99.星屑の降る夜
前線から帰還した日の夜中、カール・ベレンソンは、軍事基地の東側に広がる森に、一人で踏み入っていた。
木々の隙間からは、瞬く様な星の明かりが、暗い森の中を急ぐカール・ベレンソンや、森の生き物達全てに、いつにも増して、優しく降りそそいでいる。
全く……今思い出しても気分が悪い。
リーの奴。
あのクソガキ共を使って、出世しやがって。しかも、今日特科連隊の奴から聞かされた話だと、アイゼン家からの紹介で、結婚まで決まったらしい。どうして、あんな奴がアイゼン家から紹介なんか───
アイゼン侯爵家は、軍内の有力貴族だ。どんな形であれ、繋がりを持ちたい奴は、ごまんと居る。連隊長のアイゼン少佐は、アイゼン家の三男で、数年前までは、どの家と婚姻を結ぶのか、良く話題になっていた。賭け事にして遊ぶ奴らや、予想屋も出始めた。だが、あの人は浮いた噂どころか、会話を交わす女は、軍の食堂で働く既婚者の調理師達くらいで、全く結婚しそうに無い。面白くないと、だんだんと、誰一人、噂をしなくなっていった。
仕事以外、興味が無いのだろう。無愛想で、表情なんか、欠片も無いしな。高位貴族のくせに、あの歳で婚約者もいなけりゃ一生独身なのだと、今では誰もが考えている。
カール・ベレンソンは、周りを見回して、足を止めた。
この地点のはずだが───
まだ…来てねぇのか……いつもは、時間通りか、少し早目に来てるんだがなぁ─────
木々の生い茂る森、地図の座標を頼りに待ち合わせの地点に来たカール・ベレンソンは、懐中時計で時間を確認して、ため息を付いた。そして、真っ直ぐ一歩踏み出した。
─────ザ、ズザザザーッ─────
「……ぐっ……な……痛ってぇ……くそっ、落とし穴か?どうしてここに……」
足を踏み出したカール・ベレンソンは、巧妙に落ち葉や枝で隠された落とし穴を踏み抜き、穴に落ちた。
「しまった……油断した。だが、暗闇じゃあな……」
昼間ならともかく、夜に隠された落とし穴に気づく事は難しい。中に、トラップが仕掛けられていなかったのが、救いだった。
「野営訓練中の奴らが作ったのか?だが…この地点は、まだ訓練に使われていないはずだがなぁ……」
落とし穴の深さは、2mと少し、といったところか。絶妙な狭さで、身動きが取りづらい。だが、こちらも訓練された軍人だ。落ち着いて時間を掛ければ、問題無く這い出せるだろう。カール・ベレンソンは、落とし穴の中から、外を見上げた。
丸い、窓の様な落とし穴の入り口からは、その丸い窓を横半分に分割する様に、生い茂る森の太い木の枝が1本見える。そして、その枝の上下には、木の葉の隙間を縫って、綺麗な星空が見え、カール・ベレンソンは、一瞬無心になって、瞬き合う星々を見上げた。
─────サラ……─────
「……ん……?」
その時、ほとんど無音に近く、木の葉が風に吹かれて揺れた様な音がした。だが、はっきりと、丸い窓に映る木の枝の上に、影がある。
「こんばんは。」
星明かりの影になり、はっきりと分からなかった顔は、目が慣れるとだんだんその輪郭が、見覚えのある人物と結び付き始めた。
「っ……ジルベール……てめえの仕業か⁈」
ジルベール・ガルシア。
太い木の枝の上に、器用にしゃがみ、こちらを覗き込んでいる。
「星が綺麗な夜ですね、ベレンソン曹長。」
昼間会ったばかりのクソガキは、言いながら頭上に広がる星空を見上げた。
「……ああ、そうだな。奴隷以下のお前らガルシア家の人間には、幾らあがいても、手に入らないものだ。見るだけにしとけよ。」
ジルベールは、ゆっくりこちらを見下ろした。表情は、はっきり分からない。
風に、ジルベールの着ている、奇妙な服の羽飾りが揺れた。特に腰回りは大量の羽飾りで覆われ、スカートの様になっている。大方、どこかの少数民族の衣装か……
「待ち合わせの人はねぇ、来ないよ、ベレンソン曹長。代わりにあんたには、違う待ち合わせを、私が取り付けてあげる。」
「待ち合わせ……何の事だ。」
「流石に言い訳しずらいよ?この時間に、この森に来る正当な理由は、無いもんね?」
緩やかに木々の間を吹く風に合わせて、クソガキは告げた。
本当に……面倒な奴らだ。こいつらも、リーの野郎も────
「もうちょっと、早く来たかったんだけど…東門からは入れなかったからね、遅くなっちゃった。通行履歴が残ると、都合が悪いし。大変なんだよー?」
「……………」
「曹長、東門の通行履歴残っちゃってるみたいだけど、大丈夫でありますか⁈あはは!」
木の枝の上で、ジルベールは笑っている。
「チッ……この猿が……憎たらしい、あの貧乏な犬の、駒使いの分際で───」
「あぁ、リー中尉の事ね。確かに、貧乏だからなー。リー中尉の領地も……」
「だったら、目立たず大人しくしてろ。腹立つんだよ。何であいつばかりが……実力もねぇのによ。少佐に媚び売りやがって───」
カール・ベレンソンは、周りの土壁を、右こぶしでドンドンと叩いた。
「おいっ!クソガキッ!落とし穴なんて地味な嫌がらせしやがって。さっさと出せっ!ガキの喧嘩じゃねぇかっ!それで勝ったつもりかっ⁈」
怒鳴り散らしたが、クソガキは涼しい顔のままだ。こんな事しやがって…俺に訴えられないと踏んだか?
「そっか……あんた、犬が嫌いなんだねー。」
そう言うとクソガキは、こちらに弓を構えた。軍用の弓じゃない。木製の…小汚い弓だ。落とし穴の中だからか、奴が弓を引く音は、全く聞こえなかった。
「何のつもりだ、ジルベール。」
「その落とし穴はね……私が掘ったんじゃないよ。」
「はぁ?また訳の分からない事を………だったらオーウェンか?」
「黄土犬だよ。」
クソガキは、風に揺れる様に、静かに告げた。
「お……おうどけん…………?」
「黄土犬は、とても器用に落とし穴を作る。リー中尉より、上手かも。そしてね、獲物を落としてその穴の中で、喰い殺す。時には保存食として、そのまま埋めるんだ。」
俺は、呆気に取られて、弓を構え続けるジルベールを見上げた。
「おい……正気か?同胞殺しは死罪だぞ……」
「え?自分に言ってるの?リー中尉を殺そうとしたでしょ。そして今日も、そのために画策してたくせにさ……まぁいいや。とにかく、私はあんたを殺したりしない。」
「おい、まて……ジルベール───」
「あんたはこれから、自分が大嫌いな犬に、喰い殺される。ほら、少し遠くで、地を這う様な獣の足音がするだろ?あんたが騒いだから、この落とし穴の持ち主が、獲物が落ちた事に気付いたんだ。もうじき会えるよ。」
「ジルベールッ!てめぇ……こんな事しやがって!軍法会議ものだぞ⁈」
「黄土犬はねぇ、犬って呼ばれてるけど、穴に落ちた獲物を効率良く食い殺せる様に、短足で、胴体と顔が異様に長い、変な生き物なんだよね。ハワード助教授によれば、もぐらの仲間らしいんだけど……きっと、大きなもぐらなんだろうね。」
「……待て、話を聞けっ!ジルベールッ!」
「黄土犬の肉は、独特の臭みがあってねぇ、好きな人は好きって感じかなー。私はあんまり好みの味じゃないんだ。成体は、結構強いから、狩るのも手間だし…労力の割にはリターンが少ないっていうかね……最近、この辺にも出だしたみたい。」
「何が望みだっ⁈……謝罪か⁈リーに謝れば良いのか⁈」
「でもね。あんたを食い殺した個体は、後で私が狩って、美味しく頂いてあげるよ。」
「お前………気が狂ってんだろっ⁈」
「同胞殺しのあんたに比べたら、私は普通だよ。」
───ざざざ…ざざ…ざ…───
「足音、隠しきれてないよね。」
「お……おいっ…分かった分かった!認める!あいつに、間違った地図を渡したのは俺だっ!戻ったら、必ずリーに謝罪するっ!だからここから───」
「必ず謝る?」
「ああ!必ず!」
「もう、リー中尉を妬んで、邪魔をしたりしない?」
「約束するっ!」
「残念、もう遅いよ。私、落とし穴に落ちてる人間の言う事は、信用しない主義なんだ。」
「なっ……おいっ……ジルベール、頼む───」
「昼間に聞きたかったな。その言葉。」
「ジルベールッ!!」
───ざざざざざざざざざ───
────────────
オーウェンとジルベールが、騒ぎを起こし独房送りとなった日の夜中、偵察班の詰所にて。
「ジゼル、やっと見つけた。どこに行ってたんだ?夕食の時間は、とっくに過ぎている。いつも大人しく私室で待っているのに───」
ノアは、なかなか私室に戻らないジルベールを探し回り、やっと偵察班の詰所で、ジルベールを見つけた。
彼女は、1人で詰所にいた。偵察班専用のこの詰所は、そう広くない。彼女は、なにやら自分のロッカーで、着替えている様だった。声を掛けると、こちらに気付いて無かったのか、ビクッとしたかと思うと、開けたロッカーの扉から軍服姿でひょこっと顔を出し、隠れる様に、チラッとこちらを伺った。
俺が近づいていくと、なにやらあせあせとロッカーに片付け──服か?──バタンと扉を閉めた。
「あ……少佐……えっと……これは、その………」
俺は、バツが悪そうなジゼルの正面に立った。
「あぁ、分かったぞ、ジゼル。昼間の騒ぎを咎められると思って、隠れていたのだろう?」
「あの───」
「リーも探していた。勝手に独房も抜け出したそうだな。だが、例えどんな理由があれど、前線から帰還したばかりの隊に、文句を言うのは褒められた態度では無い。」
そう告げると、彼女は素直にこちらを見上げた。
「申し訳ありませんでした。後で、謝罪します。」
そして素直にそう答えた。若気の至りだろう。元気があるのは、良い事なのだが。
「ジゼル、これ以上相手と揉め事を起こさないのなら、今回の件はもう良い。」
「はい、もうあの人と、揉め事は起こしません。」
「そうか。」
俺は、ジゼルの頭を右手でそっと撫でた。彼女は、大人しくしている。
リーは、ああ言うが…素直で可愛らしいじゃないか。
「さぁ、一緒に夕食にしよう。今日は、ミートローフらしい。少し冷えてしまったが……実は、アイゼン家の料理長が、君に出来たてを食べて欲しいと張り切っていてな。それで、探し回っていたんだぞ?」
「それは…申し訳ありませんでした、少佐。」
彼女はしょんぼりと肩を落とした。
「まあ、冷えても美味しいだろう。」
「少佐、私、丁度ひき肉料理が食べたかったんです!なんだか、物凄くひき肉が食べたい気分になっちゃって。あぁ、お腹空いたっ!」
「それは良かった。」
「なんだか、ぐちゃっとした料理の気分なんです。」
彼女はそう言って、えへっと笑った。
「……ぐちゃ?あはは!ミートローフは、ぐちゃっとしているか?君はいつも良く分からなくて、かわいいな。」
ノアはジルベールをそっと引き寄せ、銀色の頭のてっぺんに唇を落とした。
「……あ…あの、少佐、誰か来ちゃったら───」
「ああ、そうだ。料理長から聞いたのだが、今日は星がよく見える日らしい。」
「そうですね。星が綺麗な夜です。」
「気付いていたのか、流石だな。私室に戻る前に、一緒に見ないか?」
「はい、少佐。」
俺の提案に、彼女は、水色の目を細めて微笑んでくれた。
ノアはジルベールと軍の玄関を出て、正門近くに立ち、星空を見上げた。ノアの手には、既に冷えた、夕食のバスケットが握られている。
「綺麗ですね、少佐。」
「ああ。」
ノアは、生まれて初めて、星空の美しさに気が付いた。
「落ちてきそうだな。」
「そうですね。」
ノアは、そっとジルベールの肩を抱き寄せた。
「ジゼル、」
「少佐、」
「いやー、星が綺麗ですな〜!」
「うわぁっ!びっくりした……守衛殿…」
「……お疲れ様です、守衛殿。」
気が付くと、背後に守衛の男が立っており、肩をポンッと叩かれた。
「お疲れ様です、ガルシア軍曹。アイゼン少佐、ここで彼女に何をするおつもりで?」
「少佐と星を見ていたのです、守衛殿。」
彼女が、微笑みながら答えた。
「星……ああ、今日は、星が良く見える日ですからね。」
そう言いながら、守衛も空を見上げた。
「兵舎に戻る前に、彼女と見に来たのです。」
「そうだったのですか。」
「戻ったら、ミートローフ食べるんですよ!」
彼女は自慢げにそう言った。
「ミートローフ⁈良いですねぇ!私も好きですよ。ぐちゃっとしていて。」
「ですよね、守衛殿!」
彼女と守衛の男は、何やら意気投合し、頷き合っている。
「守衛殿、宜しかったら一切れいかがですか?」
「えっ!宜しいのですか⁈これは嬉しいですなぁ!では、守衛室で、星を見ながら紅茶でもどうです?」
「やったー!」
3人は星空の下、守衛室に向かってゆっくりと歩き出した。
更新が遅くなり、申し訳ありません。
直近で、更新頻度が遅くなりますが、順次更新していきます。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。