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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
69/128

42.上官で無い何かに

 昼時の過ぎた軍の食堂、食事をする者もまばらな中、ノアはジルベールと、食堂の端の方、長いテーブル席の一番端に、向かい合って座っていた。


 今、彼女はせっせと、山盛りの食べ物を次々に頬張っている。初め、料理の山に隠れていた彼女の顔は、ようやく見える様になってきた。


 彼女は食堂で、楽しみにしていたハムサンドを買い求めようとしたのだが、何と、ハムサンドは何者かによって買い占められており、可哀想に、彼女は食べる事が叶わなかった。


 錯乱してもなお、

 あれ程食べたがっていたのに……


 余程悔しかったのだろう。彼女は、カウンターで歯軋りをしながら目に涙を浮かべていた。


 そもそも、軍の食堂で、買い占め行為をする奴がいるとは……例を見ない、卑劣な犯行だと言えるだろう。

 彼女が、不憫でならない。

 残念ながら、どの兵による犯行なのか、名前は分からなかった。


「ジゼル…可哀想に。ハムサンドは残念だったが、他に食べたい物は、何でも買ってやる。今日は、それで我慢して欲しい。買い占め犯は、見つけ次第処分する。」

 カウンターで悔し涙を流す彼女をなだめながらそう言うと、彼女は納得した様に頷いた。


 カウンターの内側に立つ、調理師の男が──俺が食堂に来た時、応対はいつもこの男だ──ジゼルをなだめる俺を見て、なぜか驚いた顔をしていた。

 


「ジゼル、美味しいか?」

 ノアは、向かいに座るジルベールに尋ねた。山盛りの料理を食べるジルベールに対して、ノアは冷たい紅茶と、パン、サラダだけだ。


「はい!美味しいです。少佐は、それだけで良いのですか?」

「ああ。昼食は、これで十分だ。」

 本当に、これで十分だ。むしろ、普段より食べている。

「お腹、空きませんか?」

 彼女は、トマトソースのパスタを食べながら、心配そうに聞いてくる。


「夕食に、アイゼン家(うち)の料理を、君と私室で食べるからな。昼食は、それほど必要無い。」

「そうなのですね。私、錯乱した後は、いつもすごくお腹が空いて……」

 彼女は心配そうに、そう言いながら、もりもり食べ続ける。

 食べっぷりが…テオドールにそっくりだな。


 彼女の口元に、パスタのソースが付いている。ノアは右手を伸ばして、親指でソースを拭った。




⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎



「……ノア……んう───」


 うつ伏せのまま、彼女の柔らかな体を、しっかりと抱きしめた。


 ふわふわだな………


 目眩は、どんどん酷くなってくる。

 少し、視界が回転し始めた。


 彼女の頬に、顔を寄せると、視界は物凄い速さで、ぐるっと回転した。

「う………」

 思わず、目を瞑ったが、それでも頭の中まで、ぐるんと回転している。


「ジ…ゼル……」

 目を瞑ったまま、彼女を呼ぶと、確かに腕の中にあったはずの、彼女の気配が無くなっていた。代わりに、何か膝の上辺りで、衣擦れの音がする。



「わぁっ!」

 ばっと顔を上げると、医務室のベッドの上で、彼女が叫び声を上げ、尻もちを付いている。

 

「ジゼル……そうか……ここは──気が付いたのか?」

 一瞬、訳が分からなくなったが…そうだ。俺は、錯乱した彼女を医務室に運んで……

 彼女が寝付いた事を確認し、目を覚ますのを待っていて、自分も眠ってしまったのか。


「少佐、顔が赤いですよ?大丈夫ですか?」

 目の前で、透けていない下着を身に付けたジゼルが、尋ねてくる。


「……大丈夫だ。君が起きるのを待っていたら、眠ってしまって……少し、夢を見ていた様だ。」


 俺は……

 夢の中とはいえ、流石に何と身勝手な事を……


 夢での罪悪感から、脱がせていた彼女の軍服の上着を、ぎゅうぎゅうと着せ付けた。


「あの……私、どうしてここに……」

「君は、錯乱してしまったのだと、リー中尉が言っていた。それで、正気に戻るまで、ここに寝かせていた。暑くて寝苦しそうだったから、上着を脱がせていたんだ。」

 軍服の前ボタンも、しっかりと留めた。全ては罪悪感からだ。


「ありがとうございます、少佐。ご心配をおかけしました。」


 いや、むしろこちらがありがとうだ。


「君は…もう、先程の様には呼んでくれないのだな。」


 夢の中や、錯乱していた時…確かに呼ばれた声が、今も耳に残っている。


 彼女にとって、決して、上官で無い何かに、

 なれた気がした。


「え?」

「いや、いい。仕方の無い事だ。君が、目が覚めて良かった。具合は悪くないか?」

「はい、もう大丈夫です。」

 

 そう言って微笑むジゼルは、いつもの状態に戻っている。無事に目が覚めて良かった。

 きっと、彼女はお腹を空かせているはずだ。早く食堂に連れて行こう。



⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎




 ノアは、先程の事を考え込みながら、ほぼ無意識に、そのソースの付いた親指を、自分の口に持っていった。視界の中で、彼女はそれを、少し目を見開いて見ているのが映った。

 少し、彼女の頬が赤い。水色の瞳がこちらを見て小さく震えている。が、決して食事の手は止まらない。赤く染まった頬は、まるで頬袋の様に食べ物が詰め込まれ、もぐもぐと動いている。


 ノアは、ふと、思い立った様に、ジルベールの前髪に手を伸ばし、そっと掻き上げた。


 そこには、夢の中の様に、額の右側の生際に、引っ掻いた様な、小さな古傷があった。


「ジゼル……この額の傷は……」


 ノアは目を見開いた。


「え……あ、えっと…この傷は…確か、果物を取ろうとして、木に登って落下した時、かな…」

 ジゼルは、ごくんと食べ物を飲み込んで答えた。


 先程の…夢と同じ……


「その……まさかとは思うが、身体が痛んだりは……」

「え…?すみません、錯乱していたので、全く記憶は無いのですが、大丈夫です。それに、医務室に寝かせて頂きましたので。ご心配をお掛けしました、少佐。」

「そうか。それなら、安心した。」



 しかし、この様な偶然があるとは──



 彼女の、額の古傷を左手でそっと撫で、そのまま頬に手を滑らせた。


「少佐──」

 彼女の赤らんだ頬が、更に赤くなる。焦点のしっかりと定まった水色の瞳が、揺れながらこちらを見ている。

 彼女は、くすぐったがる様に、掌で包まれた左側の頬を、少し傾げた。

「ジゼル──」



「アイゼン少佐、貴方にはここが、小洒落たレストランにでも見えているのかしら?」



「……マルティネス部長殿、」

 ふと見ると、テーブルの横に、腰に手を当て、呆れた様な顔をした、広報部のマルティネス部長が立っていた。

 気付かなかった。いつから居たのだろう。


 ノアは仕方なく、伸ばしていた左手を引っ込めた。


「たとえレストランだったとしても、褒められたマナーとは言えないわね。」

 マルティネス部長は、目を細めて俺を睨んだ。


「アデル部長、お疲れ様です。」

「久しぶりね!ジルベールちゃん!元気そうで、良かったわ。食事の邪魔をしてごめんなさいね。」

「いえ、そんな事は……」

 マルティネス部長は、彼女ににっこりと、手を広げて笑顔を向けた。


「マルティネス部長殿、お一人なのですか?」

 いつも、周りにうじゃうじゃといる、煩い広報部員達はおらず、マルティネス部長は単体だ。


「そう!ティータイムも終わったし、今はソロ活動中よ!」

「……そうなのですね。何か、我々にご用ですか?部長殿。」

 そう言うと、マルティネス部長はギロっとこちらを睨んできた。


「あんたを見かけたからね。早々に抜け出したのね、無愛想少佐!誰かに開けてもらったのね!」

「あの……アデル部長、何かあったのですか?」

「ジルベールちゃんは気にしなくて良いのよお!こっちの問題だからね!」

 気にしないで良いと言われ、彼女はまた、もりもりと食べ出した。一緒に買った、冷たい紅茶も、腰に手を当て、ごくごくと飲んでいる。


 それを見て、マルティネス部長は彼女に視線を向けた。

「……仲が悪い訳では無いのね、貴方達。」

「もちろんです、マルティネス部長殿。」

「だったら何で、あんな騒ぎを起こしたのか…理解もしかねるけど。」

「私の考えが、至らなかったのです。ガルシア家には、謝罪に赴きます。」

 会話を耳にして、彼女はきょとんとしている。


 マルティネス部長はため息をついた。

「まあ……まず、相手の胃袋を掴む、っていう方向性は、間違ってないわね。」


 だいぶ減ったが、まだ、彼女の前に山盛りにある料理を見て、マルティネス部長は静かに呟いた。

 そして、じゃあまた今度、と言いながら、食堂のカウンターに歩いて行った。


「あの……少佐、さっきのアデル部長とのお話は、一体……」

「ああ、その───」


 その時、カウンターの方から叫び声がした。

「すみません、アデル部長!今日は、ハムサンドは───」

「何ですってええぇぇぇぇ!!」


 カウンターの前で、アデル・マルティネスは膝から崩れ落ちていた。

お読み頂き、ありがとうございます。

不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


続きが気になる!と思って頂けましたら、

「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!

どうぞよろしくお願いいたします。

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