3.おめでとうございます
「アイゼン少佐に、お前を迎えに行く様に言われていたから迎えに行ってみれば、何なんだあの騒ぎは…ベネット公爵子息もいたから驚いたぞ。大丈夫だったか?」
兵舎に向かいながら、リー中尉が愚痴をこぼした。
「私もまさか、モニカのお兄さんがここに来ているとは知らなくて………痛っ……」
さっき、化物に捕まれた肋骨が痛んだ。またひびが入ったかもな……
「おいおい、本当に大丈夫か?」
「……はい……」
私は元気無く返事をした。
「ジル、お前もしかして、まだベネット公爵子息の事考えてんのか?」
「あ、いえ…そういう訳では……」
「もう忘れろ。ベネット公爵子息とは縁が無かっただけだ。俺はベネット公爵子息は気に入らないね。だいたい、お前の傷を見てかわいそうだのなんだの…何様のつもりだよ。俺達は、アイツらが卸して荒稼ぎしてる武器を待たされて、命懸けで任務に就いてるっていうのに。だいたい今さらお前にそう言うなら、あの時手を引いたりせず───」
「リー中尉、私は本当にもう気に留めてはいないですよ。過去の事ですし、私が浅はかだっただけです。」
「……本当か?」
「ほんとですよ。」
「まあ、いつも言ってるが、王命だろうが何だろうが、お前さえ死ななけりゃ、何の問題も無い事だ。そうだろ?」
「その通りです。…それに、本当に私は…モニカのお兄さんには、特別な感情は無いです。感謝はしていますが。リー中尉に、殺して来いと言われたら、殺せる人の内ですよ。」
「ジル…お前…」
「お前なぁ!殺せる人の内です!…じゃねぇよっ!いつも俺の指示を好き嫌いで判断しやがって!俺だって仕事で命令してるんだからな。言われたら何も考えずに殺してくるんだよ!」
しまった…リー中尉がお説教モードに入ってしまった…
「それをお前はいつも、あの人は嫌だーこれは嫌だー、挙句の果てにはその日の気分で、何かかわいそう〜だの…ふざけるなよ!俺がどれだけ尻拭いしてやってると思ってるんだっ!いつまでも反抗期しやがって!!今度指示に背きやがったら、アイゼン少佐に報告するからなっ!」
「………」
すれ違う人達が、リー中尉に小言を言われる私を見て、クスクス笑ったり、またかよ!等と野次を飛ばしてくる。
私がリー中尉に怒られている様は、軍の中でよく見る光景だからだ…こんなに頻繁に小言を言われては、抜け出せる反抗期も、抜け出せなくなる。
私はガミガミ言われながら、渡り廊下を通った。
いつも兵舎で使ってる部屋に行く時、
こんな所通らないと思うけどな…?
「そういや、少佐は何で懲罰房送りになったんだ?」
小言を言い終わり、すっきりした顔でリー中尉が聞いてきた。
「実は…先日の謝罪としてだと思うのですが、今日アイゼン少佐が、食事に連れて行ってくれたのです。兄と、良く行っていたお店だとの事で。」
「そうだったのか。テオドール殿と行っていた店にな…良かったじゃないか。」
「はい。それは良かったのですが、もともと今日は、モニカ嬢と、お茶の約束をしていたのです。ですが、少佐から連絡があり、私的な用事ではなく、軍からの呼び出しだと思って…」
「ベネット公爵令嬢との約束を断っちまったのか。」
「はい…言い訳なのですが、少佐からの連絡は、軍の呼び出しと同じ形式だったんですよ。呼び出し先が街だったので、ちょっと変だなー、とは思ったんですが…」
「まぁ、仕方ねえだろ。気にすんなよ。」
「さすがに気にしますよーっ!だって懲罰房送りですよ…私のせいで……」
「だから、さっき必死に止めようとしてたのか。そんなに気になるなら、後で医務室のオリビア先生に、懲罰が終わった頃、手当に行ってくれる様、頼んでおいてやるよ。」
「ありがとうございます!」
「それに、あの人は懲罰になったからって、死にはしねぇよ。少し位弱ってもらった方が、俺の仕事が減るから好都合だ。」
リー中尉はそう言って、切り替えて行け!と笑った。自分のせいで人が懲罰房送りになったのを見ては、なかなか切り替えられないと思うのだが…
それはそうと、確かに、リー中尉はいつもより疲れている様だ。目の下に薄らクマもできている。
「リー中尉、連絡係も兼任されてますから、最近お忙しいですか?」
「あぁ、それもあるが…実は結婚が決まったんだ。その準備や手続きの方が忙しくてな。お前を部屋に送った後、言おうと思っていたんだが。」
「………え?結婚?……誰が?」
「俺だって言ってるだろ。」
「えっ!ええええぇ!リー中尉結婚するんですかぁっ!」
「お前っ…声がでかいんだよっ!」
あまりにびっくりして私が叫んだので、聞きつけた人で人集りができて、リー中尉は質問責めに合ってしまった。
人集りが去った後、リー中尉は輪をかけてげっそりして、ふらふらと出てきた。
「あの…中尉、お疲れの所恐縮ですが、私は人集りの外にいて、結婚の経緯などが聞こえなかったのです。もう一度お願いしますね。」
「お…お前なぁ………」
歩きながら、リー中尉は話し出した。
「アイゼン家から、見合い話を勧められたんだよ。」
「えっ!アイゼン家って少佐の家ですか⁈」
「ああ。ジル、覚えてるか⁈お前が今回の休暇に入る前、2人で執務室にいたら、少佐が来たろ?」
「あ…あぁ!鬼の形相で入って来ましたね。」
「そうだ。あの時、悪い話じゃないって言われて…叩きつけられたのが、見合い写真だったんだよ…」
「本当に悪い話じゃなかったんですね…それで、その話を受けたんですか⁈」
「受けるも何も…アイゼン家からの紹介だぞ。既に誰かと婚約でもしてねぇ限り、断れる訳ねぇだろ。恋人もいねぇし。それにだ、俺みたいな地方の下級貴族の家にとっては、ありがたい話だよ。」
リー中尉は、しみじみと話し続ける。
「そうなんですね。でも急にどうして…あ!リー中尉も、いい年ですからね…自分の部下がいい年して独身なのを、少佐が気にされたんですかね⁈」
「いい年ってお前なぁ…それだったら、少佐もそうじゃねぇか。俺の1歳か2歳上な位だろ?あの人が、俺が独身なのを気にするのは、ありえねぇよ。お前、あの人の噂知らねえのか?」
「噂?知らないですね。私あんまり、他の人からそういう話はされないんですよねぇ…」
「そうか。少佐はあれでも高位貴族だから、あの年齢だったら結婚してなくても、婚約者がいるのが普通だ。だが、何回か、見合いをしたらしいんだが、全て相手側から断られて破談になっている。」
「えぇ……」
「しかも、相手の女性は皆見合いの内容について、一切語らないらしい。」
「えっ!じゃあ…少佐は売れ残りって事⁈」
「やめろお前っ!聞かれたら殺されるぞっ!」
「でも、リー中尉…さすがにそれは信じがたいですよ。だいたい中尉もさっき言ってたじゃないですか。アイゼン家から言われたら、断れないって。中尉は噂話が大好きですからね〜。」
「本当だって。これは、諜報部の奴から聞いた話なんだから。」
「どうかな〜。」
「………。まぁ、それはいいとして、おそらく今回俺に縁談が来たのは……俺が思うに、前にお前と、ベネット公爵令嬢が、アイゼン中将に呼ばれたろ。」
「モニカが少佐に怒ってた時ですね。」
「あぁ。お前がその場を収めて、少佐は降格にならずに済んだ。部下のお前が上手くやったから、その礼として、アイゼン中将が縁談をくれたのだと思う。」
「そういう事ですか…えっ、でもそれなら私に縁談をくれてもいいんじゃないですか⁈何でリー中尉だけ⁈ズルくないですか⁈」
「お前の家は事情が特殊すぎるだろ。あいつでもダメだったんだ…お前は何の可能性もない奴を紹介されて、その縁談を受けれるのかよ。」
「そうですね。…言ってみただけです。」
「諦めんなよ。生きてりゃ何とかなる。」
「とは言っても…モニカの家でダメなら、高位貴族は望み薄いしな……あとは、どこかの金持ちの商人とか…あ〜あ、権力があって、金持ちな、良い家ないかなぁ〜。」
「バカ、ここで変な事言うな!それにな…庶民の考えかもしれねぇが、相手を好きで結婚するのが一番幸せなんだぞ。」
「それを呪われた家出身の私に言います?そんな事言われなくても分かってるんですよっ!!」
「…悪い。」
ワーワー言い合う2人を、すれ違う者は微笑ましく見ている。これもいつもの光景だった。
「でも…でも…リー中尉は、お相手の事、好きなんですね。おめでとうございます。私も嬉しいです。」
「ジル…」
リー中尉は私に、兄の死を受け入れさせてくれた。
私とリー中尉は、幸せな兄と妹というには、
お互い善人では無さすぎる。
だけど、兄の居ない寂しさを埋めるには、十分過ぎるものを、今も貰い続けている。
きっと、兄が結婚した時も、同じ気持ちになったはずだ。
「結婚式、呼んでくださいよ。」
「……当たり前だ。」
「私の父と母も、きっと喜びます。ガルシア家からお祝いを贈りますね。」
リー中尉が、私を見て笑った。おめでたい話というものは、本当に良いものだな。
「あっ!そうだ、ジル、」
「何でしょう。」
「彼女が、お前のファンなんだそうだ。サインをもらってくる様に頼まれてな。これに頼む。」
リー中尉は、ごそごそと、色紙と、インクの付いたペンを取り出し私に渡した。
「え、あ、はい。そうなんですね。応援して頂けて、ありがたいです。」
「綺麗に書けよ。あ、名前は、親愛なるフローラへ、で頼む。そうそう。」
私は言われた通りにサインをした。
「結婚式は、軍服で来てくれ。彼女が、お前の軍服姿をぜひ見たいそうだからな。」
「安心して下さい。私、フォーマルな服は軍服しか持っていませんので。」
本当に、仲が良さそうだな。
話しているうちに、着いた様だが、やはりいつもの部屋では無い。ここは──
「あの、リー中尉、ここはいつも使っている部屋では無いと思うのですが…」
「あ?そうだぞ。なんだ、お前少佐に聞いてねえのか?」
「お前は今回の野営訓練中、私室の使用許可が降りている。」
そう言いながら、リー中尉は兵舎の私室棟へ続くドアを開けた。