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ジゼルの婚約  作者: Chanma
野営訓練
28/120

1.肋骨は今日限りだ

 「リー中尉をここに呼んでいる。もうすぐ来る頃だ。今日は、リーに兵舎に連れて行ってもらう様に。」

 少佐と並んで軍の門を潜り、少し進んだ所でそう指示された。

「はい、少佐。」


 返事をすると、間を置いて、少佐が尋ねる。

「ジゼル…今日行った店は、気に入ったか?」

「はい。ありがとうございました。」

「野営訓練が明けたら、また行こう。」

「本当ですか!楽しみです。私は兄ほど食べませんので。次はメニューを全部頼まないで下さいね。」

「理解している。」

 少佐はそう言って、楽しそうに笑った後、私に向き直って、自分の左手を私の右肩に添えた。

 そして右手で、私の左頬にある、古傷の位置をなぞった。


 私の顔には、複数の古傷がある。あまり目立たなくなってきたが、鼻の頭から左頬へ向けて、直線に入っている一番大きな古傷は、どうしても目立つ。近くで見れば、嫌でも目に付いてしまうので、軍の広報活動で必要な時は、担当者が化粧で見えないようにしている。

 でも、顔の古傷は少ない方で、体には顔と比べ物にならないほどの古傷があるし、正直あまり気にしていなかったのだが、少佐は気になる様だ。一緒に出掛けるに当たり、不敬だったのだろうか…隠してくれば良かったかな。


「すみません、目立ちますよ……ね……」

 そう言い掛けた時、私の意識は、またもスローモーションになった。初めて敵兵と対峙した時の様な──は、もうどうでもいいんだけど、思考が追いつかない。


 私の古傷を手でなぞった少佐は、私の右肩に添えた手に少し力を入れて、そのまま私の左頬に顔を近づけ、古傷の上に唇を落とした。


 これは……挨拶……では無いよね……


 どうして良いか分からず目を見開くと、少佐の紺色の瞳が、今までにない位、優しく揺れていた。


 まだ幼い頃、両親が寝た後に部屋を抜け出し、兄のベッドに潜り込んで、寝る前に絵本を読んでもらっていた日のような、優しい優しい、夜の色だ。最後はいつも、お話の途中で、寝てしまってた。

 眠りに落ちる前の、とろける様な、夜の色。


 その目を見ていたら、悪い事をされた気にはならなくて、左手で古傷を押さえながら、なんだかへらっと笑ってしまった。

 少佐は笑った私を見て、なぜか驚いた顔をした後、別人かと思える程優しい笑顔で破顔した。


 が、次の瞬間───


「ぐっ……あ………」


 両足が地面から離れたと思ったら、肋骨に激痛が走り、私は呻いた。


 何だ、何が起こっているんだ……

 少佐を見て、訳は分からないが、状況は理解した。

 

 少佐は、その別人かと思える笑顔のまま、両手で私の肋骨を掴み、大人が子どもを、いわゆる高い高いをする様にして、抱え上げている。


 そして、その笑顔に反して、肋骨を掴む力が尋常じゃない。


 何だこいつ……!化物か……!

 少なくとも人間の力じゃない。

 痛すぎて声が出ない。このままでは───


 兄との思い出の夜が、私の肋骨を砕きに来ている。


「ジゼル…明日の野営訓練入りまで、まだ時間はある。君さえ良ければ…今日は俺の私室で共に過ごそう。」


「……ぐ…ぅ……」

 何だか凄い事を言われた気がしたが、痛みによる幻聴か?

私は何とか逃れようと足をバタつかせたが、抱え上げられているためどうにもならない。


──ジル、こいつに何かされそうになったら、遠慮なくその剣で斬り殺しなさいよ──


 モニカの言葉が頭をよぎった。私は思い出した様に軍刀に手を伸ばそうとしたが、脇の下に手を入れられ、肋骨を掴まれているせいで、上手く手が伸ばせず掴めない。


「嫌では無いんだな、ジゼル。俺は……今まで生きてきた中で、今日が一番幸せだ。」


 何故か化物が、大輪の花が綻ぶ様な笑顔になっている。

 今日が幸せだなんだと聞こえた気がするが、

 私の肋骨は今日限りだ。


「あぁ、可愛いな……こんなに可愛い物がこの軍にあったとは…」


───お前は何にも分かってねぇんだ。昨日だって、捕虜をまるで物みたいに───


──お偉いさん方は、腹の中じゃ何考えてるか分かんねえもんだ。優しそうだからって、気を許すんじゃねぇぞ──


 リー中尉の言う通りだ…

 まずい……もうこれ以上は肋骨が持たない……

 涙で視界も悪くなってきた…

「う………あああっ!……」


 砕ける………!


 もう駄目だと思った時、何者かがアイゼン少佐の頭を背後から殴り付けた。


 少佐は少しよろけただけで、私を離さなかったが、肋骨を砕きに来ていた両手の力が抜け、私は地面に降ろされた。


 助かった…!!

 私はゼェゼェと肩で息をした。


「ノア……最早、お前に何から言えば良いのか分からんが……軍の中で何をやっている。」


 少佐を殴りつけたのは、少佐の父、アイゼン中将だった。アイゼン中将のすぐ後ろに、兵が10名程控えている。


「……閣下。」

「ノア、今日はお前に私的な用件で来ている。父上で構わんぞ。私もお前の事は、愚息と呼ばせてもらう。」


 アイゼン中将は、顔が引きつっている。どうやらご立腹だ。


「では……父上、何の用件ですか。」

「先程も言ったが…お前は(ここ)で、ガルシア軍曹に何をしているんだと言ったのだ。」

「あの女が邪魔しなかったら、外で済んでいた…」

「はぁ?どういう事だ?」

「……。本日彼女は休暇です。私も今日は仕事を終えました。何が問題なのですか。」

 少佐はアイゼン中将を睨み付けている。アイゼン中将は、相変わらず引きつった表情のままだ。


「お前……そういう問題では無いだろ。それに、まだ私はガルシア家(むこう)に何の話もしていない。」

「早く話を付けに行って下さい。」

「貴様………」


 なにやらアイゼン中将が、わなわなと怒りで震え出した時、私は後から、左肩をポンっと叩かれた。


「ジル!久しぶり。」

「あ……!」


 振り返ると、そこにはモニカの兄、ベネット公爵子息が立っていた。私はびっくりして、少し固まってしまったが、向き直って敬礼をした。


「お元気そうで安心しました。ベネット公爵子息様。」

「……ジル、そんなにかしこまらなくていいんだよ?モニカにずっと話は聞いていたけど、あぁ、妹はいつもね、手紙でも君の話ばっかりで!それか、事業の話かな!ジル、ますます綺麗になったね!」

 ベネット公爵子息は、モニカに似た笑顔で、微笑んだ。


「恐縮です。ベネット公爵子息様。」

「ジル、さっきも言ったけど、そんなに固くならなくていいんだよ。そんな、公爵子息様だなんて…!前みたいに名前で呼んで良いんだよ?君には名前で呼んで欲しいな。」


「おい、彼女から離れろ。」

「ノアっ!貴様……!!」

 ベネット公爵子息が私にそう言った時、少佐が割って入ってきて、アイゼン中将が声を荒げた。さすがに、公爵子息に対して不敬に当たる。


「あぁ、初めまして。君がノア・アイゼン少佐かな。妹から話は聞いてるよ。今日はその件で来たんだよね。」

「何の用だ。」

「ノア!良い加減にしろ!」

「まぁまぁ、閣下、大丈夫ですよ。いやぁ、私は仕事の都合で、ほとんど他国にいるのだけど、久しぶりに帰って来たら、かわいい妹に泣きつかれてね。君にお茶の相手を何度も取られていると。」


 ベネット公爵家の主な事業は武器商で、主にモニカの母とモニカの兄である、ベネット侯爵子息が担っている。ベネット公爵子息は、常に他国を飛び回っているため、ほとんど国には帰らないと聞いている。私も顔を合わせるのは久しぶりだ。

 ちなみにモニカの父は、売れっ子の作家で、言うまでも無く、そっち方面に手広く事業を展開している。


「お茶の相手?何の事だ。」

「彼女の事だよ。今日も妹は彼女と約束していたのに、君が横取りしたんだろ。」

「ジゼル、そうだったのか。」

「申し訳ありません、少佐。私がお伝えしなかったので…」

「謝る必要はない。邪魔してすまなかったな。」

 少佐はそう言って、私の頭にポンと左手を乗せた。さっきの化物は、完全に鳴りを潜めている。

 何だったんだ、さっきのは。


「ベネット公爵子息様、私の判断でした事ですので、アイゼン少佐は───」

「ジル、」

「はい。」

「さっきも言ったろう?前みたいに名前で呼んでよ!」

 ベネット公爵子息は、笑ってそう話しかけてくるが、なぜか、少佐から感じる殺気がすごい。


「…お心遣いはありがたいのですが、もう立場がおありですから。それは出来ません。」

「気にしないでって言ってるのに…ん?アイゼン少佐、何だかニヤニヤしてないか?……まぁいい。笑ってられるのも今のうちだよ。」

「どういう意味だ。」

「生憎我が家の事業は、ボランティアでも公共事業でも無いんでね。これ以上妹を泣かせるようなら、出る所出させてもらうよ。リソー国軍への、うちからの卸値を釣り上げる。嫌なら他から買うんだな。」

「そういう事だ、ノア。今回ばかりはお前の愚行が目に余る。」

 アイゼン中将は、黙って聞いている少佐を呆れた様な顔で睨むと、背後に控えている兵に冷たく言い放った。


「おい、こいつを懲罰房へ入れろ。」


 アイゼン中将に命じられた兵士が2名、少佐の腕を背後から片側ずつ抑えた。少佐は一切抵抗せず、されるがままだ。


「そんな……閣下お待ち下さい!私が少佐に、ベネット公爵令嬢との約束をお伝えしなかったのです!非なら私に───」

「ジル、」

 言いかけた私を、ベネット公爵子息が遮った。


「…また傷が増えたんじゃないのかい?かわいそうに。こんな環境に、君を置いている彼等を、庇う必要なんてないんだよ?」

「!!」


 そう言って、ベネット公爵子息は、私の左頬の一番目立つ古傷に、手を伸ばして来たが、私はとっさにその手を左手で掴んで、触れられるのを拒んでしまった。

「ジル……」

「あ……し、失礼いたしました、ベネット公爵子息──」


「私の部下に何をなさっているのですか?」


「リー中尉……」

 その時、リー中尉が来た。そういえば、ここに私を迎えに来てくれる事になっていたんだった。リー中尉の声を聞いて、私は少しほっとした。


「ノア、お前に言われているんじゃないのか?」

「………。」

 アイゼン中将が少佐に何か呟いている。


「閣下、お取込み中失礼します。少佐、遅くなりました。」

 リー中尉はアイゼン中将と少佐に敬礼をして、一瞬取り押さえられている少佐を(いぶか)しげに見たが、すぐにベネット公爵子息に向き直った。


「ベネット公爵子息様、貴方は既婚者ではないのですか?いえ、たとえ既婚者でなくとも、ここは軍の中です。私の部下の頬に触れる様な行為は辞めていただきたい。ガルシア軍曹は、女性である前に、ここでは軍人です。」


「ノア、聞いてるか⁈お前は触れるどころかなんて事を…」

「………。」

 

「それは失礼した。すまなかったね、ジル。」

「上官として言いますが、ガルシア軍曹はここ最近、顔に傷は増えておりませんよ。それに貴方が触れようとしていたその傷は、貴方が我々に卸した武器で、ガルシア軍曹が戦果を上げた時のものです。誇る事ではありますが、貴方が憐れむ事ではありません。」

「リー中尉…」


 ベネット公爵子息は、笑った様な表情をした後、少佐に向き直った。

「話がずれてしまったが、とにかく、そういう訳だよ。」

「この愚息をさっさと連れて行け。」

「懲罰を受けるのなら、うちの新しい商品を試させてもらおうかな〜!」

「愚息でよければ、試し斬りにでも何でもお使い下さい。」

「試し斬り⁈ま、待って下さい!少佐は本当に何も……!」


「リー中尉、」

 一切の抵抗をしないまま、少佐が言った。


「彼女を兵舎に。」


「はっ。承知しました。行くぞ、ジル。」

「そんな、でも……」

「いいから来い!」

 リー中尉が小声で言い、少佐は兵に連れられ懲罰房へ歩き出した。ベネット公爵子息は、私に向かって、元気で、と告げると、アイゼン中将と話しながら、軍の中へ入って行った。


「ガルシア軍曹!」

 私とリー中尉が歩き出そうとすると、守衛の男に呼び止められた。

「守衛殿…」

「リー中尉、少々お待ち下さいね…!」

 

 そう言いながら、守衛の男は私の左頬を、綺麗な柔らかいハンカチで、ゴシゴシと拭いた。

「守衛殿、ガルシア軍曹の頬に何か付いてましたか?」

「邪悪なものが、取り憑いてますからね……よし、綺麗になりましたよ!それでは、私はこれで。」

 守衛の男は、足早に戻って行った。


「何も付いて無かった様だが…ジル、何かあったのか?」

「……先程、ベネット公爵子息の指が、少し当たりましたから。その事かもしれません。」

「あぁ…全く破廉恥なヤツだったな。これだからお偉いさんは、常識がぶっ飛んでて嫌なんだ。」

「………そうですね。」


 私はどうして、モニカの兄の手は止めてしまったのだろう。何となく分かりかけた気がしたが、リー中尉が歩き出したので、それ以上考えるのを止めてしまった。

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