17.食い物に釣られて監禁されそうで心配だ
「ご無沙汰しております、ウィリアム様。」
「こちらこそ、お元気そうで何よりです。エイダン殿。」
本日執務室に尋ねてきた、この人は、ガルシア家の執事頭だ。
執務室の、ソファーの向かいに座るエイダン殿は、俺がジルの面倒を見出した下士官の時から、いつも礼儀正しく、低姿勢で、軍に顔を出す度に挨拶に来てくれている。こちらが恐縮する位、全ての所作が綺麗な人だ。
「本日は、ジルベール様に、お忘れ物をお届けに来たのですが…ジルベール様は、事もあろうに独房にお入りになっておりまして…」
「はは、そうですね。」
「理由をお聞きしたら、寝坊した等と仰って…本当に申し訳ありません。いつもいつも、ウィリアム様にはとんだご迷惑を…」
「お気になさらず。あいつの寝起きの悪さはいつもの事です。ただ、今日は野営訓練初日だったもので…ジルも今では軍曹で、偵察班では主戦力です。下級兵もいる手前、独房に入れたのです。」
「申し訳ございません…ガルシア家の嫡男として、責務を果たすべきお方が…お恥ずかしい限りです。」
「いえ、あいつは立派にやってますよ。褒めてやって下さい。」
「ありがとうございます、ウィリアム様。」
「ただ───」
「ただ……?」
「実は…エイダン殿に、本日お伝えしたい事があるのですが……」
エイダン殿の顔が曇った。
だが…やはりあの件は伝えて、ガルシア家からも、あいつに釘をさしてもらわなければ。
「ジルが……その…飲みに行った先で、自分の軍服を市民に売り、酒代にしていた事が発覚したのです。」
エイダン殿は、目を見開いた。わなわなと震えている。
「ほ…本当ですか⁈なんという馬鹿な事を……」
「まあ…私はあまり、咎めるつもりはありませんが…あいつは、まだ幼い子どもの時から、王命で軍人になっています。酒を覚えるのも早かったですからね。子ども心に、あまり深く考えず売って…今日まで来たのでしょう。ジルの境遇を思えば…本人だけのせいには、できません。」
「ですが…ジルベール様は、仮にも貴族令嬢です。ご自身のされた事が、恥ずべき事だと、理解していらっしゃらない…それが問題です。酒代欲しさに服を売るなんて…とんだ醜聞です。恐らく、なぜ相手が自分の服を買い求めるのか…分かってらっしゃらないのでしょうね…」
「そうでしょうね。ジルは……軍人としての実力は、年齢に対して申し分ありません。しかし、その代わり、生活面において…何というか…子どものまま、止まってしまっている部分があると言いますか…ただ、先程も言いましたが、無理矢理軍人にさせられた境遇を思うと、本人が悪い訳では無いですから。俺はそう思っています。」
「ウィリアム様にそう言って頂けるだけで、ジルベール様は救われます。その事さえ、ご理解されていらっしゃるかどうか……」
「分かっていますよ、あいつは。ですが、軍服の件は、申し訳ないのですが、ガルシア家からも二度としないよう言い聞かせてもらえませんか?」
「もちろんでございます!ウィリアム様。ガルシア家として、誓って二度とはさせません!」
エイダン殿は、ソファーの上で拳を握りしめ、目を血走らせて答えた。
まあ、これで一安心だろう。
「ありがとうございます。私は本当に、もうあれこれ言う気はないのですが。ただ、この件は、特科連隊長である、アイゼン少佐がひどく…気に病んでおられまして……」
「あぁ……そうでしょうね……ですが、ノア様はジルベール様の醜聞を知りながらも、あの様なお優しい態度で、接して下さったのですね……」
「少佐とお会いになられました?」
「はい。先程独房の方で。慈悲深い方ですね、ノア様は…」
慈悲深い……そうだろうか…
他国の捕虜を、何でもない事の様に、殺せと言える人だが。さすがに他の佐官は、そういった指示を出すのを嫌がる。
まあ、あの人は高位貴族だし。軍人で無い者には、礼儀正しいからな。かなり無愛想ではあるが。エイダン殿にとっては、慈悲深く見えるのだろう。
「そうなのです、エイダン殿。今はアイゼン少佐がうちの連隊長ですから…ご安心下さい。軍服の件は、何卒よろしくお願いいたしますね。」
「承知いたしました。ウィリアム様。それでは、あまりお仕事の邪魔をしては申し訳ありませんから、私はそろそろ失礼いたします。また、お暇があれば、ガルシア家においで下さい。」
「ありがとうございます、エイダン殿。部下に正門まで送らせます。少々お待ち下さい。」
「お手数おかけします。」
そうして、部屋に呼んだ部下に案内されながら、エイダン殿は帰って行った。
執務室を出て、廊下を曲がって見えなくなるエイダン殿を見送る。
「さてと…………ジル、居るんだろ?」
「ジル!」
出てこない。だが、どこかから見ている。
「もう怒ってない。無傷で会議室を出れたからな。出て来い、ジル。」
後ろの廊下の奥から、気配がして、弓を背負ったジルが出てきた。モジモジしながらこちらを伺っている。
「はぁ……お前は…ほら、さっさと来い。」
「リー中尉…ごめんなさい、私…私……リー中尉に迷惑かけるつもりは無いのですが……」
「分かってるよ。……今更だろ。」
手招きすると、ジルはようやくこちらに歩いてきた。
全く…子どもと一緒だ。
「お前、今日の件、少佐から聞いたか?」
「それが…リー中尉から詳細は聞くようにと言われました。」
「そうか。じゃあ、執務室で話す。お前が寝坊して聞かなかった、野営訓練の全体説明も話してやる。まあ、そっちはいつも通りだがな。」
「はい、ありがとうございます。中尉。」
「よし、ジル座れ。」
リー中尉にソファーに座る様に言われる。
私は俯いたまま、ソファーに座った。
「あのな、今日俺とお前で、少佐の家に夕飯食べに行くぞ。」
書類を持ったリー中尉が、私の向かいのソファーに、どかっと座りながら告げた。
「えっ……何でですか?」
私はパッと顔をあげた。
「だよな。俺もそう思って聞いたが、ほら…俺は今度、アイゼン家の紹介で結婚するだろ?相手は、アイゼン家の遠縁だからな。少佐の両親が、招いてくれたんだよ。」
「そうなのですね。でも、私までどうしてですか?」
「少佐が、お前がいた方が、俺が緊張しなくて良いだろって。気を遣ってくれたんだよ。俺も、お前が同席してくれると助かるよ。高位貴族の家なんか、行った事ねえからな…ましてや食事なんか…その点、お前は、ベネット公爵家と仲良いからさ。慣れてるだろ?」
「慣れてるというか…確かにモニカの家に、食事に招かれた事はありますけど…モニカの家族は、皆私に優しいから、多少不敬にあたる事でも何も言われないだけだと…」
「十分十分!それにお前は、広報部の仕事で、その辺のマナーは叩き込まれてて完璧じゃねえか!頼りにしてるぞ!」
リー中尉が、笑顔で私の肩をバシバシと叩く。
「うーん…頑張ります…」
「少佐も同席するらしいが、少佐の両親が、お前も一緒に来るのを楽しみにしてるらしいぞ!特に侯爵夫人が。」
「少佐のお母さんが…最近は、高位貴族にも人気ですからね。軍人令嬢のジルベール・ガルシアは。」
「そうだ!よろしく頼むよ!」
「分かりました、リー中尉!」
寝坊した分、頑張ろう!リー中尉の今後のためだ!私は気合いを入れた。
「で、野営訓練の内容だが…お前は分かってると思うから、簡単に説明するぞ。まず、1ヶ月間は下級兵の強化訓練に重点を置く。日が暮れたら兵舎に戻るからな。お前は、午前中はマシューの隊の、全体訓練に参加、午後はこの書類の通り、軍務に当たれ。野営訓練中に悪いが、広報部と、諜報部からの依頼も来ている。他に予定が合わなくてな…空いてる日は、自由に使っていい。訓練や、偵察班の個別任務に当たってもいいからな。ただ、お前も夜はきちんと兵舎に戻れ。」
「分かりました、中尉。」
「あと、近々ハワード助教授が、お前の依頼品の解析結果を持ってくるそうだ。」
「本当ですか⁈結果が出たのですね!」
「だろうな。正式な日付が通達されたら連絡する。他の軍務よりも、その件は優先する様に。」
「はい、中尉!」
「下級兵の強化訓練期間が明けたら、お前もマシューの隊に付いて、森に入る。初めは数日おきに兵舎に戻るが、徐々に伸ばす。終盤は、今のところ1ヶ月森に入るが…そこは他の軍務と調整して、変更する可能性がある。特にお前は、広報部と諜報部に、ちょくちょく呼ばれるからな…仕方ない。」
「分かりました、中尉。」
「分かっていると思うが、いつも通り野盗狩りのノルマがあるからな。まぁ…お前にとっては問題なくこなせると思うが。お前は耳5枚だ。」
「えっ!私5枚で良いんですか⁈少ないですね!」
この軍事基地の東側は、深い森が広がっている。カントに自治権を認めている森とは別の森で、森の先は、表向きは独立国である、友好国の領土となっている。
表向き…というのは、この友好国は、周りをリソー国を含む、他の大国に囲まれた、軍事力も少ない農耕を主にした小国だった。過去に、いずれかの大国に取り込まれるのは時間の問題、と言う事で、向こうからリソー国の属国になる事を打診してきた。
うちの国も、大概ろくでもないと思うのだが…他の国に比べれば、まだましと判断したのだろう。
この友好国は、農耕を主な産業にしているだけあって、固有の動植物や、特産品も多かった。また、リソー以外の隣国に対して、この国を属国にしておけば、侵攻する際は足掛かりに出来る。
ただ、属国にするとなると、搾取出来る利点もあるが、政治的には負担が大きい。リソー国は、現在は睨み合う状況ではあるものの、隣国のグラノと以前から交戦中だ。その最中、属国にした国に内乱でも起こされたら、面倒だ。
そのため、表向きは独立国のままにしているが、申し出を受け、この国からもリソー国に徴兵している。そのかわり、こちらからも兵を送り、隣接するほかの大国を牽制しているのだ。
私達のいる、軍事基地の東側は、この友好国とリソー国を繋ぐ深い森がある訳だが、この森はリソー国の領土となっている。
ただ、こういった事情から、この森には他所の国から、さまざまな流れ者が入り混んで来る。
他国からこの森に入り、グラノ側へ出る者も入れば、森に入り他の大国へ出たい者、少数だが、森を経由してリソー国に入り込みたい者もいる。
また、この森は深く、希少な動植物も多いため、学者や、流れで狩りをする部族も無断で通る。
そうなると、そういった者を狙う野盗も数多く、森に入り込む。
しかし、リソー国は、そういった者たちを、基本的に野放しにする。
そして、野放しにしておいた野盗を、不定期に実施する軍の野営訓練で、兵の技量を上げるために使うのだ。
兵一人一人にノルマが課され、殺した野盗の左耳を削いで持ち帰らなければならない。
もちろん、相手も反撃してくるため、こちらが殺される場合もある。下級兵にとっては、初めての実戦訓練に当たり、一人で耳を取れる様になって、初めて前線に送られる。
逆に、一人で耳を取れなければ、使えないと判断される。
課される耳の数は、所属する部隊にもよる。
集団行動を基本とする普通科の兵は、野営訓練ではさほど多く課されないが、単独行動を基本とし、実戦でも森や遮蔽物の多い場所で、標的と対峙する偵察班の兵は、ノルマが多い。だいたい、耳10枚が基本だ。
これをこなせる様になるまで、地獄の様な日々が繰り返される。
「お前は、実力としては10枚以上取れるだろ?耳は5枚でいいから、野営訓練中、森で他の任務に当たって欲しい。あとは、下級兵をフォローしてやってくれ。」
「やったー!ラッキー!少ない!分かりました、中尉!」
「ジル…ちゃんと分かってるか?他の任務もあるからな?あと、兵舎に戻る日は、絶対私室で大人しくしてろよっ!」
「はーい!」
「……現金なやつだな……全く…」
「ああ、ここを18時に馬車で出て、アイゼン家へ向かうらしい。軍服…しかねえもんな。俺ら。軍服でいいだろ。時間前に、汚れてない軍服に着替えて、正門に来い。」
「分かりました。それまでは、私、何か軍務がありますか?今日は独房だと思っていたんですが、出してもらえたので……」
「そうだな。だったら、特殊通信・補給小隊は今日から、森に拠点の設営に行ってるんだが、オーウェンの分隊の、手伝いに行ってくれるか?」
「はい。ですが…私、拠点の設営は、新兵レベルですよ?あれは筋肉が物をいいますから…」
「………マシューの小隊から、普通科のいる前線に、応援で数人出してたんだが…全員殉職しちまっただろ…?」
「あぁ…そうですね……残念です。とても、優秀な若い子だったのですが…」
「こればっかりはな…運もあるからな…」
「……はい。」
武運の神様は気まぐれだ。
今まで加護をくれていても、急に手を離される。
お兄様もそうだった……
「それで、そのほとんどがオーウェンの分隊の奴だったからな。人手が足りねえんだ。下手したら、今日兵舎に戻れるか……まだ、本格的な野盗狩り前で、周りに野盗も多いだろ?お前は力仕事はいいから、拠点の見張りをお前が代わってやれば、その分設営に兵を回せる。行ってやってくれ。」
「分かりました、中尉。」
「マシューの小隊は、D地区だ。B地区寄りに設営しているはずだ。」
「はい、中尉。」
「今日は時間がねえからな、拠点に行くまでに野盗を見つけても、無視しても良い。まあ、ノルマもあるから…お前に任せる。」
「分かりました、中尉。」
「頼んだぞ。気をつけて行け。」
「はっ。中尉。」
私は敬礼をしたが、侯爵家のご飯を食べれる事を思い出し、すぐにニヤけてしまった。
「侯爵家のご飯、楽しみですね〜!中尉!」
「全く……お前は……気をつけねぇと、本当に悪い奴に監禁されちまうぞ!最近、街でそういう事件が流行ってるらしいからな!」
「そうなんですか?」
「そうだ!俺は、妹にもいつも言い聞かせてるが、貴族の子どもや、令嬢を誘拐して、身代金を請求する事件が多いんだぞ!特に貴族令嬢だと、監禁されて、ひどい場合は、無理矢理既成事実を作って婚姻をせまるケースもあるらしい。」
「既成事実…?」
「お前はすぐに食べ物に釣られるからな。優しいふりして、美味いもの食べさせてやるとか言われても、絶対ついて行くなよ!監禁でもされたら、お前の家に何て言えばいいんだ。」
「大丈夫ですよ!さすがに私もそこまで世間知らずじゃ無いです!………既成事実って何だろ?」
「あ!そういえば、リー中尉。中尉の私室って、私の隣の部屋じゃなかったんですか?」
「あ?お前の隣はアイゼン少佐の部屋だ。あの辺一体は佐官以上の私室だからな。」
「でも、昨日私を私室に案内してくれた後、隣の部屋から出てきたでしょ⁈」
「ああ、少佐に、お前を案内するついでに、俺の婚約関係の手続きの書類を、少佐の私室に置くように言われていたから、置いただけだ。」
「なんだ。そうだったんですね…私てっきり…」
「お前……私室棟で、騒ぐんじゃねえぞ!」
「………はい。」
リー中尉は、心配そうにため息をついた。
「じゃあ、装備を整えてから、オーウェンの所に行ってくれ。」
エイダンは、リー中尉の部下に案内され、軍の正門まで戻って来た。また馬車に乗り、ガルシア家に帰って、家の仕事の続きをする予定だ。
正門の守衛室で、何やら話し声がする。
「大丈夫です、旦那。業者に修理依頼は出してますんで。」
「いや、しかし──かなり時間が掛かっているだろう?故障箇所を確認して、軍の保全科の方に依頼した方が早いと思う。私が確認しよう。」
「大丈夫ですって!少佐!」
「いや、だが………」
「ノア様、こちらにいらしたのですね。」
「エイダン殿。」
エイダンに声をかけられ、ノアは守衛室から出てきた。
「ノア様、先程はありがとうございました。」
「いえ、とんでもない。用は無事に済みましたか?」
「おかげさまで……ところで、ノア様。昨日、ジルベール様と街に行かれたと思いますが…」
「はい、その通りです。」
「その節は、ジルベール様が、大変失礼をいたしました。ジルベール様は…そういったマナーを身につけておりませんので…不敬に思わないで頂けないでしょうか?」
ノアは目を見張り、一瞬考えたが、すぐに言葉を返した。
「不敬などと、とんでもない。先程も申し上げましたが、彼女は、他に優先すべき事があっただけです。軍での実力不足で殉職などしては、本末転倒ですから。武芸を優先して、当然だと思います。」
「ありがとうございます、ノア様。」
「それに、全く出来ていない訳では無いですよ。本人も努力していますし…社交マナーは、難しい部分がありますからね。誰しも初めは分からないものです。悩み、戸惑う姿も、彼女は可愛らしいと思いますよ。」
今度はエイダンの方が、目を見張った。
「可愛らしい…そうですね。確かに、ジルベール様は可愛らしい部分も沢山おありなんですよ。家のベッドはぬいぐるみだらけですし。」
そう言って、冗談めかして笑うエイダンに、ノアは真剣な顔で呟いた。
「ぬいぐるみ……」
「それではノア様、私はこれで失礼させて頂きます。」
「お会い出来て良かった、エイダン殿。お気をつけてお帰り下さい。」
ノアは笑顔で、馬車へ向かうエイダンを見送る。
「……ノア様、」
「いかがされました?」
エイダンは、微笑んだ様な表情で、見送るノアに向き直った。
「ジゼル様を、よろしくお願いいたしますね。」
お読み頂き、ありがとうございます。
不慣れな点が多く、時折改稿をしながらの投稿をさせて頂いています。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
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