練中に、取れました。」
まさか…アシェリーを知っていたとは…アイゼン少佐、鋭いな。
「見ていた兵はいるか?」
「ジルベール・ガルシア軍曹です。」
この報告会、本日2度目の登場だ。
だが、今回の登場には、他の中隊長達がざわつき出した。
「おいおい、一番信用できねぇぞ!ジルベールだろ?」
「あいつは、一番耳を横流ししてるだろ⁈酒代のツケを耳で払ってるって噂だぞ!」
「ジルベールが代わりに取ったんだろ!」
皆、痛い所を突く。そして、全てその通りなのも痛い。
偵察班の兵は、ノルマも多い分、熟練した兵であれば、耳を取る事にも長ける。自分のノルマをこなせる様になれば、当然いろいろと、利用しようと考える…
アシェリーを、マシューの小隊に移す事にしたと、モリスとジルベール双方から聞いた時、理由をオーウェンの分隊の人手が足りないからと、言っていたが、恐らくそうでは無い。大方ジルベールが、切り捨てられそうになったアシェリーを見て、耳で買ったのだろう。
耳の横流しは、もちろん軍規違反だ。
リーは、他の中隊長からの野次に、一切反論する事なく──事実であるため反論するとボロが出る──自分の席でじっと目を伏せている。
「リー!ジルベールが新兵に横流ししてんだろ!」
「知ってて黙ってるならお前も軍規違反だぞ!」
「黙れ。発言を許可した覚えは無い───酒代のツケを耳で…⁈」
アイゼン少佐の声で、野次を飛ばしていた者達は黙った。少佐は、何か独り言を言いながら、左手を額に当てて、考え込んでいる様だ。
「見ていた者がいるなら、それで構わない。この場で真偽は問わない───が、耳の横流しを許すと、兵の力量を正しく把握する事ができない。横流しをしている者がいれば、直ぐに止めさせろ。聞かない様なら懲罰房に入れ…………る前に、報告する様に。詳細を確認する。」
アイゼン少佐の発言で、この場は収まった。
助かった様だ。俺も、ジルベールも……
「各隊の状況は把握した。該当者及びその上官には、中隊長から早急に耳を取る様指導し、あと半年様子を見ろ。」
え……今何て……切り捨てないのか?
少佐の発言に、該当者のいる中隊長だけで無く、全員が、ぽかんと少佐を見た。
「お前ら、指示が聞こえなかったか?」
起立している中隊長達は、慌てて返事をした。
「……知っているだろうが、今、下級兵を中心に、兵の数が不足している。普通科以外からも兵を回しているが、前線に投入可能な兵が足りていない。事は深刻だ。早急に、対策は考えるが──耳が取れていない兵も、安易に切り捨てるな。前線投入可能になる様、各隊速やかに指導する様に。育成の仕方によっては、成長する可能性が十分ある。」
そういう事か……うちからも、また兵を出さないといけないからな…確かに頭が痛い。
「以上、報告会は終了する………特科連隊情報中隊、ウィリアム・リー中尉は残れ。アシェリーという兵について、確認したい。他の者は行って良い。」
何ぃっ!!
リーは、着席したまま、固まった。
やはり、横流しが問われるか…下手したら、俺も、ジルも懲罰房だ。
せめてジルは……庇いきれるか……
隣の席の奴が、俺の背中をポンと叩いて、頑張れよ!と言い出て行った。
他の中隊長達が、足早に退室して行く中、リーは必死に言い訳を考えた。
──だって、本当の事だもん。臭いものは臭いよっ!ちょっと私もう無理なんだけど!!──
頭の中で、横柄な我儘を言うジルの声がする。
今回ばかりは、本当にちょっと無理かもしれない…
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
続きが気になる!と思って頂けましたら、
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