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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
66/128

39.食堂で上位の売れ行きです


「おいっ!あれ見ろよ!」

「………嘘だろ⁈」

「抱えられてるのはジルベールか⁈どうして…」

「声がでかいぞ!端によけろっ!」



 ああ…マルティネス部長に、独房に入れられた時は、酷い目に合ったものだが……


 ノアは、腕の中に抱きかかえるジルベールを見て、満足気に瞳を緩めた。


 おかげで、ジゼルの新しい一面を、知る事が出来た。そういう意味では、運が良かったのかも知れない。


 ノアは、ジルベールを抱きかかえ、医務室に向かって早足で軍の廊下を進んで行く。途中すれ違う者は、2人を見留めると、ギョッとした様に立ち止まり、廊下の端に避けた。

 ノアは、周りの者の反応など、全く気にも留めず、この世には自分と彼女の2人きりだと言わんばかりの態度で、さっさと医務室に入り、勝手に奥の空いている傷病兵用のベッドに行くと、目隠し用の白いカーテンをシャッと閉めてしまった。



「ジゼル、医務室に着いた。分かるか?」


 ノアはベッドに腰掛け、抱きかかえていたジルベールを、膝の上に横向きに座らせた。

 ジゼルは大人しくしている。顔を覗き込むと、こちらの方を見るが、未だに両目とも焦点が合わず、三白眼になった左目は、ますます瞳が、食い込む様に上の方に行ってしまっている。


 そっと、ジゼルの右目の上、こめかみの辺りに口を寄せた。錯乱していても、彼女の体温は温かく、心地良い。彼女は何も言わないが、右目が小さく揺れている。

 ノアは、紺色の目を細め、ジルベールを見つめた。


「君は…可愛いものだな。どの様な状態であっても……」


 ノアは、ジルベールを抱き寄せ、頭を撫でながら、しばらく膝の上に座らせていた。


 彼女は大人しく座りながら、時折り、何か言おうと口を開く様な素振りを見せるが、言葉は出ない様だ。そんな彼女を見ていると、どうしても名前を呼ばせたくなった。


 未だ、一度も呼ばれた事の無い、自分の名前を。


 まさかとは思うが、「少佐」が名前だと思っているのでは……

 いや、それは無いか。街で俺の名前を知っているかと聞いた時、正しく答えていた。


「ジゼル、」

「…………」

 彼女は何も返さない。


「俺は、ノアだ。言ってごらん?」

「…………」

 両目の瞳が左右に揺れている。


「ジゼル、名前を……呼んで欲しいのだが……」

「ありがとうございます、……リ……」


 彼女は、瞳を揺らしながら、もごもごと何か言葉を口にした。

「ん?ありがとうございます?……違うんだ、ジゼル。俺の名前だ。ノアだ。」


 そう言うと、彼女は今度はゆっくりと、低い声で答えてくれた。

「………ノアダ……」


「おしい!ノ、ア!」

「ノアダ、ハムサンド。」


「違う違う。ハムサンドは、起きたら買ってやる。ノア。ノ、ア。」

 彼女の顔が、ゆっくりとこちらに向けられた。



「…………ノア……」



 彼女は、低い声で…確かに、名前を口にしてくれた。

「そうだ!良く言えた、ジゼル!」

 ノアは紺色の瞳を緩めて破顔した。

「ノア。」


「良い子だ、ジゼル。もう一度……」

「ノア。」

 この感動をどう表現すれば良いか分からないが…

 生きてて良かった事は、確かだ。


「ああ、かわいいな……兵としては使えないが、このままでも全然…」

 ノアは、うっとりと膝の上のジルベールを見つめ、顔を撫で回した。


「ハムサンド。」

「ちょくちょくハムサンドが登場するが…そんなに美味しいのか?食堂(ここ)のハムサンドは。」

 よほど、ハムサンドが楽しみなのだろう。可愛らしい。嬉しそうに食べる彼女の姿が目に浮かぶ様だ。

「ノア。」

 彼女は、俺の名前を覚えたのか、繰り返し口にする。


「あはは!ジゼル、覚えたか?君の夫の名前は何だ?」

「ノア。」



 か………かっわい……



 ノアは悶絶した。



「ジゼル───」

「んう…………………ぷは……」



 ノアは、ジルベールの詰襟の留具に手を掛けた。

「ジゼル……軍服だと、暑くて寝苦しいだろう?脱ごうか……」

 彼女の、白いうなじが覗く。



「ガルシア軍曹っ!!」

「今日はそんなに暑くないですよっ!!」



 彼女のうなじに歯を立てようとした時、ベッドを囲うカーテンが、勢いよく開けられた。そして、若い兵が二人、こちらを見て、青ざめた顔で立ち尽くしている。


 こいつらは……

 自分達で開けておいて、何を青ざめているのだろうか。



「ノア。」


 

 彼女は、完全に名前を覚えてくれた様だ。

 こちらを見ながら名前を呼んでくれる。

 本当に…かわい──



「が……ガルシア軍曹、大丈夫…ですか…?」


「…………アシェリー……」



 若い兵のうちの一人が、呼びかけると、彼女はこちらを向いたまま、ゆっくりと返事を返した。


 アシェリー…こいつの名前か?


「アシェリー…お前の名はアシェリーというのか?」

「は、はい。アシェリー・マーティン二等兵であります、少佐。」


 俺の名前は、やっと口にしてくれる様になったというのに。何なんだこいつは。そもそも、俺の事は、名前は口にするが、認識している訳では無い。それなのにこいつは───

 何故だか分からないが、不愉快だ。


「……こいつの事は、認識するのだな……ジゼル、他の者は気にしないで良い。休みなさい。」


 他の奴の事は、認識する必要は無い。


「お前達は、ミラー伍長の分隊の兵か?」

「は、はい。そうであります、少佐。」


 やはり、そうか。

 彼女は、新兵を良く気にかけている。こいつらは、ミラー伍長の分隊の二等兵だろう。


 こいつらに、見られた事はどうでも良い。正直、言いふらしてくれた方が、父親(あいつ)が焦る為都合が良いのだが───



 だが、邪魔だ。



 彼女を心配して具合を見に来たのだろうが、早く彼女と続きをしたい。


「そうか。お前ら……昼食は食べたのか?今から昼休憩ではないのか?」


「えっと……はい、そうであります、少佐。」

 アシェリーと呼ばれた兵が、返事をした。おどおどした奴だな。一見すると、使えなさそうな兵だが…しかし、ジゼルが認識した奴だ。どういった兵なのだろうか。後で、リーに確認するか。


「だったら、これで昼食を食べろ。」


 軍服のポケットから、紙幣を一枚取り出して差し出した。


「えっ……でも……」

「ほら、早く受け取れ。」


 そして、さっさとどこかへ行け。


「でも…こんな高額な…」

「ありがとうございます!少佐!」

 アシェリーが、なかなか受け取らずにいると、もう一人の兵が、横からさっと受け取った。


「構わない。さっさと行け。昼休憩が終わるぞ。」

「はい!少佐!行こう、アシェリー。」

「あ…う、うん。失礼します、少佐。」


 そう言うと、アシェリー達は、カーテンを閉め、去って行った。

 やっと邪魔な奴らが消えてくれた。


 ノアは、膝の上に座るジルベールに向きなおった。そして、また幸せそうに目元を緩める。


「ジゼル、騒がしかったな。」

「……ノ…ア…」

「よしよし。」


 そう言って、ノアは、勝手にジルベールの頬に口付けると、軍服の上着のボタンを外し、取り去った。


 彼女は、軍服の下に、白いタンクトップの下着を着ていた。

 下着に隠されていない、肩や、腕には、複数の傷痕が付いている。切り傷もあれば、獣に噛まれたと思われる痕もある。そして、顔は古傷だけだが、彼女の体には、まだそう古くない傷痕も付いていた。


 ノアは、ジルベールを膝から下ろし、そっとベットに寝かせた。


「かわい……ジゼル、もうちょっと、この角度の方が……」


 ノアは、錯乱したジルベールに、クッションを待たせたり、顔の角度や、髪の広がり方を変えたりして、気が済むまで配置を変えて遊んだ。

 そして最終的に、真っ直ぐ仰向けで、ちょっと顔を傾げさせて寝かせた。


「ジゼル───」


 ノアは、ジルベールの顔の左右に両手を付いた。ジルベールは、焦点の合わない瞳を震わせながら、医務室の白い天井を見上げている。


 ベッドが、ノアの重みで緩やかに軋んだ。



 ギシッ……



「ちょっとちょっとちょっとお!何やってんのよあんた!」


───バシッ───


 ノアの暴走に歯止めをかける様に、軍医である、女医のオリビアによって、カーテンが勢いよく開けられた。そして間髪入れず、手にしていたカルテで、ノアの頭をはたいた。


「ギシッ……じゃないわよ!あんた馬鹿じゃないの⁈医務室でっ!」

「オリビア殿……」


 オリビアは、カーテンをまた閉めると、ベッドに仰向けに寝かせられているジルベールの上体を起こし、そのまま背にクッションを当てて、壁を背にしてベッドの上に手際よく座らせた。


「あんた、なんで上着脱がせてるのよっ!」

「暑くて寝苦しそうだったもので。」

「今日はそんなに暑くないでしょっ!上着渡しなさいっ!」


 ノアは、ジルベールの下士官用の上着を、ぎゅっと握りしめたまま、離さない。


「あんたねぇ………」

 オリビアはため息をついて、顔をしかめた。


「今日、私の父から聞いたわ。あんたのお兄さん、ルーカス殿から、家に連絡があったって──ていうかね、ルーカス殿みたいな常識人の兄がいて、何で弟のあんたは(けだもの)なのよ!どうなってんの⁈」

「兄上が……」

「……そうよ。あんたと、ジルベール軍曹の件。あーあー、早速こんな髪飾り付けさせちゃって。これ見よがしに…マーキングのつもり?」

 オリビアはそう言って、ジルベールの付けている、アイゼン家の家紋が装飾された髪留めを、手でシャラシャラと弾いた。


 先程も、独房で上官がアデル部長に同じ事を言っていたな。兄上が、軍内の有力貴族家に対して、彼女との婚姻の件を通達してくれたのか……

 オリビア殿の家は、古くから代々軍医を務めている。兄上から通達が来たと言う事だろう。


「まあ、私が口を出せる事では無いけどね?でもあんた、だったら彼女を絞め落としたりしたら、駄目なんじゃないの?どういう思考回路してんのよ…それで今、ここで何をやってんのよ。暴行の次は、婦女暴行なんて笑えないわよっ!」

「オリビア殿、これは合意の上ですので──」

「この状態の人間と、どうやって合意を取るのよっ!堂々と嘘を付くなっ!」


 オリビアは、ジルベールを指差して叫び、我に返った。そもそも、ジルベールが医務室に居ると言う話を聞いて、容態を見に来たのだった。


「ジルベール軍曹……これ……大丈夫なの?」


 ジルベールは、壁を背に、ベッドに座ったまま正面を見ている。これだけ隣でわーわーと騒ぎ立てても、無反応だ。両目の焦点は合っておらず…左目は瞳が上に行ってしまい、ほとんど白目の状態だ。


 オリビアは、ジルベールの両目の状態を確認しようと手を伸ばしたが、ジルベールは正面を向いたまま、パシッとその手を払い退けてしまった。


「リー中尉によると、新兵の頃の記憶と混同し、錯乱しているそうですが…以前は良くこうなっていたと。ですが、今は少々様子が違う様に思います……よしよし。大丈夫だ、ジゼル。怖くない。」


「………グルル…ガブ。」


「あんた、自分は懐かれてる風に接してるけど、手、噛まれてるじゃない。錯乱してる時に手出ししようとするから、警戒されてるんじゃないの⁈どこが合意の上よ!次に見たら、リソー警察に通報するからねっ!」


「………ジゼル、離して……離し…そうだ……」


 ノアは、ジルベールの歯形が付いた右手をさすった。


「確かに、最近ではほとんど無かったけど、以前は錯乱して、新兵の頃の記憶と混同する事は良くあったわ。うーん…症状は似ているけど、今は、ちょっと違う感じね。あまり、子どもっぽくないし……ジルベール軍曹!私の事、分かる?オリビアよ。」


「………オ……オリ……ノアダ、ハムサンド。」


「ハムサンド?どういう事かしら?」

「先程、後で何が食べたいかと聞いたら、ハムサンドと答えまして…」

「ああ、食堂の。美味しいからね。そうね…だったら大丈夫そうね。確かに、彼女は食堂のハムサンド大好きだから。まあ、容態が悪化したら連絡して。暴れたら抑えなさいね。悪いけど、私は今から、士官学校で学生に講義があるのよ。あんたなら軍曹程度の兵は、大丈夫なんでしょ?」

「はい。」


 オリビアは、小さくため息を付いた。そして、優しい眼差しで、ジルベールを見る。


「一体、何が見えているのかしらね。ジルベール軍曹は……」


 ジゼルは、相変わらず正面を向いたまま、黙っている。


「良い夢……では、なさそうね。この様子だと…」

 オリビア殿は、彼女を見ながらつぶやく様に言った後、こちらに向き直った。


「あんた、ジルベール軍曹に、良い現実、見せてあげなさいよ。」

 そして、こちらを睨みながらそう言い捨てた。



 現実───


 俺は…彼女を認識してから、生きていて良かったと、確かにそう思える。


 ジゼルは…繰り返される(ここ)での日々を、どう捉えているのだろうか…


「彼女が正気に戻ったら…食堂で、ハムサンドを好きなだけ食べさせるつもりです。」

「それは……ジルベール軍曹にとって、素敵な現実ではあるわね。そうしてあげて。珈琲も好きよ、彼女は。」

「存じています。」

「ふん、そうなのね。じゃあ…頼んだわよ。」


 オリビア殿は、ジゼルを見ながらそう言うと、カーテンの隙間から、そっと出て行き、医務室を後にした。


 ジゼルに視線を移すと、彼女は両目を閉じ、静かに寝息を立てていた。

お読み頂き、ありがとうございます。

不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


続きが気になる!と思って頂けましたら、

「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!

どうぞよろしくお願いいたします。

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