4.個人情報収集の集大成
リー中尉は、私室棟へ続く重そうな扉を、両手で押し開けた。
扉の奥は、短い通路になっており、えんじ色の絨毯が敷かれている。足を踏み出すと、ゆっくりと絨毯に足が沈んだ。
短い通路の先には、小さめのドアがあり、見張りの兵が立っている。見張りは、私とリー中尉を確認すると、ドアを開けた。
ドアの向こうは、さらに奥まで通路が続いており、一定の間隔で、両側に重々しい私室のドアが、ずらっと並んでいる。
将校以上の兵の、私室の扉だ。
「え…何で私が私室に……あっ、リー中尉も確か私室で生活されてましたよね?もしかして私、中尉の部屋に泊まるって事ですか?」
「あぁ?何で夜までお前のお守りをしなきゃいけねえんだよっ!勘弁してくれ!お前は1人部屋だ!」
「その声はリーとジルベールかぁ!うるせーぞ!こっちは夜勤明けだっ!」
私達が騒いだので、どこかの私室から、怒鳴り声がした。
「申し訳ありません!」
リー中尉は返事をして、私に、行くぞ!と小声で言った。
そしてスタスタと奥へ進んで行く。
「リー中尉!本当に、何で私が私室なんですか⁈いつもオーウェン達と相部屋なのに。私いつもの所が良い!」
小声でリー中尉に問いかけた。
「文句を言うな!恐らく、お前、この前の件で…医務室送りになっただろ?それで一応、怪我人って事で配慮されたんだろ。あとは、まぁ、あの件は事故になってはいるが…謝罪の意味もあるんだろう。」
ちょっと迷いそうな位、私室棟の奥へ進んで、リー中尉は足を止めた。私、一人で出れるかな…迷いそうだ…
「とにかく、少佐の指示だから、大人しく使っとけ。ここがお前の部屋だ。」
そう言って、リー中尉は、ずらっと並んだ私室の中の一室の前で、足を止めた。右手でドアを開けると、ほらっ!と半ば私を押し込む様にして部屋の中に入れた。
「上官として忠告するが、今回の野営訓練中、兵舎に戻る日は、訓練が終わったらこの私室で大人しくしとけ。オーウェン達と飲みに行ったりするなよ。」
「えーっ!中尉!私本当に───」
バタンッ──
リー中尉は非情にドアを閉めた。
くそーっ。
閉められたドアに耳を澄ますと、リー中尉が、隣の部屋に入る音がする。
隣が中尉の私室か。そーっとドアを開けて顔を出すと、リー中尉が、また隣の部屋から出てくる所だった。
「あっ!ジル!お前は本当に……言う事聞けって!」
「中尉…今からまた仕事に戻るんですか?」
「そうだよ!まったく…大人しくしとけよ!俺は忠告したからなっ。」
「…………」
「ほらっ!部屋に入れええー!」
「い"や"だーー!」
「……ジルっ!!この……反抗期のクソガキがっ!」
リー中尉はそう言って私を私室に押し込むと、行ってしまった。
しょうがない……
無理矢理押し込められた私室を見渡した。
「えー!何か以外と……」
軍の私室だから、ベッドと机とソファーがある位の、殺風景な感じかと思ってたけど、なかなか快適そうだ。
部屋には、大きめの窓があり、薄いレースのカーテンと、落ち着いた厚めの紺色のカーテンが掛かっていて、レースのカーテン越しに、月が見えている。
大人が3人程座れそうなソファーの前には、木製の長方形のテーブルがあり、柔らかな水色のテーブルクロスが掛けられている。テーブルの上には、かわいらしい花柄のティーセットと、お湯の入ったポットがあり、ポットには保温のためにキルトのカバーがかけられている。
部屋の左奥には、机と、天井まで高さがある据付の大きな本棚があり、本棚にはずらっと本が並んでいる。
本棚の上の方は、私は背伸びをしても届きそうにないな。でも、本棚の上の方にあるのは、難しそうな戦術書や、経済学、算術書や歴史書みたいだ。私はあんまり興味は無い…
本棚の中段辺りは、他国の文化や言語についての本だ。少数民族について記された、貴重な物もある。私は任務で、隣国以外の国境を越える事も多いため、読んでおきたいな。でも、野営訓練中に、全部は読み切れなさそうだ。借りて帰ってもいいのかな。
「あっ!これは……!モニカのお父さんの小説!!」
私は発見してしまった!本棚の一番下の段に、モニカのお父さんが書いた小説が沢山並んでいる!
モニカのお父さんは、人気のある小説家で、私も大好きな作家さんだ。モニカに頼んで、本にサインをしてもらった事もあり、私の宝物だ。
一番人気があるのは、平凡な町娘が、身の周りで起こる殺人事件や怪事件を解決していく、ミステリー小説シリーズなんだけど、私が好きなのは…あ!あるある!
小さな村に住む孤独な少年が、自分の両親を探すため、旅に出る冒険小説だ。町娘ミステリーシリーズに比べ、こちらは子ども向けなのだが、行く先々で様々な事件にあったり、いろんな国に行って、時には怪物退治もする。出会った人を助けたり、助けられたり、かわいい恋をしたりするのだ。
この本を読み出してから、任務で他国に行く事が、少し苦では無くなった。目の前に広がる初めて見る景色や、異国の食べ物を食べていると、主人公の少年になったみたいで楽しい。無事に生還するため、訓練も自分なりに工夫する様になった。
この小説の主人公は、いつも私を前向きにしてくれる。
この前出た、新刊もある!最近ごたごたしていたので、買って無かったんだ!嬉しい!これは絶対読もう。
私は本棚のラインナップをしばらく物色した後、また部屋を見渡した。
部屋の右奥に、小さめのクローゼットがある。野営訓練中は、就寝時も軍服を着ているので、替えの軍服しか持って来ていないのだが、せっかくだから、クローゼットに掛けておくか。
「ええーっ!!」
私はクローゼットを開けて、一人で大声を出してしまった。まずい…ここは私室棟だった…騒いだら怒られる…
クローゼットの中に、部屋着と思われる服がかけられている。女物の服だから、共用の備品という訳では無さそうだ。私室を使う時って、こんな準備までしてくれるの⁈
掛けられている部屋着は、薄い黄色のワンピースが2着と、上から羽織るための、白いカーディガンが1着、姿勢正しくクローゼットに並んでいる。
私はそっとワンピースを手に取った。黄色は…特に薄い黄色は、私の好きな色だ。シンプルなデザインだけど、高級そうな生地だな。カーディガンもすごく暖かそう。袖と裾に、ピンクや水色で、花柄の刺繍がしてある。
私は一瞬、今着てみようかと悩んだが、ワンピースの隣に持ってきた替えの軍服を掛けて、そっとクローゼットを閉じた。
父上…かな…ここまでしてくれるのは…
この私室は、明らかに私の好みに合わせてくれている様に思う。私が黄色が好きだとか、モニカのお父さんの小説が好きだとかは、限られた人しかしらない。ちなみに私の父も、モニカのお父さんのファンだ。私がモニカに頼んで、本にサインをもらった時、自分もしれっとサインを頼んでいた。
初めの方こそ、父は私が任務に行くたび心配し、軍人である事を反対していたのだが、私は知っている。
私が軍人である事を反対している様な素振りを見せているが、今では父が、軍人としての私に期待を寄せている事を。
最近では、この部屋の本棚の、一番上の段に並んでいる様な戦術書や算術書を、読め読めと口うるさく言ってくるのだ。
私が実家で、軍服のままうろついていたり、つい、軍に居る時の癖で、飲み物を飲んだ後の口元を手の甲で拭ったりしても、何も言わなくなった。
それどころか、私の顔の傷を見て、馴染んできたな、等と言って笑ったりする。
そんな父に、義母が文句を言うまでがいつもの流れだ。
私のビスケット一粒程しか残っていない淑女らしさを気にかけ、小言を言ってくれるのは、今ではエイダンだけなのだ。
実家に、私に私室を使わせるため、準備をする様に連絡が行っていたのかな?
だとしたら、教えてくれても良さそうだけど…
私は考えを巡らせながら、部屋にある、まだ開けていない扉をそっと開けてみた。
そこは洗面台のあるシャワー室だった。シャワー室の床は、とても綺麗でピカピカだ。
確かに、いつも使ってる兵舎の共用のシャワー室で、将校以上の兵を見かける事は少ない。並ばずに、しかも部屋でシャワーが使えるのはラッキーだな。
洗面台には、フカフカのタオルが置いてあった。タオルの上に、メッセージが書かれたメモが置いてある。
──使ったタオルやシーツは数日分まとめて、衛生室に持っていけ。新しいものと交換してくれる。ポットのお湯は、分かってるだろうが食堂で貰え。
明日は7時集合だ。訓練内容は、大方いつも通り。寝過ごすなよ。──
几帳面な性格が体現されている様なこの文字は、もはや見過ぎて見飽きた、リー中尉のものだ。
私はメモを置き直して、シャワー室の扉を閉めた。
そして最後に、この部屋の窓際、中央に置かれたベッドに仰向けに寝っ転がった。
白いシーツはパリッとしていて、私の体はふかふかの布団にゆっくり沈んだ。
ベッドは広くて、大人が数人寝れそうだ。軍の兵舎だからな。体格の良い人が多いからだろうけど、それにしても、いつもオーウェン達と相部屋で使っているベッドとは、比べ物にならない位、寝心地が良い。あっちは2段ベッドだもんな。本当に寝過ごしそうだ。
ふかふかのベッドで、気が済むまでゴロゴロした後、ふとベッドの隣にサイドテーブルがある事に気がついた。
サイドテーブルの上に、何か置いてある。
それは、ハート柄のカップだった。サイドテーブルの上に敷かれたクロスの上に、ちょこんと伏せて置いてある。
実家で愛用している、メイジーがくれたカップに似ているな。そういえば、前にカップの事を、リー中尉に話した事があった。
中尉が用意してくれたのかな…すごく嬉しいけど…
でも、父上も、リー中尉も、たかだか野営訓練入りの為に、さすがにこんな事までしなさそうだけどな。確かに数ヶ月は訓練期間で家に帰らないが…
父上は、私の野営訓練入りを、娘の引越しか何かと勘違いしてないか…?
私は一通り部屋を確認して、ソファーに座った。
さすが、私室は豪華で、快適だ。
必要なものは何でも揃っている。
だけど…だけど…この部屋に無いもの…
それは───
私の相部屋相手だ!
私は入口のドアに手をかけた。