19.アシェリー
しばらくして、何とか落ち着きを取り戻したアシェリーを、私はひとまず木陰に座らせた。
「落ち着いた?……全く……えらい目にあったな…私と一緒で紫煙草を嫌いなリー中尉が、何で今でも紫煙草を持ち歩いているのか…おかげで理由が分かったよ。」
「申し訳ありませんでした…ガルシア軍曹。」
「いいよ。気にしなくて。それで、君はどうしてここに?野盗を狩ってくるようにでも言われたの?」
「はい。私の分隊長の、ベイカー伍長に…」
「君は、モリス准尉の小隊で、ベイカー伍長の分隊なんだね。確か、B地区で拠点の設営をしてたな。君の上官や他の兵は一緒じゃないの?」
「私はまだ耳を1人で取れていないので…近くで見ててやるから、と……」
「なるほどね………」
アシェリーは俯いている。さすがに、今の状況で、見限られたと気づかない訳は無いだろう。
「じゃあ、一緒にモリス准尉の小隊まで戻ろう。君、そもそも1人で拠点まで戻れる?」
「かなり時間が掛かります…」
「………拠点の設営作業は出来るの?」
「はい。それは大丈夫です。」
「分かった、行こう。私の後を付いてきて。」
「はい、軍曹。」
私はB地区を目指して茂みに入った。B地区はさほど遠くない。すぐ着くだろう。
──ガサッ、ガサッ…ガサガサ…ガサッ──
「……………」
──ガッサガッサ…ジャリッ…ガサガサ──
「……………」
──ガサガサ…ガサガサガサガサガサガサ──
「ちょっとちょっとちょっとっ!アシェリー!」
私は足を止め、手を腰に当てて振り向いた。
眉間にシワを寄せて、後に続くアシェリーを睨み上げる。
「は、はいっ!軍曹!」
アシェリーは立ち止まって敬礼する。
「君、いくら何でも酷いよ!」
「な…何がでしょうか…軍曹…」
「何がって……君のその足音だよっ!!二等兵だから、多少は仕方ないと思うけど…酷すぎるよっ!私は良く、街の河原で子ども達と遊んだりするけどね、子ども達の方がよっぽどマシだよっ!」
「す、すみません、軍曹…」
「行軍訓練とか、してないの⁈」
「それが…ここ数ヶ月は、出なくて良いと言われまして…行軍訓練中は、他の仕事をしています。」
アシェリーは地面を見ながら答えた。
まあ、確かに、1年経ってもこのレベルなら、育てようとは思われないか。
「しょうがない……いいよ。オーウェンに頼むから。」
「えっ……?」
「とにかく、出来るだけ気をつけて!私は今日、ただでさえ軽装備だし、匂いも酷い。人間だけじゃなくて、人間を襲ってくる獣にも、嗅ぎつかれ易いんだからっ!」
「匂いも酷い……?石けんの良い匂いがしますよ?ガルシア軍曹は。」
アシェリーは、真面目な顔で、間抜けな事を言う。
私は両手を握りしめ、拳をわなわなと震わせた。
「森にこんな匂いの生き物がいるかっ!!これは間違って、何か良い石けんを使っちゃったんだよっ!」
「確か今街で、高位貴族の貴婦人の間で流行っている石けんですね。街に行くと、どの店でもその匂いがしますよ。」
「こんな森に貴婦人がいるかっ!!………あ、でもそうなの??…だったらやっぱり売っちゃえば良かったなぁ。」
「素敵な匂いだと思います、軍曹。」
「………君ねぇ……まあ、いいよ。本当に、細心の注意を払って付いて来てねっ!」
「はっ!軍曹。」
──ガサ…ガサ…ガサササササササササ──
「……………」
アシェリーの、異常なまでに酷すぎる足音が心配だったが、運良く、すぐにB地区の拠点設営地点に辿り着いた。
設営地点では、兵隊がガヤガヤと、忙しく作業に取り掛かっている。
「ん?ガルシア軍曹じゃないか。どうした?今日はまだ偵察班は、森に入らなくてもいいんだろ?」
「何だ、独房から出してもらえたのか!ジルベール!わはは!」
設営地点にやって来た私を見て、すぐに設営中の兵達に尋ねられる。
「作業お疲れ様です。そうなのですが…オーウェンの分隊は人手が足りないので。今から加勢に行く所です。ちょっと、モリス准尉に用がありまして。今どちらですか?」
「そうなのか。大変だな、ルイス少尉の隊は。モリス准尉はすぐそこにいるよ。あっちだ。」
「ありがとうございます。」
「……ん?ジルベール、お前の後にいる奴…アシェリーじゃねえか…」
私の後に付くアシェリーを見つけて、笑顔だった兵が顔をしかめた。
「何だ、お前。ガルシア軍曹に助けてもらったのか。」
他の兵もアシェリーを見つけると、侮蔑をはらんだ視線を送ってくる。
「運が良かったな、アシェリー。」
「あ……その……」
アシェリーは視線を泳がせ、上手く答えられずにいる。
「行こう、アシェリー。…ありがとうございました。」
教えられた、モリス准尉の居場所へと向かう。私の後を歩くアシェリーに、小隊の者達は蔑む様な視線を送ってくる。
生きてたか……面倒だな……
ジルベール独房じゃなかったのか、等と、
時折聞こえてくる。
アシェリーは俯いたまま、後ろを付いてきているようだ。
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「おい、リー!またガキの世話か!大変だな、毎日毎日世話係は!」
「ジルベール、またリーに背負われてんのかあ?保育所じゃねえんだぞ!」
「わははは!リー!出世は無理だなあ、可哀想に!」
「はははは!楽でいいな!毎日ガキの世話で!」
「リー!今度もう1人ガキが来るらしいなあ!賑やかでいいな!」
「本当か!わははははは!」
「うるせえよ!」
リー軍曹は、いつも、そう一言だけ言い返す。
私は毎日、涙で霞んだ視界で、リー軍曹の後ろ頭を見ている。
「リー軍曹…ごめんなさい…私のせいで…」
私は、いつもリー軍曹の大きい背中に謝る。
「ジル、どんな形でもな、生きて帰還したら、堂々としてろ。恥ずかしい事なんかじゃねえ。生き延びた奴が勝ちなんだ。」
リー軍曹は振り向かずに、そう答える。
リー軍曹……私……私は……
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「アシェリー、」
「…………」
歩きながら、振り向かずに話しかけるが、アシェリーは黙ったまま、答えない。
「アシェリー、どんな形でも、生きて帰還出来たのは君の実力だよ。俯かないで、堂々としてなよ。」
「……ガルシア軍曹……」
「運が良かった……そう、運も実力のうちだよ?武運に見放されて、毎日何人も死んでいく。運が良い事が、何よりすごい事だよ。私が通りかかって、助けられた事も、君の実力なんだから。」
「……僕……すみません…ガルシア軍曹…」
「あ、着いたよ。モリス准尉、お疲れ様です。」
話の途中で、拠点に張られたテントの前にいる、モリス准尉を見つけた。ベイカー伍長と、書類を見ながら、座って打ち合わせをしている。
「なんだ、ジルベールじゃねえか。どうした?独房から出してもらえたのか……ん?後の奴……」
モリス准尉は顔をあげた。
どうでも良いけど、皆独房の事を言ってくる。
どうでも良いけど…
「アシェリー、てめえ……自分で耳取ったのか⁈ジルベールに助けてもらったんじゃねえだろうな⁈」
ベイカー伍長が立ち上がり、詰め寄ってくる。
「……ベイカー伍長……その……」
「モリス准尉、この子、いらないならオーウェンの隊にくれません?」
私の要求に、一瞬モリス准尉とベイカー伍長は黙り、アシェリーは驚いて、口をパクパクしている。
「……ジルベール、ずいぶん率直な物言いだな。」
モリス准尉は笑った様に口元を上げて、答えた。
「オーウェンの分隊は、人手が足りないのです。設営が出来るだけでも助かります。」
「……そうだったな。だがなぁ、隊の編成は俺の一存じゃ変えられねえからな。」
「准尉に許可を頂ければ、リー中尉も納得しますから。」
モリス准尉は、少し考えて答えた。
「………ジルベール、耳5枚だ。それで、そいつをやる。いいな、ベイカー伍長?」
「……構いません、准尉。」
「ありがとうございます、准尉。」
モリス准尉は、腕組みをして、ため息をついた。
「それにしても、リーの奴、お前が有名になったもんだから、自分もついでに出世しやがって。しまいには、アイゼン家の紹介で結婚までしてんだからな。田舎の貧乏貴族のくせに。俺がお前を部下にもらっとけば良かったぜ、ジルベール。こんな、1年経っても耳も取れねえ、使えねえ奴ばっかり付けられて、ついてねぇよ。」
モリス准尉は、リー中尉を羨み、愚痴をこぼす。
私がまだ下級兵だった時は、リー中尉を子守係だなんだ、散々バカにして、私の事も使えないガキだと野次っていたくせに。
まあ、それは、この人だけじゃないけど。
「最近リー中尉、書類仕事ばかりで弛んでますからね。野営訓練中、こっそり殺っちゃえばいいんじゃないすか?」
ベイカー伍長が笑いながら、モリス准尉に冗談を言う。
この手の冗談が一番嫌いだ。
本当に冗談なのか…分からないものだからな…
自分でも、すぐに怒りを抑えられなくなるのが分かる。
「ベイカー伍長、リー中尉は弱くない。」
「ああ?なんだ?ジルベール…」
「少なくとも、私よりは強い。信じられないなら今私とやる?リー中尉に何かするのなら、私が今ここで、あんたの耳を取るよ。」
私は右手で、短剣の柄を握った。
「ジルベール、てめぇ…」
短剣に手をかけた私を見て、ベイカー伍長は私に向き直った。
「おいおい、やめとけ。そんな挑発に乗るな。」
モリス准尉が呆れた顔で、立ち上がったベイカー伍長の左肩を押さえ、座らせた。
「全く……ジルベール、リーの事になると、いつもすぐむきになりやがって。落ち着け。あー、俺も、お前くらい忠実な部下が欲しかったぜ。」
モリス准尉の言葉を聞きながら、ベイカー伍長はこちらを睨んでくる。
「……ジルベール、訂正する。耳10枚だ。さっさと連れて行け。」
モリス准尉は、はっきりと言い切った。
「……ありがとうございます。」
私はモリス准尉に近づいて、さっき取った、野盗の左耳2枚の内の1枚を、袋から取り出して渡した。
「残り9枚、必ず持って来ます、准尉。」
「アシェリー、やっぱりジルベールに助けられたか。良かったな、死ななくて。……ジルベール、まあ、同じ軍なんだ。仲良くしようぜ。」
そう言って、モリス准尉は耳を受け取った。
「では…設営中、失礼しました。アシェリー、また後ろを付いてきて。」
私は、近くの茂みに入った。
────────
ジルベールは音も無く、近くの茂みから森の中へ消えた。ジルベールの足音はほとんど無く、どちらに向かったのか分からないが、後を続くアシェリーが、ガサガサと盛大に音を立てているため、音の方向から、D地区へ向かっていると思われた。
「チッ……薄気味悪い女だ。モリス准尉、なんでジルベールのやつを庇うのですか⁈あんな奴……」
「お前なぁ、まともにあいつの相手すんじゃねぇ!あいつはな、寝坊したり、オーウェンの奴と飲んだくれたり…まだガキみてえなもんだが……リーを良く思ってなかった奴を、前線での戦闘で、混乱に紛れて殺してる。」
「はあ……?准尉、本当ですか⁈なんで上に言わないんです⁈同胞殺しは死罪ですよ⁈」
ベイカー伍長は目を見張った。
「俺がたまたま見たってだけで、他に証拠はねえからな。それに、ジルベールが殺った奴は、ろくな奴じゃ無くてな……リーだけじゃなく、俺にとっても居なくなった方が都合が良かった。確かに、ジルベールが殺さなかったら、いつかリーの方が殺られてたかもしれねぇが…」
「だとしても………」
「そうだ。実際にそれを行動に起こすほど、あいつはいかれてる。こんな小せえガキのときから、軍にいるからな。頭がおかしいのさ。一度敵だと思ったら、子どもが羽虫を悪戯に殺す様に、ためらいなく殺しきる。そんな奴とは、つかず離れず、利用してやるのが、賢いやり方だ。」
モリス准尉は、先程ジルベールに渡された左耳をヒラヒラさせながら言った。
「その証拠に、あいつが耳持ってくるだろ?お前にも半分やるよ。今回の野営訓練は、お互い楽しようぜ?」
────────
「アシェリー、君、分かっていると思うけど、モリス准尉とベイカー伍長のやり方は、軍では正しいよ。」
私は、足を止めず、またガサガサと賑やかに後ろを付いてくるアシェリーに話しかけた。
「1年経って、自分で耳も取れない兵は、どうせそのうち死ぬ。それどころか、隊の足を引っ張って、他の兵を巻き添えにしかねない。全体を考えれば、見限るのが最善だ。」
「……………」
「君を今からオーウェンに預けるけど……オーウェンの隊に行って、解決する訳じゃない。アシェリー、君は志願兵なんでしょ?だったら、軍人なんかにこだわらず、辞めたら良いじゃない。他に仕事なんていくらでもあるでしょ?」
アシェリーは、ガサガサ足音を立て続けながら、黙っている。
「……君が、何か軍人である必要があるのなら……オーウェンは君を見捨てたりしない。あれでも頼りがいがあるんだよね。いろいろ教えてもらったらいいよ。」
「……ガルシア軍曹……すみません…僕は…そちらでもまた足を引っ張って……」
アシェリーが、小さく謝罪した。足音の方が大き過ぎて、ギリギリ聞き取れる位だった。
「謝らなくて良いよ。ルイス少尉とオーウェンはね、あいつらと違って……君に足を引っ張られた位で、隊の指揮を取り乱したりしないし、死んだりしないからね。」
「………ありがとうございます、軍曹。」
「本当、むかつく奴だったな…止められても、殺っちゃえば良かった。」
「……え?何ですか?」
「何でもないよ。独り言。」
「オーウェンが面倒見てきた子達がね…優秀だったから、普通科からの依頼で、前線に応援に行ってたんだけど…運が悪くて…皆殉職してしまったんだ。まだ、補充も無くて、オーウェンの分隊は人手が足りないんだよ。私も加勢に向かう途中だったんだ。君、設営出来るなら、手伝ってあげて。」
「はい、軍曹。」
アシェリーは、少し元気が出てきた様だ。それと共に、足音もどんどん元気になってきた。
オーウェンへのお土産に、何か良い獲物がいたら狩って持って行こうと思っていたけど、アシェリーの足音と、私が撒き散らす貴婦人の匂いのせいで、めぼしい獲物は、D地区に着くまで姿を見る事も出来なかった。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
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