2.丁寧な暮らし
美味しい朝食がなかなか進まない。
柄物の神様による傑作品は、すでに紅茶を飲み干し、お代わりをし、スコーンにジャムを塗りつけているというのに。
完璧なはずの朝食が、あまり進まないのは、今回の呼び出しが、なんとなく嫌な予感がするからだ。
私は綺麗な色のトマトをジッと見つめた。
「トマト、お嫌いでしたっけ?」
食の進まない私にエイダンが訪ねる。
「いや…呼び出しに気が進まないだけだよ。」
「何かやらかして来たんですか〜?」
「心当たりはないんだけどね…」
「ジルベール様は意外と、片づけなんか適当ですからね。重要な書類を出しっぱなしにしてきた、とかありえるんじゃないですか〜⁈なんだかんだ、もう軍曹なんですからね!ちゃんとして下さいよ!特に、書類仕事は丁寧に!仕事において、基本中の基本です。」
エイダンが人差し指を立てて小言を言う。
確かに、私は片付けが苦手だし、書類を出しっぱなしにする事もある。
「ジルベール様はご自分のお部屋も片付けませんからねー。もっと丁寧な暮らしを、心掛けた方がいいですね。」
「丁寧な暮らし…」
私の頭の中で、荘厳な山々を背景に、ほぼ自給自足だが満ち足りた生活を送る恰幅の良い女と、首にガランガランとなる鈴を付けた牛達が、輪になってチーズを作り始める。
「そうです、丁寧な暮らし!まずはご自分のお部屋からお片付け下さい!小さな事で毎日が楽しくなりますよ!」
こいつ、都合の良い事を言って、自分の仕事を減らそうとしている気もするが、確かに頭の中の恰幅の良い女は、毎日がとても楽しそうだ。
「そもそもジルベール様は…いえ、私は旦那様に常日頃言っているのですが。旦那様はいつもジルベール様に、剣や弓や体術、軍人としての作法ばかりで…もちろん、それらが一番大事な事なのは理解できますが、そろそろ淑女としての作法も身につける様、努力なさって下さい!」
エイダンが、また小言を言い出した。最近は、いつもこうだ。
「エイダン…分かってはいるんだけどね…」
「ジルベール様!トマトをつつかないっ!全く嘆かわしい…」
「………ゴク…」
「腰に手を当てて紅茶をグビグビ飲まないっ!ここは軍ではないのですっ!あーっ!手の甲で口元を拭かないでっ!」
「そんなに怒らないでよ…」
「怒りますよ!ジルベール様…旦那様がいらっしゃるとはいえ、ジルベール様が入軍なさった時から、ジルベール様が、ガルシア家をお継ぎになった様なものなのです。」
エイダンは私の右手から紅茶のカップを取り上げた。
「ジルベール様が、ガルシア家の今後を誰よりもお考えなのは承知しています。武勲を立てる事もガルシア家の為でしょう。しかし、どんなに小さな可能性でも、捨てずに努力すべきです。どうか私の忠告をお聞き下さい!淑女としての作法も、お役に立つ時があります!」
エイダンはそう言って、紅茶のおかわりを注いだカップを、私の前に置いた。
「そう言ってもね、エイダン。いくら前線で上手にお茶が注げても、綺麗にお茶が飲めても、そんなのはなんの役にも立たないじゃない。弓が打てなきゃ殺されるし、地面に落ちた食べ物を食べられないようじゃ餓死する。いちいち口元をハンカチで拭いてる様な兵がいたら、私はそいつを真っ先に狙うよ。」
「それは承知しています!違うのですよ。ジルベール様は18になられる。軍人としての所作が一番ですが、貴族令嬢としての所作も捨てずに努力なされば、そちらの方向から、ご縁があって、ガルシア家も救われるかもしれないと言う事です!何回言えばお分かり頂けるのですかっ!」
「令嬢としてのご縁ね……ほぼ可能性は無いでしょ。それよりも、軍人のジルベール・ガルシアの方がまだ利用価値がある分、可能性がある。」
エイダンはため息をついた。
「私は諦めませんよ。執事頭兼、あなたの教育係として、私も努力を惜しみませんから。」
「分かったよ。まずは部屋の積み上がった本を整理するね。そして部屋にお花も──」
「うんうん!」
私が丁寧な暮らしについて、荘厳な山々の中で決意を固くした時、柔らかい声がリビングに響いた。




