33.ルーカスの苦悩
「これを、あの木の上から…いや、すごい腕だな。春の狩人と接触し、師事されたというのは…やはり本当なのだな。」
アイゼン家の庭にある訓練場で、昨晩、ジルベールが射抜いた、中心に矢の刺さった的を眺めながらルーカスは感心する様に呟いた。右手で、息子から渡されたオレンジ色の果物を、軽く上に放っては、また掌に落とす。
昨晩ノアの急な我儘により開催された、アイゼン家での晩餐会は、両親の話による所、リー中尉も、ガルシア軍曹も、喜んでくれたとの事だ。ノアの戦友であった、今は亡きテオドール殿を知る料理長が、妹のガルシア軍曹が来ると聞いて張り切った事もあり、食べきれない程の料理が供されたらしい。とくにデザートの量と種類は、父上曰く、呆れ帰る位凄かったとか。
妻とリアムの双子の弟は、朝から、昨日の晩餐会で食べきれ無かったデザートの山を前に、リビングではしゃいでいる。アイゼン家は、代々普段の生活において、軍人の家系らしく、質素倹約に努めている。特に食事は質素にするのが慣習だ。こんなデザートの山、家では見た事が無い。ノアの奴…どれだけ無理を言ったんだ。
リー中尉とガルシア軍曹は、先程の通り喜んでくれたそうだが、一番浮かれていたのはノアだったらしい。父上が、自分とガルシア軍曹以外、周りに誰もいないかの様な態度だったと…
そして、ノアは、彼女に椅子を引いてあげたらしく、朝、母親が涙ながらにその事を話してきた。
初めてノアの人間らしい姿を見た、と。
さすがに自分の息子を酷く言い過ぎだと思うが…あれでもあいつは人の子だ。確かに、あいつが椅子を蹴り飛ばす以外の使い方を知っていたとは驚きだが。一応、あいつも、軍務の合間に、貴族としての教育を受けてはいるはずだ。大体の事はそつなくこなすからな。だが、実際にその様な社交マナーを使っているのを見た事は無かった。母上が感動して泣きもするはずか…
そして母上と妻は、実物の彼女、軍人令嬢ジルベール・ガルシアを見た事で、2人揃って彼女に傾倒してしまった様だ。次に、ジルベール・ガルシアが出席する夜会で、ダンスを踊ってもらうのだと、2人で着て行くドレスを買いに行こうとはしゃいでいた。
軍人令嬢ジルベール・ガルシア。広報部が軍の広告塔として作り上げ、彼女はそれを演じる為の教育を受けている。もともと、彼女の人当たりの良さもあるのだろう、親しみやすい彼女は、市民に対して、予想を上回る人気ぶりだ。長年、軍の支持率を上げる事が出来ず、叱責され続けてきた広報部は、彼女の活躍により、一躍花形の部署に躍り出た。今では、彼女にポスター等で身に付けさせた衣装や装飾品を、サイズ展開して売り出す事で、軍はかなりの収入を得ている。貴重な財源だ。
「ねー!父上!お願い!ガルシア家に行ってよ!」
そして、今朝起きてすぐから纏わり付く息子に、ルーカスはうんざりした顔をする。
「それは出来ないと言っているだろう、リアム。」
息子は、自分は昨晩ガルシア軍曹と婚約したんだと言い張り、ガルシア家に婚姻の手続きに赴いてくれと騒ぎ立てて聞かない。
これでは……ノアと一緒じゃないか……父上の心労が、分かった気がする。
「何で⁈ジゼルとは、確かに約束したんだよ⁈ジゼルも、僕のお嫁さんになりたいって言ったんだ!」
「それはね、ガルシア軍曹は、子どものお前に気を遣って、話を合わせただけだ。鵜呑みにするな。何度言ったら分かるんだ。」
「そんな事ないもんっ!ジゼルは…僕の事……ねぇ!父上っ!アイゼン家の人間であれば良いのなら、僕だってそうだよ!ノアじゃなくても良いでしょう⁈」
「駄目だ、リアム。」
「どうしてっ⁈僕が子どもだから⁈ジゼルは待ってくれるって言ったよ⁈」
ルーカスは、わめき散らす息子に向き直り、きっぱりと告げた。
「ノアは……私の大事な、弟だからだよ。彼女は、ノアにやる。」
「どうしてっ!父上は、僕よりノアが大事なの⁈僕だって───」
「黙りなさい、リアム。駄目なものは駄目だ。」
ルーカスは、有無を言わさぬ声色で、聞き分けの無い息子を睨んだ。今まで、リアムがここまで聞き分けの無かった事など、一度も無かった。
そして、父親に睨まれてもなお、リアムは食い下がる。
「………父上、その果物が取れたら、何でも好きな物を、買ってくれるって言ったよねぇ⁈」
今朝、起き抜けに渡されたこの果物は、息子の武芸の上達のために、取る様に指示していた物だ。まさか彼女と木に登って取る事は想定していなかった。だが、取るための条件を指定してもいなかったため、今回息子は、立派に指示を達成した事になるだろう。
「……あぁ、言ったよ。」
嫌な予感がする。
「僕はジゼルが欲しいっ!約束だったよ!約束は守って!」
「リアムッ!お前……彼女は物じゃないぞ!!」
「父上だって、さっき物みたいにノアにやるって言ったでしょっ!!僕はジゼルが欲しいっ!ヤダヤダヤダヤダ!うぅわああぁぁぁん!!」
ついに泣き出した息子を前に、ルーカスは頭を抱えた。
昨日の時点で、軍内の有力貴族家には、近くノアと彼女に婚姻を結ばせると、内々に圧力を掛けた。もし……ガルシア家が婚姻を望むとすれば、王命を撤廃出来る可能性を有する、アイゼン家を初めとした、軍内での有力貴族だろうからな。
まあ……圧力と言う程でもないか。今回は。驚かれはしたが、各家、別にどうぞ……と言った感触だった。ガルシア家は、訳ありだ。出来ればどの家も、触れたくは無いだろうからな。
父上が言うには、ノアが軍の正門の所で、堂々と彼女の頬に口付けていたらしい。
軍内でするか?普通……外出していたのだから、外で気が済むまでしてくれば良いものを……
初恋で盲目になっている者の思考とは、恐ろしいものだ……火消しのためにも、まあしょうがなかった。
それに、ノアは、彼女を私室に閉じ込めようとしている。弟可愛さに協力してしまった手前、手は打っておかなくては。私室があるのを良い事に、あいつは彼女に何をするか、分かったものじゃないからな…とりあえず、ノアと彼女は近く婚姻を結ぶと、他の有力貴族家に告げておけば、何かあっても醜聞は避けられる。
気に掛かる点としては、ガルシア家はベネット公爵家と懇意にしている事か…過去に、ベネット公爵家と、婚姻を結ぼうとしていた様だからな。ノアの耳に触れると、絶対に機嫌が悪くなるだろうから、言わないつもりだが…軍以外の有力貴族家については、さすがに手は回せない。アイゼン家がガルシア家に赴くまで、何事もない事を、祈るばかりだな。
あ!ルイス家に言ってなかったなあ…まあ、いいか。父上の弟だし。父上が言うだろ。
あとは、ガルシア家が首を縦に振ってくれれば…恐らく、大丈夫だとは思っているが…
こればかりはな。無理強い出来ない。
ガルシア家は、男爵家とはいえ、ガルシア男爵であるジキル殿は父の友人でもあり、そのため父は、彼を無碍に出来ない。さらに男爵夫人である、彼女の継母は…こっちの方が問題だな…
「流れの傭兵フレイヤ」
ジキル殿が、何か策があっての事なのか…もしくは純粋にお互い愛し合っての婚姻なのか、分からないが…
軍人ならば、傭兵フレイヤの名を知らない者はいない。
過去、突如姿を消し、引退したと思われたが、8年前に、自身に瓜二つの幼な子を抱え、姿を現した。彼女が再び現れてから…各国の軍は、彼女を取り合っているのが現状だ。
リソー国軍は、もちろんだが、受けてもらえないが…
フレイヤが溺愛していると言われているジルベールに──溺愛しているのは事実だろう──酷い仕打をしているからな……アイゼン家が彼女との婚姻を願い出たとして…さらにはノアは彼女に暴力沙汰を起こしている。どう反応するだろう。
以前、無理を承知でフレイヤに依頼を出した軍の担当者は、フレイヤに軍に乗り込まれ、その場で消し炭になったと聞いている。本当かどうかは分からないが…
フレイヤを徴兵するという手もあるだろうが、貴族家の夫人である以上、それは無理だ。そんな事をすれば、貴族界に不安を与え、支持率の下落は免れない。
「リアム…物事には、秩序という物がある。彼女は、ノアと結婚するのが、一番、丸く収まるんだ。ガルシア家にとってもね。彼女の事を思うなら、身を引きなさい、リアム。」
泣きじゃくっていた息子は、こちらを睨みつけながら、大きく目を見開いた。
全く…6歳の息子にこんな事を言う羽目になるとは……
「まぁ…会うだけなら、彼女も喜ぶと思うよ。そうだ!今度、リアムとデートしてくれる様に、ガルシア軍曹に、頼んであげよう。」
提案を聞いて、息子は俯いたが、すぐに顔を上げて口を開いた。
「じゃあ…ジゼルが僕の事を好きになってくれたら…僕が結婚しても良い?」
「お前なあ……」
ルーカスは、ため息を付いた。埒があかない。だが、続く息子の言葉に、今度はルーカスが、息子に食いついた。
「ジゼルは…ノアの事が好きだもんね。それは僕も分かってるよ。」
「えっ……それは本当⁈リアム⁈」
「違うの?そう思ったけど……」
ルーカスは息子の肩をがしっと掴んだ。父親に肩を掴まれ、リアムはたじろいだ。
「それは、何でそう思ったの?リアム?」
「何でって…父上…どうしてそんなに驚いてるの?」
自分を絞め落とした相手を、好きになったりするか?しかし、だとすれば、何の問題も無くなる。
「リアム!どうしてそう思ったんだ⁈教えなさい!」
「ぼ、僕…子どもだから、やっぱり良く分かんない…」
「そんな訳ないだろっ!お前は年齢に対して、武芸も学問も飛び抜けている。子どもぶるなっ!……あぁ、お前は似てるのだな。ノアに……とにかく!教えなさいっ!リアム!」
子どもの言う事は、良く的を得ている。
リアムは、自分に詰め寄る父親から目を逸らし、ジルベールの放った、矢の刺さる的を見ていた。
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