31.過保護が炸裂
「ノア、何なんだ?これは…」
まだ、空が明るみかけた早朝、ノア・アイゼンの執務室に、彼の父親、ジョセフ・アイゼンの呆れた様な声が響いた。彼の手には、良い匂いの漂う、木製のバスケットが握られている。
ノアは、目を通していた書類から、視線を父親に移した。そして、咥えていた紫煙草を卓上の灰皿に置くと、穏やかな声で、父親の質問に答えた。
「ジゼルと食べる朝食ですよ。アイゼン家の料理長に、朝食と、夕食を作る様に頼んでいますので。持って来て頂き、ありがとうございます、父上。」
そう言って、微笑む息子に、ジョセフは困惑しながらバスケットを渡した。
「ノア…と、いう事は、私は毎朝、お前に朝食を渡さねばならないのか⁈」
「そうですね。夕食は、家の執事が持って来てくれる事になっていますが、朝食は、父上が家を出る時に持って来てもらった方が…朝は皆、忙しいでしょうし。効率的かと思いまして。」
ジョセフは、眉間に皺を寄せて、ため息をついた。
「お前は…野営訓練中、朝晩、ガルシア軍曹と食事をするつもりなのか⁈」
「はい。彼女も野営訓練期間中なので、毎回という訳にはいきませんが…お互いの、軍務の都合が付く限りは、そうしたいと思っています。彼女は、昨日の、アイゼン家での食事を美味しいと言っていました。きっと、これも喜ぶと思います。」
ノアは、嬉しそうに、そう告げたが、それを聞いてジョセフは頭を抱える。
「ノア…お前、彼女の私室で食べるつもりなのか?」
「はい、そうですが。」
「…………あまり、長居はするなよ?まだ婚姻前なのだからな?食事が済んだら、すぐに退室しろ。」
「………………」
「返事をしてくれっ!ノア!」
「……善処します。」
「お前なあ………」
ジョセフは、ノアに掴み掛かろうとしたが、ノアの表情を見て、はっとした。
ノアは…いつも無表情な息子は、今までに無い位機嫌が良さそうなのである。加えて、変に落ち着き払っている。
「ノア……お前、まさかとは思うが…彼女に、何も手出しはしてないのだろうな⁈」
「…………………………………………………………………………はい。」
「な、何なんだその不自然な間は⁈婚姻前に、手出しする等、絶対に許さんからなっ!」
「ですから、早くガルシア家にいって下さいと、あれほど申し上げましたのに……」
「貴様……何で過去形なんだっ⁈何だか信用出来んぞ!!」
「大丈夫ですって。最後まではしてませんから……ほら、父上もお忙しいでしょう?朝食を持ってきて頂き、ありがとうございます。もう、お戻り下さい。」
ノアは、父親をぐいぐい扉から押し出した。
「ノアッ!貴様……最後までだと⁈どういう事だっ⁈絶対手出しするなよっ!許さんからなっ⁈ノア───」
──バタン──
父親を追い出したノアは、自分もいそいそと、ジルベールの私室に戻る準備をし出した。
ノアは、朝食の入ったバスケットを携え、ノックもせずに、ジルベールの私室の扉を開けた。
この時間、寝起きの悪い彼女は、まだ寝ているはずだ。だが、軍人として、規則正しい生活をするならば、そろそろ起きて身支度をする時間だ。共に朝食を取りたいし…起こさねばならない。
ノアは、ソファー前のテーブルにバスケットを置き、ベッドの方を見た。
「……ん?」
ジゼルの姿が…見えないが…もしや、また…
ベッドに歩み寄ると、彼女はまた、ぬいぐるみの山に、上半身を突っ込んで寝ている。
夜中、彼女が起きないのを良い事に、ノアは、散々身勝手な行いをした後、きちんと彼女をベッドの中央に寝かせ、シーツを掛けた。
そして、自身は彼女の私室のソファーで眠った後、夜明け前に、執務室で軍務に就きながら、父親…というよりも、朝食が来るのを待っていた。
しかし、今また、ぬいぐるみの山から、彼女の足だけが飛び出している。
ノアは、再びジルベールの足首を持って、彼女を引っ張り出した。ヤギのぬいぐるみを、首を絞め落とす様に抱きかかえた彼女が、寝息を立てながら出て来る。
もはや、あまり驚かなくなってきたな…彼女の寝相の悪さには…
スースー……スースー……
明るみ始めた室内で、薄黄色のワンピースを着た彼女の姿が、はっきりと確認出来た。
ああ、やはり、軍服で無い服も、よく似合っているな。可愛らしい……
ノアは、ジルベールの頬に、そっと口付けると、彼女の肩をポンポンと軽く叩いた。
「ジゼル、朝だ。起きなさい。」
スースー……スースー……
「ジゼル!」
スースー……スースー……んん……スースー……
「ジゼルッ!君は…本当に起きないな!」
ノアは、ジルベールの肩を、ゆさゆさと揺らした。
「うー……ん…メイジー……?」
メイジー……確か、彼女の異母妹だな。母親は、彼女の継母、傭兵フレイヤの子だ。
「メイジーは早起きだなぁ……偉いよ…スヤ…」
彼女は…家では妹に起こされているのか⁈
ノアは頭を抱えた。なかなか、事は深刻の様だ…
何度も声をかけると、何とか彼女は起きかけてきたが、俺を寝ぼけて妹だと勘違いしたままだ。
「分かった分かった。メイジー……起きるから…おいで。」
「!!」
そう言って、彼女はこちらに手を伸ばし、そっと抱き寄せてきた。
とても軽い力で、こちらを引き寄せようとする。簡単に振り払えるが、彼女からしてきたのだ、これ幸いと、ノアは笑顔でその腕の中に抱きしめられた。なるべく、彼女に体重をかけない様に、そっと抱きしめ、覆い被さる。
彼女は、抱き寄せた俺の事を、妹だと思ったまま、お土産は何が良いだとか、質問をしてくる。
正直に答え続けると、彼女の腕が、そっと背中に回された。そして、髪の毛に、嬉しそうに顔を寄せてくる。
幸せだと、そう思えた。生きてて良かった。
例え…妹と間違われていたとしても…
「ジゼル……」
「…うぅ…ん……メイジー?」
「ジゼル、起きたか?」
「…………うわっ!!」
やっと、目が覚めた彼女は、俺を見て驚き、俺を押しのけようとしてくる。だが、勘違いしたのは彼女の方だ。離してやるつもりはない。
押しのけようと、肩を押してくる手を払いのけ、ぎゅっと抱きしめると、彼女は、腕の中で、小さく悲鳴をあげた。
……一瞬、理性的な物が、飛びそうになった。
無くなりかけた理性を必死に呼び戻して、彼女に寝起きの悪さを正す様に伝える。これだけは、治るまで、毎回注意しなければ。
だが、彼女は、真剣に聞くどころか、重い、等と文句を言ってくる。
俺が、今…どれだけ我慢して…耐えていると思っているのか……
もう無理だ。可愛い。かわいいかわいいかわいいかわ───
軍服を着ていない彼女は、正門で抱え上げた時より、ふわふわだった。感触を確めるように、彼女を引き寄せ、しっかりと抱きしめなおした。
彼女の左手には、また短剣が網紐で結ばれている。邪魔だな。
邪魔な短剣の網紐を解き、その左手をそのままベッドに押さえつける。そして、右手で彼女の頭を撫で、彼女が俺にした様に、髪の毛に顔を寄せて、大きく息を吸い込んだ。
私室に用意しておいた、石鹸とは違う匂いがする。あの石鹸は、義姉が用意してくれたと、ルーカスが言っていた。
彼女からは…石鹸の匂いは、微かにするが、ほとんどしない。代わりに、甘い様な…良い匂いがする。彼女自身の匂いだろうか。人間とは、こんなに良い匂いがするものだったのか?
ベッドに組み敷かれている彼女は、叫ぶ訳でもなく、大人しくしている。嫌では……無いのだよな?こちらは、理性なんかもう残っていない。
「ジゼル、嫌では……無いのだな?嫌なら、今のうちにそう……言われても無理かもしれないが…」
「…………」
ジゼルは、腕の中で黙っている。
「大丈夫だ。きっとすぐ慣れる。」
「…………」
「ジゼル……?」
「………スヤ……」
「ジゼ───」
スースー……スースー……
「嘘だろ…?この状況で……危機感が無さ過ぎるとか、もはやそういう次元ではないぞ⁈」
スースー……スースー……
ジゼルは、安心しきった様にスヤスヤ寝ている。
何も…知らないのか?疎すぎるとか、鈍過ぎるとか、そういう範疇を通り越している。
ノアは、青ざめて上体を起こした。真下で、スヤスヤと二度寝する、彼女を見つめる。
彼女は、軍人になったために、淑女教育を受けていない。確か、それを心配したガルシア家が、リーに事情を説明し、リーが、彼女の交際関係については、だいぶ過保護に指導してきたらしいが……
いや、過保護すぎないか?そういった事に関する全ての情報を遮断してきたのか?リーは……
だいたい、危険だからと全ての情報を遮断してしまう、という教育は、いかがなものだろうか。個人的にはあまり良いとは思えない。ある程度、自ら取捨選択出来る様──まあ、今はそれどころでは無いが……
リーは、兄弟愛だとか…そう言ったものに、熱心の様だからな。そのため、部下の教育にも力を入れており、その点は素晴らしいのだが……
実家に弟妹も多く、前に、ジゼルと同じ年の、妹もいると言っていた。今になって分かるが…自身の妹に、ジゼルを重ね合わせている節がある。ジゼルの境遇に同情し、ガルシア家からの頼みもあって、過保護にしてきたのかもしれないが…
過保護が炸裂しすぎている。
逆に危ないだろ?この状態は……
スースー……スースー……
ノアは、彼女を見下ろしながら、ため息をついた。
まあ、いいか。どうせ私室にいるのだし、俺と婚姻を結ぶのも、時間の問題だ。何も知らなくても、何の問題もないか……
これから俺が教えれば良い事だ。
また、難を逃れたジルベールは、スヤスヤ寝息を立てている。
とりあえず、彼女を起こして朝食を食べよう…
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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