18.森へ
ジルベールは森に入る準備をするため、偵察班の詰所に来た。自分に割り当てられたロッカーから、数種類の矢筒を取り出し、中を確認する。
軍刀と弓と、道具袋と……どうせすぐ戻って来ないといけないからな。軽装備でいいか。
野営訓練が行われる森の地形は全て記憶しているが、それでも念の為に、地図は必ず持ち歩く。森というものは、それ位、何が起こるか分からない。
振り向いたら、景色が変わっている事も起こり得る。
慣れない内は、自分の付いている小隊まで帰還する事も難しい。小隊が、拠点に留まっているならまだ簡単だが、小隊が動いている状態で、こちらも任務をこなしながら迷わず帰還できる様になるまでは、かなりの時間が掛かった。
地図を腰の小さな道具袋に入れ、矢を確認して整えて弓と矢筒を背負うと、ジルベールは詰め所を後にした。
森に入る為の門は軍の東側にあり、東門と呼ばれている。普段から厳重に固く閉ざされているが、野営訓練期間中は、いつでも入れる様になっているものの、森からの侵入者を防ぐために、常に見張りの兵が5名以上付いている。
ジルベールが東門の入口に付くと、すぐに見張りから声をかけられた。
「ん?ガルシア軍曹、今日はまだ拠点の設営期間だろ。森に行くのか?」
「お疲れ様です。そうなのですが、オーウェンの分隊の人手が足りなくて。加勢です。」
「ああ……なるほど、了解した。おーい、開門だ!ガルシア軍曹だ!」
見張りの一人が声を上げると、固く閉ざされていた金属製の門が、中央から左右に開き出した。
開き出した門の奥から、森特有の薄明かりが差し込む。ジルベールは、ゆっくり足を進めた。
森は、うっそうと生い茂る木々や、木々を這う蔦、大小様々な植物の間から真昼の木漏れ日が差し込み、所々影になっている。
ジルベールは、森の空気を吸い込んだ。
落ち着くなあ………
ジルベールは森の中を、オーウェンの分隊がいる、D地区に向けて、ゆっくりと駆け出した。
森が落ち着く…そんな風に思う様になったのは、いつからだったろう。
この森には、野盗や、獣や…野盗以外の人間もいる。いつ、どこから自分が狙われるか分からない。
一体、どこに、何が潜んでいるか、その気配が分かる様になるまでは、怖くて怖くて仕方なかった。森に一歩踏み入るだけで、足がすくんで動けなくなる。
人や獣の気配が分かるようになって、初めて落ち着いて周りを見渡せる。全ての生き物が生存競争をする、この森の営みの中に入れている気がする。
しかしそれでも、人の気配は荒々しい。獣や、人以外の生き物に比べると、森では明らかに異物だ。
その特徴的な気配に気づく事が出来る様になれば、最たる例である野盗達に、どこから狙われるか分からない、という恐怖は無くなる。
森では…人の気配なんて、すぐに分かるのになあ…森から出ると、あまり分からなくなるのは何でだろ。特に寝てる時は、全く気付けないんだよね……
しばらく進み、まだ軍事基地からさほど離れていない、B地区付近に到達した時、近くで人の気配がした。
あまり穏やかではないな…B地区にいる小隊の兵達は、早々に野盗狩りを始めたのかな…?
足を止めて耳を澄ますと、確かに若い男性の叫び声がした。
………新兵が襲われたか……?
ジルベールは姿勢を低くして、声のした方に進んだ。
少し進むと、先の方に人影が見えた。道具袋から折り畳み式の望遠鏡を取り出し覗き込む。
人影が見えた位置は、多少開けた場所になっており、周りは茂みに囲まれている。そこに、木を背にして、リソー国軍の軍服を着た1人の若者が、野盗とおぼしき者達に、追い詰められて、後退りするように座り込んでいる。叫び声の主は、この子だな。
リソー国軍の装備品は、なかなか質が良く、売れば値が張る。野盗達はそれを狙い、こちらを殺しに来る事は良くある事だ。稀に、人間を弄んで殺す事が目的という、信じ難い嗜好の持ち主もいるが、今回は恐らく装備品狙いで、新兵を狙ったのだろう。
確認できる野盗の数は2人……錆びつきのある、あまり状態の良くない剣を新兵にちらつかせて、ニヤニヤしている。実力差に浮かれて、少し遊んでから殺すつもりなのかもしれない。
他に気配は無いな。人数が少なくて良かった。大人数だと、私1人じゃ無理だし、他の兵を呼びに行ってる間に殺される。運が良かった。
ジルベールは、望遠鏡を道具袋に入れると、中腰のまま、そっと足を進め、駆け出した。
野盗は目の前の獲物に勝利を確信し、周りが見えていない。2人で何か笑い合っている。その声で、周りの音さえ聞こえていない。ジルベールはその隙に背負っていた弓を取り出し、矢を添えた。
標的まであと50m程の所に来ると、ジルベールは左側に回り込みながら、居場所を悟られない様足を止めずに、木陰から自分に近い位置にいる野盗の首を狙って矢を放った。
放たれた矢は、木々の間をすり抜けていく。すぐに中腰になり、姿勢を低くして茂みの中を更に左回りに進み、相手に近づいて行く。
茂みの、緑の葉と小枝が、ジルベールの視界の左右に流れる様に、次々と消えて行く。
野盗の呻くような叫び声があがった。恐らく1人絶命したはずだ。
そうなると、もう1人は、あの子を殺す前に、矢が放たれた方向を警戒する体制を取るはず……
ジルベールが茂みを移動する、僅かな葉の揺れる音がする。
いきなり背後から仕掛けられた攻撃に、状況を飲み込めない彼らは、ジルベールの居場所を探し当てる事のできる、自分達に与えられた、その僅かな手掛かりに気づく事はできない。
ジルベールは戦闘に置いてその多くを、相手に姿を見せる事なく殺しきる。森の様な、遮蔽物があればこそ出来る事なのだが、それが一番、自分の身の安全を保証出来るからだ。
……私は、こいつらの様に、勝利を確信し、獲物を痛ぶり弄ぶため、愚かに姿を見せたりしない。
そんな滑稽な事をするのは、人間か…まだ狩りを覚えたての、子どもの獣くらいだ。
ジルベールは、絶命した仲間に慄き、矢が放たれた方向を警戒する野盗の背後に回り込むと、足をとめた。木陰から弓で狙いを定め、まず相手の両足を射抜く。そして最後に、相手が倒れ込んだ後、錆びついた剣を手にしている右肩を射抜いた。
…………
背後の茂みから姿を現したのは、リソー国の軍服を着た、若い銀髪の女だった。
背はそう高くない…まさか…1人か?
しかも、こんな小柄な相手に…
銀髪の女は、底冷えのする、冷たい水の様な目で、こちらを一瞥する。女は少ない動作で弓をしまうと、足音もなく、木の根元でうずくまる兵に近づき、こちらを横目で捉えながら、何やら話しかけている。
せめて……せめて命乞いをしたいが、先程から全身が痺れて声が出ない。恐らく毒矢だ。確実に仕留める為、徹底している。
軍人なら、数多く見てきた。
女の歩く動作で分かる。こいつは、訓練されたリソー国軍の兵だ。俺らとは実力が違い過ぎる。
この女には、敵わないし……逃げられない。
若い新兵を育てるため、俺達を使って殺し方を教えるつもりだったのか…
目の前で、若い銀髪の女が、こちらを見下ろしながら、親が子どもに狩りを教える様に、若い兵の後から手を添え、一緒に弓を引いている。
その獲物の役回りが自分である事が…
最後まで受け入れられない…
先程までは、自分達が狩る側だったのに…なぜ…
…………
「……ガルシア軍曹……」
残った野盗の両足と右肩を射抜いた後、木の根元に追い詰められていた、若い兵の背後から姿を見せると、その子は泣きそうな声で私の名前を口にした。
少し離れた場所で、血溜まりの中に倒れ込む野盗を、横目で確認しながら弓を背に戻した。
まだ息があるな。もう少しで、全身に毒が回るはずだ。
「君……どこの小隊?」
「モリス准尉の隊です……アシェリー・マーティン二等兵であります、軍曹。ありがとうございます……助けて頂いて………」
モリス准尉……リー中尉の同窓で、全体会議でも、リー中尉に野次を飛ばしていた人だな。
まあ…私のせいなんだけど。中尉が野次を飛ばされたのは…
「君、耳を取ったことは?」
「まだです……」
「君何年目?」
「……今年で2年目です、軍曹…」
アシェリーは震えながら答えた。
「今回の野営訓練期間中で取れなきゃ、間違いなく懲罰房送りだよ?」
新兵は、頻繁に森へ連れ出され、野盗や敵兵と対峙できるよう、訓練される。1人で耳を取れる様になるまでに与えられる期間は、おおよそ1年。それ以内に取れなければ、多くの場合は見限られる。隊の足手纏いになるからだ。
近くに上官や、他の兵の気配はない。この子は切り捨てられたか…
私が初めて自分一人で耳を取れたのは3年目、13歳の時だった。当時まだ軍曹だったリー中尉は、私が一人で耳が取れる様になるまで、ずっと近くで指導してくれていた。
たまには、最初から素直に言う事を聞こう…
「アシェリー、あいつを弓で打ちなさい。剣で切るより、やりやすいでしょ?もう反撃はしてこないから。」
「でも……僕…足が……」
アシェリーは恐怖で足がすくんで動けない様だ。
「しょうがないな…ほら。」
私はアシェリーを抱えて立たせると、アシェリーが所持していた弓を手に取った。自分で調整している様だが、全然合っていない。武器の手入れもまともに教えられていないのか…まあ、近距離からとどめを刺すだけだから、今は関係無いな。
アシェリーと一緒に、血溜まりの中でうずくまる野盗に近づき、後ろから手を添え、弓を引いてやる。
リー中尉が、私にしてくれていた様に。
うずくまっていたため、綺麗には狙えなかったが、野盗の心臓付近を狙い弓を射ると、呆気なく絶命した。……いや、出血が多くて、射る前に死んでたな。
まあ、この子に取って、経験にはなっただろう。
「ほら、アシェリー、耳を取って!」
私が促すが、アシェリーはまたその場にうずくまり、わなわなと震えている。
「僕……僕、人を……」
……初めてだったか。そうだよなあ。
まだ、耳を取った事ないんだもんな。
「あのね、さっきのは、自分で殺したとは言えないよ。私が殺したんだ。ほら、いいから早く耳を…」
「僕……僕は………」
アシェリーは涙をポロポロ溢して泣き出してしまった。
「もうっ!!」
私は、短剣で野盗の左耳を削いだ。そういえば、アイゼン少佐が柄の巻布を、馬車のなかで巻き直してくれたんだったな。私は短剣を握りしめた。
「すごい、本当に握りやすくなって───」
「う……うわあぁぁぁぁ!!」
「っ!!」
いきなりアシェリーに大声で叫ばれ、私は耳を塞いだ。
アシェリーは少し、錯乱してしまった様だ…。
私がこうなった時、リー中尉はどうしてくれてたっけ……
「あ!紫煙草だ!あれを無理矢理吸わされてた…けど、私持ってないしな……アシェリー、大丈夫だから!もう敵はいないよ!」
「うわあああぁぁぁ!」
アシェリーは頭を抱えてうずくまる。
「君ねぇ…気持ちは分かるよ?でも君、そんなに幼い子どもって訳でもないでしょ?背だって、私より高いし。何歳?16位?」
「ああああぁあぁああぁー!」
「ちょっと!わ、分かったから!ごめん!ごめんね!泣き止んでくれるかな⁈」
「いやああ"あ"あ"あ""あ"あ"あ"!」
「こ…困るよっ!!まだ本格的な野盗狩り前だから、周りに結構いると思うんだ。居場所がばれて、大勢で向かって来られたら、君を守りながらは逃げきれない!………どこかで聞いたセリフだな……そうだ、私も新兵の時にリー中尉に同じ事言われた…って、今はどうでもいい!アシェリー、お願いだから……!」
私は取り乱すアシェリーを落ち着かせるのに、それからしばらくかかってしまった。
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
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