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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
57/128

30.ノードレド地方の食文化についてどう思われますか?


 ……さま……おねえさま……



「お姉様っ!朝よ!起きて!」



 頭の上から、可愛らしい声が降ってくる。

 見慣れた天井、私の家の、私の部屋だ。



「ん……メイジー……もうちょっとだけ……」


 ジルベールは寝返りをうち、メイジーが作ってくれた、大切なぬいぐるみの山に顔を埋めた。


「もうっ!お姉様はいつもそうなんだから…遅刻しちゃうよ⁈エイダンが、朝ご飯準備してくれてるよ!早く一緒に食べようよー!」


 メイジーは、知性を感じさせる、黒の瞳を細めながら、だらしなく寝続ける姉の体を、バシバシと叩いた。


「メイジーは早起きだなぁ……偉いよ……10歳にして立派な淑女だ……」

 ジルベールは、目をつぶったまま、眠そうに答える。


「お姉様の寝起きの悪さが酷すぎるのよ!私は普通なのっ!ほら…ジゼルお姉様ってば!」


 メイジーは、軍服で寝ている姉を、服ごと、ぎゅーっと引っ張った。


「お、き、てぇぇぇ!!」


「分かった分かった。メイジー……起きるから…おいで。」


 ジルベールは、ベッドに寝たまま、いつもの様に、妹を抱きしめた。

 妹を抱きしめる自分の左手に、短剣の網紐が結ばれているのが見える。


「あれ……私、家なのに短剣結んじゃったのか。癖になってきたのかな…」


 メイジーは、にっこりと笑って、私に抱きついてくる。こうやって、出勤前に、メイジーが部屋に起こしに来てくれるのは、いつもの事だ。


「ああ、そうだ、メイジー。私はまた、お仕事で他の国に行くけれど、お土産は何がいい?何か欲しい物はある?」



「君の、その両目が欲しい。その目に、常に正しく映りたい。」



「え…………やだな、メイジー!君、じゃなくて、お姉様、でしょう?目が欲しい…?メイジー…私はね、メイジーになら、何だってあげるよ?多少難しい物でも、手に入れてくるから。考えておいて!」


 妹の、燃える様な輝く赤毛の髪に、顔を寄せる。

しっかり者で、義母(はは)に瓜二つの、かわいいメイジー。

いつもの、子ども用の石鹸の匂いが──


 ……………しないな………


 この匂いは、あの高そうな貴婦人石鹸の匂いだ。


 メイジーの髪の毛、なんだかチクチクする。


 それに、メイジーの体、固くて大きくないか?


 …………メイジー?………



「…うぅ…ん……メイジー?」


「ジゼル、起きたか?」

「…………うわっ!!」


 見慣れない天井、軍の私室だ。ふかふかのベッドの上、紺色の髪の毛が、視界いっぱいに広がっている。


 私は、メイジーではなく、覆い被さるアイゼン少佐の紺色の髪に、顔を寄せていた。


「少佐……し、失礼しました……くっ……重…」

 私は少佐の両肩を押し返そうとしたが、びくともしない。


「でも、こんな朝早くにどうして──……!」

「何だ?ジゼル。」


 どうして少佐が私の私室に…そう尋ねようとして、私はハッとした。


──ここは兵舎だ。上官が部下の部屋にいるのがおかしいか?──


 一度、同じ質問をして、そう返された。上官に、同じ質問を何度もする訳にはいかない。


「いえ、何でもありません……ぐ……」

 私は、依然としてびくともしない、少佐の両肩をぐいぐい押しながら答えた。


「そうか。」

「ひゃあっ!」

 少佐は、両肩をぐいぐい押す私の両手を引き剥がすと、そのままぎゅっと、私を抱きしめた。



 まだ、こんな早い時間……


 私はどうして、ベッドで少佐に抱きしめられて…



「ジゼル、君は、軍ではリーに起こされ、家では妹に起こされているのか?君はもう軍曹だろう?先日も言ったが、2階級上から将校になる。将校になっても、自分で起きないつもりなのか?野営訓練は、精神的にも、かなり疲弊するのは理解出来る。寝起きが悪いのも、それが原因なのかもしれないが…少しは危機感を持ってもらわなければ、心配でならない。このままでは、前線でも同じ様に───」


 少佐は私を抱きしめたまま、顔のすぐ横で小言を言う。こんなゼロ距離で小言を言われても、頭に入ってくる訳ないじゃないか。


「うう……あの……重い…です……」

 私に小言を遮られて、少佐は少しムッとした表情をした。


「君が、俺を妹と間違えたのだろう?」

「す….すみません……」

 そうだけど…答えになっていない様な…


 少佐は私を引き寄せ、抱きしめなおした。全く離れようとしない。

 そして、私の左手に結ばれている短剣の網紐を解くと、私の左手をそのままベッドに縫い留め、自分の右手で私の頭を撫でる。


 少佐は、私を押さえつけたまま、私が夢の中でメイジーにしたように、私の髪の毛に顔を寄せて、大きく息を吸い込んだ。


 もう……よく分からなくなってきた…

 

 眠い………夢かな……?これ……


 その方が、納得出来る……


 そして…それなら、まだまだ眠れる……



 スヤ………



 ……スースー……




「こらっ!起きなさい!」



「っ!!」

 

 私はハッとして、目を開けた。

 軍の私室だ。何だか、変な夢を見ていた様な…


 ベッドの端に少佐が立って、こちらを見下ろしている。私は目をこすりながら、少佐を見上げた。


「君は…全く信じられないな…あの状況から二度寝するか?普通……」

 少佐は何やらぶつぶつ小言を言って、機嫌が悪そうだ。


「ジゼル、起きなさい。訓練に遅れるぞ。」

「え……でもまだこんな朝早い時間…」

「早くない!君はいつも、一体何時まで寝ているのだ⁈」


 そう言われても…軍服に着替えて、食堂に駆け込んで…ギリギリ間に合う時間には起きてるのに…


 そういえば、何だか良い匂いがする様な…


「ほら、座って後ろを向きなさい。」

 私が、匂いの元を探してキョロキョロすると、少佐に抱えられ、ベッドに座らされた。


「!!」


 次の瞬間、いきなり髪の毛を触られて、私はびっくりして振り返ろうとしたが、少佐に肩をぐっと押さえられて、前を向かされる。


「じっとしてなさい。すぐ済む。」


 そして、髪の毛に、櫛を入れられる。


 少佐は…髪の毛をとかしてくれている様だ。

 所々絡まっている毛先も、痛くない様に、そっとほどいてくれる。


 少佐は、何か本を確認しながら、手際良くとかしてくれる。私はされるがまま、終わるのを待っていた。


「よし…ジゼル、いつも何で髪を留めている?」

 とかし終わった少佐が、聞いてくる。

「あ、はい。これです。」

 私は、ベッド横の、サイドテーブルに置いていた留め具を渡した。しかし、少佐はそれを見て、目を見張った。



「ジゼル……まさか、とは思っていたが…これは、軍の総務課で支給される、軍用の輪ゴムだろう⁈君はいつも、これで髪を留めていたのか⁈」



「え……はい、少佐。」

 少佐は、銀色の髪の毛が数本絡まっている輪ゴムを掌に乗せ、信じられないという顔をしている。


 でも、軍用の輪ゴムは丈夫だし…ちょっと髪の毛が絡まるけど…いつでも捨てれるし、すぐに貰えるし。うってつけだと思ってたけど。


「ジゼル、俺は、女性の身に付ける装飾品については、正直良く分からないのだが、流石にこれは駄目だと分かるぞ!」

「えー…そうですか?」

「駄目だっ!全く…一緒に借りてきて良かった。確かここに…ほら、前を向きなさい!」

 少佐は、小さな袋から何やら取り出し、また私の肩をぐっと押さえて、前を向かせる。


「……こうか。さほど難しくは無いな。……これは…うちの家紋が入っているな。まぁ、良いか。虫除けになるだろ。」

 何やら、またぶつぶつ言いながら、私がいつもしている様に、髪を一つに結んでくれた。


「よし、出来たぞ!」

 少佐はそう言って、私の頭を右手で、軽くポンポンと叩いた。私は少佐を振り返って、結ばれた髪の毛を触る。


「ほら、早く顔を洗って着替えてきなさい。」

 まだ、ボーっとしている私に、さっさと着替える様に促してくる。少佐は、当然の様に、私のクローゼットを勝手に開けると、私の下士官用の軍服をさっと取り出して、軍用ブーツと一緒に、私にぎゅっと押し付けた。そして、私の背中を押して、洗面台のあるシャワー室に、私を押し込んでドアを閉めた。


 ──バタン──


「………………」


 私は、軍服とブーツを両手に抱えたまま、洗面台の鏡をじっと見た。そこには、いつもみたいに適当じゃ無く、綺麗に髪のまとまった私が映っている。丁寧にとかされた髪は、ほつれもなく毛先までツヤツヤしている。


 髪は、輪ゴムじゃなくて、きちんとした髪留めで、頭の上の方から一つにまとめられている。髪留めには、丸い、小さな銀色の飾りが付いていた。


 少佐は………


 少佐はどうして、私の身支度をしてくれるのだろう………


 鏡に映る私は、答えを知っているはずも無い。

 ただそこには、ツヤツヤした髪で、眠そうな、古傷だらけの顔が映っている。


 考えても分からない。鏡の中の私は、とりあえずその軍服を、さっさと着ろと言っている様だ。その通りだな。

 私は、急いで、顔を洗って軍服に着替えた。詰襟の留め具を留めて、ブーツを履く。だんだん眠気が無くなってきて、だいぶ思考がしっかりしてきた。


 ………私……さっきの……夢……?


 何だか、ベッドで抱きしめられていた様な……


 そーっと、シャワー室のドアを開けて顔を出した。



「ジゼル、着替えたか。朝食を食べよう。」



 私が顔を出すと、すぐに少佐が寄って来て、着ていた室内用の薄黄色のワンピースをさっと取り上げた。そしてまた、当然の様にクローゼットを開けると、ワンピースを掛けて、クローゼットを閉める。そして、ソファーの方に、すたすたと歩いて行く。


 その一連の流れを、他人事の様に見ていた私の鼻に、またいい匂いが漂って来た。


「朝食……?」

「そうだ。ほら、おいで、ジゼル。」


 少佐が手招きする、ソファーのテーブルの上には、美味しそうな朝食が並んでいる。



「わあぁ!美味しそう!!」



 私は一気に目が覚め、ソファーに駆け寄った。


「君は……今、やっと目が覚めた様だな。」

 少佐が、やれやれという顔で、私を見てくる。

 

 テーブルにかけられた、柔らかな水色のテーブルクロスの上には、いつもエイダンが用意してくれる様な、パンや、スクランブルエッグや、ハム、サラダ…サラダには、みずみずしい櫛切りのトマトも乗っている。それらが2人分、行儀良く隣り合わせに並んでいた。


「ジゼル、座りなさい。」

 少佐はそう言って、温かい珈琲の入ったカップを左手で手渡してくれた。自分も右手に珈琲の入ったカップを持ち、ソファーに座ってそれを飲む。

 私は、渡された珈琲をもらって、少佐の隣に腰掛けた。座った重みで、少しソファーが沈んだ。


 カップに入った珈琲は、温かくていい匂いがする。テーブルに置かれた、お湯の入ったポットの横には、朝食を入れていたのだろう、薄い木材で編まれたバスケットが置いてあり、その中に、コーヒーを淹れた後の器具も入っている。


「あの……ありがとうございます。少佐が淹れて下さったのですか?」

「ああ。アイゼン家(うち)の料理長に、朝食も準備してもらったのだが、何でも、料理長が言うには、この珈琲豆は最近流行りの物らしい。確かに美味しいな。ベネット公爵家が、仕入れている物らしいが…」

 珈琲を飲みながら、納得した様に少佐が呟く。


「モニカが…最近流通経路を開拓したと、言っていました。美味しいです。」

 私も飲みながら答えた。

「そうなのか。本当に手広くやっているんだな。ベネット公爵家は……」


 美味しい。本当に美味しいのだけど…私が美味しいと思ったのは、モニカが仕入れた豆のおかげだけじゃなくて……


 私は上手く言えずに、じっとカップを見つめた。こんな、お礼一つも、私は伝え方が分からないのだな…



 少佐は、私の為に、こんなにも親切にしてくれているのに…



「ジゼル…どうかしたか?何か、足りない物があるのか?」

 少佐が、私の顔を覗き込んで尋ねる。

「いえ、違います。そんな事は……あの……えっと…用意して頂いて、ありがとうございます、少佐。」

 

 少佐は、私の答えを聞いて微笑んでくれた。夜色の瞳が、優しく緩む。

 だけど、本当は、もっと違う答えを言いたかったのだけど……どう言えば良いのか、結局よく分からなかった。


 エイダンの言う通り、何て残念なんだ。

 私は………


「ジゼル、食べよう。今日の訓練は、午前中全体訓練だったか?午後はどうするのだ?」

「はい。1ヶ月間は下級兵の強化訓練期間ですので、午前中は、私が付いているルイス少尉の小隊の、全体訓練に出ます。オーウェンの分隊は特にそうなのですが…全体的に下級兵が多いので、基本動作を、一人一人確認したいと思っています。足音が、ほんの少し小くなるだけでも、単独行動の際に有利ですから……午後は───」

 私はふわふわのパンをちぎりながら答えていたが、ふと、エイダンの言葉が頭をよぎった。



──じゃあ、少佐にジゼルって呼ばれたら、何て返せばいいの?──


──ノア様、に決まっているでしょう⁈ここまで説明して、なぜ分からないのですかーっ!!──



 そう……アイゼン家で、夕食に呼ばれた時から、正さねば、とは思っていたんだ。


 エイダンの言う通り、自分の事を、自分の社交の不出来さを残念に思うのならば、早急に正しい呼び方で答えなければいけない。



 でも……でも……


 どうしてだろう……


 頑張って、そう呼ぼうとすると、


 息が…苦しくなって……



 私は、ちぎったふわふわのパンを口いっぱいに頬張った。美味しいパンを一刻も早く体内に取り込もうと、私の口からは一斉に唾液が出る。そして、少佐の方を、じっと向き直った。


「……ジゼル、ど、どうした急に…いや、午後の予定は、言えないのなら、言う必要は無い。君は、諜報部からの依頼も来ているだろう?それについては、言えないだろうから──」

 

 私はパンを、ごくんと飲み込んだ。そして、珈琲も、ごくごくと飲み干す。



「ぷはっ……」

「ジゼル………?」


 

 言うぞ……言うんだ……言うんだぞ……


 淑女に……なるんだっ……



「ノ……ノ……」

「え?何だ?良く聞こえないが……」


「ノ………」

「の?」



 言葉が……出てこない……息が苦しくて……



「ジゼル⁈大丈夫か⁈何だか苦しそうだが…ああ!パンが喉に詰まったのか⁈」


 いや、パンは詰まってない。

 私は言葉に詰まっているだけで……


 少佐は、流し込みなさい、と、私の空のカップにコーヒーのおかわりをついだ。そしてそれを、ぐいぐいと私の口元に押し当てる。


「ノ…ノ…」

「ジゼル、飲みなさい!」



 言え!言うんだ!

 

 言えーーーっ!



「ノ…ノ………ノードレド地方の食文化について、どう思われますかっ⁈」

「は?」



 言えなかった………

 私の口の中に、珈琲のおかわりが流れ込んで来る。



「……ごくっ……」



「良かった、パンの詰まりは取れた様だな。ノードレド地方……ここから南方だな。俺はあまり詳しくないが、そこの食文化は変わっているのか?」

「変わっている訳では無いのですが、主食が、稲科の種子で、炊いたり、蒸したりするのですが──」

「そうなのか。」


 朝食を食べながら、ノードレド地方の食文化を力説する私を、少佐は頷きながら、優しく見守っている。


 食べ終わって、食器類を片付けたバスケットを片手に持った少佐は、一緒に私室を出ながら、そんなにその地方の食文化が好きなら、料理長に言って作ってもらおう、と私の肩を抱き寄せて、笑っていた。

お読み頂き、ありがとうございます。

不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。

少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


続きが気になる!と思って頂けましたら、

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どうぞよろしくお願いいたします。

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