29.傭兵フレイヤ
「フレイヤ……!どういう事だっ⁈なぜ……なぜ、このタイミングで、復帰するなどと…」
ガルシア家の玄関先に、ガルシア男爵の悲痛な叫びが響いた。
「なぜ……?ジキル、分かり切った事を聞くな。ジゼルが、ふざけた王命で碌でも無い軍に取られた。あいつら…私の娘まで……許さない….」
ガルシア男爵夫人は、腰の辺りまで伸びた、癖のある、燃える様な赤毛を逆立て、黒の瞳を血走らせて、夫を睨みつけた。
彼女は、右肩に麻袋を担ぎ、背には、ベルトに通した太い剣を背負っている。両手の甲には巻布をし、足には革のブーツを履く。
そして、左手には、自身に瓜二つの、幼い子どもを抱いている。
「マッマ!マーマ!」
「大丈夫よ!メイジー!ママと一緒にお出掛けしましょうね。」
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私は、親の顔を知らない。
物心ついた時から、傭兵稼業の、年老いた養父に育てられていた。もしかすると、実の父親だったのかもしれないが…寡黙な男だった為、分からない。
養父はいつも、酒場で仕事を取ってくる。私も10歳を過ぎた頃から、養父から指示される、簡単な仕事を請け負う様になっていた。
大人になり、傭兵として毎日を過ごしていたが、ある日、碌でもない国の軍人と出会ってすぐに、結婚して欲しいと願われた。
銀髪に、水色の瞳で、恐ろしく剣の腕が立つ男だったが、素手だと私の足元にも及ばなかった。
ただ…運の強そうな男だと…そう思った事を覚えている。
軍人なんか、どこの国も大して変わらない。碌でも無い事には変わらないのだが…
私も気の迷いか、男の申し出を承諾してしまった。
そして、男の家に付いて行ってみれば、男は貴族で、前妻は幼い子どもを残し先立ってしまったと言う。
結婚を願った時に、説明したはずだと言われたが…そうだっただろうか…
そもそも酒場で飲んでいたからな。良く覚えていない。
前妻の子どもは、もうすぐ入軍するという少年と、まだ上手く歩けない位の、幼い女の子だった。
どちらも、夫になった男に良く似ていたが、女の子の方が、髪色も、瞳も、運の良さそうな所も、特に良く似ていた。
結婚してからの暮らしは…今までとは全く別世界だった。領地を維持するための小難しい仕事や…森に出る獣の駆除は簡単だったが、書類仕事はよく分からない。町の整備や維持管理も大変だった。
昨日まで傭兵だった私を、領主夫人と呼ぶ、領民達。今日からは、雇い主では無く、彼らの暮らしを、守らねばならない。
そして、私を母と呼ぶ、幼い子ども達の世話が、特に大変だった。女の子の方は、産みの親の記憶が無いため、しばらく私を実母だと思っていた。
二人とも元気で、特に女の子の方は、お転婆というのだろうな。おしとやかではなかったが。素直で可愛らしい。二人が成長する姿を見る事が、日を追う毎に、楽しみになっていく。
傭兵だった頃は、知らなかった。
大変で…面倒くさくて…
苦労も多いが、満ち足りる。
人には、こういう暮らしもあるのだな。
私はすぐに、稼業を引退した。
しばらくして、夫との子どもが産まれ、
また子育てに忙しくなった。
幸せだった。
四肢が、ばらばらになった息子の遺体と、
売られ行く家畜の様に徴兵される、娘の姿を見るまでは……
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「ジキル…私は流れの傭兵稼業で、各国の軍には詳しい。あんたも軍人だったのなら、この国の碌でも無い軍の奴らが、どうやって兵を育てるのか、知らない訳じゃないでしょう?自分もやってたのだろうからね⁈」
「フレイヤ………」
「ジゼルが…あの子がっ……人間を殺して耳を削げると思うの⁈喧嘩だって、した事も無いのに……軍の指示を聞けなかった兵が、その後どんな扱いを受けるか……知ってるんでしょう⁈」
フレイヤは、怒りで我を忘れている様に見えた。
「絶対に許さない。私は傭兵だったけど、金を積まれたら、特定の人物の殺しも請け負っていた。知っていて、私を妻に望んだのでしょう?ジキル。知らなかったなんて、言わせない…いつか、リソー国王をぶち殺して欲しいって依頼が来た時に、いつでも受けれる様にするために…鈍った勘を取り戻さないとね。あ、メイジーは連れて行くわ。まだ小さいし。あなたも足が悪いしね。お世話するの大変でしょう?」
「フレイヤ、考えなおせ…君が復帰した所で、テオドールもジゼルも…どうにかなる問題では無い!せめて…メイジーは置いて行けっ!」
「どうにかするために、復帰するのよ。あと…悪いけど、ちょっと気晴らししないと…自分を抑えられない…大丈夫。当面は、護衛の依頼だけにするから。私も貴族の妻だしね。血生臭い依頼だと、醜聞なんでしょ?じゃあ、しばらくしたら、戻るから。」
フレイヤの瞳は、黒く、深く、沈んでいる。
強い意志を感じさせるその黒い瞳は、対峙した瞬間、相手に力の差を即座に理解させる。
かつて、自分もそうだった。その瞳に、自分がどれだけ…枠にはまった小さな存在かを、教えられたのだ。
そして、その瞳は今、有無を言わさずまだ幼い娘を連れ、傭兵稼業に戻ると告げている。
「フレイヤ!待て!考えなおせっ!フレイヤーッ!」
「パッパ!バイバーイ!キャッキャ!」
「いい子ね、メイジー。」
フレイヤはそう言い捨てると、メイジーを片手に抱き抱え、さっさと歩いて出て行った。傭兵の斡旋所に向かったのだろう…
玄関先で、崩れ落ちるガルシア男爵に、執事頭の少年が、そっと寄り添った。
「旦那様、私には……奥様の気持ちは…痛いほど理解できます。止める事は出来ませんよ。領地経営は、私がお手伝いしますから。」
「エイダン……」
「それに…旦那様もご存知でしょうが…今、ガルシア家の財政は、とても厳しい状況です。テオドール様亡き今……軍からの収入は、ほとんどありません。町民からの税金も、上げる訳には参りませんし、老朽化した町の建物や、道路、水道の整備に、冬季の備蓄…森の獣も駆除しなくては…正直首が回りません…ですが、ここで、奥様が傭兵業で稼いで下されば!この危機は免れます!」
執事頭の少年は、希望に満ちた声で告げた。
「まあ、確かに…フレイヤは現役時代、この辺では、雇う際に一番高値がつけられた傭兵だったからな。多少ブランクがあっても…そこそこ稼げるはずだ。」
「奥様ー!なるべく高値で!!多少ふっかけてでも、仕事を取ってきて下さいー!!」
すでに遠くの方に、小さくなっているフレイヤの後ろ姿に向かって、執事頭の少年が叫んだ。
フレイヤは、右手をヒラヒラさせている。
聞こえたのだろう。
「エイダン…現金な奴だが…君がいてくれて助かった。小さな領地とはいえ…私一人では…まさか、フレイヤが復帰するとは。いや…フレイヤの身は、絶対に大丈夫なのだが…全盛期の私でも、武器無しでは、彼女に敵わなかった。しかしメイジーまで連れて行くとは…」
ガルシア男爵は頭を抱えた。
「旦那様…今は、各々が出来る事を成し遂げ、危機を乗り越える時です。ジゼル様も…いえ、もうジルベール様ですね。必ず、生きて…軍務を成し遂げられます!私は信じておりますから。」
「その通りだな…エイダン…」
執事頭の少年は、足の悪い主人に肩を貸し、ゆっくりと立たせた。
「本当に依頼が来れば、良いですね。リソー国王を殺してくれと…」
「やめろ、エイダン。クソ野郎には違いないが…貴族家の夫人が、大っぴらに傭兵稼業をする訳にはいかんだろう?しかし…復帰してしまったのなら、仕方ない…」
「どうせなら、奥様を徴兵して下されば良かったのに…元々傭兵なんですからね…」
「…………無双するぞ、フレイヤは。」
代々、ガルシア家の嫡男を従軍させるという王命により、幼い娘は徴兵された。
彼女が、無事にリソー国軍で生き延び、自身の軍服を次々と酒代に替えるまでに成長するのは、これから8年後となる。
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