27.おやすみジゼル
「本日は、ありがとうございました。アイゼン少佐。」
軍事基地に戻り、ロビーに入った所で、リー中尉が敬礼をしながら少佐に言った。私もリー中尉の後ろで、そっと敬礼をする。
「こちらこそ、感謝している。軍務に戻るのか?リー中尉?」
「はい、少佐。」
えっ!リー中尉これから軍務に…私なんか、お腹いっぱいで、あのふかふかなベッドですぐに寝ようと思ってたのに…中隊長になると大変なんだなぁ…
私は、そう思いながら、リー中尉に可哀想…という哀れみの視線を送った。あんなご馳走を食べた後で、また軍務だなんて……
恐らく、それに気づいたリー中尉が、横目でジロッと私を見てくる。
「分かった。ジゼル、俺が私室まで送ろう。」
「え……あ、はい!少佐。」
「リー中尉、明日からまた、中隊の野営訓練よろしく頼む。」
「はっ、少佐。」
リー中尉にそう告げると、アイゼン少佐は私室に向かって歩き出した。
「おい!ジル!早く行けっ!」
「す、すみません。リー中尉、おやすみなさいっ!」
ぼーっと敬礼を続ける私を、リー中尉が小突き、私は少佐の後を小走りで追いかけた。
「アイゼン家の料理は気に入ったか?ジゼル。」
私が少佐に追いつき、少し後ろを歩いていると、少佐は歩みを遅くして、私の横に並んだ。
「はい!全部美味しかったですが、少佐に教えて頂いた、東方の料理が特に……任務に出た時に、異国の料理は良く食べるのですが、東方の料理はまだ食べた事がありませんでした。」
「そうか。」
少佐は、嬉しそうにこちらを見て微笑む。
「東方の任務があればいいのになぁ…」
是非、現地で本物を食べてみたい。異国の料理を食べれる事は、任務中一番の楽しみだ!私は東方の地に想いを馳せた。
「そんなに気に入ったなら、夕食に作ってもらおう。」
「えっ!良いのですか⁈」
私は目を輝かせた。
「ああ。何でも君の好きな物を言って良いと、言っただろう?先程、食事中にも話したが、料理長が言うには東方の料理は種類が豊富らしい。いろいろ作ってもらおう。俺も食べた事が無いから、楽しみだな。」
「ありがとうございます!あー…でも、肉のシチューも美味しかったなぁ…」
「ジゼル、君はテディ程食べないと豪語していたが…良い勝負では無いのか?」
「そんな事ありませんよっ!さすがにあの街の食堂のメニュー全部は…いくらなんでも無理です!知り合いの子ども達が来てくれて、助かりましたよ。」
「あはは!そうだったな。」
「だいたい、少佐は全然食べてくれないじゃないですか…サラダをほんの少ししか食べてなかったですよ!」
私は戦力外の少佐の胃袋に対し、口を尖らせた。
「そうか?そう言えば、テディにも、同じ様な苦情を言われた様な記憶が……」
「そうでしょう?少佐は少食過ぎると思います。」
「君達兄妹に言われても、あまり説得力は無いな。」
少佐は、少し笑いながらそう言った後で、言葉を続けた。
「君が食べさせてくれるのなら、いくらでも入る気はするが───」
「え………?」
私が少佐の言葉に目を見開いた時、私の私室の前に着き、少佐は私室の扉を右手で開けた。
何だか、あっという間に着いちゃったなぁ。リー中尉と一緒で、少佐もまた軍務に戻るのだろうか。
「少佐も、軍務に戻られるのですか?」
「ああ。」
やはり、佐官や将校になると、大変なのだなあ。
私は、開けられた扉から私室の中に入った。
──が、なぜか少佐も一緒に入って来て、扉を閉めた。
暗い室内で、扉の閉まる音がする。
「………少佐……?」
私は振り返って、少佐に呼びかけた。返事は無く、少佐の表情は、良く見えない。いや、見えたとしても、エイダンの言う事を聞いてこなかった私には、分からなかったのかもしれない。
「ジゼル、」
そう言って、少佐は自身の左手を、私の後頭部に回した。強めの力で頭を掴まれ、少佐の方を向かされる。
「君は……子ども相手だろうと、容易く変な約束をするな。」
「っ…………!!」
少佐は、私の左頬に顔を近づけ、また、古傷の上に口付けた。
だけどそれは、昨日軍の正門の前でされた時の様な、そっと触れるようなものではなく、しっかりと他人の身体の一部が、左頬にくっついている感覚があった。
強い力で頭を掴まれ、動けない私の左耳から、確かに、とても小さくだけど、「ちゅっ」という音が入って来て、私の体の中に反響する。
ちゅ…………
「ジゼル────」
続けて、少佐が何か言っている気がしたが、初めて自分から響く音が体内にこだましている私は、今、何か言われてもそれどころでは無い。
「あ、あ、あわわわわ……」
私は、パニックになって、右手で口を押さえて、セリージェの冒険や、漫画の登場人物からしか聞かない様なセリフを口走った。そういえば、野営訓練中に、楽しみにしている漫画雑誌の新刊が出る…待ちきれないから、発売日に諜報部補佐官のマリーちゃんに頼んで買って来てもらおう……
いやいや、今はそれどころじゃないだろ。
どうすれば…どう返せば……
エイダンに習った、ありがとうございます、では無い。それは絶対違う。マリーちゃんが漫画雑誌を買って来てくれたら、その時は微笑んでありがとうだ。
いや、漫画はいいから、今は。
どうしよう…どうしよう…どうしよ……
私の頭の中で、マリーちゃんが片手を振りながら小走りで駆け寄って来て、「ジルベールちゃーん、漫画買って来たよ〜!」と言っている。
漫画はいいんだっ!今は…いや、買って来てって頼んだのは私なんだけど……
「えっと……えっと………その………あわわわわ……んむっ───!!」
私が困り果てた時、少佐が、一瞬目を丸くした後、微笑んだ様な気がした。
そして、頭の拘束が解かれ、代わりに前髪を、大きな右手で、そっと優しく撫でられる。
混乱していた頭の中が、だんだんと落ち着いてくる…
でも…左手でギュッと口を塞がれているのは……なぜだろう…私は目を瞬かせた。
「おやすみ、ジゼル。」
そう言って、少佐は私室を出て行った。
パタンと扉の閉まる音がする。
私は……
私は、リアムとの約束はすぐに破ってしまった。
ボーッとしたまま、ベッドの方を振り返る。
「ひぇっ…………」
そして息を呑んだ。
まだ、ランプの明かりも灯らない、薄暗い部屋の中、月明かりに照らされて、ベッドの上に大きな影が見える。
「な……な……今度は、何……」
私はもはや涙目になりながら、ランプにそろそろと近づく。
少し落ち着いてみると、ベッドの上の影からは、生き物の気配はしない。間違い無く人では無いし…動物でも無い……
そして、恐る恐る、ランプの明かりを付けた。眉間に皺を寄せて、ベッド上の影を睨む。
「……………こわっ!」
目を凝らして良く見ると、ベッドの上のそれは、大量に積まれた、ぬいぐるみの山だった。
私はベッドにそろそろと近づいて、ぬいぐるみの山から、1つを手に取った。蝶ネクタイを付けた、ふわふわな毛並みに丸い目の、ピンク色のウサギだ。
「わぁ……近くでちゃんと見たら、どれも可愛いな。」
ぬいぐるみは、多くが両手に乗るくらいの大きさで、様々な種類がある。
リボンを付けた、かわいいクマさんや、毛の長い猫、垂れ目の犬、カラフルな鳥、まるまるとした羊…端の方に魚もいる。ドラゴンや人魚みたいな、想像上の生き物に、ハート形や、お花の形の物もある。それらが、ベッドの上の方に、山積みになっているのだ。
広すぎる程のベッドは、ぬいぐるみの山に上部を埋め尽くされていても、寝るのに十分な広さがあった。
確かに……私の家の、狭いベッドにも、沢山のぬいぐるみが山積みにある。だがそれは、私が好きで買ったものではなく、全部メイジーがお裁縫の練習で、私に作ってくれたものだ。
だから、私はそのぬいぐるみ達を大切にしている。メイジーはお裁縫もとても上手で、最近はどんな動物でも作れる様になった。
義母も、お裁縫が上手で、家のリビングでソファーに座り、メイジーに教えている。仲良く並んでぬいぐるみを量産する2人を見て、エイダンと紅茶を飲みながら、次は何が出来るのか当て合うのが日課だ。メイジーは、ほとんどの動物は作り終え、最近の新作は、かわいくデフォルメされた、緑鱗鳥だった。エラの隙間に、矢が突き刺さっていて、目がバツ印になっており、笑ってしまった。
義母も、メイジーも、お裁縫をしている姿が良く似合う。特に義母の、あの優しく知的な黒い瞳で、お裁縫やお料理や、花壇の手入れをしている姿を見るのが、私は好きだ。何だか見ているとほっとする。
それなのに…ガルシア家にかけられている王命のせいで…義母には苦労をかけている。私が軍人である事も、未だに反対して…どれほど心配させているだろう。早く、義母を安心させて、ゆっくりお裁縫をして、毎日を過ごして欲しいのに…
私は、優しい義母とメイジーを思い出しながら、手にしていたウサギをじっと見つめた。
何者かが……私の実家を再現しようとしている?
でも…私の家のベッドが、ぬいぐるみだらけなのを知っているのは、家族だけだ。
やっぱり、エイダンかな?こんな事するの…でも、何でだろう。聞くの忘れたな。だって、いきなり独房に来るんだもん。
だとしたら、もう家に帰らない訳じゃあるまいし…大げさだなぁ…
私はベッドに寝っころがろうとして、思い出した。
──就寝時はその状況下において、一番効率的に体力を回復出来る様考えねばならない。軍服ではなく、室内用の服で寝なさい。そちらの方が寝易い──
そうだ。めんどくさいけど…あぁ言われちゃったから、着替えないと。……シャワーも浴びよう。昨日使った石鹸は、やはり森では匂いが目立ち過ぎる。
私は、リュックの中から、家から持ってきた、匂いの少ない石鹸を取り出し、シャワー室に向かった。
「あー!すっきりした!やっぱりこの石鹸が落ち着くなぁ。」
私は貴婦人の匂いから脱出し、慣れた石鹸の匂いに包まれた。といっても、ほとんど匂いはしないはずだ。家から持ってきたこの石鹸は、その匂いの少なさから、狩人達に広く愛用されている。
私は、シャワーを浴び終え、クローゼットを開けた。
「………増えてる………」
確か…クローゼットには、薄い黄色のワンピースが2着と、花柄の刺繍の白いカーディガンが掛かっていたはずだが…
その他にも、数着服が掛かっており、可愛らしい靴も、ちょこんと入っている。
「……………」
私は一度ロッカーを閉じた。目頭に手を当てて、うーん……と考えこむ。
見間違いでは無い。服が増えてる。
エイダン……私の生活態度に怒って、もう軍で生活させようとしているのか…?でも…私は家でも、いつも軍服だけどな。それか、シャツか……
こんな服、そもそも着ないのに。義母には良く、こういう服も着る様に言われてたな。
だけど…軍服以外はなんとなく…
そんなに自分は強くないのに、よそ見をしているみたいで……
武芸の腕が落ちる様な気がして、怖くて着る気になれなかった。
私はクローゼットを開け、とりあえず最初に入っていた、薄黄色のワンピースを手に取った。
今日は疲れてるし……後で、他の服は確認しよう…うん。そうしよう。
私は薄黄色のワンピースに着替えると、ベッドにボフンと仰向けに沈み込んだ。そして、父の言い付け通り、短剣の網紐を左手首に結ぶ。
ワンピースは、生地がサラサラして、すごく着心地が良い。軍服以外の服って、皆こうなのかな?これは確かに、少佐の言う通り、寝心地が良さそうだ。ただ…軍服と違って、詰襟じゃないから、何だか首回りが落ち着かない。鎖骨が見えるし。そもそも、生地が軍服と違って薄過ぎて、そわそわする。ちょっとでも斬りかかられたら、貫通しちゃうよ。これ………
……斬りかかられるとか、そんな想定してないよな、この服は……じゃあ…一体何を…想定しているんだろう……
まあ、慣れの問題なんだろう…………あぁ……眠くなってきた……まぶたが重い……
美味しかったなぁ……アイゼン家のご飯……ついでに呼んでもらえて……運が良かった……あんな山盛りのデザート……毎日食べられるのかなぁ……羨ましい……
………ぬいぐるみに埋もれて寝ると……本当に……家で寝ているみたいだな………
……おやすみなさい、少……スー………
スースー…スースー…
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
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