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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
35/128

8.君と過ごしたい

 

 売れ残り。


 一般の兵舎へ続く扉からアイゼン少佐が入って来た時、不謹慎ながら、私はそう思ってしまった。


 そして、自分のせいで少佐が懲罰房送りになってしまった事と、リー中尉に私室で大人しくしている様に言われた事を思い出し、血の気が引いた。


 少佐は私を見つけ、眉間に皺を寄せている。

 まずい………


 こちらにツカツカと歩いて来て、私は右手で抱え上げられた。


 血の匂いがする。


 少佐は無言のまま、私を運んで行く。

 私室棟の廊下は、掃除の行き届いた絨毯が敷いてあり、足音がしない。

 私は、誰にも見られません様に…と祈りながら、大人しく私室棟へ連れ戻された。


 少佐は、私の私室の前まで来ると、扉を開けて中に入り、無言で私をソファーの上に座らせた。

 そして、そのまま部屋を出ようとする。


 さっき、見張の隣で座っていた事を見られた。私室棟から出ようとした事を謝っておくべきか⁈

 いやでも…怒られなかったもんな…下手に話を蒸し返さない方が良いか…


「あ、あの…アイゼン少佐、」

「何だ。」


 心なしか、少佐の声が小さい様な気がする。血の匂いも酷い。やっぱり、懲罰房で……

 さすがに、リー中尉が言う程、切り替えては行けない。私のせいだ。モニカにもっと怒らないでと念押しすべきだった。


「申し訳ありませんでした。私のせいで懲罰房に…大丈夫ですか?」


 大丈夫ですか?と言ったものの、大丈夫では無いと思う。でも、それしか言葉を掛けようが無い。


「君のせいでは無い。だが、そう思うのなら、大人しく部屋に居てくれ。」


 少佐は、表情を変えずにそう言うと、部屋を出て行った。

 これはさすがに、脱走出来そうにないな…

 

「はぁ……」


 私はソファーでため息をついた。

 つまらない…


 しょうがないので、とりあえず、シャワーを浴びた。

 置いてある石鹸で体を洗うと、とても良い匂いがする。


「高そうな石鹸だなあ。」

 

 何かの花の香りかな。

 だけどこんな良い匂いじゃ、野営訓練で森に入った時、悪目立ちするだろうな…森にこんな良い匂いの動物はいない。獣達にも気づかれる。森に入る前は、家から持ってきてる、匂いの少ないやつを使うか。


 しげしげと石鹸を見る。見れば見るほど高そうだ。あまり使えないのだから、使わずに売っちゃえば良かったな。失敗した。もしかしたら、一晩飲める位の値になったかもしれないのに…


 無駄にいい匂いを撒き散らしてシャワー室から出た。

 クローゼットに用意されていたワンピースは、何となく着る気になれず、私はまた下士官用の青を基調とした軍服に袖を通した。そして軍用の黒いブーツを履く。


 その後はまた暇になる。本を読むか、エイダンに手紙を書くか、だなあ。


 リュックの中からペンと便箋を出し、机の上に置いた。


 エイダンから、野営訓練中は、定期的に手紙を書く様に言われている。訓練内容について書く事は出来ないので、その他の私的な事について書いているのだが、それに対して、とても心のこもった小言が来る。


 淑女として、貴族令嬢として…

 リー中尉への態度が悪い…

 オーウェンと遅くまで飲み歩くな…

 言葉遣いが残念すぎる…

 そもそも字の練習を…


 最近は特に厳しい。


 やっぱり、本を読もうかな。

 ベッドにうつ伏せになり、モニカのお父さんの小説を開いた。

 

 三分の一程読み進め、主人公の少年が、大きい獣の様な怪物に向かって矢を射った時、隣の部屋で扉を開閉する音がした。


 リー中尉が私室に戻って来たんだ。

 私の、この惨状を是非とも訴えたい。

 外にも出れず、飲みにも行けず、

 そしてそして、飲みにも行けない。


 ただでさえ辛い野営訓練が始まるのに、こんなの耐えられない。


 私は静かにリー中尉の私室のドアの前に行き、ドアをノックした。そして小声で呼びかける。


「リー中尉、いるんでしょ?ジルベールです。」


 返事は無いが、ベッドが軋む様な物音がした。

 居留守だな。私の相手を面倒くさがって…!

 こちらは、一方的にこんな所に閉じ込められているのだ。そう簡単に引き下がれない。何としても、怪我はもう大丈夫だと理解してもらわないと…


「リー中尉!いるのは分かってるんですよ!返事して下さい!」


 微かに、部屋の中を歩く音がする。


「リー中尉、お願いです!私はもう、怪我は大丈夫ですから、いつもの下士官用の兵舎に戻して下さい!私はあっちが良いんです!」


 あくまで無視を貫くつもりだな。返事位してくれてもいいじゃないか。


「もー…私がこんなに頼んでるのに。怪我は治ったって言ってるじゃないですか!治ってたらどこでも良いでしょ⁈」


 私が少し声の大きさを上げて呼びかけると、ガタッと少し大きな物音がした。出て来てくれそうだ!


「ねー、中尉!私頑張って耳取ってくるから。中尉の指示も聞きます!だから、ね!お願いします!戻して下さい!」


 今度はしっかりと部屋を歩く音がする。居留守は無理だとやっと気づいたか。あと一押しだ。


「無視するなら、もういいですよ。耳とるのサボりますからね。私知ってるんだから。リー中尉、普通科中隊の上官と、野営訓練で、どっちの隊が多く耳を取れるか競いあってるでしょ。良いんですか⁈私がサボったら絶対負けますよー!ねー、リー中───」


「ガルシア軍曹、」

 その時、後ろの私室の扉が開いて、他の隊の上官が、入口から顔を出した。優しそうな人だ。


「あ……申し訳ありません…お騒がせしました。」

 私はちょっと騒ぎ過ぎた事を反省して、敬礼をした。


「いや、君の事は聞いてるから、別に良いんだけどね。評判通り、元気が良いね…ただ、その部屋はリー中尉の部屋じゃなくて───」

「え?」


 上官が私に言いかけた瞬間、リー中尉の私室の扉が少し開き、私は右腕を掴まれて部屋の中に引きずり込まれた。

 引きずり込まれる時に、上官が、あちゃー…という顔をしていたのが見えた。


 部屋の中で、扉を背に立たされる。頭の後ろで、ドアの閉まる鈍い音がした。


「部屋の前で騒ぐな。」


 血の匂いがする。


 そこに立っているのは、リー中尉ではなく、オレンジ色のランプの灯る薄暗い部屋で、不機嫌そうに顔をしかめたアイゼン少佐だった。


「どうして………」


「どうして?……なぜ騒ぐなと言われているのか分からないのか?」


 当たり前だが、絶対怒っている。


「申し訳ありません、少佐。」

 私は怖くて少佐の顔を見れず、正面を向いたまま敬礼をした。

 目の前に、少佐の胸元がある。少佐は軍服姿だが、佐官用の、黒を基調とした軍服の前は開いており、シャツは着ておらず、包帯だらけの上半身が見えている。上着を脱いで休んでいた所を、私が起こしてしまったのだろう。肺の辺りが浅く上下し、呼吸も早く、見るからに辛そうだ。

 起こしておいて言える事では無いけど、この状態で、良く起きてられるものだな。


 私が敬礼をしたまま固まっていると、頭の上で、大きなため息が聞こえた。

 

「ジゼル、」

 少佐はそう言うと、私の右手を頭から下ろし、左手で私の頭を掴んで上を向かせ、自分に視線を合わせた。

 右手を扉に付いて私を囲うように体を屈める。


「あの部屋の、どこが気に入らない?」

「え……?」


「何か足りない物があるなら言いなさい。気に入らないなら、君の好きに変えて良い。」


 少佐の紺色の目は、苦しそうに半分程閉じられ、浅く早い呼吸を繰り返している。


 私はチラッと視線を部屋の奥に逸らした。少佐の体に遮られ、あまり良く見えないが、部屋の作りは同じ様だ。ただ、この部屋は、左側の壁一面が本棚になっており、難しそうな本がずらっと並んでいる以外は、最初私が想像していた様な、いかにも殺風景な軍の私室だ。


 私は視線を泳がせながら、歯切れ悪く答えた。


「いえ……とても素敵なお部屋で……十分過ぎる位で……」

「では何故、他の兵舎に行きたいと言っている?」


 確かに。

 抜け出そうとしているのは、満足していないからだ…


「本当に…す、素敵なお部屋だと思うのですが…」


 頑張れ私!もう正直に言うしか無い!


「何だ。」


「ほ…他の…同窓の者達と…飲みに…行きたくて……」

「………」


「外に出たいのです。」

 最後の言葉だけは、しっかりと言い切った。


「そうか……」

 少佐は、それを聞いて、納得した様に呟く。


「では……良いですか⁈」

「駄目だ。」

「えっ!」


 そんな。絶対許可されそうな流れだったのに。


「なぜですか?少佐……」

 今度は私が問う側になった。


「なぜ……」

「私は…もう怪我は大丈夫です。」

 瀕死の大怪我をしている少佐に向かって申し訳ないが、本当に大丈夫だ。ちょっと肋骨が軋む気はするけど…


「……なぜ……」

「はい。なぜでしょう。」

 少佐は何だか自問自答している様だ。


「分からない。」

「えっ!」


 私は少佐のよく分からない答えに、びっくりした顔で少佐を見つめた。

 分からないなんて事はないだろう。

 一体何のために、あの難しそうな本棚の本達を読んでいるんだ。モニカのお父さんの小説を愛読している私の方が、まだ語彙力ありそうだぞ。


「分からないのですか……?」

「すまないが…分からない……」

 少佐は本当に分からない様で、嘘では無さそうだ。先程と一転して、困った様な表情になっている。


「では、分かったら戻って来ますから、それまで外に出ても良いですか?」

「駄目だ。」

「…………」

 私は小さくため息をついた。


「……ジゼル、一緒に飲みに行ってるのは…確かミラー伍長達だな。」

「はい。」

「彼等とは…いつでも行けるだろう?訓練内容にもよると思うが、野営訓練中、毎日兵舎に帰ってくる訳ではない。」

「……はい。」


「兵舎に帰って来る日は、私室で過ごして欲しい。」

 少佐は困った様な表情のまま言った。

 言い方が多少変わっただけで、結局、なぜ私室から飲みに行ってはダメなのかは、告げられないままだ。

 

 上官の指示とは言え、納得性に欠ける…


「飲みに行きたい…か…酒を用意する事は難しいが、私室に戻る日は、アイゼン家(うち)から食事を持って来てもらおう。君の食べたい物を用意する。一緒に食べよう。」

「えっ……!良いのですか⁈」


 モニカが言ってたけど、確か、少佐の家は侯爵家…

 食事も美味しいのでは…軍の食堂も悪くはないが、ぜひ食べてみたい。


「ああ、何でも好きな物を言うと良い。」

「ありがとうございます。」


 それは納得性には欠けるが、指示を聞く決定打にはなった。

 

「分かりました、少佐。私室に戻ります。」

「ジゼル、」


 私が戻ろうとすると、少佐はなぜか扉が開かない様に抑えた。


「少佐……?」


 部屋が薄暗くて、はっきりと表情が分からなかったが、少佐は苦しそうな表情で、私の前髪に自分の額を付けた。


 少佐の浅い呼吸音だけが、殺風景な私室に響いている。

 ここから、二度と出られない様な気がした。


「……あの……アイゼン少佐……」


 私が何とか声を振り絞って少佐を呼ぶと、少佐は私に額を付けたまま喋り出した。


「君は…いつまで俺を少佐と呼ぶんだ…?」

「え……少佐が、中佐になられるまで…です。」


 この人は、何でそんな当たり前の事を聞くんだ。

 この部屋の本、本当に読んでるのか?


 私が答えると、少佐は、そうか、と言って顔を離した。

 その時の少佐の表情は、どの様な感情から来るものなのか、私には良く分からなかった。


 エイダンやモニカなら、分かったのだろうか。

 私は初めて、エイダンの忠告を聞いてこなかった事を後悔した。


 いや…本当は…

 今日街で、少佐に右手を取られた時から後悔していたんだ。


 でも、今だって…

 社交辞令の挨拶だとか

 お茶の注ぎ方だとか


 そんな事を練習する余裕がある程、私は強くない


 どれだけ訓練しても

 同じ量の訓練をしたオーウェンに打ち負ける


 それどころか、訓練をさぼっている者にさえ

 正面から挑んだら、歯が立たないじゃないか

 

 どうして 何で 私だけ


 今は、正々堂々なんか程遠い戦い方を身につけて

 何とかやって来れてる


 どれだけやり方を罵られようとも構わない

 死ななければそれで良い

 実戦であれば多少の自信も付いてきた


 だけど


 軍務に関わる事以外に時間を割く事が

 私は怖くなっている……


 頭の上に、ポンと大きい掌を乗せられて、私は我に返った。


「明日から野営訓練だ。寝坊しない様に。」

 そう言って、少佐は私室の扉を開けた。


「はい。」

 私は今度こそ、大人しく部屋に戻って、ベットに潜り込んだ。

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