表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジゼルの婚約  作者: Chanma
恋にポンコツ
23/128

11.雑念の塊

「でも、この人軍人なんでしょ?ジルベールは軍人は嫌いって言ってたじゃん。」


 ノア・アイゼンは馬車の中で腕組みをしながら、先程町民の子どもが発した言葉を反芻(はんすう)していた。


 町民の親子が店に来て、しばらく一緒に食事をしてから、手をつけていない残りの料理を席ごと親子に譲り、俺達は店を出た。

  

 店の前にアイゼン家(いえ)の馬車を待たせていた。食べ過ぎて動きが遅くなった彼女を、馬車に押し込んで向かいに座らせる。

 この街は交易も盛んで流通量も多い。ここから軍事基地まで距離はあるが、基地の近くまで街とともに舗装された道が続いている。そこから基地まではさらに、商人達が軒を連ねる市場になっていた。市場には、飲食店も多く店を出しており、若者に人気で活気がある。ジルベール・ガルシアに対する市民の人気が上昇するとともにそうなったと、彼女の事を調べる中で分かった。


 馬車は街の中をカラカラと進んでいく。彼女は料理で膨れた胃袋をさすり、ときおりケプッと言いながら背もたれにもたれかかっている。


 かわいい。

 本当は隣に…いや、膝の上にでも座らせたかったのだが、食べ過ぎて苦しそうなので、向かいに座らせた。

軍に着くまでまだ時間はある。ある程度消化できるだろう。しかし、兄妹でも食べる量は違うものなのだな。


 彼女が休暇の間、先日の謝罪の意味も込めて、街に食事に連れて行きたいと考えていたが、階級が変わった事による引き継ぎ等もあり仕事が忙しく、彼女の休暇の最終日しか空けることが出来なかった。本来なら彼女の家まで迎えに行くべきなのだろうが、それも難しそうだ。申し訳ないが、街で待ち合わせる事にさせてもらおう。

 その様に、軍から彼女の実家に通達を送ると、二つ返事で了承された。


 当日、仕事を片付けてすぐ、街へ向かった。俺は仕事上がりで軍服だが、彼女は休暇だ。そういえばどういう服装で来るのだろうか。軍服姿しか見た事がないから、少し楽しみだ。彼女なら、どんな服装でも似合うとは思うが…


 街の正門の前で待っていると、街へやってくる人波の中に、馬に乗った女性がいるのが目に入った。

 彼女だ。どうやら、今日も軍服のようだ。いや、それよりもあの馬はリソー警察の馬か…よく見れば、うしろに誰か乗っている。あれは……


 彼女は、あいつと何やら楽しそうに話した後、街の正門の方へ歩いてきた。歩きながら、右肘を曲げた様なポーズをしている。何をやっているんだ…?


 名前を呼ぶと、彼女は直ぐにこちらに気付いた。俺に見られていると思わなかったのか、あっ!という様な表情をする。残念ながら、あいつと楽しそうに話していた所も、全部見ている。

 

 俺が目の前に来ると、慌てて敬礼を取ろうとしたので、彼女の右手を引き寄せ、手の甲に唇を付けた。


 それは、義務感などからではなく、生まれて初めて、自ら望んで引き寄せた右手だった。


 しかし、彼女は何をされたか分からない表情で、ポカンと口を開けて俺を見上げている。そして白い頬が、赤くなっても口を開けたまま俺を見続けている。どうしたらいいのか分からない様だ。

あまり社交に慣れていないのだろうか…ガルシア家が多少の訳ありとはいえ貴族なのだから、その様な事はないと思うが…


 すると今度は、言葉にならない声で赤ん坊のように、「あ」だの「う」だの言い出した。


 かわいい。

 慣れていないな、これは。


 確か軍に入った関係で、淑女教育をしっかりとは受けていないのだったか。しかし、ベネット公爵令嬢を、完璧にエスコートしていたのを幾度か見たし、彼女だと気づかなかったが、夜会でダンスもしていたが…


 俺が考え事をしている間も、顔を真っ赤にして戸惑っている。もういっそこのまま馬車に詰め込んで───


 いや、ダメだダメだ。俺は一度咳払いをして、雑念を振り払った。


 とりあえず、何か会話をして、困惑している彼女を落ち着かせようと、休暇の日も軍服なのかと聞いた。すると驚いた事に彼女は、明日からの野営訓練に備えて、軍服で来たのだと答えた。なかなか感心な心掛けだ。

リー中尉に、野営訓練は出たくないだのと文句を言っていた様だが、真面目に訓練に行く様で安心した。

もともと、今日の帰りは彼女を送る予定だった。実家へ帰るのなら、ガルシア男爵夫妻に挨拶もするつもりだったが、軍に行くのなら帰りは同じだ。街での食事を終えたら、一緒に軍へ行こう。彼女は門の所で、リーに引き渡すか。


 彼女がだいぶ落ち着きを取り戻した様なので、俺はここ数日、なかなか言えなかった要望を彼女に切り出した。


 彼女に名前を呼ばれたい。


 なぜそう思うのか、自分でもよく分からないが、私用の際にこちらは彼女を名前で呼んでいるのだから、それに対して階級で返すのはおかしいのではないだろうか。それに今日、彼女は休暇だ。


 しかし彼女は、俺の意図する事が分からないようだった。だが、俺自身もなぜ名前で呼ぶ必要があるのか、上手く説明はできない。


 名前を呼ぶ事を強要するのは、違う気がする。

 いや、もう上官としてそう命じてしまっても…


 俺自身がよく分からなくなってきたので、この件は保留にしよう。これは、然るべきタイミングがある気がする。機会を待つか。


 そして、俺は先程彼女が、あいつと馬に乗って話していた内容を問いただした。これだけは確認しておかなくてはならない。まぁ、大方想像は付く…

そう思ったが、会話の内容は予想に反して、彼女の趣味嗜好の類で、たわいのないものだった。


 この世の意地の悪さを煮詰めた様な性格のあいつにしては、以外だったが、彼女について俺が知らない事ばかりなのが(かん)に触る。あいつの事だ、わざとだろうな…


 だが、軍人である者が、簡単に個人的な情報を喋ってしまうのは褒められた事では無い。しかも初対面の相手なら尚更軽率な行為だ。

性格の悪いあいつは、残念ながら間違い無くこの国の警察官だが、警察官のふりをして近づく者もいるだろう。今回の様にペラペラと個人情報を喋る様では、いつか命取りになりかねない。


 あくまで脅しの意味で、軍規違反だと告げると、彼女はその場にへたり込んでしまった。懲罰になる事がショックなのだろう。軍の情報漏洩だと、懲罰房で鞭打ちだ。


 鞭打ちは、手っ取り早く効果があるため、懲罰の際には良く用いられる。特に下級兵になるほど、効果が大きい。

自分自身も、懲罰での鞭打ちは、受けた事も、執行役になった事もある。今では何とも思わないが、まだ若い頃は、鞭打ちが決定し、彼女の様に絶望したものだ。


 いっその事、この機に本当に鞭打ちにした方が、今後彼女が、他の奴に個人的な事をペラペラ喋らなくて良いのかもしれない。そもそも俺以外の奴に喋る必要などは無い。

 もちろん懲罰を受ける彼女の姿を、他の奴に見せる事などできない。執行は俺がしよう。


 涙を流す彼女を懲罰房へ連れて行き、猿ぐつわを噛ませる………所まで想像して、俺は考えを改めた。


 俺は彼女を傷つけて泣かせたい訳ではない。鞭打ちになれば、痕も残るだろう。そんな事はしたくない…

それに彼女は、へたり込んだまま瞳を潤ませている。脅しただけで、十分効果はあっただろう。


 今回は見逃すと告げると、彼女は輝く様な笑顔になった。おそらく、俺が今まで彼女に向けられた中で、一番の笑顔だ。多少複雑な気もするが、これから他の奴にペラペラと喋る心配は無いと思うと安心だ。


 あの時父親には、出来るだけ早く彼女と結婚したいと願い出た。軍人である自分が戦死する可能性については、とっくの昔に受け入れていた事だ。しかし彼女と出会ってから、彼女と結婚する前に死んでしまうなど考えられなくなっている。戦死するなら彼女と結婚してからだ。

この様な考えに至るとは、以前の自分なら想像もつかなかった。

 さすがに両親はまだガルシア家に行っていない様だが、一刻も早く赴いてもらいたい。軍に戻ったら、催促するか。


 彼女が理解してくれた所で、本日の目的を告げた。彼女となら、どんな食事でも、たとえそれが軍用の缶詰だとしても、美味しく感じるだろう。

だが、何が食べたいか聞くと、彼女はまた「あ」だの「う」だの言い出してしまった。


 くっそ……これは……理性が…


 俺は右手を額に当て、両目を覆って何とか平常心を保った。


 もはや、父親(あいつ)がガルシア家に打診に行くのをいちいち待つ必要はあるのか?そんなもの待っていては不都合だ。こちらの我慢がもたない…


 俺は今までに鍛え抜いてきたと自負している精神力を総動員して、己を抑え込んだ。


 彼女は、本当に困った様な顔をしている。リーにはあんなに馴れ馴れしく、食事に連れて行けと言っていたが。


 正直なところ、俺も私的な用件で女性を食事に誘った事はない。どういった店が良いものなのか…正解は分からないが、一応彼女が喜びそうな店に、顔を出すかもしれないと連絡を入れておいた。

 まだ若い頃、テディと2人でよく行っていた馴染みの店だったが、テディが死んでからは、なかなか行く気になれずにいた。店主もそれを分かっていたのだろう。連絡をしたら驚いた様だが、喜んでいた。

 俺もいい店だと思っているが、特にテディが、店の雰囲気と、料理を気に入っていた。

 テディはよく食べる奴だった。あの店は味も良ければ料理の種類も豊富で、出来上がるスピードも早く、なおかつ店の雰囲気も落ち着いており食が進むのだと、テディは言っていたな。妹である彼女も、気に入るのではないだろうか。


 俺が思案している間も、彼女は困った顔をし続けている。彼女を困らせたい訳ではない。いや、困った表情も良いものだが…


 やはり、テディと行っていた店にするか。屈んで、彼女に目線を合わせてから、店はこちらが選んでいいかと告げると、安堵した顔をしていた。


 彼女を抱え起こし、軍服に付いた砂を払ってやる。

その間彼女は大人しくしていた。些細な駄々をこねる姿も微笑ましいが、従順な姿も愛らしいものだ。


 店まではさほど遠くない。俺は彼女を店に案内するため、右肘を差し出したのだが、彼女は意図が分からない様で、不思議そうな顔をした後、敬礼をした。

 

 本当に、彼女の右手はすぐに頭の上に行ってしまう。その右手は、俺との距離を示している様だ。

 俺は彼女の右手を頭から払い落とした。


 歩き出すと、彼女は俺のやや後ろを姿勢正しく付いてくる。町民が彼女を認識し、時折遠くから彼女の今の名前を呼ぶ。彼女はその度に、愛想良く微笑んで手を振ったり、挨拶している。


 これは俺の直感だが、ジゼルという女性は、ただの愛想が良いだけの人間では無いと思う。

それに軍の広告塔として利用するだけなら、軍曹に置く必要はない。


 彼女の水色の瞳には、強い意思が宿って見える。

 そういう者は、戦場で何としても生き延びようとする。

 窮地に立たされた時、手段を選ばす決して諦めない。

 強い人間だ。

 こんな女性を、俺は他に見た事が無い。


 彼女がなりふり構わず、生を掴み取ろうとする姿を見てみたい。


 先日俺が彼女を絞め落とした時に、

 彼女が見せた憎悪に満ちた両目、

 最後まで諦めずに俺を憎しみ抜いていた。


 彼女の愛らしい表情の裏に、その瞳がある。

 その瞳を自分の物にしたい。


 彼女の強く揺れる瞳に、俺の姿を正しく捉えて欲しい。


 当然だが、右手を払い落とされた彼女が店に着くまでの間、俺の右肘に手を添える事は無かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ