25.震える手
「ジゼル……」
「………もぐ……」
「ジゼル、君は本当に、このケーキが好きだな。」
「……もぐ…………はい、少佐。」
アイゼン少佐は、蕩けそうな目をして…少なくとも私にはそう見える目で、穏やかに笑った。
少佐の、夜色の瞳が、私を真っ直ぐ見ている。
山盛りのデザートの陰で、私は2つ目の木の実のケーキを、食べ終わった。私に食べさせ終えた少佐は、満足そうに、綺麗に空になったお皿とフォークを、手元に引いた。
私達の目の前には、まだまだ山盛りのデザートがある。
「少佐は、何が好きですか?甘い物は、そんなに好きではないのでしたっけ?」
「俺は、これが良いな。」
私に聞かれた少佐は、果物のチョコレート掛けを指差した。あの時と同じ、棒付きのチョコレートだ。
「これ…収穫祭の時に、買って頂いたものですよね!」
「ああ。君と食べて、美味しかったからな。料理長に説明して、作ってもらった。」
少佐は、にこにこしながら、そう告げる。
「そうなのですね。私も好きです、これ。美味しかったですね。」
「ああ。」
少佐は、変わらず、にこにこしながら、そう答えるが、食べようとはしない。
「食べないのですか?」
そしてまた、にこにこしながら返事をする。
「ジゼル、俺は、これが良い。」
「え………」
私は、目を見開いた。
少佐は一言一言、ゆっくり区切ってそう告げた後、ずっと、にこにこしている。
これは……つまり……
私は、少し震える手で、棒付きチョコレートを手に取った。それは、満月みたいな、柑橘類の綺麗な輪切りに、チョコレートが掛かっていて、すごく美味しそうだった。
そして、少し震える手のまま、少佐の口元に差し出す。
私……私は……今、どんな顔をしているだろう…
少佐はどうして、こんなに嬉しそうに───
「ノアッ!!」
「ジルッ!!」
「っ!!」
少佐の口が開きかけた時、アイゼン中将とリー中尉の怒鳴り声が重なった。
「痛っ!!」
私はリー中尉に叩かれ、少佐はアイゼン中将に、襟首を掴まれ、締め上げられている。
満月みたいな棒突きチョコレートは、叩かれた勢いで、私の手から離れ、デザートの山の中に突っ込んでいった。
「ジルッ!お前……少佐に何やってんだ⁈少佐はリアムじゃねぇんだぞっ!!失礼だろっ!!」
「リー中尉……違うんです、これは……」
「あ?何が違うんだよっ!!」
「た…確かに…何が違うのだろう……」
「訳分かんねえ事言ってんじゃねえぞっ!!お前…下士官のくせに、少佐に失礼な事すんじゃねぇっ!!」
「も…申し訳ありません……失礼いたしました…」
「ノア……お前は、いい加減にしろ…彼女に何をさせているのだ…」
「強要した訳ではありません。合意の上です。」
「貴様…ガルシア家に、まだ何も伝えていないと言ったろう?昨日懲罰房に入れられた事を、もう忘れたと言うのか⁈」
「忘れてはいませんよ。父上が、早くガルシア家に赴いて下さらないからでしょう?」
「貴様…仮にも貴族同士の婚姻なのだぞ⁈そう準備もなく、さっさと行けるかっ!!」
アイゼン中将は、少佐の襟首をギリギリ締め上げた。
「ぐ……くそっ……絶対私室で続きをさせてやる……」
「そうだわ!リアム!そろそろジゼルさんに、弓を見せてもらったら?皆さん、軍に戻らないと行けないのでしょう?遅くなると、お時間も無くなってしまうわよ!」
私と少佐が、それぞれ叱責されていた時、背後から、侯爵夫人の柔らかい声が響いた。
侯爵夫人は…私と少佐を、とても慈愛に満ちた眼差しで、見てくれている気がする。淑女って、こういう人の事を言うのだろうな。
でも…私の義母も、負けない位の優しい眼差しを、いつも向けてくれる。
「そうだな。ガルシア軍曹、リアムに見せてくれるかね?」
アイゼン中将が、少佐の襟首を離すと、リー中尉も、私に振り上げていた拳を引っ込めた。
「はい!私でよろしければ…!」
私は、両手で自分の頭をガードした体制のまま答えた。
「やったー!ジゼル、ありがとう!」
口の周りを、山盛りに取られたケーキのクリームでベタベタにしながら、リアムがぱぁっ!と笑顔になる。
「リアムったら…!」
私は、リアムの横に座り、綺麗なおしぼりで、リアムの口元を拭いた。
大人しく口元を拭かれながら、リアムが私に尋ねてくる。
「ジゼルは、どの位弓が上手なの?」
「どの位……うーん…」
子どもの素直な疑問は、時に抽象的で、本人に分かる様に説明するのは難しい…
一般的に、私の腕前を評価するなら……
「そうだなあ…私は…あっ!そうだ!緑鱗鳥を打ち落とせるよ!」
私は笑顔で応えたが、リアムはきょとんとしている。
「ジル…もう少し、子どもにも分かりやすく答えてやれよ…」
リー中尉が、呆れ顔で言ってくる。
一般的に、緑鱗鳥を打ち落とせる腕があれば、狩人として十分生計が立てられると言われ、一つの目安になるのだ。
「りょくうどり……卵が美味しいやつ?」
「そうそう!リアム、緑鱗鳥の肉は食べた事ある?」
「え?ジゼル、りょくうどりのお肉はね、固くて食べられないでしょ?」
「リアム、それは、卵を取るために養殖されている、緑鱗鳥でしょう?野生の緑鱗鳥はね……飛ぶんだよ!捌いてすぐ、焼いて食べたら、他の肉がもう食べれない位おいしい!世界が変わるよー!」
緑鱗鳥──鳥、とその名が付いているが、別名、竜の落し子と言われる、全身を硬い緑の鱗に覆われた、大型のトカゲだ。体長は90センチ程、大きい物は1メートルを超える。
その硬い鱗は、剣も矢も、通さない。性格は比較的温厚で、こちらが手出しさえしなければ、自分からむやみに攻撃してくる事は無い。
卵が美味しく、採卵のため養殖されており、飼育下に置いては地面や木の上を歩くだけだが、野生の個体はムササビの様に、前足と後足の間に持つ飛膜を使い、樹々の間を滑空して素早く移動する。
主食は大型の羽虫で、羽虫の移動に合わせて、集団で移動する。この時期は、この羽虫を追って、彼らも、私達が野営訓練を行っている森に飛来してくるのだ。
リアムが言うように、養殖された個体の肉は固く、あまり美味しくない。
だが、野生の緑鱗鳥の肉は、引き締まった赤身で程よい弾力があり、それでいてじゅわっと脂も乗っていて、焼くと香ばしい匂いもする。新鮮な緑鱗鳥の肉は、高値で取引され、緑鱗鳥を専門にした、狩人もいる。
野生の緑鱗鳥を狩るには、まず、彼らの背後に気付かれない様に付く。そして、剣も矢も通らない中で、唯一、一定のリズムで開閉する、彼らのエラが開いた時に、その隙間に向かって矢を打つのだ。上手く刺されば、すぐに仕留められるが、失敗すれば、反撃してくるか、逃げられる。
「あぁ……味を思い出すと…うっとりしちゃうなぁ……」
私は緑鱗鳥の味を思い出し、目を閉じた。
「野生の緑鱗鳥の肉か…以前、戦地で流通しているものを食べたことはあるが、そう思い出に残る程では…」
アイゼン中将が、ふむ…と首を傾げる。
「閣下、緑鱗鳥の肉の味と鮮度は、捌いてからの時間に反比例します。私の経験上、世界が変わる程の味がするのは、捌いてから、持って1時間ですね。」
「なるほど……」
「ジル…お前…狩りもいいが、野営訓練もちゃんと──」
「アイゼン少佐、私、野営訓練中、少佐にも緑鱗鳥を食べてもらいたくて…お時間があったら森に……」
「ジル!少佐は忙しいんだっ!変な事言うなっ!」
「いや、リー中尉…構わない。」
少佐は、私に小言を言うリー中尉をやんわりと制止して、笑ってくれた。
「野生の緑鱗鳥か…君が狩ってくれるなら、楽しみにしている。時期が来たら、森に行く。俺も捌くのを手伝おう。」
「私、絶対仕留めますから!少佐!」
「すみません、少佐…ジルのわがままに付き合ってもらって……」
気合いを入れる私に、少佐は目を細め、リー中尉はため息を付いた。
少佐も来てくれるのだ!絶対仕留める!
野生の緑鱗鳥………
私は、師事してくれた、狩りの先生の言葉を思い出した。
彼は、「飢えた春の民」
今では、彼は、私のもう1人の父だ。
彼は、私を慣習に従い息子と呼び、
私は、彼を父さんと呼ぶ。
父さんに誓って、緑鱗鳥程度、狩り損ねる訳にはいかない……
──ジーゼル、勇敢な飢えた春の息子…──
独特の訛りで、私をそう呼ぶ、父さんの声を思い出した。しばらく会いに行けていないが…元気だろうか。碌でも無い人だけど、良い人なんだよなぁ。
──緑鱗鳥は、初歩の初歩だ、ジーゼル、勇敢な俺の息子。子どもに練習させる用の獣だぞ。あ?何でかって?あいつら、襲って来ねえだろ!美味いのによぉ…!食ってくれって言ってる様なもんだ──
「見て、ジョセフ…あの子があんなに幸せそうに……緑鱗鳥を一緒に捌こうだなんて、ロマンチックねぇ……!」
「どこがロマンチックなんだ、エマ…血生臭い約束だろ……」
アイゼン侯爵夫妻も、何やら小声で話しながら楽しそうだ。出来れば、侯爵夫妻にも食べさせてあげたいけど、さすがに侯爵夫妻を森に呼ぶわけにはなぁ……
「ジゼル、リアムに弓を見せるなら、庭の訓練場を使うと良い。俺も一緒に───」
「ノアは来ちゃダメーーーッ!!」
少佐が一緒に来ようとすると、リアムは少佐を子どもとは思えない、凄い気迫で睨み、怒り出した。
少佐とアイゼン中将は、少し目を丸くして、リアムを見た。
「こら、リアム。そんなに怒らなくても…」
「おじいさまは黙ってて!」
「!!」
アイゼン中将は、初めて孫に反抗されたのか、たじろいだ。
「リアム、お前兄上に、まだ一人で訓練場に行くなと言われているだろう?」
「ジゼルがいるから大丈夫なの!!ノアおじさんは付いて来ないでっ!!」
「お……おじ……リアム、お前今までそんな事言った事無かっただろ……」
「来ちゃだめーっ!!」
リアムは、もはや手がつけられない。
「ジル、2人で行ってやれよ。お前と2人で遊びたいんだろ?小さい子どもには、良くある事だ。」
子ども好きのリー中尉が、またリアムの味方をし、リアムは微笑んだ。
「私は構いませんが……」
「やったー!じゃあ、僕が案内するね!こっちだよ、ジゼル!」
リアムは、その小さく可愛い手を繋いでくれた。
「ありがとう、リアム!」
「チッ……」
「ノアッ!止めろと言っているだろう⁈」
背後で、少佐の舌打ちが聞こえた気がしたが、私はリアムと、部屋を後にした。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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