106.豆のジャム
「只今参りました、ジルベール・ガルシア軍曹であります。」
「おい、遅いぞジルッ!何やって──その髪型…広報部で軍務中だったか?悪いな。」
「いえ、これは……その……」
「じゃあ早速頼む。対象はあいつだ。腕を折ったが吐かねえからな……これ以上は時間の無駄だ。こういう奴には、お前のやり方が合ってるだろう。」
「承知しました、中尉。」
狭い部屋で、数人のリソー兵から、拷問を受けていた。どうせ、喋っちまえば、直ぐに殺される。何とか、隙を見て……出来れば誰か一人、買収出来そうな奴がいれば───
こういった碌でも無い国には、カールみたいな奴が多いからな。
たった今、部屋に女が一人、入って来て、俺の両腕を折りやがった男と何か話している。女は俺を見ると近づいて来た。
軍服を着ているが、最近の街娘みてぇな髪型だ。軍の事務員か……
いや……違う。
両腕を折りやがったクソ野郎程じゃねぇが、女は足音がしない。
近づくにつれ、鮮明になってくる顔は、古傷だらけだ。
「……て…めぇ…寄るんじゃねぇ……」
「こんばんは。」
女はそういうと、床にうずくまる俺の前にしゃがんだ。手には、小さな小瓶を持っている。瓶の中で、小さな白い物が動いていた。
「……虫…か…」
女は、瓶の蓋を開けた。
「え?これ?あぁ、これはねぇ。今、街で流行ってるんだよ。豆のジャムでねぇ、サンドイッチやトーストに付けるとおいしいんだ!瓶が可愛いから、空になったら、私は乾かして小物入れに──」
「おいジルッ!捕虜と無駄話すんなっ!」
「………もー。あの人、うるさいよねぇ。嫌になっちゃう。小言ジジイなんだから。」─ひそ─
銀髪の女は、若い娘達が噂話でもするかの様に親しげに、声を潜めて俺に耳打ちしてきた。
「誰がジジイだっ!俺は24だっ!」
そして、クソ野郎に怒鳴られている。
「………」
何なんだ……この小娘は……
「と、いう事で。小言ジジイの嫌味なんか、聞こえなくしてあげるね。」
「は?」
銀髪の女は、ニコッと笑いながら俺に耳打ちすると、小瓶から出した白い物を、俺の左耳に入れた。
「なっ…………てめぇ……何だこれっ……!」
左耳から入って来た物体は、耳の中で一気に膨らみ、何か綿の様な感触に変わった。
「け……毛虫か⁈」
そして動きながらどんどん奥へ入って行く。左耳は、何も聞こえなくなった。
「脳に行っちゃう前に、喋った方が良いよー。寄生されちゃうから。」
そう言いながら、女は右耳にも虫を入れやがった。
「本当煩いよねぇ、小言ジジイ。ちょっと話す位別にいぃ………ぇ………」
──寄生…⁈おいっ!取ってくれっ!──
いかれた女はニコニコしながら、口を動かしている。もう、音は聞こえなくなった。
──おいっ!分かった!分かったから……早く取れっ!──
女が左手を挙げると、後に控えていた兵達が近づいて来た。
────────
「本当に早かったな、ジゼル。」
彼女は、一時間も経たない内に、私室へ帰って来た。今度は、薄黄色の室内着に着替えたジゼルは、脱いだ軍服を持ってシャワー室から出て来た。
「軍服を渡しなさい。」
「自分で衛生室へ持って行きますよ、少佐。」
「いや、その軍服は捨てる。」
「えぇっ⁈どうして……別に破れたりなんか──」
「良いから渡しなさい。」
「……分かりました……」
納得のいかない顔をするジゼルから軍服を受け取り、ドアの前に放った。そして、彼女を抱き上げ、ソファーに座り膝の上に乗せた。
「やっと夕食が食べられるな、ジゼル。」─カチャン─
彼女は、自分の左足に、足枷が付けられるのを大人しく見てから、テーブルの上の夕食に視線を移し、こくんと頷いた。
こんなにも愛くるしい物に……俺はどうして今まで気付けなかったのだろうか───
吸い寄せられる様に、彼女の頬にそっと口付けると、彼女は水色の目を丸くして、俺の顔を見上げた。そして、俺が口付けた右頬を、そっと自分の右手で包んだ。
先程の……紺色の服を着てくれなかったのは残念だが、この服も、彼女によく似合っている。
頬を包む彼女の右手を取り、ゆっくり膝に下ろした。
「ジゼル、何から食べたい?今日はな…街で流行りの、豆のジャムがあるらしい。料理長が言うには、パンに付けて食べると美味しいそうだ。」
俺は、ジャムの小瓶を開けた。透明の瓶に、赤茶色のペーストが入っている。蓋は、白地に赤のチェック模様だ。
パンに豆のジャムを塗ってジゼルの口元に差し出すと、彼女はパクッと頬張った。その後で、自分のパンにも、豆のジャムを塗り、口に入れた。予想より、控えめな甘さが口の中に広がっていく。
「もぐもぐも…ごくん。少佐、そのジャムの瓶、空になったらもらっても良いですか?」
「瓶?あぁ、構わない。料理長に伝えておこう。」
「ありがとうございます。可愛いから、集めてるんです。蓋は、いろんな柄があるんですよ。その柄は、まだ持ってなくて…」
「そうなのか。」
彼女はニコッと微笑んだ。ジャムの瓶を集めているのか。ジャムの空瓶…素朴な趣味だな。
愛くるしい彼女は、趣味も可愛らしいものだ。
「素朴…か。初めて、ブライアンの言う意味が、理解出来た気がするな。」
「?」
膝の上の彼女は、せっせとローストビーフを皿に取り、頬に詰め込みながら首を傾げた。
「いや、こっちの話だ。何でも無い。」
ノアは、パンをもう一切れ取り、また豆のジャムを付けて口に入れた。そして、普段甘い物は好まないが、意外とこのジャムは美味しいかもしれないと考えた。
「アイゼン家に、違う柄の空瓶が、あるかもしれないな。料理長に聞いておこう。」
「本当ですかっ!ありがとうございます、少佐!」
ジャムの空瓶にはしゃぐジルベールを見て、ノアは幸せそうに微笑んだ。
そして、ある程度の情報を吐いたカントの商人は、ジルベールが部屋を出た後、リーによって殺された。
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