34.くまなく確認しましたが
「3番7番足音、1番5番体幹振れ。」
軍内の訓練場、訓練中の下級兵を少し離れた所からしゃがんで見るジルベールは、隣に立つ小隊長の、マシュー・ルイスに下級兵の番号を告げていく。
下級兵達は、次々に、訓練場に設置された、遮蔽物やトラップを潜り抜けていく。
「ルイス少尉、13番と16番は、単独行動をしますか?」
「16番の者は、単独行動する。」
「じゃあ、16番足音。あと、26番全部です。……26番は私の所に呼んで頂けますか?」
マシューは、ジルベールに視線を移した。
しゃがんで、こちらを見上げながら言う彼女の髪は、今日はいつにも増して艶があり、日の光に輝いて見える。いつもは所々にある、毛先のほつれも見当たらない。
「ジルベール、髪の艶が良いな。良い櫛でも使ったのか?綺麗だな。」
髪を褒めると、彼女はいつも決まって眉間に皺を寄せて、こちらを睨んでくる。
「………ルイス少尉、訓練中です。早く該当者に告げて下さい。」
彼女は、小さな獣の様に、銀色の髪を逆立て、怒りを露わにしている。
「君は…直近では、軍服の件以外は、何もしでかしてないのだろうな?」
マシューは、ジルベールの問いかけには答えず、勝手な質問をする。
「え?軍服……ああ、軍服を売った件ですか?はい、それ以外は特に何もしていません。そもそも軍服だって、そんなに怒られるような事じゃ……」
俺の問いかけに、彼女は一瞬きょとんとした表情をし、何かもごもご言っている。自分に対して向けられる表情の中で、このきょとんとした表情は、柔らかいものだ。
「少尉、とにかく……該当者に告げて下さい!」
「君が、俺と結婚してくれるのなら告げる。」
彼女の目を見ながらそう言うと、彼女はみるみる怒った顔になり、ぷるぷる震えながら立ち上がった。水色の瞳は、怒りで血走っている。
「………リー中尉に言いつけますからねっ⁈」
「好きにしろ。」
そう言い捨てると、彼女はキーッ!っと怒りこちらを睨みながら、訓練場の後方に立てられている日除けのテント下に居る、ウィルの元へ向かう。ノア従兄さんが来ているな。ウィルと、座って何か話している様だ。
──彼女に好かれる努力……するな!そんな努力はっ!そんな事をする位なら、ノアの様に、戦果を上げる努力をしろっ!!──
マシューは、先日、父親に言われた言葉を反芻した。
彼女に出会わなければ…ノア従兄さんの様に、こんな事で苦しまずに済んだのかもしれない。だが、彼女を知ってしまった以上、無理な事だ。
初めは、彼女に直接的な事を言う等、していなかった。だが、そういった事に疎いらしい彼女は、こちらの好意に気付かない。仕方なく、分かりやすく伝えようとしているが、毎回彼女を怒らせてしまう。
マシューはため息をつき、訓練中の部下の方へ向き直ると、声を張り上げた。
「ジェス、エルド!足音!ガイ、ジェシー!体幹振れだ!やり直せっ!アシェリー、お前は全部だっ!こっちに来い!!」
──────
「………といった内容の、嘆願書が来ているが、君は隊の現状をどう考える?リー中尉。遠慮せず、率直に意見をしてもらって構わない。可能だと思うか?」
「人数から考えて、マシュー以外の隊から、出せて10名程度がこちらも限界です。その数を出せば、こちらの新兵が育つまで、以降は依頼が来ても出せません。もし、今回こちらから出す事になるならば、今後各科でどう乗り切るのか、方針を聞いてからにしたいと───」
「リー中尉っ!!」
アイゼン少佐と話している途中で、横からあいつの金切り声がした。
中隊の野営訓練2日目。向こう1ヶ月は下級兵の強化訓練の為、軍の訓練場で、下級兵の実力を下士官以上の兵に確認させている。訓練開始後しばらくして、連隊長のアイゼン少佐が、他の科から出された嘆願書を持ってやって来た。
金切り声の方を振り返ると、ジルが目を釣り上げてこちらを睨んでいる。佐官、しかも隊の連隊長の前だというのに、今にも、発言の許可無く騒ぎ立てそうだ。
「お前………今、少佐と話してんだろ⁈」
「リー中尉、構わない。」
ジルに詰め寄って、小声で窘めると、アイゼン少佐が発言を許可した。
中隊の野営訓練全体説明の時、予め、ジルの無駄口や、反抗的な態度の多さを断っておいて良かった…まあ、最近思うが、少佐は案外、ジルの様な下士官程度の兵には寛容な様だ。
特に、ジルの事を、ジゼルと呼ぶ事もある。少佐はジルの兄、テオドール殿と親しかったと聞くからな。
亡くなったテオドール殿に代わり、ジルを自身の妹の様に、思っているのだろう。
気持ちは理解出来る。ただ、それなら早とちりせず、あいつを医務室送りにしないでくれたら良かったものを……お陰で、野営訓練の日程調整をする羽目になった。
「………何だ、ジル。」
ジルを睨み返しながら言うが、あいつは俺の睨みなんか物ともしない。そして、少し遠くに背を向けて立つ、マシューを指差して捲し立てる。
「リー中尉!ルイス少尉が変なこと言う!怖い!」
「またか……すみません、少佐。こいつ、マシューの指示を聞きたくないからって、最近、いつもこんな嘘を───」
「違います!本当ですっ!」
ジルは少佐の前だろうと、平気な顔で嘘をつき通そうとする。
「てめえ、いい加減に───」
「ガルシア軍曹、具体的には何と言われたのだ?」
ジルの胸ぐらを掴み、投げ飛ばそうとした時、少佐がマシューの方を訝しげに見ながら、尋ねてきた。
「それは………」
胸ぐらを掴まれたまま、ジルは言い淀む。いつもこうだ。具体的に何を言われたか聞くと、答えられず、バツが悪そうな顔をする。
「ほら、答えられねぇんだろ⁈お前と違って、マシューが変な事なんか言う訳ねえだろっ!嘘つくならもっとマシな嘘を考えろっ!!」
「違……私───!」
言いながらジルを投げ飛ばすと、あいつは尻もちをつきながら、まだ言い訳をしようとする。
「お前訓練サボりたいからって、二度と下手な嘘つくんじゃねえぞっ!さっさと戻れ!」
「本当だもん!痛っ!!」
尻を蹴り飛ばすと、ジルはこちらを恨みがましく振り返りながら、ようやく訓練へ戻って行った。
「早く戻れーっ!クソガキがっ!!」
「本当に素行が悪くて申し訳ありません、少佐。お見苦しい所をお見せしました。」
「いや………」
少佐は、何か考える様な顔で、ジルの後ろ姿を見ている。そういえばあいつ、今日は髪を、輪ゴムじゃなくて、ちゃんとした髪留めで留めてるな。広報部から、輪ゴムは使わせない様にと言われていたが、今まで全く言う事を聞かなかった……やっと理解してくれたのか。
「リー中尉、」
「はい、少佐。」
「……君の、彼女に対する教育に、意見をするつもりはないのだが……多少言い分を聞いてやっても良いのではないか?あと……彼女の、一般的な……何というか……交際関係の知識とでも言うのか……それについて、遮断し過ぎているのではないかと思うのだが……年齢に対して過保護というか……」
「え?……申し訳ありません、どういう事でしょうか、少佐。交際関係の知識?」
「ノア・アイゼン少佐っ!!」
アイゼン少佐が、まるでジルの様に、訳の分からない質問を口にした時、訓練場入り口の方から声がした。何やら4、5名、ぞろぞろとこちらに歩いて来る。先頭を歩く男性の後を、スタイルの良い女性達が華を撒き散らしながら付いて来る、あれは…
「リー中尉、お疲れ様!お邪魔してごめんなさいね!ちょっと、横のそいつに用があってねえ〜。」
先頭を歩く男性は、リーを見留めると、オーバーに両手を広げてリーの肩を抱きしめた。軍服では無く、真っ白な、袖の少し広がったシャツに、深緑のスラックスを履いている。
今日は、割と落ち着いた装いだと、肩を抱きしめられながら、リーは考えていた。
「アデル部長、お疲れ様です。軍にお戻りだったのですね。」
リーの返事を聞くと、アデルは、リーにさっと右手を差し出し、リーと固く握手を交わした。アデルを取り巻いている女性達も、リーを見ると、親しげにキャッキャとはしゃいで挨拶をする。
「元気そうで良かったわ!リー中尉。」
肩より少し短く揃えられた青い髪に、強い探究心を帯びる、ギラギラした黒い瞳。
アデル・マルティネス公爵子息。
軍人令嬢ジルベール・ガルシアを考案し、傾きかけていた軍の財政を黒字転向させた、立役者。
広報部の部長だ。
後の女性達は、彼が中心となり選抜して広報部に雇い入れた、市民にも人気のある、被服関係のデザイナーや、モデル、仕立屋達だ。彼女達は、腕組みして、アイゼン少佐を睨みつけている。
少佐は何食わぬ顔をしているが、長身で、スタイルの良い彼女達に睨まれて詰め寄られたら、大抵の者はたじろいでしまうと思う…
広報部──諜報部と同じく、軍内の独立した機関である。前線に出たり、直接的な軍務を行う事は無く、広報関係や、支持率向上の為の活動全般を担っている。諜報部の様に、軍務より優先してその依頼を受けるという取り決めは無いが、ジルに対する、軍人令嬢ジルベール・ガルシアの仕事は、多くの金が動くため、優先度が高い。
そして、多くの財源を叩き出す広報部は、直接的な軍務を行わずとも、その発言力は強い。
「リー中尉!貴方の考案したあのシリーズ!なかなかの売れ行きみたいね。採算が取れそうだから、来期も、継続してシリーズの衣装作成をする事にしたわ。」
「詰襟シリーズですね。ありがとうございます、アデル部長。ジルはピンクが似合いますからね。私は、実家にジルと同じ歳の妹がいますので、同年代の女性として、妹にも意見を聞いておりますから。間違いありません。」
「なるほど……最初は、ちょっと田舎くさいかな〜と思ってたけど、着眼点が違う!さすがリー中尉ね!芸術という物は、誰しもその才能を隠し持っている…偶然それに出くわす度に、私は全身の血が震えるわ!芸術の神に感謝よっ!!あぁ……神よ……私はいつか…彫像となって、どこかの廃屋で、誰にも知られずひっそりと、崩れ…落ちた…い………」
アデル部長は両手を広げて天を仰いだ。そしてそのまま顔をのけ反らせて、アイゼン少佐を睨み付けた。
「ジルベールちゃんはねぇ…芸術性と経済性を兼ね揃えた、私の傑作品よ!!」
そして逆さまの顔で、軍用の椅子に座っているアイゼン少佐にそう叫ぶと、バッと姿勢を正し、正面を向いて少佐を見下ろした。
「あんた、噂は聞いてるわ。粗野で!野蛮な!暴力でしか物事を解決出来ない!アイゼン家の三男ね!私が居ない間に…よくもやってくれたわねぇ⁈絵画の一つも、理解した事なさそうな顔して……私の芸術品に、よくも!傷をつけてくれたわねっ⁈どう責任取ってくれるのよっ⁈」
アデル部長は少佐を指差して怒鳴りつけた。取り巻きの広報部員の女性達が、少佐を取り囲む。
アデル部長の家、マルティネス公爵家は、代々芸術家を多く輩出している家系だ。親、兄弟、親戚は全員、画家、彫刻家、デザイナー、音楽家に劇作家と多岐に渡り活躍している。アデル部長本人も、本職は産業デザイナーで、ジャンルを問わず、様々な企業からの依頼を受け、企業とともに、商品開発から携わっているらしい。
そんな、軍とは全く畑違いなアデル部長に、傾きかけている軍の財政を何とかして欲しいと、広報部が頼み込み、雇用したのだ。まあ、半強制的に徴用されたと、本人は憤っているが、今となっては笑い話だと聞かされる。
アイゼン少佐が、ジルを医務室送りにした時、アデル部長は本職の方が忙しく、不在だった。事件……ではなく、事故の事を知り、文句を言いに来たのだろう。取り巻きの彼女達も、当然だが、軍人令嬢ジルベール・ガルシアは、自分達が作り上げたのだと自負し、ジルをチヤホヤと着せ替え人形の様にしている……傷を付けられたと聞いて、怒っているのだろう。
「これは…マルティネス部長、お世話になっております。その件につきましては、私も大変申し訳無い事をしたと───」
「謝罪で済むならリソー警察はいらないのよっ!あのねぇ、彼女と私達が、ここまで市民に支持されるまでに、どれだけ努力して来たと思ってるのよっ!あなたねぇ……うちがどれだけ軍の財源を叩き出しているか知ってるでしょ!!彼女にあんな事して何かあったら!あんた一体どう責任とるつもりなのよーーっ!!」
椅子に大人しく座り、弁明をする少佐の言葉を遮り、アデル部長は、机をバンバンと叩きながら、大声で騒ぎ立てる。広報部の彼女達も、そうだそうだと少佐に文句を言っている。
少佐は相変わらず、落ち着いて椅子に座ったまま、言葉を返す。
「責任……彼女に対する責任は、生涯をかけて、しっかり取るつもりです、マルティネス部長。私の両親も、近くガルシア家に赴きます。」
「いや、重っ!!生涯をかけて⁈……両親が家に⁈なかなかの重さね、責任の取り方が……軍人の家系っていうのは、謝罪はそうするの?……とにかくっ!あんた、彼女に傷でも残ってたら、どうするつもりなのよっ!」
少佐は、多少訳の分からない責任の取り方を説明し、言葉を続ける。この人も、高位貴族だからか、たまに訳の分からない事を言うんだよな。
「その点は問題ありません、マルティネス部長。昨晩、彼女に痕が残っていないか、くまなく確認しましたが、大丈夫でした。」
「ちょ……ちょっとあんた何なのよっ!その言い方はっ!気持ち悪いわねぇ!!捉え方によってはただの痴漢じゃないのっ!!」
「キャーッ!!嫌ーっ!!」
少佐の誤解を招く様な言い方に、アデル部長達は悲鳴を上げた。確かに、他に言い方があると思うが…その言い方だと昨日の夜に、傷痕が無いか、勝手に確認した様に受け取れる。
「そもそもね、私はあんたを懲罰房に送ってやろうと思ってたら、あんたもう懲罰受けたらしいじゃないっ!本当に反省してるの⁈ちょっとこっちに来なさいよっ!詳しく聞かせなさいっ!来ないなら、あんたの連隊に回すうちからの売り上げ、減らすわよっ!!」
何だとっ⁈
「マルティネス部長、今は訓練中ですので──」
「アイゼン少佐っ!予算を減らされたら困ります!すぐにご対応下さい……!」
「…………分かった。」
予算を減らされたらたまったもんじゃないっ!何とか少佐を差し出すと、アデル部長一派は、犯罪者をしょっ引くが如く、少佐を連れて行った。
危なかった…
例え、うちの連隊長といえども、隊の予算には代えられないからな。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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