35.友情は有刺鉄線の下
「………リー中尉に言いつけますからねっ⁈」
「好きにしろ。」
「キーッ!!」
「あーあ………まただよ。」
「またって何?レオ。」
軍内の訓練場、低い位置に有刺鉄線が隙間無く張り巡らされた地面の上を、レオは、ほふく前進で進みながら呟いた。隣のコースで、同じく有刺鉄線の下をほふく前進で進むアシェリー・マーティンが、レオの呟きを聞いて尋ねる。
「ルイス少尉が、またジルベール先輩を揶揄ってるんだよ、アシェリー。」
レオは、うんざりした顔でアシェリーに答えた。
「あの人、いつもジルベール先輩を揶揄うんだ。髪の毛を執拗に褒めたり…結婚しようだとか、そんな事を言うんだよ。」
「えっ?それは本当⁈どうしてそんな……痛っ!」
アシェリーは驚いた表情をして、レオに聞き返した。
「ジルベール先輩とか、リー中尉はさ。貴族出身って言っても、下級貴族で親しみやすいじゃない?ミラー伍長とかもさ。庶民的で、優しいでしょ?……ジルベール先輩とミラー伍長は、時々ちょっと頭おかしい気もするけど……とにかくね、ジルベール先輩を揶揄うのは、ルイス少尉みたいな高位貴族出の人からしたら、庶民の娘を揶揄う感じでさ。反応が面白いんだろうって、皆言ってるよ。」
「えー…何だか信じられないな…ルイス少尉、そんな人には見えないけど……」
「本当だよ。確かに、ルイス少尉は、あの揶揄い癖さえ無ければ、凄く良い人なんだけどね。僕、嫌なんだ。ジルベール先輩が揶揄われてるの…」
レオは、本当に嫌そうに、眉間に皺を寄せた。
「ルイス少尉が、本当にガルシア軍曹の事を好きだっていう可能性は無いの?」
「それは無いよ、アシェリー。僕は貴族じゃないから、詳しくは分からないけど、貴族同士の結婚って、家同士が取り決めるんでしょ?」
「まあ、一般的にはそうだね。……痛っ!」
「ちょっと!アシェリー!さっきから有刺鉄線に引っ掛かり過ぎじゃない⁈もっと頭を低くして…足も…そうそう……あ、それでね。本当にジルベール先輩の事が好きで、本気で結婚したいのならさ、本人に結婚してなんて、言う必要無いでしょ?ガルシア家に言いに行けば良いんだからさ。」
レオは、隣のアシェリーに手を伸ばし、有刺鉄線に引っかかっている軍服の襟元を外した。
「ありがとう、レオ。確かに、考えたらそうだね……」
「でしょう⁈だからあの人は、揶揄ってるだけなんだよ。それに、この前話したけど、ジルベール先輩の家は、訳有りでしょ?」
「王命が掛けられているのだったね。」
「そう。ジルベール先輩は、家に掛けられている王命を撤廃したいんだ。だから、下手な相手とは結婚出来ない。可能性があるのは、ルイス少尉みたいな軍内の有力貴族家なんだろうけど……」
「ルイス少尉はそれを知ってるの?」
「知らない訳ないでしょ。ガルシア家の王命は、有名なんだから。それを知ってて揶揄ってるんだから、本当趣味が悪いよ。」
「そうなんだね……だとしたら……それは僕も、酷いと思うよ。僕は、ガルシア軍曹に命を助けられた。ガルシア軍曹には、幸せになってもらいたい。……痛っ!」
「だよね。ところでアシェリー、君さっきからルイス少尉に呼ばれてるよ。引っ掛かって無いで、早く行かなきゃ!」
「そうなんだけど……どうすれば引っ掛からずに…」
「おい!アシェリー!どこだっ!早く来いっ!!」
「ほらっ!アシェリー頑張って!」
「うん、痛っ!痛っ……!」
────────
マシュー・ルイスは、訓練場の下級兵達を見ている。先程呼びつけた26番、アシェリー・マーティン二等兵が、なかなか出てこない。どこに……
あぁ、あれだな。有刺鉄線の下から、中々出れない様だ。レオが隣のコースから、引っ掛かっている部分を外そうとしているが…何だか余計に絡まっている。
ついに、オーウェンがアシェリーの所へ来た。オーウェンには、有刺鉄線を抜けた所で、剣で下級兵達の相手をさせていた。有刺鉄線を抜けて出てきた下級兵達を、オーウェンが次々に薙ぎ払っていく。多少渡り合える者もいるが、数分と持たない。あいつも、だいぶ手練になってきたな。
オーウェンは、アシェリーが絡まっている位置の、横から剣を差し入れ、有刺鉄線を上に引っ張り上げる。その隙にレオが引っ掛かりを外すと、オーウェンの方へ、アシェリーがゴソゴソと脱出して来た。そして、急いでこちらへ走ってくる。
アシェリー・マーティン……ジルベールがモリス准尉の隊から貰って来た兵だが……なかなか成長するまでに手が掛かりそうだな。とりあえず、この野営訓練中に、耳が取れる様になればいいが。アシェリーは、何か得意分野があるのだろうか。それを足掛かりに出来れば…
「お前訓練サボりたいからって、二度と下手な嘘つくんじゃねえぞっ!さっさと戻れ!」
「本当だもん!痛っ!!」
「早く戻れーっ!クソガキがっ!!」
ウィルの怒鳴り声がする。
ジルベールは、日頃の素行の悪さから、ウィルに言い分を信じてもらえないからな。歯軋りしながらこちらに戻って来る。そして、俺から数メートル離れた所に立ち、膨れっ面でこちらを睨んでくる。
「……ジルベール、悪かった。だけど、決して嘘ではなくて───」
「あっちに行けっ!!」
「ジルーーーッ!てめえ小隊長に向かって○×△※ーーっ!!」
俺に反抗的な…にしては幼稚なセリフだったが、それを口にした事で、彼女はまたウィルに怒鳴られてしまった。ウィルがテント下から彼女を睨んでいる……ん?誰かウィルの方に向かって来るな。広報部の連中か?
「お、遅くなり申し訳ありませんっ!少尉!」
テントの方を見ていると、アシェリーがやって来た。確かに、随分遅かった。
「遅くなったのは気にしないで良い、アシェリー。だがな……お前は、訓練の全項目、問題有りだ。」
「申し訳ありません…」
「ジルベールに指導してもらえ。」
「はっ、少尉。」
アシェリーは、少し離れた所に居るジルベールの所に駆け寄った。
────────
本当むかつく……くそ少尉……人の事馬鹿にして。リー中尉に蹴られたお尻も痛いぞ。
「ガルシア軍曹、お疲れ様です。」
リー中尉に怒鳴られて戻って来ると、呼び出してもらっていたアシェリーが来ていた。
「ご指導願います、軍曹。」
敬礼して私を見下ろすアシェリーは、軍服が所々破れている。有刺鉄線に引っ掛かったのかな?
私は気を取り直して、アシェリーに向き合った。この子を、早急に一人前にしてあげないといけないのだ。
「アシェ───」
「うわぁ!ガルシア軍曹!髪の毛、綺麗ですねー!」
私が口を開きかけた時、アシェリーは、笑顔で私の髪を褒めてきた。
森で会った時もそうだったけど…この子は純朴な感じだなあ。リアムみたいに、本心から思ってくれていると思う。
私は、うーんと目頭を押さえながらアシェリーを見た。ただ…今の流れで言うべき事では無いと思うのだ……
「…………」
「あ…すみません、軍曹。つい……その……手入れが上手だなあ、と……」
私が無言だったからか、アシェリーは、はっとした顔をして、俯いた。私が自分の髪を嫌っている事を、誰かに聞いたのかもしれない。
「いいよ、アシェリー。それに、私がとかした訳じゃないし。」
そう返すと、アシェリーは、優しい笑顔になった。本当に…良い子なんだなあ。志願兵なら、軍人なんか、辞めればいいのに。この子にも、辞められない理由があるのだろうか…
「そうなんですね。じゃあご家族に、とかしてもらったのですか?ガルシア軍曹は、ご家族に大切にされているのですね。」
「えっ…………」
私は目を見開いた。アシェリーは、優しい笑顔でこちらを見ている。
「ちょ……ちょっとあんた何なのよっ!その言い方はっ!気持ち悪いわねぇ!!捉え方によってはただの痴漢じゃないのっ!!」
「キャーッ!!嫌ーっ!!」
「なんなのこいつっ!変態っ!」
「暴力振るったくせにっ!!ちょっとは愛想良くしたらどうなのっ⁈二度とジルベールちゃんに近づかないでよねっ!」
アシェリーの言葉を聞いて、私の頭が何か考えようとした時、リー中尉のテントの方で叫び声がした。
「うわぁ!すごく綺麗な人達ですね!何だか…アイゼン少佐が取り囲まれてますけど…」
「あの人達は、広報部の人だよ。少佐に何の用だろうね?」
「広報部…何だか怒っていませんか?あっ!アイゼン少佐が怒鳴られながら連れて行かれてますよっ!」
「本当だー!!いつも、皆優しい人達なんだけど……怒ると怖いんだな……」
アデル部長も、あんなに怒るなんて…一体……
ジルベールとアシェリーは、二人同じ様に目を丸くし、口元に手を当て、叱責されながら連れて行かれる自分達の連隊長を見送った。
「それにしても、アイゼン少佐は、あんな綺麗な人達に囲まれても、表情一つ変えないですね。僕だったら戸惑っちゃいますよ!」
少佐が見えなくなった後、アシェリーがこちらを振り返って言った。
「………そうだね。」
少佐は……
少佐は他の人にも、あの、穏やかに緩んだ瞳を向けるのかな……
私…どうしてそんな心配を……
心配?……何で……
「ガルシア軍曹、話を逸らしてしまって申し訳ありません。よろしくお願いします!」
「あ!そ、そうだね!ごめん。じゃあまずは…私が一番気になるのは、やっぱり足音なんだけど…そうだなぁ……」
私はアシェリーの全身をしげしげと眺めた。
「アシェリー、君、何歳だったっけ?ちゃんと聞いてなかったから教えて?」
「はい、19歳です。軍曹。」
「えっ!!」
私は、微笑みながら答えるアシェリーに向かって、目を丸くした。
「19⁈」
「はい、軍曹。」
「何だとっ⁈」
アシェリー、まだ子どもっぽい感じがするから、年下かと思ってたけど…まさか…
ああ、でも……一般市民の人は、人によっては若く見えるもんな。アシェリーは、まだ軍人っぽくないしなぁ。
「まさか年上とは…結構いってる……いや、それは良いんだけど……確か、10代前半には、基礎的な体幹は完成されるって言われた様な…今から間に合うのかな…ちょっと義母上に聞いてみるか…」
ジルベールは、自分の顎に手を添えて下を向き、小声で呟いた。
「あの…ガルシア軍曹、すみません……僕の年齢、まずかったですか?」
アシェリーは、眉毛をしょんぼりと下げて、尋ねた。
「ううん、大丈夫だよ、アシェリー。気にしないで!」
私の答えを聞いて、アシェリーは胸を撫で下ろした。
私は、またアシェリーをしげしげと眺める。
足音、はひとまず置いておくとして…他の全項目かぁ…
全部って事は……
「アシェリー!」
私は、人差し指を立てて、アシェリーに向き直った。
「はい、軍曹!」
「アシェリー、全項目引っかかっているけど……」
「はい。」
「上手くいかないときはね!私が思うに、そんなの、その日の気分だから!」
「えっ⁈」
「調子悪いなーって時はね、頑張ったって無駄なの!さっさと諦めて、昼寝でもした方が、よっぽど効率的だよ!沢山寝て、次の日になったら、バシッと決まったりするからさー!」
ジルベールは、自信たっぷりに、笑顔でそう言うと、アシェリーの肩をポンポンと叩いた。
「え………えっと……」
「今日は調子悪いんでしょ⁈あんまり気にしないで!」
アシェリーはジルベールの見解を聞いて戸惑っているが、ジルベールの自信が衰える事は無い。
「アシェリー、その理論は、彼女の様な、感覚で動く…………直感が鋭いタイプの人間のみに、通用する事だ。お前がどうなのかは、まだ良く分からないが……今日は俺が全項目見てやろう。来い。」
戸惑うアシェリーを見かねたマシューが、少し離れた所から、そう告げた。ジルベールの機嫌を損ねてしまったため、近くまで寄れずにいる。
「え……っと………」
「アシェリー、ルイス少尉は君の小隊長なんだから、すぐに指示を聞かないとダメだよ?それに、君をオーウェンの分隊に入れる事を許可してくれたのだから。」
ジルベールの言う事は、一切説得力が無いが、最もだ。
「は、はい、軍曹!よろしくお願いします、ルイス少尉。」
手招きするマシューに連れられ、アシェリーは訓練へ戻って行った。
「ジル、」
「オーウェン。」
訓練の合間に、オーウェンがジルベールに寄って来た。
「アシェリーの奴、有刺鉄線の下で絡まりやがってさぁ、」
「そうみたいだね。軍服がボロボロになってた。」
「わはは!ますますお前に似てるなぁ!お前の方が絡まり方が酷かったかもな!」
「うるさいなぁ……そんな事ないよ。」
「いっつも横から助けてやってただろ?忘れたのかよ!大変なんだぞ⁈這いつくばって、絡まった有刺鉄線を外すのは!」
「忘れてなんか無いよ………訓練中でしょ?戻らなくていいの?」
オーウェンは、少し表情を曇らせた。
「お前、またルイス少尉に揶揄われたのか?」
「……本当むかつく。あいつ……」
「さすがに、お前の事揶揄い過ぎだと思う。上に言わねぇのか?今のお前なら、多少の言い分は聞いてもらえるだろ?」
「…………」
「ルイス少尉が、リー中尉と仲が良いからか?」
ジルベールは、オーウェンの方は見ず、少し俯いて地面を見ている。
「………軍では、表向きは実力主義で、出自は関係無いとされてるけど、実際はそうじゃない。あの人、家柄良いんでしょ?育ち良さそうだし。」
ジルベールは、地面を見たまま答えた。
「え?お前知らねえの⁈ルイス少尉はアイゼン少佐の従兄弟だぞ。ルイス家は軍内の高位貴族だ。お前、そういう情報知らなさ過ぎだろ?」
「えっ!!」
ジルベールは目を見開いて、オーウェンを見上げた。
「そうなんだ……だったら尚更……ルイス少尉が、リー中尉と仲が良いのは、リー中尉にとってメリットが大きい。リー中尉の家柄を理由に、差別する人もいるからね。ルイス少尉がリー中尉の指示に賛同する構図は、そういう人達を黙らせるから。」
「だから黙ってんのか…」
「リー中尉には言ってる。信じてもらえないけど。それに、そのうち飽きるでしょ。私は、家も特殊だし、揶揄われるのには慣れてるから。」
「そうか……」
オーウェンは、それ以上は何も言わずにジルベールを見た。
「アシェリーの弓、調整してやってくれるか?」
「分かった。話は変わるけど、オーウェン、今日の訓練終わり空いてる?話したい事があるんだけど。」
「………もしかして、この前の件か?」
「そう。詰所で話そう。」
「お前本当に────」
「オーウェンとジル!真面目にやれーっ!」
日除けテント下から、またリー中尉の怒鳴り声がする。かつては、テント下から聞こえる等、あり得ないと皆に思われていたその声を、ジルベールは背中で受け止めた。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
続きが気になる!と思って頂けましたら、
「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。