8.リソー警察
長閑な川沿いの道をまた歩き出し、若手実業家モニカのコーヒーも飲み終わった。
とんだ騒動に巻き込まれてしまったな…まさかモニカの元婚約者に会うとは…
あんな奴でも、夜会で婚約破棄を言われた時、モニカは瞳を潤ませていた。そこに至るまでに、モニカにとっては少なくとも涙を流すほどの思い入れがあったのだろう。モニカを公衆の面前で泣かせる様な奴と、仲を取り持つつもりはさらさらないのだ。
もう少しで街まで着く、という所で、道の先から呼びかけられた。
「ガルシア家のお嬢さーん!」
見ると先程のリソー警察が、馬に乗って手を振りながらこちらに向かって来る。
「あなた、さっきの…警察のお兄さん…」
「さっきはどうも、軍人のお姉ちゃん。」
警察官はそう言って、顔を少し傾けてニコッと笑った。肩まで伸びたストレートの金髪が、サラッと揺れる。ちょっとドキッとしてしまいそうなほど、綺麗な人だ。さっき、モニカの元婚約者を脅迫していた時とは別人の様だ。
「ところで、お嬢さん軍服だけど、ここから基地まで行くの?ちょっと遠いよ?」
「いえ、街まで行く所なんです。」
「あぁー!そうなんだ!いや何、ちょうど時間があるからね、行き先まで送ろうと思って!街なら、俺も帰りはそこだから、送るよ。」
街にはこの辺りでは一番大きな警察署がある。この人はそこに勤務している人なのか…制服の胸に階級章が付いている。これはそこそこ偉い人の様な…そんなのんびり私みたいな軍人を送り届けたりしてていいのだろうか。
「お気遣いありがとうございます。でも街はすぐそこですから大丈夫です。」
「遠慮しない、遠慮しない!さぁ乗って!」
警察官は私に手綱を握らせて引き寄せた。私はもう断りきれず、警察官の前に座る形で、馬に跨った。警察官は私の軍用リュックを肩から取ると、代わりに肩に担いでくれる。
「いやー、軍人さんだから、乗るの上手だね!」
警察官は私の顔を覗き込む様にしてそう言うと、私の後から手綱を引いて、馬を進ませた。
長閑な川沿いの土手の上を、リソー警察官に抱えられる様にして馬に乗って進む。
リソー警察……私たち、リソー国軍とは、表向きは友好的な協力関係にあり、市民に向けて、軍楽隊やパレード、季節に合わせたお祭りなどの催しも、共同で行っている。
だが、国内の揉め事を一手に引き受けているリソー警察に、国に対する反乱分子と言われ、弁明すら許されず断罪されたとされる軍の関係者も多いと、噂されている。
真偽の程は分からないが、仕事でなければあまり深く関わりたくないと、リソー国軍の者なら思うだろう。
「あの…さっきの…貴族の男性はあの後どうされたのですか?」
「え?……あぁ、あいつ?処分したよ。」
「えぇっ!!」
警察官が、優しい口調で怖い事を言うので、つい驚いた声をだしてしまった。
「大丈夫だよー!処分って、切符切っただけだから!あんなとこにバカでかい馬車停めたら、皆の邪魔になっちゃうのにねー!」
目を丸くして振り返った私に、おでこが付きそうな距離で警察官が優しく説明する。
「あー…そういう意味ですね…良かったです。」
「あいつの事、心配してくれてたの?お嬢さんは優しいんだね〜。子ども達が言ってたけど、あいつに付き纏われてるの?何か絡まれてる様に見えたけど。」
「いえいえ!違います!付き纏われてるというか…私がベネット公爵家のご令嬢と親交がありますので…仲を取り次いで欲しいとよく言われるのです。私には、取り次げる様な権限は無いとご説明しているのですが、分かって頂けなくて…」
私は正直に答えた。変に誤解されて、本当に処分でもされたら、あんな奴でも数週間は夢見が悪くなりそうだ。
「そうなんだねー。でも、しつこかったら言ってね!女性を付き纏う奴は、牢にぶち込むからね!」
そんな事をされてはさすがに困る。真顔で首をぶんぶん横に振る私に、警察官は優しい顔で、うら若き女性を付け纏う奴等は処分しなきゃ〜と、表情と合っていない事を言っている。
「そういえばさ〜、お嬢さんは街でお仕事なの?軍用リュック持ってるし、てっきり軍に行くのかな〜と思って、迎えに来たんだよね!」
警察官は、話題を変えてきた。私はホッとして答える。
「本日は休暇なのですが、軍から呼び出しがありましたので。」
「そっかー。それは大変だね。でも街に呼び出しなの?」
「そうです。」
「誰からなの?」
「上官です。」
「上官の名前は?」
やけに詳しく聞いてくるが、街の治安維持を請け負う警察官に対しては、正しく答えねばならない。でもやけに細かい様な…
「えっと…ノア・アイゼン少佐です。」
アイゼン大尉は昨日無事に、少佐となったと連絡が来た。そして、私の属する偵察班も、アイゼン少佐の管轄下となった。今まで偵察班を管轄していた上官は、他の軍事基地に配置替えとなったらしい。
今回呼び出されたのも、偵察班が少佐の管轄下となった事に関係しているのかと、予想していた。
「あ〜やっぱりなぁ〜!そうなんだ〜!」
しかし警察官はやけに嬉しそうに、ニヤニヤし出した。
やっぱりって、どういう事なんだろう…
「でもガルシア家のお嬢さん、街への呼び出しなんでしょう?軍服じゃなくても良かったんじゃないの?」
警察官はちょっとつまらなさそうに、服装を指摘してきた。街だろうがどこだろうが、上官からの呼び出しに、軍服以外はあり得ないのだが…
しかし、もしかすると、アイゼン家は軍人の家系で有名な、侯爵家だ。侯爵家からの呼び出しに対して、不敬だと思われたのかもしれない。
我々にとって、上官からの呼び出しは軍服が当たり前でも、リソー警察にとっては、非常識かもしれないのだ。
「明日から、野営訓練に入りますので、街からそのまま軍に行こうかと思いまして…それに…」
「それに?」
「私の家は、私が軍人となってから、社交界には出ていないのです。夜会等の際は、私は警備に回りますし。ですので、お恥ずかしながら、私はドレス等は持っておりませんので…軍服が一番フォーマルな服装…なのです…」
正直に話しているうちに、なんだか自信がなくなってきて、最後の方はとても小さな声になってしまった。
モニカをエスコートする時も、いつも軍服だった。モニカは怒らなかったし、喜んでいたけど、もしかしたら失礼な事だったのだろうか。
モニカはいつも、私に会うだけで楽しいのだと言ってくれていた。もしかしたら、彼女の気遣いに甘えていたのかもしれない。しかし…彼女をエスコートする時に、私がドレスなのはおかしいのでは…いや、おかしくは無いのかも…
私の思考がそれ出した所で、警察官は楽しそうに笑い出した。
「へぇー!そっかそっか!これは良い事聞いたな〜!」
「えっ⁈」
「うん、でもお嬢さんは何でも似合うから、軍服でも喜ぶと思うよ!」
警察官は、ニコニコしながらよく分からない事を言っている。怒ってない様だから…不敬には思われなかった、って事なのかな…?
それから警察官は、機嫌が良いのかニコニコしながら、好きな食べ物はー?好きな飲み物はー?休みの日は何してるのー?等と私の事を聞いてきた。街の治安維持には関係無さそうだが、下手に黙秘などすれば、軍人としての私の治安が危なさそうだ。
それに私の趣味や好みなんか、悪用のしようがない、どうでも良い情報だと思う。あまり隠さずに笑って答え続ける。
答えながら、背後から私を包むように回された、手綱を握る警察官の腕を見る。先程も思ったが、やはりものすごく鍛えられている…どうやったらここまでになるのだろう…
腕がこうなら、全身はどうなっているんだろう…やはり凶悪な犯罪者を捕らえるには、最後は接近戦になる、という事なのかな…
「俺の腕が気になるの?」
私がまた、警察官の鍛え抜かれた筋肉に見惚れていたため、さすがに視線に気づかれてしまった。
「あっ!いえ、すみません。ただ、ものすごく鍛練されているなーと思いまして…警察の方は、皆さんこんなに鍛えられているのですか?」
私が正直に尋ねると、警察官は子どもの様な笑顔になった。
「お嬢さん!分かってくれるのー!いやいや、警察だってね、皆こうじゃないよー!自分で言うのもなんだけど、俺の鍛え方はすごいと思うんだー!接近戦なら、君達にも負けないと思うよ。」
「そうなんですね。」
確かに、リソー警察が皆こうなら、私達は出る幕無さそうだもんな。
警察官は、綺麗にニヤッと笑って続ける。
「この凄さを分かってくれるなんて嬉しいな〜!なんなら、今腕以外も脱いで見せてあげようか?」
顔をものすごく近づけて、そう言われたので、私はさすがに恥ずかしくなり、慌ててかぶりを振った。
「結構ですっ!…いえ、決して!警察官殿の鍛錬の成果を見たくないという意味では無いのですがっ!そのっ!ここで脱がれるのはちょっと…困ると言いますか……です……」
すると警察官は、一度目を丸めて私を見た後、こちらが見惚れる位、綺麗な笑顔になった。本当にこの警察官の筋肉と笑顔には見惚れてしまうな。
「あはは!冗談だよ!あー、いや、見たいなら全然脱ぐけどね!そんなに恥ずかしがって…ガルシア家のお嬢さんは、かわいいなぁ〜!」
「いえ…そんな事は…」
「いやいや、本当、あいつに先を越された感じがするな〜。お嬢さん、さっきの河原の子ども達と知り合いなんでしょ?俺もたまにあの子らと遊んでたんだけど、先に会ってたらなー。」
「………?」
「あいつだって会ってすぐなんだろー。さすが直感力と決断力だけはあるからなー。……あいつ頭おかしいけど。今から横槍は無理だもんなー。」
「あの…警察官殿…?」
よく分からない事を言い出す警察官に、何の事か聞こうとすると、ちょうど街の正門に着いてしまい、警察官が馬を止めた。
「残念、もう着いちゃったね。楽しかったよ、ガルシア家のお嬢さん。」
「こちらこそ、ありがとうございました。おかげで疲れずにすみました。」
警察官は、私を馬から下ろし、リュックを渡してくれた。
「本当に、君になら全部見せてあげていいのにな。」
ニコッと笑って警察官がいう。
確かに、私も軍人として、気になる所ではある。特に、偵察班である私達は、生きて帰る事が何より優先されるため、他の部署に比べ、任務中戦闘になる事は少ないが、戦闘となれば、接近戦になる事も多い。
この人と対等にやり合える様になれば、生存率も上がるだろう。私は何としても、生きて帰らなければいけないのだ。
日頃の鍛練は何をしているのだろうか…
流派か何かあるのだろうか…
教えを乞い、自分を強くする絶好の機会に思えた。
今まで偵察班の参加はないが、リソー警察と、リソー国軍は、たまに合同訓練などもしていたはずだ。この人が上の役職なら、頼めば偵察班との合同訓練もしてくれるかもしれない。
それでなくとも、個人的に手合わせ願いたいと思えた。
「警察官殿、」
「ん?なあに?」
「ご存じの通り、私は軍の広報活動をしておりますが…前線にも赴いています。もし、本当によろしいのであれば、何らかの形でご指導願いたく存じます。合同訓練でも交流戦でもなんでも構いません……ご迷惑でなければ……」
私が教えを乞いたいと願い出ると、警察官は驚いた様な表情をしてから、破顔した。
「そういう意味では無かったんだけど…そっか、分かった。考えておくよ。」
「ありがとうございます。」
そして、街の正門の方に目をやると、馬を走らせる体勢を取った。
「俺は警察詰所を通って街に入るから、ここでお別れだね。」
「本当に、お世話になりました。」
「………もし、君がこれから先あいつの事が気に入らなかったら、いつでも言いなよ。」
「え?それはどういう……」
「じゃあまた…かわいいガルシア家のお嬢さん!」
そういうと、リソー警察官は笑顔で去っていった。そして本当に、惚れ惚れする筋肉だったな。
名前も知らない筋肉さん…いつか手合わせしてくれるのだろうか。たぶん、私はボコボコにされそうだな。
悔しいが私は、訓練試合でオーウェンにさえボコボコにされているのだ。オーウェンは偵察班ではないが、個人の訓練量なら負けていないと思うのに。
今冷静になって思えば、オーウェンに訓練試合の度に、あんなにボコボコにされて、毎回医務室送りになっている事に比べたら、アイゼン少佐にたった1回医務室送りにされた事は、どうとでもない事の様に思えてきた。あの時、皆は私をとても心配してくれたが、だったらオーウェンにやられた時にも心配してほしいものだ。いつもポイっと医務室に放り込まれて終わりなんだから。
私は右肘を曲げて、フンッと力を込めた。小さな力こぶが、頑張れ!と言っている。
そして街の正門をくぐると、軍服のアイゼン少佐が立っていた。