6.政略結婚がしたい訳ではないのです
「閣下、ノア・アイゼン少佐がお目通り願いたいそうですが、如何いたしますか?」
ジョセフ・アイゼンは、自身の執務室で補佐官に告げられた。
「来たか…」
もしかすると、来るかもしれないと思っていた。さすがにやり過ぎたか…いや、しかし、こうでもしないと、もはやベネット公爵家の怒りを鎮める事はできなかった。
「通してくれ。それと、恐らく私用だ。君は席を外してくれないか?」
「かしこまりました。」
補佐官は息子を呼びに行き、退室した。
「ノア・アイゼン少佐です。失礼します。」
そう言って入って来た息子は、酷い有様だった。控え目に言っても、良く立っていられるものだ。
一応、応急処置は受けたか。リーか彼女が頼んでくれたのだろうな。
「私用で参りました。」
「そうか。文句でも言いに来たのか?ノア。」
ノアは明らかに声も小さく、覇気がない。
喋るのもやっとなのだろう。
「手酷くやられたな。執行役には、お前を良く思っていない者を集めた。手加減はされなかっただろう。だが、当然の報いだ。」
ノアは敬礼を崩した。
「父上、」
「何だ。苦情は受け付けんぞ。」
「明日の夜、家でジゼル嬢と夕食を食べますので。家の者達に、お伝え下さい。父上と母上も同席願います。」
「………はぁ?」
「時間は、野営訓練の予定を確認次第お伝えします。では、よろしくお願いします。」
ノアは私に背を向け退室しようとした。
「待て待て待て待て!いきなり何だ⁈どういう事だ⁈」
「ですから、明日の夕食時に、彼女を家に連れてきます。」
「いやいや、連れてきます、じゃないだろ。彼女にはもう言ったのか⁈」
「まだです。」
「ガルシア家には、まだ何も告げていないと言ったろう⁈何と言って連れて来る気だ⁈」
「何と言って…?家で一緒に夕食を食べようと……」
「いや、いきなりそれは不自然だろ⁈」
「そうですか…?彼女はテオドール程では無いですが、良く食べますので、喜ぶと思いますが。」
「もういい…埒が開かない…」
「お前は…いきなり来て何を言い出すかと思えば…何故急にその様な事を言い出すのだ?婚約してからでも良いだろう?」
「………あいつは家に呼んだ事があると……」
「はぁ?また訳の分からん事を…」
「……とにかく、家に呼ばなくてはいけないのです。」
「お前が呼びたいだけだろ……はぁ、全く…」
「こんな仕打ちを受けても、一切何の反省もしていないとは。我が息子ながら恐れ入った…」
ジョセフ・アイゼンは目頭を押さえ、深くため息をついた。
「明日はウィリアム・リーも呼べ。それが条件だ。」
「……何故です?」
「露骨に顔をしかめるな…あのなぁ、リーは今回、アイゼン家からの縁談を受けている。上手く纏まったからな、そのうち、家に呼ばねばと思っていたのだ。明日、ガルシア軍曹を家に呼びたいのなら丁度良い。彼女がいた方が、リーも緊張しないだろう。」
「……分かりました。」
そう言ってノアは部屋を出ようとしたが、ドアに手を掛けた所でこちらを振り返った。
「まだ何かあるのか?ノア。」
「彼女は、肉料理が好きです。特に肉のシチューが好みのようですね。それと卵料理で、特に緑鱗鳥の卵が好きだと言っていました。緑鱗鳥の卵は、今は旬でしょう?あと、甘い物も好きなので食後には必ず──」
「わ、分かった分かった。お前そんなに良く喋る奴だったか…?家のコック達に伝えておく。リーの方は、何が好物なんだ?」
「………さあ。存じ上げません。何でも良いのではないですか?」
「聞いてみただけだ……医務室に行くのだろう?もう行け。」
「失礼します。」
「……ノア、ちょっと待て。」
「何です?」
「お前…先日の昇進で、褒賞を賜わる事になっただろう。」
「はい。まだ願い出ておりませんが、父上のご提案で、後日それをガルシア家の王命の──」
「その褒賞で、彼女との婚姻を願い出る、という事は考えなかったのか?」
「………」
「その方が、手っ取り早いだろう。」
多少、不思議に思っていた。どうして、褒賞として彼女を願い出ると言い出さないのか。
まるで、周囲の人間に各々の感情がある事を理解しない様な愚息だが、案外分かっているのかもしれない。
私が彼女を褒賞として願い出る様進言しないのは、ガルシア男爵、ジキルの娘を物の様に扱う事など出来ないからだ。仮にノアが願い出たいと言い出したとしても、アイゼン家として認める訳にはいかない。
「その考えは無いですね。」
「どうしてだ?何故願い出ない。」
「過去に、婚姻を褒章として願い出た例はありますが、それは政略結婚を目的とした、王侯貴族とのものです。彼女は、貴族令嬢ではありますが…この国の軍人です。父上は、同胞を褒賞として願い出た場合、必ず認められるとお考えになりますか?」
「……確かに、絶対とは言い切れんな。」
「他国の捕虜ならまだしも、褒賞に同胞を与えるという前例を作ってしまうと、軍内の規律が乱れます。難しいでしょう。」
「お前の言う通りだ。」
「彼女がただの男爵令嬢なら、既に褒賞として貰い受けています。それが一番確実ですし、父上のお手を煩わせる事もありません。ガルシア家に対する王命の撤廃は、認められるかは分かりませんが、その後願い出れば良い。ただ、褒賞として貰い受けたとしても、私は彼女と───」
「もう良い、分かった。だがな、ノア、」
「はい。」
「彼女は…ガルシア軍曹は、意思ある一人の人間だ。理解しているのか?」
「もちろんです。当たり前の事ではないですか。父上は時として、脈絡の無い事を仰る。」
「脈絡の無い、か…引き止めて悪かった。明日の件は、家の者に伝えておく。肉のシチューと、緑鱗鳥の卵料理だな。行っていい。」
「甘い物もお願いします。」
「分かっている。もう下がれ。」
「ありがとうございます。」
ノアは自分の要求を一方的に告げ、晴れやかな顔をして出ていった。立っていた所に、血溜まりが出来ている。
戻って来た補佐官が、手際よく掃除をし始めた。
「ルーカスの言う通りだな…全く…頭が痛い…しかし…」
しかし…ほぼ仕事以外ポンコツな息子だが、
相手の好む食べ物を贈る、という行動だけは正解だな…