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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
68/129

41.目眩


「じゃあノア、楽しんで〜!」

「待って下さい!俺は───」


───バタン───


 前線から一時帰国した日、上官達に無理矢理娼館に連行され、部屋に押し込まれた。

 またフィンレーの奴が、面白がって俺の上官をそそのかしたのだろう。あいつの、俺への嫌がらせに掛ける情熱は、一体どこから来るのだろうか。兄弟とはいえ、出来れば一切関わりたく無いのだが…


「チッ……」

 ノアは押し込まれた部屋の中を一瞥すると、不機嫌そうに舌打ちした。そして、大きなため息を付くと、軍服の左胸ポケットから、紫煙草(しえんそう)の箱を出し、口に咥えて火を付けた。


 ノアは軍内屈指のヘビースモーカーである。特段、趣味や好む物の無い中で、紫煙草(しえんそう)は彼が唯一愛する物だと言えた。


 ランプの薄明かりの灯る部屋の中、ドアの前に立ち、薄紫色の煙を吐き出しながらノアは考える。

 こんな所に来る位なら、兵舎でゆっくり眠りたかった。前線に戻れば、また(ろく)に眠れない日が続く。なぜ、こんな所で無駄な時間を過ごさねばならないのだ───


 ノアは紫煙草(しえんそう)を咥えたまま、押し込まれた部屋の中を見渡した。


 ここに連れて来られたのは、初めてでは無い。

 そう広く無いが、清潔感のある室内には、ソファー、小さな木製のテーブル、そして、部屋の中程に広いベッドが置かれている。ベッドの上には天蓋が付いており、レースの裾が、ベッドの四隅に柔らかく広がっていた。


 そして、天蓋のレースの間、ベッドの端に女が一人、こちらに体を向けて座っている。


「…………」

 ノアは紫煙草(しえんそう)を燻らせながら、無言で女の方を見た。


 殆ど、何も身に付けていないに等しい様な下着を付けた女が、俯き、ベッドの端に腰掛けている。



「あんたねぇ、何なの⁈さすがに失礼じゃない⁈」

 俯いたまま、女が文句を言う。



 確かに……部屋に入って早々、一言も喋らず紫煙草(しえんそう)を吸いだす行為は、客として失礼に当たるだろう。

 だが、ノアには一切、罪悪感は無い。非難されても、火を消すどころか、女の方を見ながら、ゆっくりと薄紫色の煙を吐き出した。



「………まあ、いいわよ。ほら、早く。」

 顔を伏せたまま、女が手招きした。



 なぜ、顔を伏せたままなのか…若干違和感があったが、それよりも、伸ばされた女の肩や腕に、斬られた傷痕の様な物が複数あり、ノアは目を見張った。


 よく見れば…やけに体が傷だらけだな…

 この仕事に就く以前、狩人家業だったとしても…この様な傷は付かないだろう。


 どちらかと言えば、自分の体にも少なからず付いている様な…軍人の体に付いている傷痕だ。


 それに…この女は…髪色が……


 そこまで思考した時、女がゆっくり顔を上げた。



 鼻の頭から左頬に向かって、真っ直ぐ水平に入った古傷。



「っ………ジゼル………」



 ノアは絶句した。

「君は……ここで何をしている⁈」

 ノアは、態度を一変させ、急いで自分の軍服を脱ぐと、ベッドの端に座るジルベールに駆け寄り羽織らせた。

 小柄な彼女の身体は、自分の黒い軍服に、すっぽりと隠れた。


 黒い、佐官の軍服──どうして……

 俺の軍服は、将校用のはずでは……


「アイゼン少佐、」

 彼女が、その強い意志を持った両目で、こちらを見ている。間近で見られて、自分が紫煙草(しえんそう)を咥えたままであった事に気が付いた。


 彼女の前では、非喫煙者を装っている。このままでは、まずい………


「ジゼル…これは…違うんだ。今日は、傷痕が少し痛んで…医務室から処方されたから、吸っているだけだ。」

 ノアは、言い訳をしながら、サイドテーブルに置かれた灰皿で、火を消した。そして、ジルベールの機嫌を伺う様にして、隣にそっと腰掛ける。


「すまない。君は、この匂いを好まないのに…気が付かなくて…」

 彼女の顔を覗き込みながら言うと、彼女は変わらず、力強い瞳で、じっと見返してくる。

 ノアは、吸い寄せられる様に、水色の瞳を見つめた。そして、はっとしてジルベールに再度問いかける。


「ジゼル、どうして君がここにいるのだ⁈ガルシア家は、リーは、知っているのか⁈君は、ここが何の店だか知って───」


「少佐こそ、ここで何をしているのですか?」

 彼女を問いただす様に質問している途中、彼女がはっきりした声で、質問を返してきた。



「た…確かに…」

 そう言われると、言葉に詰まる。不本意だったとしても、娼館に客として居る事実には、変わりない。言い訳は……し難い。


「いや、ジゼル。これは…その…違うんだ…」

「何が、どう違うのですか?」

 彼女はまたはっきりと、質問を返す。


「た…確かに…」

 何もせずに勝手に帰ると、後々フィンレーの奴がしつこく言及してきて、上官や同窓、部下にまで言い回る。それが面倒な為、いつも適当に済ませていた。その行為に対して、全く何の感情も無かったが、彼女以外の女性を抱いた事がある事実には、変わりない。言い訳は……し難い。


 ノアの頬に冷や汗が垂れた。


「いやいや!これでは堂々巡りだ!」

 ノアはそう声を上げると、自分の軍服を羽織るジルベールの両肩を、ガシッと掴んで向き直った。


「ジゼル、本当に何と説明すれば良いのか……確かに、俺がここにいる事は事実なのだが…決して、君以外の人間を、自ら求めた事は無い!君に信じてもらうためなら、何でもする。必要なら、ガルシア家に釈明にも行く!だから──」

「少佐、」


 彼女は、表情を変えずに言葉を遮った。


「ジゼル……お…怒って…いるのか?そうだよな…こんな所に居るのを見られては…俺は本当に…どうして──面倒くさがらず、振り払ってでも、兵舎に残るべきだった……」

 ノアは激しく後悔した。


「少佐、」

「ジゼル……許し──」



「少佐。私は…今日、自分で耳が取れました。」



「は?耳……」

 予想に反して、彼女はそう言葉を発した。


 彼女は、

 安心した様な……諦めたような……

 日頃見ない表情をしている。


「野盗の耳です。」

「ああ……野盗狩りか。」

 彼女は、そう言うと、言葉を続けた。


「私がここにいる事?……知っていますよ、皆。だって、リー軍曹が、軍事速達で、家に知らせを送ってくれましたから。私が、耳を取れたって……家族も、今頃安心しているはずです。3年も掛かってしまいましたが…リー軍曹にも、沢山心配を掛けました…」

「そうか。」


「私は、もう、野盗狩りで…手が震えたりしない。その事が…少し寂しい。身勝手だとは、分かっているのに。」

 彼女は、昔を懐かしむ様に、そう言った。


 耳を取るのに3年か……


 リソー国軍の装備品は、質が良い。

 軍服の生地は丈夫で、錆の入った様な剣なら、手練れで無ければ斬る事は出来ず、野犬程度に噛み千切られる事もない。そして、将官から新兵まで、同じ生地を使用している。

 武器類も、武器商であるベネット公爵家から常に最新式を仕入れており、軽く、丈夫で、扱い易い型式を選定している。


 多くの野盗達が持つ装備品と、リソー国軍の装備品とでは、雲泥の差だ。加えて、こちらは軍の訓練を受けており、尚且つ自国の領土の森で対峙する。

 これだけ条件に差があれば、余程運が悪くなければ、こちらが殺される可能性は低い。


 これ程自分に有利な条件にも関わらず、1年以内に耳が取れない様な兵は、見限って当然だ。

 3年など、論外。話にもならない。


 が、その後の、彼女の成長は著しい。勝手に、例の狩人に師事を受けた、という事もあるのかも知れないが……

 兵によっては、こういった成長をする者もいるのだと、彼女を見て気付かされた。

 1年で見限るのも、良い策では無いのかもしれない。


 どちらにせよ、彼女が、訳ありだったとしても…

 よく死なずにいてくれたものだ。


 本当に…良かった……

 


 ノアは、瞳を緩めて、ジルベールを見た。

 彼女に手を伸ばそうとした時、彼女は、前を向いたまま、ぶかぶかの黒い軍服で、立ち上がった。

 


「私…行かなくちゃ……」

 彼女は呟く様に言った。

「待て、どこに行く⁈ジゼル?」

「カナリオが、待ってる。」


 彼女は真っ直ぐ前を向いたまま、言い放つ。

 カナリオ……


 何だ?人の名前にしては、聞かない名前だ。

 動物か……何か、人では無い物なのか……


 ノアは、ジルベールの手首を掴み、引き寄せ、ベッドに座らせた。


「行かないで欲しい、ジゼル。」

 彼女は、無言でこちらを見た。


「少しの間で構わないから……」

 懇願する様に、ノアはジルベールを見た。


 彼女を認識してから、いつも、いつも、


 乞い願っている。


 ノアは、ジルベールに羽織らせていた、自分の軍服をそっと脱がせた。

 軍服を取り去った彼女は、目眩(めまい)がする程、可愛かった。天蓋のレースを背景に、ベッドにちょこんと座っている。

 目眩とともに、徐々に思考も鈍ってくる。


「ジゼル、怒っていないのなら…朝まで一緒にいて欲しい。」


 ノアはジルベールと、天蓋に囲まれた、ベッドに倒れ込んだ。


……………

………………

…………………


「……ノア。」

 ジゼルは、時折名前を口にしてくれる。

 彼女のまなじりに浮かんだ涙を親指で拭うと、水色の瞳が、ゆっくりとこちらに向けられた。


 彼女の(うっす)ら汗ばんだ額に、張り付いている前髪をそっと掻き分けた。額の、右側の生際にも、引っ掻いた様な、小さな古傷がある。彼女の事だ。目当ての果物でも取ろうとして、木から落下でもしたのだろうか。


 ノアは、小さく声を出して笑った。


「何が……可笑しいのですか?」

「いや、何でもない。」


 ノアは、生まれて初めて、

 上官達に、

 次兄のフィンレーに、感謝した。


 目眩は、まだ一向に治まらない。


お読み頂き、ありがとうございます。

不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


続きが気になる!と思って頂けましたら、

「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!

どうぞよろしくお願いいたします。

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