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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
63/128

36.胸やけ

 特科連隊情報中隊の詰所には、午前中に2日目の訓練を終えた兵達が帰って来ていた。


 ジルベールはそこで、軍のパイプ椅子に座り、アシェリーの弓を調整している。ガチャガチャと工具が音を立てているが、それを掻き消す様に、背後から、ウィリアム・リーがものすごい剣幕で、ジルベールに向かって怒鳴り散らしている。


 詰所に居合わせた者は、固唾を飲んでなり行きを見守っていた。


──ガチャガチャ──


「ジル、てめぇいい加減にしろよ⁈マシューの指示を聞けってあれ程言っただろ⁈何で言う事気かねえんだっ!!終いには、あっちへ行けだの、下士官のくせに何様のつもりだっ!!」


──ガチャガチャ──


 ジルベールは、リーを無視して、無言で弓の調整を続けているが、ジルベールの眉間には、険しい皺が刻まれている。


「だいたい…素行が悪過ぎて引き取り手の無かったお前らを、マシューは何も言わずに自分の隊に置いてくれてるんだろうがっ!自分の立場分かってんのかっ⁈」



──ガチャ………



「別に……私は、隊付きの兵にして頂かなくても結構です。そんなに私の態度が気に入らないなら、ルイス少尉の隊から外して下さい。そうすれば、ルイス少尉とは、話さなくても良くなりますから。私の態度も問題無くなりますよ?」

 ジルベールは手を止めて、振り返らずに言い捨てた。


「ジル……てめえ……」


 リーは怒りに震えながら、ジルベールの胸ぐらを掴んで持ち上げた。


「流石に許容できない、ジル。懲罰房へ行け。上官への反抗、軍務の不履行、軍規違反で鞭打ちだ。」


 ジルベールは何も言わないが、血走った目でリーを睨んでいる。


「せめて……執行役は厳しく無い奴を選んでやる。懲罰房で、その腐った態度を反省───」



「ルイス少尉、こっちです!急いで下さいっ!」



 その時、詰所のドアが勢い良く開いて、レオの声が響いた。レオとアシェリー・マーティンに連れられ、マシュー・ルイスが詰所に飛び込んで来る。

 マシューは、リーに胸ぐらを掴まれているジルベールを見留めると、早足で歩み寄った。


「ウィル………一体どうしたんだ⁈何の騒ぎだ⁈」

「マシュー、」


 リーは詰所に入って来たマシューを見ると、ジルベールを離した。


「こいつの、お前に対する態度……もう、流石に許容できない。何度言っても態度を改めるどころか、終いには、自分をお前の隊から外せと言いやがった。」

「ジルベール………」


 マシューは思い詰めた顔でジルベールを見た。ジルベールは、フンっと顔を逸らしている。ジルベールの銀色の髪が、顔の動きに合わせて左右に揺れる。こんな時でさえ、今日の彼女の髪は、いつにも増して綺麗だと、マシューは頭の隅で考えた。


「隊付きの偵察班の兵が、その小隊長に反抗的な態度を取る等、許されない。ジルは懲罰房へ送る。」

「なっ……ウィル!止めてくれっ!俺はそんな事は望んでいないっ!ジルベールの態度は……俺に非がある!」

「マシュー……お前に非がある訳無いだろう?どうしてそう、庇い立てるんだ?」


 リーは、マシューの慌て様に困惑した。周りでは、レオとアシェリーが、どう考えてもお前のせいだと言わんばかりの表情で、マシューを睨み付けている。


「何だよ…リー中尉の前では良い人ぶって……」


 ついに、ジルベールがマシューに対して口を開いた。


「ジルベール…」

「ジル!本当に良い加減にしろよっ!!」

 リーは、またジルベールに向き直った。


「ジル、お前はもう下級兵じゃねぇんだ。下士官で、しかも隊付きのお前がそんな態度をとれば、隊の風紀が乱れる。続けば、隊の統率が乱れ、兵の命に関わる問題なんだ。何度言ったら分かるんだ⁈」


 リーが訴えるが、ジルベールは顔を背けたままだ。



「あの……リー中尉。ガルシア軍曹は、悪くないと思います……」



 アシェリーが、おどおどと、だが確かに2人の間に割って入り、詰所内はざわついた。ジルベールは、驚いた様に目を見開いてアシェリーを見た。


「おいっ!お前、何口出してんだよっ⁈」

「オーウェンの分隊の奴か⁈」

 他の兵が、慌ててアシェリーを引き戻す。

「でも、僕……」

 アシェリーはそれでも口を挟もうとする。


「リー中尉、ジルベール先輩の口が悪くても、僕たちが真似する事は無いですから。大丈夫ですよ。」

「レオ!お前まで……止めろっ!」

 レオも、怖いもの知らずの様な口調で、間接的にリーの言葉を否定した。それを聞いて、リーが2人に向き直る。


「お前らは……オーウェンの分隊の奴だな。レオと……ああ、アシェリーか。ジルがこっちに連れて来たんだったな。」


 リーが2人に歩み寄り、レオとアシェリーはたじろいだ。リーは、身長はさほど高くない。170㎝あるか、無いか位だろう。偵察班出身の、この中隊長は体格も小柄だ。分隊長のオーウェン・ミラー伍長に比べれば、一回りは小さい。

 だが…普段気の良い中隊長は、今、別人の様な威圧感で目の前に立っている。


「ジル、お前のせいで、こいつらまで上官の話に無許可で口を出す様になっているぞ。どうしてくれるんだ?」


 ジルベールは、リーが2人を叱責し出した事で、怒りでわなわなと震え出した。水色の優しげな瞳は、血走り過ぎて、今はほとんど赤くなっているとアシェリーは思った。


「レオ、アシェリー。お前らはいつ、発言を許可されたんだ?言ってみろ。」

「リー中尉!やめて下さいっ!その子らは関係ないっ!」

 今度は、ジルベールがリーの背後から訴えた。



「お前ら2人、独房にでも入りたいのか?」



 リーがその発言をした瞬間、(くう)を切る音がした。


「ジルベール!止めろっ!」

 すぐにマシューの声がした。レオとアシェリーは、その後でやっと、ジルベールがリーに殴りかかった事を理解した。


 ジルベールは腰を低く落とし、リーの視界から姿を消しながら、リーの右後ろから、自身の右拳をリーの(あご)目掛けて突き上げた。

 少ない動きでリーの右後ろに回り込んだジルベールは、あの時森で…野盗を射抜いて自分を救ってくれた時の様だと、呆気に取られながらアシェリーは考えた。凪いだ様な、静かな殺気が、確かにリーに向けられている。


「ガルシア軍曹───」


──パシッ、ゴンッ!──


 だが、アシェリーがそう思ったのも束の間、リーは右後ろ、下方向から突き上げられる拳を横目で見ると、左手で当然の様にそれを受け止め、ジルベールの頭に向かって、親が、聞き分けの無い子どもにする様に真上から拳骨を落とした。


「ジルッ!てめぇ、このクソガキがっ!本当にどういう思考回路してるんだっ⁈この流れでっ!どうして殴り掛かってくるんだーーっ!!お前はもう下士官なんだってあれ程言っただろーっ!!」

 リーは両手でガリガリと髪の毛を掻きむしりながら、ジルベールの……自身が一番気に掛け、将来を案じている部下の愚行を嘆いた。


 その真下で、潰れた蛙の様に、ジルベールはうつ伏せでぺシャッとのびている。


「ジルッ!それは駄目だろう⁈絶対駄目だっ!間違っても他の上官にするなよっ!いや、俺にも駄目だが、とにかくお前は自覚が足りな───」

「おいっ!ジルベール!大丈夫か⁈」


 のびたまま、ピクリともしないジルベールを心配し、マシューが駆け寄って肩を叩いた。肩を叩かれても、ジルベールの反応は無い。


「おいっ!ジルベール⁈ジルベール⁈……ウィル、やり過ぎだぞっ⁈」

「あ?大丈夫だろ。おい、ジル。起きろっ!」


 リーが呼ぶと、ジルベールはむくっと上体を起こした。

「ジルベール、大丈夫か⁈……ジルベール…⁈」



「うわあああぁあぁああ!リー軍曹ーっ!」



「!!」

 ジルベールは、座り込んだまま、叫び出した。


「ジル……まさか……!」

「おい!ウィル!だからやり過ぎだって言っただろっ⁈」


「いやあぁああああぁぁあああ!!」

 ジルベールは叫び続ける。その目は、焦点が合っていない。


「あの…ルイス少尉…ジルベール先輩はいったい……」

「錯乱してしまったんだ。久しぶりだな……ウィルがやり過ぎたんだ。」


 マシューは、ジロッとリーを見た。リーはバツが悪そうな顔をしている。


「しまったな……最近は、オーウェンとジル(ガキども)も、腕が立つ様になってきたからな。つい力が入り過ぎた……」

 リーはポリポリと頭を掻いて、困った顔をしている。


「ジルベール、落ち着け。大丈夫だ。」

「や……いやああああ!リー軍曹!どこっ⁈」


 焦点の合わない目で、ジルベールは叫び続ける。

「リー軍曹?軍曹は自分でしょう?ジルベール先輩、どうして……」


「新兵の頃の記憶と、混同しちまってるんだ。当時、俺は軍曹だったからな。ほら!ジル!俺はここだ。敵兵は居ない。大丈夫だ!」

 リーがジルベールの前にしゃがみながら答える。

「リー軍曹っ!おんぶしてっ!」


「ジル、ここは安全だ。森じゃない……マシュー、紫煙草(しえんそう)をもらえるか?悪いが、今待ち合わせが無いんだ。」

「ああ。」


 マシューが紫煙草(しえんそう)に火をつけ手渡すと、リーはそれを無理矢理ジルベールに咥えさせた。

「ゲホッ………リー軍曹……」

 リーはジルベールをゆっくり立たせると、歩き出した。歩き出したリーに、アシェリーが問いかける。


「あのっ!リー中尉。ガルシア軍曹をどちらへ……あっ!は、発言しま……願います。」


 リーは、おどおどしながらも主張してくるアシェリーを、疲れた顔で見た。


「……独房だ。こうなったら、しばらくしないと元に戻らないからな。」

「あの……懲罰房へは……」

「安心しろ。流石にこの状態じゃ無理だからな。今回は無しにする。」

「ケホッ……リー軍曹!おんぶしてっ!」

「ジル、敵兵は居ない。ほら、行くぞ。」


 アシェリーとレオは、ほっと胸を撫で下ろし、なぜだか悲しげな表情の騒ぎの原因、マシューを睨みつけた。


 


───────



「ジルベール先輩、医務室に寝かせてもらえて良かったね、アシェリー。」


 医務室へ向かって歩きながら、レオが安心した様にこちらを見ながら話しかけてくる。


「本当そうだよ。懲罰房なんかとんでもないけど、今回は、独房でも酷いと思うよ。ガルシア軍曹は、悪くないのだから……」

 懲罰房と独房では、雲泥の差だが、それでも独房が居心地が良いとは、お世辞にも言い難い。打ちっぱなしの床は固くて冷たく、明かり取りの窓もないため、ランプだけの室内は薄暗い。そこには、今までに独房送りとなった、幾人か知れない軍人達の怨念が、漂っている気がする。


「まあ、ジルベール先輩だったら、独房位気にしないと思うけどね。前に、ジルベール先輩が独房送りになった時、檻の中で、今街で流行りのお洒落なジュース飲みながら本読んでたもん。」

「えっ……一体どうやって……」

「前もって、独房の見張りを買収してたんだろって、ミラー伍長が言ってた。」

「へ、へぇー。逞しいんだね…ガルシア軍曹は…」

「そうだよ!強く、図太く、逞しい、軍人の鑑の様な人だよ。」



 リー中尉に連れられ、独房送りになったガルシア軍曹の事がどうしても心配で、しばらくして戻って来たリー中尉に様子を尋ねた所、ガルシア軍曹は医務室にいると言われた。それで、今から昼休憩なので、昼食前にレオと一緒に医務室へ向かう所なのだ。


 医務室に着き、ドアをそっと押し開けた。医務室は、薬と、紫煙草(しえんそう)の煙が混じった様な独特の匂いがする。

 軍医はこの時間、いなかった。巡回診察に出ているのだろう。広めの診察スペースの奥に、傷病兵達が寝ているベッドが並んでいる。ガルシア軍曹は、恐らくそっちだろう。


 手前の方のベッドで、若い兵が上体を起こして俯いている。アシェリーは、そろそろと話しかけた。


「あの……具合が悪い所、失礼します。アシェリー・マーティン二等兵です。先程、ジルベール・ガルシア軍曹が、こちらに運ばれて来ませんでしたか?」


 俯いていた若い兵は、アシェリーの言葉を聞いて死んだ様な目を向けた。返事は無い。

 そういえば…いつもは、多少傷病兵達の喋り合う声がしているのだが、今日はなぜだか静まり返っている。

「……あの……」


 すると、向かい側のベッドに寝ている兵が、奥の方を指差した。この兵も、死んだ様な目をしている。よく見れば……全員が、頭を抱えたり、青ざめたり……嘘だ……と呟いたりしている。


「レオ、一体…皆どうしてしまったのだろう…」

 アシェリーは、異様な雰囲気に包まれている、医務室を見回した。

「分からない…とりあえず、あの、奥のベッドに寝ているんじゃない?」


 指差された奥のベッドは、白いカーテンが引かれていた。重傷者の場合等は、ベッドの周りにカーテンを引き、中が見えない様にする。誰が寝ているのか分からないが、恐らくそこにガルシア軍曹が寝かされているのだろう。錯乱したガルシア軍曹は、酷い有様だった。


 レオとアシェリーは、カーテンで区切られた、奥のベッドに近づいた。




「…………ノア……」




 ベッドのすぐ横に来た時、カーテンの中から声がした。


 低く……唸る様な声だが……

 確かに、ガルシア軍曹のものだ。


「やっぱりここみたいだね。ノア…って、誰か先にお見舞いに来ているのかな?レオ、知ってる?」

「うーん…聞いた事あるような…他の科の人かな?」

 レオとアシェリーは、ヒソヒソと話し合った。


 他の人がお見舞いに来てくれているなら、大丈夫だろうし…ただ、ガルシア軍曹の声色が、少しおかしいのが気になるけど…声をかけない方が良さそうだ。



「そうだ!良く言えた、ジゼル!」



「えっ⁈」

 レオとアシェリーが、帰ろうとした時、カーテンの中から、男性の声がした。



「良い子だ、ジゼル。もう一度……」

「ノア。」



 男性の優しい声が、ガルシア軍曹に向けられている。すごく、嬉しそうだ。対してガルシア軍曹は、ずっと低い声のままだ。


「え……レオ……聞いた⁈誰だろう…この声の人、知ってる?ガルシア軍曹の恋人なのかなぁ⁈」

「聞こえたよ!でも、知らないな。こんな優しそうな人…もしかして、(ここ)で働く、軍人じゃない人とか⁈でも、ジルベール先輩に恋人なんて、聞いた事ないけど……」

 2人はヒソヒソと会話を続けた。



「ああ、かわいいな……兵としては使えないが、このままでも全然…」



「えっ⁈兵として使う…?どういうこと⁈レオ⁈」

「僕も良く分からないよっ!まさか…ジルベール先輩が錯乱してるのを良い事に、いたずらしているんじゃ……!」

「えっ⁈そんな………」



「ハムサンド。」

「ちょくちょくハムサンドが登場するが…そんなに美味しいのか?ここのハムサンドは。」

「ノア。」


 レオとアシェリーは、状況を飲み込めず、困惑した。ハムサンド?食堂のハムサンドは、確かに美味しいが…どうするのが正解なのか…カーテンを開けた方が良いのか、このままそっとすべきか……



「あはは!ジゼル、覚えたか?君の夫の名前は何だ?」

「ノア。」



「なっ…お、夫⁈レオ、ガルシア軍曹って結婚してたの⁈」

「いや、そんなはずは無いよっ!ガルシア家には、王命もあるから、下手な相手とは結婚出来ないはずだし!」

「でもなんか、嬉しそうに名前を呼ばせてるよ⁈あと、ガルシア軍曹の事、ジゼルって…」

「それは、ジルベール先輩の昔の名前だよ。その名前で呼ぶって事は、かなり親しい人なんじゃないかな…本当、誰なんだろ…どうしたら…」




「ジゼル───」

「んう…………………ぷは……」




「ええっ⁈」

 医務室内に衝撃が走った。レオとアシェリーだけでなく、他の者も、見えるはずの無いカーテンの中に視線を向けている。


「ちょっと待って!何⁈今の…まさか…キス……」

「ぼ、僕はもうどうしたら良いか分からないよ、アシェリー!」

「レオ……もしかして、本当にガルシア軍曹が錯乱しているのを良い事に、勝手に……⁈」

 レオとアシェリーは冷や汗が出た。



「ジゼル……軍服だと、暑くて寝苦しいだろう?脱ごうか………」



 な、何だとおぉぉ!

 医務室に居合わせた全員は阿鼻叫喚した。


「ガ、ガルシア軍曹っ!!駄目ですっ!!」

「今日はそんなに暑くないですよっ!!」


 意を決して、レオと、アシェリーは、ベッドを囲う、白いカーテンを勢いよく開けた。




「っ…………………」




 二人は息を飲んだ。



 黒い、佐官の軍服。




 そこに居たのは、自分達の連隊長、アイゼン少佐だった。軽く後ろに撫で付けられた紺色の髪に、紺色の瞳。整っているものの、普段全く感情の分からない顔。

 アイゼン少佐は、ベッドの上に腰掛け、自分の膝の上に、ガルシア軍曹を横向きに座らせていた。背の高いアイゼン少佐に包まれる様にして、ちょこんとガルシア軍曹が座っている。


 この人が、先程の言葉を……⁈


 あぁ、だから他の傷病者達は、あんな顔で俯いていたのか……


 レオとアシェリーは、固まったまま、動けなくなった。


 アイゼン少佐は、膝の上に乗せたガルシア軍曹の詰襟の留め具を外し、首すじに口を寄せようとしていた。紺色の両目が、別に驚く訳でもなく、慌てる訳でもなく、いきなり現れた自分達を見ている。



 こ…この人は…医務室で一体何を……



 いや……だけど……それよりも……




 レオとアシェリーは、膝の上に大人しく座る、ジルベールを見た。2人の頬に冷や汗が伝う。



 それよりも……

 この状態の人間に、かわいい等と言っていたのか……



 感覚がどうかしている。



 ガルシア軍曹は、誰がどう見ても、かわいいどころか、およそ普通の状態ではない。

 表情は虚ろで、焦点は定まらず、なぜか左目は三白眼になっている。何が見えているか分からないその目で、自分を膝に抱きかかえる、アイゼン少佐の方向を見上げていた。



「ノア。」



 その様な状態のガルシア軍曹が、また、低く唸る様な声で少佐の名前を口にすると、少佐は確かにガルシア軍曹に視線を移して、目元を緩めた。



「が……ガルシア軍曹、大丈夫…ですか…?」



 アシェリーは、恐る恐る、つい先程までは、確かにガルシア軍曹だった者に声を掛けた。


 新兵の頃の記憶と混同してるって、リー中尉は言っていたけど…今はそんな気配じゃない様な…

 

 すると、少佐の方向を向いたまま、三白眼になっているジルベールの左目の瞳が、上からゆっくりと降りてきて、アシェリーに焦点が合った。



「…………アシェリー……」



 そして、その低い声で、ゆっくりと自分の名前を呼んだ。


「……っ……」

 アシェリーは、口を引き結んで唾を飲み込んだ。


 ガルシア軍曹は、武器を持たせたら……いや、素手であっても、今にも襲って来そうな気配だ。焦点が合った左目は、敵兵でも見るような目で、こちらを見ている。

 右目は未だ焦点が定まらず、少佐の方向を向いたまま、虚空を彷徨っている様だ。


「アシェリー…お前の名はアシェリーというのか?」

 アイゼン少佐が、感情の無い様な声でこちらに話しかけてきた。いつもなら緊張したと思うけど、今は、何故だかこの声色の方が、ホッとする……


「は、はい。アシェリー・マーティン二等兵であります、少佐。」

「……こいつの事は、認識するのだな……ジゼル、他の者は気にしないで良い。休みなさい。」



 アイゼン少佐は、確かに聞き覚えのある声色でそう言うと、ガルシア軍曹の頭を撫でた。ガルシア軍曹の左目の瞳が、ゆっくりアイゼン少佐の方へ動いて行く。



 出来る事なら、カーテンを閉めたい。


 自分達は、選択を間違ったのだ。


 開けてはいけない扉を、開けてしまったと思われる…



「お前達は、ミラー伍長の分隊の兵か?」

 少佐が、またこちらに尋ねてくる。

「は、はい。そうであります、少佐。」


「そうか。お前ら─────」



───────



 タタタタ…………



 レオとアシェリーが、小走りで駆ける足音が、廊下に響く。



「ねえ、レオ。アイゼン少佐はさ、ガルシア軍曹の事、揶揄ってる、っていう感じでは無かったよね?」

「そうだね。今、冷静に思い返せば、軍の医務室で堂々とあんな事……どちらかというと、バカップ───盲目になっている恋人同士…っていう感じかな?」

「そうだね。至言だと思う。」


「それにさ、」

 レオが、こちらを見ながら小声になって言葉を続ける。


「見た⁈ジルベール先輩の髪留め⁈」

「髪留め…ごめん、良く見てないや。正直、あの状態が衝撃的過ぎて…」

「ジルベール先輩、いつも軍用の輪ゴムで髪を結んでるんだけど、今日は飾りの付いたゴム紐で留めててね!その飾りに、アイゼン家の家紋が装飾されてたんだ!」

「ええっ!じゃあ本当にあの2人は……」


 アシェリーは、走りながら目を見開いた。


「そういう事だよ!そうじゃなかったら、相手の家紋が入った物を身に付けたりしない。ましてや、高位貴族の家紋だったら、不敬罪に当たるよ。でも、アイゼン家が相手だったら、ジルベール先輩の家にとっても、条件は合致する!」

「そっか……それは良かったよね。」



 だからガルシア軍曹、ルイス少尉に対して怒ってたのかな?ルイス少尉は、この事知らないのだろうか……



「でもさ、アシェリー、」

 レオが、今度はうんざりした顔で、横目で見ながら話してくる。

「ん?どうかした?」



「僕、まだ13歳なんだよ⁈相手が錯乱した状態であんな事するなんて………あんなプレイ、流石に衝撃的過ぎて、下手したらトラウマだよっ!本当、何て物を見せてくれるんだ…胸やけがするよ!」

「いや、プレイって……まあ、2人がそういう事なら、そうなるか。僕だって、まだ整理が追いつかないよ。ただ、ガルシア軍曹の幸せを願っていたはずなのに…」


「本当、高位貴族の人達って、頭おかしいよ。倫理観がどうかしてるんじゃない⁈……まあ、これ、もらっちゃったし。とやかくは言えないけどね。」


 レオは、走りながら、右手に握った紙幣を、ヒラヒラさせて言った。

 一番高額な紙幣が一枚、右手の揺れに合わせて踊っている。



「これ、どうする?本当に、食堂のメニュー、全部注文してもお釣りがくるよ?」



 レオが握る紙幣は、あの後……カーテンを閉めたくても閉める事が出来ない自分達に、アイゼン少佐が、これで昼食を食べろと言って渡してきたものだ。

 大人の解釈をすれば、ここで見た事は黙っていろ、という事だろう。



「………見なかった事にする?アシェリー?」

「そうだね。心のカーテンを閉めておこう。」



 二人は心のカーテンをそっと閉めた。



「じゃあ僕は、これでハムサンドを買い占めるよ!」

「あっ!レオずるいよ!僕もハムサンドが良いのに!」

「じゃあ、2人で買い占めよう!」


 軍の廊下には、心のカーテンを閉め終え、食堂に向かって軽快に走る2人の足音が響いている。

お読み頂き、ありがとうございます。

不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


続きが気になる!と思って頂けましたら、

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どうぞよろしくお願いいたします。

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