104.可愛いお人形
特殊武器科での試し撃ちを終え、その日の夕刻。ジルベールは偵察班の詰所に来た。
小さめのこの詰所には、自分以外には、誰も居なかった。恐らく、皆野営訓練に同行しているか、個人持ちの任務に当たっているのだろう。偵察班自体、そう人数は多くない。広めの、情報中隊全体の詰所も使う事が出来る為、ここはほぼ、偵察兵の荷物置きだ。
偵察班の任務となると、いろいろと準備が必要だ。服や、武器や、小道具や……普通科の兵なんかに比べると、パッと見よく分からない私物がどんどん増える。仕事に慣れてくると、各々趣味でいろいろと収集し出したりもして──ヒースナイフもその一つ──皆、ロッカーを複数使用している。今では私も、初めに割り当てられたロッカーの左右一つずつを、陣取っている。真ん中は軍服等など、真っ当なやつ。その両側は、増え出した私物入れだ。
ロー大尉とオリビア先生と、3人で食堂に行き、試し撃ちもスムーズに終わった。私室に戻る前に、少し時間があったので、個人持ちの武器を手入れしたくて、詰所に寄ったのだ。もはや、仕事の延長線、趣味にもなりつつある、少数民族の衣装達も、手入れしようかな。一人っきりの、この狭い詰所で、民族衣装に着替えて遊ぶのは楽しい時間だ。
そして、夜になったら、少佐が美味しい夕食を、バスケットいっぱいに、私室に持って来てくれる。今日のメニューは何だろう。
「ランララ〜♪お肉お魚パン野菜〜♫」─ガチャッ─
私は鼻歌混じりにロッカーを開けた。
「随分と機嫌が良いな、ジルベール。」
ロッカーを開けた瞬間、人の気配がして、詰所の入口から声がした。
「ルイス少尉………」
振り向くと、ルイス少尉が、詰所に入って来る所だった。ルイス少尉は、神妙な面持ちで、こちらに向かって真っ直ぐに歩いて来る。私は、開けたばかりのロッカーをバタンと閉めた。
「何の御用でしょうか、少尉。」
私は敬礼もせずに、言い捨てた。
ルイス少尉が来るとしたら………一つだけ、心当たりがあった。
───別に……私は、隊付きの兵にして頂かなくても結構です。そんなに私の態度が気に入らないなら、ルイス少尉の隊から外して下さい。そうすれば、ルイス少尉とは、話さなくても良くなりますから。私の態度も問題無くなりますよ?───
少し前に、私は確かに、リー中尉にそう言った。希望通り、私を隊付きでは無くした、と……そう告げに来たのではないだろうか。
リー中尉は、私を隊付きの兵にしておく事に、変にこだわっている。確かに、隊付きの方が経験出来る事も多く、小隊と行動を共に出来る分、安全とも言えるだろう。だけど───
前に比べたら、私も実力が付いて来た……と思う。偵察兵個人として与えられる任務も多い。単独で遠征に行く事も好きだし、隊付きの兵で無くても、今の私なら、きっとやっていけるはずだ。
リー中尉と仲が良いからと思って、我慢してきたけど……正直そろそろ、この人に揶揄われるのも限界だ。だけど…やっぱりリー中尉のメリットを考えると、邪険に扱う事は出来ない。距離を置くのが、一番良い────
「この前は……悪かったと思っている。」
「え…………」
しかし、ルイス少尉の第一声は、意外なものだった。
「俺のせいで、ウィルを怒らせてしまったな……ウィルには、君に非が無い事は伝えている。」
「えっと……いえ、私も……失礼な態度を取ってしまって……」
ルイス少尉は私の正面に立った。少尉の、真っ直ぐな金色の髪が、私に向かって垂れた。
「ジルベール、」
「はい。」
「俺は……君を隊から外すつもりは無い。隊付きの方が将来的に有利だというのは、ウィルの考えだが、間違ってはいない。考え直して欲しい。」
「ルイス少尉───」
「君の為だけじゃない。俺の隊には、新兵も多いだろう?君も、アシェリーを連れて来たばかりだ。オーウェンを手伝って、あいつらを育成して欲しい。」
遠くで、アシェリーとレオちゃんの笑い声が聞こえた気がした。
確かに……そういう面に置いては……
私は、自分の事しか、考えていなかったな……
「少尉……軽率な発言をして、申し訳ありませんでした。私個人に、決定権はありません。少尉の判断にお任せします。」
「ジルベール、」
「リー中尉に言われた通りです。隊の風紀を乱して、申し訳ありませんでした。小隊の前で、少尉に謝罪をさせて下さい。」
「ジルベール……そんな事は求めていない。隊付きで居てくれるなら、謝罪は不要だ。」
ルイス少尉は、優しく微笑んだ。
少尉は、数年前に戻ったみたいだった。私の家も、リー中尉の家も……どんな人も、決して差別しない。真面目で優しくて、良い人で───
「ジルベール、」
「はい、少尉。」
「君は……俺が嫌いか?」
「え?」
そう思ったのに、ルイス少尉は、また訳の分からない事を言い出した。
「………嫌いではありません、少尉。」
「だったら……父に会って欲しい。」
「は⁈」
ルイス少尉のお父さんって……アイゼン家で会った、あの嫌な人だ。
「父も君に会えば、きっと考えが変わるはずだ。ジルベール、俺は決して、今まで君を揶揄っていた訳じゃ無いっ!」
ルイス少尉は、そう言いながら、私の両肩をガシッと掴んだ。
「ルイス少尉、止めて下さ───」
「きっと、父も君を気に入る……俺は本気だ、ジルベール。結婚して欲しい。」
「どうしてそうなるんですか……少尉の父上は、私の事なんか嫌いですよっ!」
私の両肩を掴む手を剥がそうとするが、力が強くて振り解けない。
「大丈夫だ、そんなはずは無い。会えば分かる!」
「だからもう会ったんだって……くっ……この……嫌だっ!離してっ───」
────────────
「君は……俺が嫌いか?」
「え?」
彼女は、きょとんとして、感情が抜け落ちた様になった。
ノア従兄さんに、父を説得して欲しくて直接相談したが、ノア従兄さんは激昂し、聴く耳を持ってはくれなかった。
──そんな事が、許される等と思うのか⁈──と、そう怒鳴り、俺は発言すら許されなかった。それ程まで、彼女の素行が悪いと言うのだろうか……
「………嫌いではありません、少尉。」
そう言う彼女は、怒っている様だった。
嫌いだろうな。どう考えても────
俺も、自分自身、どうかしていると思う。
だが、諦める事は出来ない。
ルイス家であれば、ガルシア家に掛けられた、王命を撤廃する事も出来るかもしれない。彼女に取っても悪い話では無いはずだ。
卑怯だとは思うが……形だけでも彼女を手に入れた後、徐々に俺の事を好きになってくれたなら────
「だったら……父に会って欲しい。」
「は⁈」
「父も君に会えば、きっと考えが変わるはずだ。ジルベール、俺は決して、今まで君を揶揄っていた訳じゃ無いっ!」
父は、彼女の素行を非難してばかりだ。終いには、人を殺した事の無い人間を、俺と結婚させるとまで言い放った。
彼女の行動は、軍人なら当然の事だ。
彼女をそうしたのは、この国だと言うのに───
銀色の髪も…水色の瞳も…誰よりも綺麗だと思う。彼女を前にすると、感情を抑える事が出来ない。
後退りしようとする彼女の両肩を、しっかりと掴んだ。せめて……俺が本気だという事だけでも、彼女に伝えたい───
「ルイス少尉、止めて下さ───」
彼女は困った様に俺を振り解こうとする。
「きっと、父も君を気に入る……俺は本気だ、ジルベール。結婚して欲しい。」
「どうしてそうなるんですか……少尉の父上は、私の事なんか嫌いですよっ!」
「大丈夫だ、そんなはずは無い。会えば分かる!」
咄嗟に、逃げようとする彼女を抱きしめた。
「だからもう会ったんだって……くっ……この……嫌だっ!離してっ───」
「頼む、ジルベール……君を愛しているんだ──」
──────ドッ──────
困惑して、くしゃくしゃになった彼女の顔を見た瞬間、俺の視界は一回転し、後頭部に強い衝撃が走った。
「う…………」
視界がぼやけているが───恐らく、一回転して、壁に頭をぶつけたのだろう。
徐々に正常に戻る視界の中に、黒い人影が見えた。
黒い軍服、紺色の髪───
「マシュー。貴様、今、彼女に何と言った?」
「ノア従兄さん………」
俺は、詰所に現れたノア従兄さんに蹴り飛ばされ、壁に頭をぶつけたのだった。
「今、ガルシア軍曹に何と言ったと聞いている、ルイス少尉。」
ノア従兄さんは、こちらを睨みながら、なだめる様に彼女の背中に手を回した。
「アイゼン少佐、ルイス少尉は……ルイス少尉は……いつも、私の事を、揶揄ってきて……私──」
すると、彼女はノア従兄さんにか細い声で訴え、普段表情の無いノア従兄さんは、その紺色の目を見開いた。
「ルイス少尉、貴様はガルシア軍曹の直属の上官ではないが……彼女は貴様の小隊付の兵だろう?自分の隊付きの兵に対して、いつもその様な事を言っているのか⁈無駄口どころの問題では無いぞ⁈」
ノア従兄さんは珍しく顔色を変え、壁際にうずくまる俺に、そう怒鳴った。そして彼女はノア従兄さんの背後に、さっと隠れた。ノア従兄さんが味方してくれると即座に判断した彼女は、蹴り飛ばされた俺を見て、ノア従兄さんの陰から腕組みをし、ニヤニヤしながら俺を見ている。
「彼女を、揶揄っているつもりはありません、少佐。先日も、お伝えしましたが───」
「ああ?何だと………」
ノア従兄さんは、益々顔をしかめ、ジルベールは、今だとばかりに、ノア従兄さん泣きついた。
「アイゼン少佐、ルイス少尉は…いつも私に先程の様な事を言うのです。リー中尉に相談しても、ルイス少尉がそんな事言う訳無いって、信じてもらえなくて……私……怖くて……」
ジルベールはノア従兄さんを見上げながら、瞳を潤ませて涙を流した。
「私……私……」─ぽろっ─
彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた───が、下手な演技だ。どう見ても、嘘泣きだ。
ノア従兄さんは、男でも女でも、めそめそと泣く奴が嫌いだ。特に、すぐ泣く女は、ゴミでも見る様な目で睨んで舌打ちをする。ジョセフ叔父上がせっかく話を取り付けた、ノア従兄さんの見合い相手達は、全員運悪く、そんな目に合ったらしいからな。
確かに、立場を利用して、彼女に言い寄っている俺にも非はあるが……ノア従兄さんに、そんな嘘泣きは、逆効果だろう。
「なっ……マシュー……貴様は…軍人でありながら、自分が何をしたのか分かっているのか⁈ルイス家の嫡男が、とんだ醜聞だぞっ⁈」─ひしっ─
しかしノア従兄さんは、嘘泣きをするジルベールを見て、一層目を見開き、彼女を慌てて胸元にしっかりと抱き寄せた。
「えっ…⁈ノア従兄さん……」
「マシュー……俺も何度も言いたくは無いが、兄上から、彼女の事については、聞いているのだろう?この件は……アイゼン家から正式に、抗議させてもらう。」
「しくしく……兄上?彼女の事?何だろ……しくしく……」
ジルベールは、ノア従兄さんの腕の中から、叱責される俺を横目で見ている。そして、ノア従兄さんには見えない様に、勝ち誇った顔をした。
「怖かったな……もう、泣くな。」
ノア従兄さんは、嘘泣きをするジルベールの頭を撫で、大丈夫だ、となだめている。
「ノア従兄さん……どうして……」
「ルイス少尉、貴様は独房だ。懲罰房でないだけ、運が良かったと思え。」
ノア従兄さんは、哀れむ様に俺を睨むと、淡々とそう告げた。
「ジゼル、気付いてやれなくて、すまなかった。リーにも言っておくから……マシューを許してやってくれ。」
「えーん。」
「え……ジゼル?……ノア従兄さん、今、彼女の事を何と呼んで───」
「えーん、怖いよー。」
「ほら……もう泣くな…困ったな。どうしたら泣き止んでくれるんだ?そうだ!明日、料理長に、君の好きな木の実のケーキを焼いて来てもらおう。だから、泣かないでくれ……」
「えーん。ミートローフも食べたい。」
「分かった分かった、何でも好きな物を食べていいから…」─よしよし─
「しくしく。今日の夕食は何かなー。しくしく。」
「今日は、ローストビーフらしい。さぁ、もう行こう。ん?マシュー、まだ居たのか。さっさと独房に行け。自分で行けるだろう?」
ノア従兄さんは、嘘泣きするジルベールの頭を、よしよしと撫でながら歩いて行った。
嘘だろ……あのノア従兄さんが……
何だか、嫌な予感がする……
……………………………
……………………
……………
「マシュー、」
独房に来て、数時間が経った頃。父が訪れ、俺が入っている、檻の前に立った。
「父上………」
俺は、独房の檻の中で、座ったまま、父を見上げた。
「父上が来られたと言う事は……アイゼン家から、連絡があったのですね?」
「あぁ。ルーカスから聞いてな……驚いたよ。まさか、お前が独房になんか──初めは、耳を疑った。」
「ご心配をお掛けしました。」
父は、俺の向かいに、ゆっくりと腰を下ろした。
「ノアを……怒らせたのだな?ガルシア軍曹の件だろう?」
ため息をつきながら、父は言った。
「………はい。」
「ノアに、何と言われたんだ?」
「それが……はっきりとは分からないのですが、彼女の事は聞いているだろ、とかなんとか……どういう事か、ご存知ですか?父上。」
俺は、すがる思いで父を見た。
「彼女はな………人形だよ。」
「は?」
しかし、父の答えは、訳の分からないものだった。
「彼女は、ノアの可愛いお人形だ。」
「………どういう意味です?」
「金銭でどんな要求にも応じる……傀儡だ。」
「人形…金銭で応じる、傀儡……父上、それは一体どの様な意味で……」
父は、ため息をつきながら立ち上がり、独房の鍵を開けた。
「マシュー……お前が本当に、哀れでならない。」
そして、俺に檻から出る様促した。
「あの2人には、今後一切関わるな。」
「父上───」
「ノアと彼女も…この国の、哀れな犠牲者なのかもしれんがな……」
「……………」
その日、父はそれ以上、何も喋る事は無かった。
更新が遅くなり、申し訳ありません。
直近で、更新頻度が遅くなりますが、順次更新していきます。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




