101.ガオシュン
「ギィィァッ!」
カール・ベレンソンの死亡報告が出された翌日。 野営訓練が行われているその森で、ジルベールは朝から、黄土犬狩りに、勤しんでいた。
「うーん。この子も違うかぁ……なかなか居ないなあ、あの時の個体。」
木の上から器用に矢で射抜き、殺した事を確認してから地面に降りて、黄土犬の死体の柄を確認する。その繰り返しだ。
「流石に疲れてきたなぁ。」
ジルベールは、死に絶えた、黄土色の皮膚にそっと触れた。横たわる全長3m程の巨体はまだ温かい。毛の無い皮膚は、触ってみると、見た目よりも艶やかだ。黄土犬は、肉も皮も利用価値があり、どの国の商人にもよく売れる。
ジルベールは、右の手のひらを、感触を確かめる様にそっと滑らせながら、昨日の、アデルとの会話を回想した。
───野営訓練中悪いけど、ジルベールちゃんに、夜会の出席依頼が来てるのよ───
恐らく…アイゼン少佐のお母さん……かな。広報部に依頼をしたのは。
少佐のお母さんは、軍人令嬢ジルベール・ガルシアにエスコートされたがっていた。広報部としては、応援してくれる国民の声は、可能な限り聞く必要がある。そうして少しずつ、軍人令嬢ジルベール・ガルシアは認知されてきたのだ。リー中尉が承諾したから、正式に広報部として夜会に出席する事となった。
野営訓練も始まったし、久しぶりだ。夜会に出るのは。
夜会──本来貴族なら、少なからず、経験があるのだろうけれど……私は広報部として以外は、出た事がない。
夜会には、様々な種類があるが、大きく分けると、王族が主催するもの、主に貴族が政治的な繋がりを求めて開くもの。あとは、リソー国軍やリソー警察等、国の組織に主催されるものが、主要な所だ。
ガルシア家はもちろんだが、王族が主催するものには、出入り禁止となっている。まあ、頼まれても行くつもりは無いな。そう言った事情もあり、有力貴族が主催する夜会にも、呼ばれる事は無い。呼んでくれるのは、モニカやアデル部長の家くらいだ。
リソー国軍主催の夜会は、主に軍内の有力貴族家によって開かれ、佐官以上の者は、婚約者や家族と一緒に出席する。将校でも、婚約者がいれば、出る事があるな。もしかしたら、リー中尉はこれから軍の夜会には呼んでもらえるかもしれない。アイゼン家の遠縁の家と、結婚するのだから。
そして、ガルシア家の人間は、軍の夜会でも、ずっと警備担当だ。父上も、出席を許される事は無かったらしい。
お兄様も、私も。ずっとそのはずだった。だけど……
軍人令嬢ジルベール・ガルシアはそうじゃない。
広報部と共に出席する、軍人令嬢ジルベール・ガルシアは、今では、軍が主催する夜会の中心イベントだ。民衆の支持に、軍に流れ込む金。
もはや軍の夜会は、マルティネス公爵家の夜会であると、囁かれている。
軍人令嬢ジルベール・ガルシアを応援してくれるのは、女性が多い。貴族、平民問わず、アデル部長の意向もあり、軍の夜会では、彼女達に等しく門戸を開いている。
私自身も、彼女達を夜会でエスコート出来るのは、嫌では無い。応援してくれる彼女達を見ると、軍人も、悪くない気さえしてくる。
ただ…野営訓練中は、少し疲れるのは事実だ。
「よぉよぉ、何匹目だぁ?景気が良いねぇ!」
物思いにふけっていると、木の影から胡散臭い陽気な声がした。
「3匹目…だったかな。これ、買ってくれる?ガオシュン。」
黒い髪に、黒い瞳。年齢は、リー中尉と同じ位かな。ガオシュンは、いつもの様に、目をネコみたいに細めて、ニィッと笑った。
「ああ、良いよ。肉も皮も上等だ。もしかして、例の奴を喰い殺した個体を探してんのかい?」
「そうだよ。」
「あはは!頑張るねぇ!黄土犬の行動範囲は狭く無い。なかなか大変だと思うよ?」
「……だよね。今日はそろそろ止めにしよっかな。」
「3匹狩れば上々だろ?買うけど、相場より安くしてもらうよ。」
ガオシュンは、黄土犬の死体を確認しながら、ニコニコしたままそう言った。
「分かった、それで良いよ。あんたがそそのかしてくれたおかげで、今回は上手くいったからね。」
私がそう言うと、ガオシュンは一度目を開いて、またニィッと笑った。
「まぁ、相場の3倍でふっかけたからねぇ。」
ガオシュンは、それにしても肉付きが良いね、と言いながら、感心する様に黄土犬の大きさを測っている。
「売り買いされた情報には、行き付く先がある。間には、必ず俺たちみたいな仲介屋が入るもんだ。それは、あんたらの軍も、知ってるはずだけどね。」
前線から帰還した、リソー国軍の隊が持つ情報を買いたい。
カール・ベレンソンが内通していたカントの商人に、そう持ち掛けたのはガオシュンだ。
「ねー、それはそうとガオシュン!落とし穴作るの、手抜いたでしょ?2mしか無かったって聞いたよ⁈黄土犬は3mは掘るんだからね!」
私は思い出し、ガオシュンを睨んで抗議した。
「別に良いだろー?黄土犬の中には、掘るのが下手な奴もいるさ!皆がきっちり3m掘るわけじゃねぇよ?」
「そんな事言って……こっちだって、あんたに結構な金額払ってるんだからねー。」
「不満なら追加で掘りに行ってやろうか?ジルベール。」
「今回はもういいよ……私の上官、結構勘が鋭いんだ。ちょっとした事で、ばれるかもしれないんだから。金額の分、仕事してよねっ!」
「勘の良い上官ね……金額の分は、きっちり仕事してるよ?落とし穴を掘った後、黄土犬に認識させるのが、大変なんだぜ?穴の中に、黄土犬の匂いを付けたり、わざと掘った穴の方に追い立てたりさ。俺みたいな仕事、なかなか出来る奴いないよ?」
「それは分かってるよ。」
黄土犬は、身体能力は凄いが、さほど賢く無い。青犬や、賢猿には遠く及ばない所だ。縄張りの中にあれば、他の黄土犬が作った落とし穴も、気にせず使うし、場所を忘れる事もある。
人間が作った落とし穴でも、似せて作れば警戒せずに、自分の物にする。
「あんたに頼まなくても、自分で作りたかったけどさ………」
動きがばれると軍に怪しまれる。今回は、第三者に頼むのが安全だったのだ。
「いやー、それにしても、綺麗に仕留めてるねぇ。惚れ惚れする腕だよ、ジルベール。いつも言ってるけどさ、こんな国の軍人なんかより、あんたなら稼げる仕事は幾らでもある。俺と一緒に来な?損はさせないよ?」
黄土犬の寸法を測り終えたガオシュンは、またニコニコしながらそう話す。
「ガオシュン。人買いの言う事なんか、信じるもんか。毎回そう言うけどさ…そんなに言うなら、気絶でもさせて、勝手に連れて行けば良いだろ?」
私は睨みながらそう言い返した。お金を払っている分、仕事だけは信頼出来るけど……こんな嘘臭い笑顔は芸術品だ。
「出来るならそうしてるんだけどねぇ。」
─────ガッ─────
ガオシュンの芸術的な笑顔を見ながら、私の意識は遠のいた。
────────────
「出来るならそうしてるんだけどねぇ。」
そう答えた後、少し前から気配を消して近づいて来ていた人間に、ジルベールは一瞬で気絶させられた。
─────ドサッ─────
そして呆気なく、うつ伏せに倒れ込んだ。
「何分、勘の良いあんたの上官が強すぎてねぇ。無理矢理攫ったら、俺が殺されちまうんでね。だから、出来ないんだなぁ、リソーのお嬢ちゃん。」
地面の上に、綺麗な銀髪が広がっている。今日は艶があるな。顔が傷だらけじゃなきゃ、間違い無く高値で売れるんだがなぁ。勿体無い。
「やっぱりお前だったか。ガオシュン。」
「よぉ、リー。惚れ惚れする様な手刀だね。見事だよ。さすが、俺のお得意様だ。また仕事の依頼に来てくれたのか?」
リーは不機嫌そうに、動かないジルベールと彼女が狩った黄土犬を見比べて、ため息を付いた。
「ガオシュン、今日はお前の冗談に付き合う気力も残って無いんだ。このクソガキを回収しに来ただけだよ。」
そう言って、リーは憎たらしそうにジルベールの頭をコツンと蹴った。
「あはは。俺は、金さえ貰えば仕事はするからね。あんたらの親子喧嘩は知らないよ。」
「ああ。分かってる。」
リーは頭を抱えた。
「リー、このお嬢ちゃん、確かに腕は立つ様だけどね。本当にあんたの後任か?俺と自分の実力を見誤ってるどころか、俺とあんたの繋がりにも、一向に気付かない。頭がお花畑過ぎてさぁ。可愛いもんだよ。」
「……ジルを後任として育てているのは間違いない。」
「そうか?他にも兵ならいるんだろ。次にお嬢ちゃんに呼ばれたら、俺が攫って持って行っても良いだろ?」
「あぁ?二度と言うなよ。犬の餌にするからな、ガオシュン。」
「あー怖い!冗談だろ?そう睨むなよ、リー。」
そう言うリーは、確かに疲れた顔をしていた。
「じゃあ、近いうちにまた連絡する。依頼したい仕事がある。」
リーは、気絶させたジルベールを背負い、こちらを振り向きながら言い捨てた。
「ああ。あんたの依頼なら、いくらでも待ってるよ。」
「そういや…それ、ジルが仕留めたのか?」
歩き出そうとしたリーは、俺がもたれかかっている、黄土犬をチラッと見た。
「ん?ああ。お嬢ちゃんが仕留めたんだ。俺に買い取って欲しいって言うんでね。持って帰る所だ。」
「……譲ってもらえるか?後から取りに来る。」
「ああ、そう言えばあんた、好物だっなあ!良いよ、まだ代金渡して無いからね。あんたに譲ろう。何なら、捌いといてやろうか?このままだと、獣に食われちまうよ?」
「じゃあ、頼むよ。」
「毎度あり!」
「ガオシュン、捌くのは有料なのか?」
「当たり前だろ!これを捌くのは時間も掛かる。」
「…………夜にここに取りに来る。」
「まかせときな〜。」
ヒラヒラと手を振る俺を恨めしそうに見て、動かないジルベールを背負ったリーは、足音無く歩き出した。
───────────
リソー国軍、軍事基地。
「やっぱりガオシュンに頼みやがったか。だったら間違いなくお前じゃねぇかっ!下手な工作しやがって!」
背中のジルベールに話しかけるが、気絶したまま返事は無い。
「お前は……どうしてそう素行が───」
「リー、」
背後から、聞き慣れた声がした。
「ロレンツか。」
ジルを背負っているため、振り向きづらいが、同窓のロレンツの声だ。
「……ジルベールは……寝てるのか?」
隣に来たロレンツは、背中で気絶したままのジルベールの顔を覗き込み、訝しげな顔をした。
「まあ……な。」
「どこに行くんだ?」
「独房だ。」
俺の答えを聞いて、ロレンツは察したようだった。
「………だったら、貰っていって良いか?野営訓練中だと思って、なかなか頼めなかったんだが、今、新型の武器が入って来ててな。ジルベールに試し撃ちして欲しいものが、いくつかあるんだ。」
「ああ、そう言う事なら。今日はそっちで使ってくれ。」
背負っていたジルをロレンツに渡すと、ロレンツは丁寧に抱き抱えた。
「叩き起こしていいからな。」
「起きるまで待つ。」
「じゃあ明日まで待つ事になるぞ。」
俺の言葉を最後まで聞かず、ロレンツはさっさと自分の科に歩き出した。あいつは、昔からジルに甘いからな。子どもだからと甘やかされては困る。ただでさえ、あいつはつけ上がってやがるんだ。
「ロー!ジルを甘やかすなよっ!ジルならいつでも貸してやるから厳しくしろっ!」
ジルを抱きかかえたまま、振り向いたロレンツは口を動かしている。お前に言われたく無い、と言ったのが、口の動きで分かった。
更新が遅くなり、申し訳ありません。
直近で、更新頻度が遅くなりますが、順次更新していきます。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。