10.よく食べる奴だったよ
私はへたり込んだまま、どう答えれば良いのか、一生懸命考えていた。ここ最近で、一番頭を使っていると思う。
何を食べたい…そう言われても…
今までの会話から察するに、アイゼン少佐は、私的に呼び出したのだと思える。恐らくは、今回無事に一階級昇進となったので、先日の謝罪の意味を込めて、食事に連れて行ってくれるのだろう。案外誠実な人なのかもしれない。
しかし、いつも、オーウェンやリー中尉とは、街の食堂や酒場に行っているが、彼等は名家の出身では無いし、そもそも仕事帰りだ。
モニカをエスコートして食事をするときは、モニカが行きたい店を指定してくれていた。今思えば、これもモニカの気遣いだったのだろうな。
アイゼン少佐の様な侯爵家の貴族に、何を食べたいかと聞かれた場合、どう答えればいいのだろう。庶民的な場所だと不敬に当たる可能性もあるし、庶民が行かない場所となると、よく分からない…
もうどうしていいのか分からない…
私があまりに困った顔をしていたからか、アイゼン少佐が屈んで私に目線を合わせた。
「ジゼル、君を困らせたい訳では無いんだ…もし、何でも良いなら俺が選んでも良いか?」
「はいっ!」
もちろん!悪い訳など無い!私が助かった〜と安堵していると、アイゼン少佐がへたり込んだままの私を、ひょいっと抱え起こしてくれる。そして私の軍服のズボンに付いた砂をパッパッと払い落としてくれた。
少佐に抱えられるのは、なんだか慣れてきてしまった…慣れとは恐ろしいものだ。
「では、行こうか。」
しかしアイゼン少佐は、そう言ったものの、少し右肘をこちらに出したまま、歩き出そうとしない。
「?」
私はよく分からず、とりあえず少佐を見ながら敬礼した。
少佐は、敬礼した私を見ると、一瞬、もうっ!と言う様な顔をして、私の頭に乗った右手を払い落とした。
「……行くぞ。」
そして歩き出した。
着いた店は、一見オーウェンや、リー中尉と行っている店と、変わらない様な食堂だった。
1階に店を構える木造の建物で、2階部分は他の店になっている。おそらく酒場だろう。店の入口の周りには、店主が植えたのだろうか、可愛らしい植木や花が並んでいた。
アイゼン少佐が、入口のドアを押すと、ドアの上部に付けられた鈴が、ガランガランと音を立てて左右に揺れた。
店の中も、見た目と同様木造のテーブルと椅子、カウンターが並んでおり、編んで造られたテーブルクロスが掛けられている。あまり広くは無い店の奥では、小さな暖炉に火が付いていた。
店では、家族連れや、友人知人、恋人同士と思われる客が食事をしており、笑い声や話声で騒がしい。カウンターに一人で来ている客は、店員と話をしながら酒を飲んでいる。ごく一般的な、市民が利用する食堂だ。他の客は軍服の私達に気付いても、あまり驚いた様子では無い。恐らく、軍人も仕事上がりに良く来るのだろう。
「いらっしゃい。」
カウンターに置かれた、暖かい色のランプの後ろから、コック服の店主らしき人物が顔を出した。
「いや…久しぶりだねぇ。来るかもって聞いてたから楽しみにしてたけど、立派になったもんだ…奥の席に座りな。」
暖炉に近いテーブルに通され、椅子に座ると、先程の店主が水の入ったグラスを持って来た。水には、この地方で取れるハーブが入っている。
「ノア、元気にしてたかい?まだ子どもだと思ってたが、すっかり大人になっちまって。少佐なんだって⁈……あれ、あんたもしかして…」
店主が水の入ったグラスをテーブルに置きながら、私の顔を見て行った。
「ジルベール・ガルシアです。初めまして。素敵なお店ですね。」
私は軍のポスターと同じ笑顔で挨拶をした。素敵なお店だと思ったのは本当だ。
しかし店主は、以外な返事を返してきた。
「じゃああんたが、テオドールの妹さんかい⁈ポスターなんかでも良くみかけるが、実際に見ると確かに、似ているねぇ。テオドールは金髪だったけど…特に目がそっくりだ。」
兄は母親譲りの、やや色の薄い金色の髪だった。私は髪も目の色も、父親譲りだ。代々ガルシア家の者は、銀色の髪に水色の瞳が多いと聞いている。
私は、兄の優しい髪色を思い出した。
「兄をご存じなのですか?」
びっくりして尋ねる私に、アイゼン少佐が返事をした。
「この店は、仕事上がりにテオドールとよく来ていた所だ。」
「そうだったのですね…」
私はびっくりした顔のまま言葉を返した。そして確かに兄が好みそうな店だ。失礼だが、アイゼン少佐が選んだにしては、趣味が良すぎると思っていたのだ。それにかなり庶民的というか。兄が選んだ店なら納得だ。兄に引っ張られ、ここに連れて来られている少佐を想像したら、ちょっと可笑しくなった。
「いやー、懐かしいね…よくこの席に2人で座ってたもんだがね。ゆっくりしていきなよ。」
そう言って店主は微笑みながら、カウンターの奥に戻って行った。
兄が来ていた場所。
兄が見ていたものを私も見ている。
向かいに座るアイゼン少佐を、兄はどんな風に見ていたんだろう。
「兄とは…どんな話をしていたのですか?」
店の雰囲気のせいか、アイゼン少佐の雰囲気も少し暖かく感じる。
「テディとは…仕事の話が多かったが、その他は…そうだな。君の話が多かったな。」
少佐は、少し微笑んだ様な表情で答えてくれた。
「私ですか?」
「毎回、任務が終わる度、家で帰りを待つ君に会える事を、本当に楽しみにしていた。君はまだ幼くて、自分の後をずっとついてくると言っていたな。」
「……そうだったかもしれません。」
確かに、私は兄が帰ってくると、兄についてまわった。朝から晩まで。夜寝る時は兄の布団で一緒に眠った。
「テディが好きな店だったから、君も気に入るのではないかと思ったんだ。」
「ありがとうございます。暖かくて、素敵なお店だと思います。兄が気に入る気持ちがよく分かります。」
「ここに来て良かった。君が食べたいものを頼んだら良い。」
アイゼン少佐がそう言ってメニューを開いた。私は、兄がここで何を食べていたのか、知りたくなった。
「兄がよく食べていた物を、私も食べたいです。」
「分かった。」
少佐はそう言うと、また微笑んだ様な表情になり、注文をするため店員を呼んだ。
「あの……少佐……これは……」
30分ほど経っただろうか。
私は目の前の光景に息を呑んだ。
「何でも、好きな物から食べなさい。」
私達のテーブルは、既に皿がはみ出す程料理が運ばれて来た。
「ノア!テーブルに入らない分は、前みたいに隣のテーブルに置いていくからなー!」
厨房から店主が叫んでいる。おかしいとは思ったのだ…
注文をするとき、少佐はメニューが書いてある本を定員に渡し、一通り頼む、と言ったのだ。聞き間違えかな〜と思っていたが、こんな事になるなんて……
「テディはいつも一通り頼んでいた。本当、良く食べる奴だったよ。」
アイゼン少佐は昔を懐かしむ様に言うと、テーブルに乗り切れない程並んだ料理の中から、自分の小皿にサラダを少し取り分けて食べている。ウサギか。
「…………」
兄は大柄では無かったのだが、そうか、まさか大食漢だったとは…いやしかし、今は兄の意外な一面を知れて喜んでいる場合では無い。
私は大好きな肉のシチューと、こんがり焼かれたパイを食べているが、この先を考えると、これは絶対に食べきれない。
「あの、少佐…料理はどれも美味しいのですが…この量は絶対、絶対!食べきれないと思うのですが……」
「ジゼル、テディは、君の年齢でこれ位は食べていたが。ガルシア家の者は皆そうではないのか?」
「兄だけです!食べきれませんよ!」
私が訴えると同時に、隣のテーブルに綺麗に焼かれた鳥の丸焼きがドンッと置かれた。
「ひぇ…」
「そうか…困ったな。」
私が無言で鳥の丸焼きを見つめていた時、聞き覚えのある声が店に響いた。
「あーっ!!軍人の姉ちゃんだー!!」
「ジルベールじゃん!!」
見ると、いつも河原で会う子ども達が、それぞれの親と一緒に店に食事に来たようだ。
「すみませんねぇ…今あいにく満席で───」
店主が申し訳無さそうに、席が空いてないと告げている。
「待ってー!このテーブルどうぞっ!」
私は助かったとばかりに、一面に料理が並んだ隣のテーブルを、子ども達とその親達に勧めた。
「いやー、すみません!料理まで頂いちゃって!」
「ジルベールー!俺にもそっちの肉団子取ってー。」
「私もー!あ、そのパンも食べたーい」
私達のテーブルは一気に賑やかになった。親達は、大喜びで鳥の丸焼きを切り分けている。中から香辛料とハーブの詰め物が食欲をそそる匂いを立てて出てきた。私は子どもたちに、こちらのテーブルの料理もどんどん取り分ける。
「ねーねージルベールー!やっぱりデートだったんだー!」
「ジルベール仕事って行ってたのに〜。」
「このおじちゃんが恋人ー?」
「こらお前達っ!そんな口の利き方するんじゃない!!」
子ども達は思った事を正直に口にして、さっきからずっと私を質問攻めにし、親に叱られている。
「お気になさらず、子どもは元気が一番ですから。」
おじちゃん呼ばわりされても、なぜか機嫌の良さそうなアイゼン少佐が、私の代わりに答えている。
子ども達は、かわいいまん丸な目で、アイゼン少佐の顔を値踏みする様にジーッと見つめた。
「でもさっきの金持ち兄ちゃんよりも…うん、いいんじゃない。」
「そうだね。ジルベールが良いんなら…」
どっちもどっちと判断されたようだ。
「でも、この人軍人なんでしょ?ジルベールは軍人は嫌いって言ってたじゃん。」
しまった。
子どもの一人が、以前私が言った事を口にした。ジルベールはどんな人が好き?と聞かれて、確かに軍人は嫌だな、と言ったのだ。
さすがに印象が悪い。市民に対して、軍人の好感度を下げている様にも受け取れる。
子どもの発言は、すぐに店の雑音にかき消されてしまったが、恐らくアイゼン少佐にも聞こえたはずだ。
ちらっと少佐に顔を向けたが、何も無かった様な顔をしている。私と目が合うと、穏やかな顔で私の皿にパスタを取り分けてくれた。後で何か言われるだろうか。
本当に聞こえてないといいな、と思いつつ、もう入らないお腹にパスタを詰め込んだ。少佐は相変わらずあまり食べていない。一番の戦力外だ。
ねーねージルベール、このおじちゃんのどこが好きなのー?
このおじちゃん顔怖いけど良いの?金持ち兄ちゃんの方が、頭は悪そうだけど優しそうだよ。
ジルベール次はいつ来るの?この人と結婚するのー?
何でこんなに料理頼んだの?二人じゃ食べれないよ。
子ども達は、私達が店を出るまで言いたい放題だった。得てして子どもの言う事は、昔から的を得ているものだ。




