13.寝坊
私室棟に続く扉が、そっと開いた。
続いて、銀色の前髪と、いたずらっ子の様な、くりっとしたアーモンド型の水色の瞳が、ひょこっとのぞく。
「もしかして、寝坊かな….ジルベール君。」
「そうみたい…ふっかふかなんだよね…私室のベッド…起きれる訳がないよ。」
彼女は口を尖らせて言い訳をしている。確かに、私室のベッドは、兵舎の相部屋の物より寝心地は良いだろうが、されど軍のベッドだ。寝坊する言い訳に出来る程、ふかふかではないはずだ。
「今日は野営訓練初日だろう?リー中尉は、とっくに向かったよ。」
「今朝も、私を私室棟から出すなって、言われたりしてない?」
「してないね…。初日から寝坊するなんて、ますますうちの娘に似ていて、私の君に対する好感度は上がったがね。こんな見張りの兵の、好感度を上げても仕方ないだろう?早く向かいなさい。」
「………」
「全く君は…出るなと言えば、出せと言い、出ろと言えば、出たくないと…わがままは駄目だよ。ほら。」
背中を押してやると、彼女は、のろのろと私室棟から出て行った。気が進まないと、恐ろしく足が遅くなるのも、うちの娘と同じだ。
ジルベールは、四つん這いになって、会議室の扉をそーっと開けた。
やってるやってる……野営訓練の全体説明だ。
恐らく、もう終盤だな。
会議室の中には、今回の野営訓練に参加する兵が集まっている。特科連隊情報中隊は、あまり規模の大きくない中隊だ。だいたい100名弱、全員が椅子に座って前を向き、前に立つ中隊長の説明を聞いている。
中隊長はもちろん、リー中尉だ。
四つん這いのまま、開けた扉の隙間から、コソコソと会議室に侵入する。
後方に座るのは、新兵から一等兵、前に行くにつれて兵長や、分隊、小隊を任される下士官、将校になる。
私の所属するこの中隊は、主に複数の特殊通信・補給小隊から構成されている。前線の、普通科連隊の後方支援が主だが、状況によっては前線に兵も出す。
特に重要なのは、物資補給線の確立だ。武器や水、食料、薬などが届かなければ、どれだけ訓練された兵でも、数日と持たない。あらかじめ補給線を計画しておいても、現地について見れば、そうもいかない事も多い。前線で得られた情報から、素早く補給線を取り直し、情報を早馬で本隊に返したりする。
特殊通信・補給小隊は、約3個程度の分隊で構成されており、オーウェンはその分隊長だ。
私はオーウェンと同じ小隊付きの、偵察班の兵になる。
特科連隊情報中隊で特徴的なのは、中隊直下の部隊として、私の所属する偵察班がある事だ。
偵察班の兵は、敵国の情報だけに限らず、自国にとって有益になり得るあらゆる情報を収集するのが任務だ。個別にそれぞれ任務が与えられる。
そして、特殊通信・補給小隊に対して、偵察班1名から数名が割り当てられ、行動を共にする。それは、偵察班の兵が任務から帰還する場合、本隊まで単独で帰還するより、本隊より近い位置にいる特殊通信・補給小隊まで帰還する方が確実だからだ。そこから、早馬で本隊に情報を返す事も出来る。
ただ、任務の内容によっては、全て1人で完結させる事もあるので、自分だけで本隊へ戻れる技量は、必ず必要になる。私の場合は、この軍事基地から1人で出て、またここまで帰還する事も多い。
会議室には、各小隊毎に縦数列に分かれて、前から小隊長や分隊長が並んで座り、その後ろに部下が階級順に続いて座る。
偵察班の兵は、自分が付いている小隊の小隊長や分隊長の横に、前から順に付いて座る。
オーウェンの小隊付きの、偵察班の兵は、私だけだ。
と、言う事は……
「あっ!ジルベール先輩!遅刻ですか⁈」
「レオちゃん………そうなの、寝坊しちゃって……」
四つん這いでコソコソ入ってきた私に、一番後ろの列に座る兵が小声で話しかけてきた。私は、机や椅子の陰に隠れながら返事をする。
「えー……寝坊って……先輩、ミラー伍長達と一緒の部屋でしょ?」
彼は、去年オーウェンの分隊に配属された、二等兵だ。若いのにしっかり者で、私の事を先輩、と呼んでくる。何となく、弟みたいでかわいいのだ。メイジーもしっかり者だし、世の中の弟や妹というものは、皆しっかりしてるんだなぁ。
「今回私、私室にいるんだよ。だから起こしてもらえなくって!」
「えっ?何で私室なんですか?」
「分かんない……」
「分かんないなんて事、あります?………そもそも、普段からちゃんと自分で起きないからですよ、先輩……」
「確かに……ねーねー!この列がオーウェンの分隊?私の席、分かる?」
レオちゃんがここにいるって事は、この列が私の付いてる小隊のはず…
「もーっ……全く……ジルベール先輩は一番前列でしょ!先輩、主戦力の一人なんですからねっ!ほら、あそこ!ミラー伍長の隣ですよ。そこだけ空席でしょ。」
レオちゃんが、こっそり指差した部屋の真ん中あたり、一番前の席に、しっかりと空席がある。
「う、うわー!!目立ってるねーっ!!」
「ミラー伍長は、なんとも思ってないみたいですけど、うちのほかの分隊長と、ルイス少尉は苦笑いしてましたよ。」
マシュー・ルイス少尉は、オーウェンの上官、この小隊の隊長だ。
そういえば、なんとなく雰囲気が、アイゼン少佐に似ている気がするな……普段、寡黙な感じな所とか…
でも、ルイス少尉は、声を荒げたり、怒鳴ったり、人を締め落としたりしない。たまに訳の分からない事を言ってきたりはするが…
別に私の上官では無いので、指示に従う義理はないが、オーウェンの上官だし、あと、リー中尉の同窓だから、私はなるべく言う事を聞く様に努めている。
「レオちゃん、今から皆にバレる事なく、あの席に座る方法って、あると思う?」
「僕は、先輩の諦めの悪さは、いつも尊敬してます。」
「大事だよ、諦めないって事。」
「…………」
「ねー、レオちゃん、リー中尉、何かめちゃくちゃイライラしてるよねっ!」
リー中尉は、訓練内容の指示をしているが、始終顔が引きつり、口調も荒い。
「イライラしてるよねっ!じゃないですよ。当たり前でしょー!先輩が来てないんだから…だって、先輩が例の事故で負傷したから、休暇に合わせて訓練日程ずらすって。中隊全員に通達が行ってるんですよ?それなのに先輩来てないんですから、リー中尉、面目丸潰れですよっ!」
「ひえーっ!そうなの⁈まずいよそれは───」
「ひえーっ!じゃ、ないですよ。先輩のそう言う軽々しい所が、いつもリー中尉を怒らせてると思いますよ。あっ!先輩、リー中尉こっち見ましたよ!!」
「………!おいっ!!ジルーーーっ!!お前……こっちに来いっ!!」
「は、はいっ!!」
ついに見つかった。レオちゃんが、先輩頑張れー、と小声で囁く。
ぽっかりと空いた、私の席の前に立たされる。敬礼をする私を、リー中尉は当然だが、殺す勢いで睨みつけてくる。
オーウェンは、さすが、何でもない事のように、表情を変えない。オーウェンの部下の、分隊の兵達は、レオちゃんみたいに、頑張れー!と生暖かい眼差しを送ってくれる。
他の分隊長達は苦笑い、小隊長のルイス少尉は腕組みしたまま、目を伏せて座っている。
皆様ごめんなさい……
「どうして遅れた⁈理由を言え。一応、聞いてやる。」
リー中尉が、書類で私の頭をバシバシ叩きながら詰め寄って来る。
「痛っ……う……あの……」
「オーウェン、お前一緒に飲みに行ってたんじゃないのかよ!」
「ジル!二日酔いかー!」
他の小隊の者が、笑いながら野次を飛ばしてくる。
「行ってねえっすよ。だってこいつ、今回私室棟使ってんですから。」
「えー!まじかよ!」
「なんで⁈ジルベールー!」
「ジルベール私室に居んの?部屋番号何番⁈」
オーウェンの答えに会議室が騒がしくなった。
「おいジル、いつ飲みに行けんだよ。お前がいねえと酔って注文した料理が余るんだよな。今日訓練終わりに行こうぜ。」
オーウェンが、リー中尉の睨みをものともせず、飲みに誘ってくる。それでこそ、私の飲み仲間……というか、オーウェンは基本空気を読まない。私が言える立場に無いかもしれないけど……
「行けたら行きたいんだけどなー…行けないっていうか…なんて言うか…」
返事をしてしまう私も私だが、正直なんで飲みに行けないのか、私も分からない。少佐が駄目って言うからとしか…
「お前ら本当ガキの時から食欲の塊だよな。今もガキだけどよ。」
他の小隊からの野次に、オーウェンが答え続ける。
「俺たちは、明日死ぬかもしれないのに、死ぬ前日に食った物が、軍用食とか、缶詰なのは嫌なんですよ。うまい物食っとかねえと。だよなあ、ジル!私室に呼びに来るからな!」
オーウェンの言う通りだ。
どんなにお金を沢山持っていたとしても、
貴重な宝飾品を持っていたとしても、
死んでしまえば何にもならない。
ご馳走と酒だけが、私達の全てを満たしてくれる。
今思えば、お兄様も、そう思っていたのかな…
「死ぬ前に缶詰は食えねえとか言ってるけどよ!だいたいオーウェンのいる小隊は、任務中も訓練中も、ジルベールが狩ってきた、何か分かんねえうまそうなやつを、いっつも焼いて食ってんじゃねぇか!お前らが缶詰食ってるのなんか、最後に見たの何年も前だぞ!」
「そうだそうだ!!」
確かにそうだ。私は狩りには自信がある。森には希少で、美味しい生き物が沢山いて、狩りの腕さえあれば、食べ物には困らない。
数年前頃から、私の狩りの腕前と知識は、軍用缶詰に頼らないレベルに到達したのだ。
それに、狩りの腕さえあれば、任務で遠くに行ったとしても、路銀には事欠かないし、軍人と言う事を隠し易くなる。
偵察班として、必要な技術だと、私は思う。
「おい。それについては、今野次を飛ばす事ではないだろう?」
腕組みをしてだんまりだった、ルイス少尉がついに口を開いた。この人にも、狩ってきた獲物をあげてるからな。さすがに庇ってくれた様だ。
「羨ましいよなー。リー中尉、たまには編成かえて下さいよ。ジルベールこっちにつけて下さい。」
他の小隊の奴が勝手な事言ってるが、私は狩人じゃないんだ。誰にでも狩ってきてあげるわけじゃないぞ。
それに、美味しい獲物になる程、狩るのも難しい。野営訓練中にあまり狩りに勤しむ訳にもいかないし。
オーウェンがいるから分けてあげてるだけだ。
「お前ら、食い物の事で好き勝手言うな!今の編成が一番バランスが良いんだよ!」
リー中尉が怒鳴る。
「だいたいジルベールはこうみえて、扱いやすい奴じゃねぇんだ…気安く言うなよ…」
そして何やら小声でぼやいている。
「とにかく!お前ら全員黙れ!」
リー中尉の怒鳴り声で、全員静かになった。
「ジル!お前遅刻しといて飲みに行けると思うなよっ!オーウェンもこいつを誘うなっ!バカがっ!」
「すみません。」
「すみません。」
「全く…お前らは早くに酒の味を覚えたせいで…節操が無さすぎるぞ…覚えさせた俺もわるいが…」
リー中尉は険しい顔で前髪を掻きながら、私とオーウェンに小言を言っていたが、急にハッとした顔で、私に向き直った。
「あっ!…そういえばジルっ!お前なぁ!街で飲む時に、自分の軍服を売って酒代にしてるそうじゃねえかっ!次にやりやがったら、懲罰房にぶち込むからなっ!」
「えっ!…………オーウェンっ!告げ口したのっ⁈」
「告げ口なんかしてねぇよ!!」
他の分隊長は、あちゃー!という顔で目を覆い、ルイス少尉は、信じられない物を見る目で、私を見てくる。
そんな目で見られても、全て事実だ。
「オーウェン、お前も共犯だろ?同罪だ。」
「すみません…リー中尉、最近は、何だか高値で売れるから…つい…」
「ジルっ!お前……最近は、って…いつからやってたんだっ!このクソガキがぁっ!!」
ついに私とオーウェンは、リー中尉に拳で頭を殴られた。
「お前ら血液まで酒になってんじゃねぇのか⁈」
「わははは」
他の者達から、からかわれる。まあ…仕方ない。
「うるさいぞ!静かにしろっ!おいジル!とにかく、遅れた理由だっ!早く言えっ!」
皆の注目が私に集まる。
「に、に…………二度寝しました……」
「お前正直に言うなっ!せめてまともな言い訳しろっ!」
リー中尉が顔を引きつらせて、小声で囁く。
「ジルっ!この反抗期のクソガキがっ!!軍服まで売りやがって…お前は女学生のつもりか⁈…軍人なんだっ!お前は!今日一日、独房に入ってろっ!!」
リー中尉に、持っていた書類で頭を思いっきり叩かれた。
「は…はい、中尉!」
ルイス少尉は、私が軍服の件で怒鳴られてから、目頭を押さえて何だか具合が悪そうだ。
たかが軍服位で…
軍服なんか総務課で、いくらでも貰えるのに。
この人、なんか育ち良さそうだもんな。
高位貴族出なのか? これだからお偉いさんは…
「リー、ガキのお守りはちゃんとしてろよー!」
「寝坊しない様に添い寝してやれー!!」
リー中尉と同窓の、他の小隊長達から野次が飛ぶ。
「くっそ……あいつら…」
「す、すみません、中尉…」
私のせいで、リー中尉まで野次られてしまった。
私はしょうがないけど、リー中尉には申し訳ない……
「今、野次を飛ばした者、立て。」
リー中尉が野次られた事で、私が寝坊した事と、軍服を酒代に替えた事を少し反省した時、部屋の隅から声がして、全員静まり返った。
アイゼン少佐だ…
部屋の前方、角の所に、軍用の小さな椅子に腕組みをして、座っている。少なくとも、遅刻した私が来てからは一言も発していなかったので、気付かなかった。
私達の野営訓練、来ていたのか…
そういえば、アイゼン少佐は普通科連隊長だが、前任者の移動で、特化連隊長も兼任しているのだった。それで今回の、特科連隊情報中隊の野営訓練にも参加しているのか。
少佐と目が合った。
少佐、寝癖が付いてるな。前髪の一部が、ぴょんと跳ね上がっている…身支度の時間も余り無い位忙しいのだろう。
大変そうだな…と、他人事のように考えてしまった。
でも、言い訳だけど、この人に夜中小言を言われて起こされなかったら、私寝坊しなかったと思う。
言い訳だけど。
「立て。顔は分かっている。そこの貴様もだ。ガルシア軍曹の部屋番号を聞いただろう。」
野次を飛ばした兵達が、青ざめた顔で椅子から立ち上がった。
私の部屋番号を聞いた人…他の隊の准尉だな。あの人は可哀想な気が…別に部屋番号位、良いじゃないか。
全員が、固唾を飲んで成り行きを見守る。
「次は無い。無駄口を叩くな。」
良かった…緊迫した部屋の空気が、緩まった。
アイゼン少佐は指示を続ける。
「リー中尉は残れ。他の者は、リー中尉の指示通りだ。以上。」
リー中尉が、恨めしそうな顔で、私を横目で睨む。
「さっさと行け。」
アイゼン少佐の声で、全員一斉にに立ち上がり、会議室を後にした。私はリー中尉の指示通り、今日は今から独房だ。
「リー中尉、本当に申し訳ありません……」
「ジル……俺がここから無傷で出れたら、許してやる…」
「うぅ……」
「バカ、泣きたいのは俺の方だ。」
「リー中尉、」
アイゼン少佐が、近づいて来た。
「ほら、もう行けっ。」
リー中尉に小声で促されて、私は逃げる様に会議室を後にした。