7.見張りの兵とジルベール
「いい加減に諦めなさい。ジルベール君。」
彼女は一体いつまで粘るつもりなのだろう…
私の隣に膝を抱えて座り込んでいる。
「いくら頼まれても無理なんだよ。今日は君を私室棟から出さない様に指示を受けている。部屋に戻りなさい。」
彼女は座り込んだまま、上目遣いにこちらをジッと見つめている。こうして見ると、まだ幼さが残っている様だな…
初め畏まった話し方をしていた彼女だが、こちらが子どもを諭す様に接していると、段々と砕けた態度になってきた。
いつも交替で、兵舎の私室棟へ続く扉の見張りをしているが、今回軍の野営訓練中、ジルベール・ガルシア軍曹が負傷しているため私室を利用すると、見張りの兵達に通達が来た。
彼女はいつも、同窓の者達と飲みに行く様で…ついでに言えばこの国では、軍人であれば何歳でも飲酒が認められており、彼女はかなり早い段階から酒を飲む事を覚えてしまっている様だ。そのため、負傷していても、絶対飲みに行こうとするはずだから、上官と一緒の場合を除いて私室棟から出すな、と指示が来ている。
まあ、怪我をしているのに飲み歩くのは、褒められた事では無い。部屋で大人しくすべき、最もな事だ。
ただ、上官と一緒の場合通して良い、と言われたが、上官というのが、アイゼン少佐とリー中尉なのがよく分からない。リー中尉は確かに彼女の上官だが、アイゼン少佐ともなると、彼女の所属する偵察班が少佐の管轄下にある、というだけで、直属の上官ではない。そもそも少佐が一軍曹をそんなに気にかけるか?
アイゼン少佐は、最近隣国からこの軍事基地に戻って来て、私室で生活をしている佐官の一人だ。私の知る限りでは、深夜に寝に帰ってくる位で、むしろ帰らない日も多く、ほとんど私室にはいないと思われる。
我々見張りの兵に対して、礼儀正しく挨拶はするが、その声に全く感情はこもっておらず、正直人間味を感じない。紺色の瞳は冷やかで、一体何を考えているのか…私達の様な者には知る由もないのだろう。
せっかく整った容姿なのだろうに、少しは愛想良く笑えば良いものを…などと、おせっかいにも考えてしまう。
まあ、どちらかといえば、リー中尉の様に、話しやすい方が珍しいか。あんなにフランクだが、リー中尉もあれで将校だからなあ。
アイゼン少佐は、確かアイゼン中将のご子息で、あの年齢で少佐なのだから、相当な切れ者なのだろう。きっと一般人とは思考回路が違うのだ。嫌味ではないが、あの年齢で高位貴族なのに婚約者もいないというのも、何か考えがあるのかも知れない。それか単に愛想が足りないだけなのか。
まあ、いろいろ事情があるのだろうな…
そして通達通り、リー中尉に連れられて、彼女が私室棟へやってきた。なんだか驚いている様子だ。
しかし、ポスター等でも良く見るが…間近で見ると、本当に王族と同じ見た目なのだな。その見た目に反して、顔に付いている傷が不自然に思える。軍人ならば普通の事であるのに…
そして程なく、リー中尉が一人で私室棟の扉から出てきた。
「リー中尉殿、お疲れ様です。仕事にお戻りですか?」
「そうです。……あの、申し訳ないのですが、ジルベールの事で……」
「今回負傷中の為、私室をお使いですね。承知しております。」
「あいつは、ぜっっっったいに!ここを出ようとしますから!間違っても通さないで下さい!でないと、俺の首が危ない…」
「あはは!そんなにですか?」
「アイゼン少佐の指示なんですよ。本当にお願いします。あいつ、俺の言う事、ろくに聞こうとしないんですから…」
「分かりましたよ。リー中尉、そんな目くじら立てなくても、聞き分け良さそうなお嬢さんではないですか。いや、軍人の方にお嬢さんなんて、失礼かも知れませんがね。」
「……よろしくお願いします。」
そう言うと、リー中尉は疲れた様子で、一般の兵舎へ続く扉を両手で押して出て行った。
その後、リー中尉の言った通り、彼女はキョロキョロと私室棟の扉から出てきて、通して欲しいと言ってきた。
駄目だと言うと、悪びれなく、リー中尉に許可された等と笑顔で嘘を付く。全く…反抗期の子どもじゃないか。
リー中尉に念を押されてなかったら、騙されていたかもしれない。
嘘を見破られると、ちぇー、と口を尖らせ、私の横で、一般の兵舎へ続く扉の方を見ながら、座り込みを続けている。
「ジルベール君、今回君は怪我をしていて、私室を使っているんだろう?部屋で大人しくすべきだと思うよ。君の上官は、間違った事は言っていない。指示を聞きなさい。」
「だけど…いつも怪我してても、普段通りの相部屋か、良くて医務室だもん。今回だけですよ?それに、正直そんなに怪我して無いですし。」
「どこを怪我してるんだね?」
「多分…肋骨にひびが入ってる。」
「十分酷いよ、部屋に戻りなさいっ!」
それでも彼女は不満そうな顔で座っている。
「はぁ…ジルベール君、私も娘がいるがね….人の親として、君くらいの子が、肋骨にひびなんて入ってたら、いくら軍人でも心配するよ?」
「……子ども、何歳なの?」
「うちの娘かい?今年10歳だよ。」
「そんな小さい子と一緒にしないでよ。大丈夫だって。」
「10歳が小さい子どもかい?君が軍人になった年齢だろう。そんな小さい子どもの時から、君はここにいるんだ。自分を大切にしなさい。」
彼女は水色の両目で私の顔をしっかり見た。
「そんな事、ここにいる人達に、言われた事無かったな。」
「言わなかっただけだよ。皆が思っていたさ。」
彼女は少し俯いた。
「分かったなら、下手な嘘なんか付かないで、部屋に戻りなさい。それにね、君を通してしまったら、私が怒られる所じゃ済まないんだよ。悪いね。」
「……そっか。そうだよね。ごめんなさい、迷惑かけて。」
「君は、素直な良い子だと思うよ。リー中尉が気にかけるのもよく分かる。リー中尉は、家族思いの良い方だからね。私にも、よくご自分の、田舎の家族の話をしてくれるよ…ジルベール君、君はせっかく私室を許可されたんだ。ここの私室は、多少殺風景で若者にはつまらないかもしれないが、一般の兵舎に比べたらゆっくりできるだろう。戻って休みなさい。」
「そうする。あ、でも、そんなに殺風景でもないですよ!かわいいティーセットもあったし。」
「本当かい⁈ここの私室に⁈信じられないなぁ。だったらお茶にでも呼んでもらおうかな。」
「いいよ。私、お茶溢れさせちゃうけど。」
「あはは、君は面白いねえ。娘と話してるみたいで楽しいよ。」
「ふふ。」
私が笑うと、彼女は両目を細めて無邪気に笑った。
こんなに無邪気に笑っているが、彼女も訓練中、野盗狩りに行かされるのだ。
彼女も今では、主戦力の一人だと、リー中尉が言っていた。やっとここまで成長したと。
彼女を生かすには、軍人として一人前にするしかなかったのだろうが…人の良い笑顔のリー中尉が、当然の様に彼女の戦果を褒め称える。
人はそれぞれ、そこに至るまでに必ず葛藤がある。
私には、何も言う資格は無いが…
せめて、彼女の無事を祈ってやる事しかできない。
2人で笑い合っていると、一般の兵舎へ続く扉が静かに開き、誰かが入って来た。
彼女が入って来た人物を見て、一瞬ポカンとした後、無言になり青ざめた。
彼女に私室に居る様指示した本人、アイゼン少佐だ。
「お…お疲れ様です。アイゼン少佐殿。お戻りですか?」
アイゼン少佐は無言で、私の横に座っている彼女を見留めると、顔をしかめた。
無言のまま、彼女に近づき、右手を彼女の腰に回して抱え上げる。
そしてそのまま、一言も発さず、軽い荷物の様に彼女を小脇に抱えて私室棟へ入って行った。
チラリと彼女の顔を覗き見ると、彼女は青ざめたまま、正面を向き、大人しく抱えられて行った。
せめてあともう少し早く、私が説得して私室に帰してあげられていたら…
明日、彼女が元気にこの扉から出てくる事を願おう。