28.牙と盾
スースー……スースー……
ジゼルは、眠ったまま、また、せっせとその小さな口をもぐもぐ動かしている。
夢….…だろうか。
先日、自分も、噂には聞いていた、夢というものを見て正直驚いた。あれ程鮮明に、現実でない光景が見えるとは。
ジゼルは……食事の夢だな。今日、アイゼン家で食べた夕食が、よほど美味しかったのだろうか。
一緒に食べた夕食を…
夢でもまた、食べてくれているのだろうか……
ノアは、実家での食事を終え、ジルベールを私室に送り届けた後、自身の執務室に戻った。そして深夜、軍務を終えた後、無遠慮に、またジルベールの私室に入り、ベッドの端に腰掛けている。当然だが、ノアが私室に入って来ても、寝起きの悪いジルベールが起きる事は無い。
ノアは、ベッドの上に丸まって、寝息を立てる彼女をじっと見つめた。
俺が私室に入って来た時…彼女は、ぬいぐるみの山に、上半身を突っ込んで寝ていた。ぬいぐるみの山から、彼女のか細い足が2本、飛び出していたのだ。
一体、何をどうしたら、こういう寝方になるのだ……?
ノアは苦悶の表情を浮かべ、ぬいぐるみの山から飛び出しているジルベールの足首を掴み、引っ張り出した。寝息を立てるジルベールが、ズボッと山の中から出て来る。
ジゼルは、両手で、カラフルな鳥の人形を抱きしめていた。彼女が抱きしめていると…狩りで仕留めた様だな。
そして、やはり彼女は起きる事なく、そのまま寝息を立て続ける。
エイダン殿に、ジゼルの実家のベッドは、ぬいぐるみだらけだと聞き、そうしたのだが…何か違ったのだろうか。寝相が悪くても埋もれない位の、もっと大きいぬいぐるみだったのか?
………分からないな。後で彼女に聞いてみるか。
ノアは、敷布に緩やかに広がる、ジルベールの髪の毛に、そっと触れた。
──ノアと、もうキスしちゃ駄目だよ!もうノアとは、仲良くしないでね!──
──えっ……!うん……わ、分かった…──
先程、無理矢理頬に口付けたが、
それでも何故か溜飲は下がらない。
別に、リアムの発言はいいのだが。本気だったとはいえ、子どもの言う事だ。
だが……
子ども相手とはいえ、あんなにも軽々しく了承するものか?
あの時、正門で……
確かに微笑み返してくれたのに…
ノアは、ジルベールの銀色の髪の毛を手に取り、ため息をついた。
言いつけ通り、室内用の服を着ているな。その点については、感心出来る。用意していた、薄黄色のワンピースの裾が、彼女の銀色の髪の毛と同じ様に、ベッドの上に柔らかく広がっている。
初めて見る、軍服以外の姿だ。まあ、広報部のポスターで、ドレスを着ている物もあるが…あれは、軍が選んだ物だからな…
この服は、想像通り、良く似合っていて、可愛らしい。今は、部屋が暗くて、色ははっきり分からない。明日の朝、改めて見るのが楽しみだな。
そして、手に取ったジルベールの、その銀色の毛先を、掌でくるくると弄ぶ。若々しく、艶のある髪の毛は、あまりとかされていないのだろう。所々絡まっている部分がある。
──そういえば、室内用の服も、ソフィアが選んでくれたけど、本当にあの色で良かったの?──
──ソフィアがね、普通婚約者だとか…そう言った女性に服を贈る時は、自分の髪色とか瞳の色を入れたりするって。紺色にしなくて良かったの?──
テオドールは……
彼女の好みでさえ、捉えたまま離さないのだな…
スースー……スースー……
スースー……スースー……
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
アイゼン公爵家での食事中、ノアは、母親に連れられ、別室に入った。母親は、ソファーに腰掛け、向かいに座る様、息子に指示する。
「何の件でしょう?母上。」
母親は、早く元の部屋に戻りたそうな息子の顔を、じっと見つめた。
「………嬉しそうね、ノア。貴方も、そんな顔をするものなのね。」
「嬉しそう……もちろんです、母上。彼女が、家に来てくれたのですから。これで…あの煩い既婚者に文句は言わせない…」
「え?なんですって?既婚者?」
「いえ、何でもありません。」
母親は、不思議そうな顔をしたが、すぐに話を切り出した。
「ノア、ジョセフから、話は全部聞いています。私も、反対する気はありませんが…貴方、アイゼン家の者として、婚姻を結ぶのなら、きちんと準備が必要ですよ?ジョセフから聞いてますが、ジゼルさんとの婚姻を、早くと急かしているのでしょう?近く私とジョセフがガルシア家に赴きますが、婚姻に必要な準備の事など、貴方は考えてもいないのでしょう?」
「準備ですか…具体的には、どういった事なのですか?母上。」
母親は、息子の答えを聞いて、やっぱり…とため息をついた。
「一般的な、貴族家同士が、婚姻を結ぶ際の準備ですよ。婚礼の際の、服や指輪や──」
しかし、母親の答えを聞いて、ノアは言葉を遮った。
「母上、特に私は、そういった慣習には拘りません。彼女も軍人ですし、形式ばったものは──」
「ノア、それは貴方が考える事ではありません。」
母親は、静かに、だがはっきりと、息子に告げた。
「貴方が婚姻を急ぐ気持ちは分かりますが、ガルシア家が……ジゼルさんが、それをどう思うかですよ?例え結果的に、先方に全て不要だと思われたとしても、自分の為に準備された物は、嬉しいものでしょう?」
ノアは、何か考えている様な顔をした。
「それに…ジゼルさんは、自分の為に相手が準備してくれた物を、無碍にする様な方では無いと思いますよ。ノア、貴方、彼女の喜ぶ顔が見たくはないのですか?」
「……私が軽率でした、母上。」
「分かったのなら、準備を進めなさい。この紙に、貴方がすべき事を書いておきましたから。あと、婚姻の指輪ですが、アイゼン家は、両家の家紋を彫って相手に送るのが慣わしです。私も付けているでしょう?」
母親は、左手の薬指に光る指輪を息子に見せた。ノアは、母親がそんな物を付けている事を、言われてから初めて認識したのだった。
「ちゃんと、彼女の指のサイズを測ってから、作るのですよ?」
「指のサイズ…?」
ノアは不思議そうに聞き返した。
「まさか…ジゼルさんの指が、自分と同じ大きさだと思っているのではないでしょうね?」
母親は眉間に皺を寄せる。
「ああ、そういう事ですか。ですが…どうやって測れば…まさか、店に連れて行く訳には……」
「もうっ!そこはどうにか…隙をみて測りなさいっ!貴方はどうして仕事以外はこう……物分かりが悪いのですかっ!!」
母親はテーブルを右手でバンバンと叩いた。
「申し訳ありません。」
「全く…ジゼルさんはあんなに素敵な方なのに。貴方、後で、サインを貰っておいてちょうだい。」
「サイン?」
「よく、軍の広報活動で配っているでしょう?ジルベール・ガルシアのサインですよ!あと、今度、いつ彼女が夜会に出るか、教えなさい。ファンの令嬢達と、ダンスをしているでしょう!」
「分かりました……目的はこっちか……」
ノアは小さく呟いた。
母親は、息子に、言いたかった事を全て言い終え、晴れやかな顔で微笑んだ。
「ノア、分かってくれて嬉しいわ。貴方、ジゼルさんが相手だと、私達の言う事も素直に聞くのね。」
そしてついでとばかりに小言を言う。
「では、戻りましょうか、ノア。」
「ああ、そうだ、母上。私からもお願いがあるのですが。お借りしたい物がありまして──」
⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎
ノアは、ジルベールの左手の薬指に、計測用の紐を巻いた。起きる事の無いジルベールの指のサイズは、あっさりとノアに知られる事となった。
……思ったより、小さいな。女性の指とはこんなものなのか?
ノアは、測り終えた計測用の紐を、しげしげと見つめた。
後は、両家の家紋を入れるだけだ。ガルシア家の家紋は……銀狼だったな。自身が身につける指輪なら、問題は無いだろうが…ガルシア家特有のあの家紋は、王命により、対外的に使用する事を禁じられているものだ。
ジルベールの、小さな形の良い唇は、今もせっせと食べ物を食べる時の様に動いている。
ノアは、ジルベールの額に手を当て、銀色の前髪を掻き上げると、そのままこちらを向かせた。
スースー……スースー……
彼女が、弱く無い事は分かっている。
彼女は、強い。
絶望的な状況になっても、ためらわずに牙を剥き、抗う事の出来る、強い人間だ。
スースー……スースー……
けれど…
けれど、許されるなら、守ってやりたい。
スースー……スースー……
スースー……スースー……
「ジゼル………」
スー……んう……………ぷは……スー……
スースー……スースー……
起きないな。
あれだけ注意したにもかかわらず、
起きない彼女が悪い。
ノアは、身勝手に自身の溜飲を下げると、一度顔を離し、何も知らないジルベールの顔を、うっとりと見つめて、右手で撫で回した。そして、またジルベールの前髪に、額をぴったりとくっつけて呟く。
「ジゼル、絶対、守ってやるから…だから…少しはこちらを向いて欲しい…」
スースー……んむ………うぅ………ぷはっ……
う…………スー……
スースー……スースー……
スースー……スースー……
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
続きが気になる!と思って頂けましたら、
「★★★★★」をつけて応援して頂けると、励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。