2.彼女もまたポンコツな気がする…
ジョセフ・アイゼンは、ベネット公爵子息と、軍のロビーにあるソファーに座り、愚息の帰りを待っていた。
「閣下、来ましたよ。ジルも一緒ですね。」
先程より、ベネット公爵子息は、ロビーの窓から門の方を眺めていたが、ついに来たようだ。
「あらら、幸せそうに笑っちゃって。羨ましい限りだな。ねぇ、閣下。」
幸せそうに、笑う⁈
ソファーから立ち上がり、ちらりと窓から門の方を見ると、まだ遠くだが、確かにガルシア軍曹の隣に並んで、笑いながら歩いてくる軍人が見える。
あれは…あんな笑顔を見せるのは、ノアでは無いだろう?ルーカスか⁈
ジョセフ・アイゼンは、ガルシア軍曹の横に並び立つ軍人に、じっと目を凝らした。
いや…愚息だ…
信じられん…まるでルーカスの様だ…
そして、ため息をつきながら、またソファーに腰を下ろした。
もうすぐ2人はロビーに入って来るだろう…
いやしかし、ルーカスと見間違えたな…
あの笑顔を、少しでも、数少ない見合いの場で見せてくれていたら…
片手で数える程だが、頑なに見合い話に応じないノアを、強制的に見合いの場に引っ張り出した事がある。
両家揃って顔を合わせたが、軍服を着て、悪態をつく…様に見えたであろう…ノアの態度に耐えかね、全て10分と持たず、相手の女性が泣き出してしまった。
さらにあの愚息は、相手が泣き出すと、余計に機嫌が悪くなり、舌打ちをするか、ため息をついて睨みつけていた。
毎回、私とエマで、相手の家に謝罪に行く…という結末になり、とうとう、まともに結婚させる事は諦めた。
夫が家に帰らなくても、アイゼン家と繋がりが持てれば文句は言わない、という相手を選び、とりあえず結婚させようとしたのだが…
それが今度は、例の王命で有名な、ガルシア家の令嬢と、絶対結婚させろなどと、言い出す始末だ。
本当に頭が痛くなる…
どうして、よりにもよって、彼女なのだろう。
容姿なら、見合い相手達も引け目を取らなかったはずだ…
そこまで考え、ジョセフ・アイゼンは、またため息をついた。
いや、自分でも、なんとなく分かってはいる。そもそもノアは彼女の容姿に固執しているのでは無い。
ガルシア家に多い、銀色の髪に水色の瞳は、この国の王族の特徴だ。現国王も、銀色の髪に水色の瞳をしている。ガルシア家の者が、それをどう思っているかは分からないが、お互いが有する特徴的な容姿は、ガルシア家と王家が血縁関係にあった確固たる証拠だ。ガルシア家が、今は男爵であっても、古くは公爵であった事を裏付ける事実でもある。
ガルシア軍曹が、王命により入軍した時は…正直なところ、軍の誰もが息を呑んだ。
王族と全く同じ容姿の、まだあどけない少女が、事務員や補佐官では無く、一般兵として放り込まれて来たからだ。もちろん、士官学校を出ている訳ではない。それどころか、昨日までは、家で家庭教師に勉強を習ったり、庭で遊んでいる様な年頃だ。
間違いなく、数年と持たずに死ぬだろう。軍人としての生活は、それほど甘くない。
この時、既にノアは、隣国との前線に行っていたのだったか。せめて彼女をしっかり認識していれば、もっとまともに出会えたものを…
しかし、いたずらに殺す目的で放り込まれた様な彼女だったが、国王の意図が、はっきりとは分からなかった。
王族と同じ容姿を持つ彼女が殉職した場合、万が一にでも、国王が気を悪くする可能性が、無いとは言い切れない。
まさか、国王に直接、彼女は死んでも良いのですか?などと聞く訳にもいかない。
悩んだ末、人事担当者は、下級貴族の出身で、当時まだ下士官だったウィリアム・リーに白羽の矢を立てた。
体のいい、厄介払いだ。
彼女が死んで、国王の怒りに触れたとしても、リーに責任を取らせれば良いと考えたのだろう。
しかし、彼女は死ななかった。
それどころか、軍人として成長し、年頃になった頃には、王族と同じその容姿から、彼女を広報活動に使ってはどうかと考えられ、ジルベール・ガルシアは軍人令嬢として、国民から絶大な支持を得るまでになった。
彼女の昇進とともに、彼女を軍人として育て上げたウィリアム・リーも昇進し、先日、ノアが身勝手に押し付けた縁談が上手くまとまり、アイゼン家の遠縁の令嬢との結婚が決まった。
リーは、当然だがガルシア家の者から、彼女を一人前の軍人として育てた上官として、感謝され、信頼されていると聞く。
彼女の父親である、ジキルも、今となっては彼女に軍人として期待を寄せているらしいが、事実だろう。自分を棚に上げて、人の事をとやかく言えないが、全く軍人とは単純なものだ。
今後、彼女とノアの縁談が決まれば、
今は地方の下級貴族でも、近い将来───
今回の縁談騒ぎで、一番の出世はウィリアム・リーだな。
リーの様に、時として、己の善行が、報われる事もある。
彼女に取って、ノアとの縁談がそうであればいいのだが…
また、彼女が軍人として死なずに来れたのは、ウィリアム・リーの功績があってのものだが、それだけでは無いだろう。
軍人に限らず、人間は、運に多く左右される。
彼女は…
ガルシア軍曹は、武運や、そう言った類のものに、愛されていると思える。
彼女の父、ガルシア男爵である、ジキル・ガルシアもそうだった。
武運に愛されたのが、テオドールで無く、彼女の方であったのは、皮肉な事なのかもしれないが…
彼女の愛想の良い笑顔の裏には、まだまだ荒削りだが、良く訓練された兵の眼差しがある。武運に愛された彼女は、今後いくらでも成長するだろう。
彼女のそういったものに、私の三男は惹かれたのではないか。
手に入れたくなるのも、分かる気はする。
分かる気はするのだが………
こういった家同士が絡む事には、正しい手順というものが…それに、さすがにガルシア家の意向を、全く無視は出来ない。断られる可能性だってあると言うのに…
愚息はもはや、婚約者も同然の振る舞いではないか。
もし、彼女に意中の相手でもいたら…
どうするつもりなんだ。嫌な予感しかしない…
ただ…ノアも恋愛事に対してポンコツだが、
彼女もまた、ポンコツな様な気がするが…
私の気のせいであろうか…
そして、彼女の上官である、リーもまた、
多少方向性は違えど、ポンコツ寄りの気配が…
軍人であれば、ルーカスの方が、少数派なのか?
良く分からなくなってきた……
それにしても……あの2人はなかなか来ないな。
そろそろロビーに入って来る頃だが?
その時、周囲がざわつき出した。
「閣下!閣下!ちょっと!窓の外見て下さいよ!」
ベネット公爵子息が、いきなり慌てた様に窓の外を指差している。
「一体何が───」
ソファーから立ち上がり、窓の外を見ると、夢なら覚めてほしい光景がそこにあった。
窓からはっきり顔が確認できる距離に、愚息とガルシア軍曹が立っている。
ノアは彼女の肩に手を置き、向かい合って立っているが、右手を彼女の左頬に添えている。
「えっ…ノアの奴…何を──」
そう呟いた瞬間、ノアは彼女の左頬に顔を近づけ、あろう事かそのまま口付けた。
「何ぃっ!!!」
周りでは、嘘だろ⁈等と声が上がっている。幸い、見ていた者はさほど多くはない。後で火消しをしなければ…
いやいや、その前に…まずい……彼女に何て事を…!
そしてノアが彼女の頬から顔を離し、向き合うと、彼女はその水色の目を大きく見開いた。
まずいっ!彼女に叫ばれ────ない。
叫ばれないどころか、彼女は口付けられた左頬を押さえ、微笑んでいる。
嘘!セーフ⁈良かった!
しかし……そういう感じ⁈
もしかしてガルシア家に婚約の打診に行っても全然大丈夫なのか⁈どういう事だ⁈
だが、彼女が左頬を押さえ微笑むやいなや、ノアは彼女の両脇に手を添え、抱え上げた。
みるみる彼女の顔が苦しそうになり、足をバタバタとバタつかせている。
あのバカっ!!お前の馬鹿力で締め付けたら肋骨が折れるぞっ!!もっと優しく、そっと抱え上げないと!!敵兵じゃないんだからっ!!
全く力の加減というものが分かって無い!!やはり女性に対する接し方を、無理矢理にでも教えておくべきだった…
「あの…閣下、いいんですか?出ていかなくて…」
ベネット公爵子息の声で、我に返った。
「ああっ!いっかーーーん!!」