98.悪童
「───報告は、以上です。」
「分かった。」
昼前の、ノアの執務室。ウィリアム・リーは自身の持つ特科連隊情報中隊の、野営訓練の進捗について、報告に来ていた。
「昨日から、ガルシア軍曹が訓練に復帰している様だが………様子はどうだ?」
ノアは、紫煙草を片手に、机上の書類に向かいながらリーの報告を聞いていたが、初めて顔を上げた。
「はっ。問題ございません、少佐。この度は、ガルシア家の婚姻に際し、ご温情を頂き、私からも感謝申し上げます。」
「構わない。仲人程度、良くある話だ。……彼女は、午後の訓練は予定通りか?」
「予定通りであります、少佐。」
「何時頃に私室に戻って来る?」
「19時頃かと。ジルに用事でしたら、希望の時間に私室へ帰しますが、いかがしますか?」
「……用事と言う程では──ただ、アイゼン家の料理長が……」
「え?」
「いや……何でも無い。19時だな。」
「ジルは本日急ぎの軍務はありませんので……なるべく早く私室へ帰します、少佐。」
リーは、首を傾げながらもそう返事をした。
「報告ご苦労だった、リー中尉。引き続き、中隊の野営訓練は宜しく頼む。特に、新兵の教育には力を入れる様に。」
「はっ、少佐。」
「すまないが、本日普通科の中隊が、間も無く前線から軍事基地へ帰還する。俺は、数日その対応と、他の予定で、特科連隊には顔を出せない。」
「承知いたしました、少佐。お気遣い感謝しま───」
───ドタドタドタドタドドドド……バンッ──
リーがそう答えた時、ノアの執務室の扉がいきなり開き、青ざめた兵が一人、転がり込んで来た。
「………見つけたっ……リー……!」
ノックも無く押し入って来たのは、リーの顔見知りで、特科連隊の、他の中隊の者だった。
「お前……何やってんだよ、ノックもなく……」
「あ、アイゼン少佐、お話中に…申し訳ありませんっ……緊急事態で……」
飛び込んで来た兵は、肩で息をしている。
「何があった?」
ノアは表情を変えず、飛び込んで来た兵に尋ねた。
「リー……大変だ……オーウェンと、ジルベールの奴が……今、前線から帰って来たばかりの普通科の奴に、喧嘩売って騒ぎになってるぞっ!!」
「………な……あんのクソガキ共があぁぁぁっ!!」
リーの怒りは廊下まで響き渡った。
──────────
「良く平気な顔して帰って来れたな。」
「生きて帰って来やがって。謝るなら今だぞ?今すぐ謝罪しに行けば、許してやる。」
軍事基地の玄関前、先程前線から任務を終え、帰還したばかりの中隊が、荷解きをしたり、軍馬を厩舎に帰したりと、慌ただしい。戦友の無事の帰還に、涙する者達もいる。
そんな中、帰還した一人の兵は、いきなり他の連隊の二人組に、帰還を喜ばれる所か、酷い因縁をつけられていた。
「オーウェン、ジルベール……何のつもりだ?」
「リー中尉に謝れって言ってんだよ、クソ野郎。」
「あぁ?ベレンソン曹長、だろうが。ジルベール。てめぇ、自分の階級が分からねえのか?口の利き方も知らねえクソガキが。」
今日は、前線から軍事基地に帰ってきたばかりだ。仕事を済ませて、早く休みたい。それなのに、こいつらは────
カール・ベレンソンは、自分に因縁を付けてくる人相の悪い2人組を疲れ切った顔で睨んだ。自分達の周りには、若干人集りが出来始めている。
オーウェン・ミラーと、ジルベール・ガルシア。ガキの頃から軍に居る、頭のいかれた2人組だ。リーが面倒を見ているだけでもいけすかないが、どういう訳か、最近ジルベールの奴は市民にもてはやされている。
「あんた、リー中尉にわざと間違った地図を渡したろ?」
オーウェンの奴が、腕組みし、こちらを見下ろしながら言い捨てた。
「……あぁ?何の事だ?」
カールはため息を付きながら答えた。
「おい、オーウェン、ジルベール。何だか分かんねぇが、前線から帰ったばかりの奴に、喧嘩売るんじゃねぇ!軍務に戻れ!」
「うるさいっ!」─シュッ─
「おわっ!ジルベールッ、止めろ危ねえな!俺は親切でだな──」
オーウェンの横でジルベールは、親切で止めに入った者に、パンチを繰り出している。本当にどういう思考回路なんだこいつらは。下手に関わらない方が良いのは間違いないが────
「しらばっくれるなよ、カール。あんたが前線に行く前……リー中尉が任務で使う地図を、普通科から渡されたけど、間違った地図だった。あんたの仕業だろ?峠越えの地図だったんだ。故意に間違った地図を渡す行為は、相手に対して殺意があるのと一緒だ。」
ジルベールの言葉を聞いて、周囲の視線が俺に集まった。
「今すぐリー中尉に謝罪に行け。」
オーウェンが言いながらこちらを睨む。
「はぁ……リーが間違った地図を渡されたのか知らないが……それが、一体どうして俺のせいになるんだ?言い掛かりはよせ。」
「そうだぞお前ら!大体帰還したばかりの奴に、何て言い草だっ!」
「自分の持ち場に戻れ!」
騒ぎに集まった者達も、ガキ2人に、去る様促している。
「屑野郎が。お前がやった事は分かってるって何度言ったら分かるんだ。そんなだから、リー中尉に差を付けられるんだぞ?」
「あ?」
ジルベールは、全く可愛げの無い目で、ニヤニヤしながら、こちらを睨んでいる。
「だいたい、地図が少し間違ってる位で、リー中尉は死なない。もっと考えたらどうだ?曹長さん?」
「おい、ジルベール。カールはやってないって言ってるだろ?とりあえず証拠があるなら出して、冷静に話し合え!相手を批難するのはそれからだろ?」
俺は、仲裁に入った同じ隊の奴を止めた。
「カール……」
「良いんだ。言わせておけ。こいつらには、何を言っても無駄だ。頭がいかれてやがる……ジルベール、オーウェン、俺も暇じゃ無い。お前達の言い掛かりは聞かなかった事にしてやる。今すぐ戻れ。」
「善人ぶるなよ、気持ち悪いな。」
ジルベールは、そう言いながら、冷え切った目をこちらに向けている。こちらがこれ程譲歩しているというのに、この態度だ。さすがに呆れる───
「ジルベール、」
「何だ、曹長さん。」
「お前は……こっちは冷静に話し合おうとしてるのによ……片田舎の奴隷以下の身分の癖して。最近は、軍人令嬢だなんだ、広報部に使われてやがるが、奴隷以下の身分で、良く恥ずかしく無いもんだな。俺なら恥ずかしくて無理だ。」
俺の言葉に、周りは静まり返った。ジルベールは、表情を変えずに聞いている。
「てめぇ……ジルの家は関係無い───」
「いいよ、オーウェン。」
語気を荒げ、前に出たオーウェンを、ジルベールはそっと止めた。そして、背の低いジルベールは、俺を馬鹿にした様な表情で、下から睨み上げた。
「二度と下手な口叩けない様に、あんたは犬に食わせてやる。」
笑った様にそう言うジルベールに、オーウェンは、何か呟いてため息を付いた。そして、同じ様に俺を睨む。
このガキ2人は──────
野盗なんかより、よっぽど酷い目つきをしやがる。
「ジルベール、反論出来ねえからって、訳の分からない事を───」
「おぉらあぁぁぁーっ!クソガキ共ーっ!」
「やべっ!!リー中尉だっ!!」
言いかけた時、人集りを掻き分け、リーの声がした。子守係が、騒ぎを聞き付けやって来た様だな。
「行こう、オーウェンッ!クソ野郎、前線で死んでこなかった事、後悔させてやるからなっ!」
「死んどけば、まだマシだったぞ!」
ガキ2人は、慌てて捨てゼリフを吐き、この場を去ろうとした。
「待てっ!お前らっ!」
「どけっ!」
「ジルベール……おいっ!待てっ!」
───スタタタタタタ……───
ジルベールとオーウェンは、引き止めようとした者を振り払い、あっという間に人集りを掻き分け姿を消した。
「何て逃げ足の早い奴らだ………」
「オーウェンジルベールっ!」
一足遅く、リーが現れた。あいつらが居ない事を確認すると、眉間にしわを寄せ、歯ぎしりをしている。
「おい、リー。どうなってんだよ、お前が子守しているガキ2人は……」
「カールか……すまない、何であいつらはお前に───」
「何の騒ぎだ。」
「アイゼン少佐………」
そして、リーの後から、アイゼン少佐が姿を現した。道を開ける様に、兵達は遠巻きになっている。
どうして少佐が……連隊長のこの人が、たかが部下同士の小競り合いに顔を出すなんて、ありえない。
「カール、本当にすまない。うちの中隊の奴等が……まさか、帰還したばかりのお前に……一体、何を言われたんだ?」
リーは、こちらに頭を下げると、少佐にも、謝罪をした。
そういえば、特科連隊も、アイゼン少佐の管轄下になったのだったか。だから、顔を出したのか?
「やけに人数がいるが……ここにいる者は、全員当事者か?」
アイゼン少佐は、無表情で周りを見渡し、集まっていた者は、焦り出した。
「どうして仕事をさぼっている?」
少佐の一声で、俺以外は一斉にこの場を離れた。
「もういい、リー。お前が始末書書いて、あいつら独房にでもいれとけ。それで許してやる。」
「………分かった。」
「ちょっと待て、」
とりあえず、丸く収まりそうになったが、アイゼン少佐が口を挟み、俺とリーは少佐を見上げた。
「あの……何か───」
「それは可哀想じゃないか?」
「は⁈」
俺とリーは、声を揃えて目を見開いた。
「たかだか喧嘩程度で……死人が出た訳でも無いんだ。お前、名前は?」
「カール・ベレンソン曹長であります、少佐。」
「ベレンソン曹長、何が原因か知らないが、この件は無かった事でいいだろう?そんなに独房送りにしたいのか?」
「あ……いえ……俺は別に……はい。少佐が仰るのなら、構いません。」
「よし、ならこの件は無かった事に───」
少佐が言いかけた時、俺の視界の横で、リーがぷるぷると肩を震わせていた。
「少佐っ!あいつらを甘やかさないで下さいっ!」
「いや、しかしこの程度で……」
「あいつらへの教育には、口を出さないで頂きたいっ!」──ギャンギャンッ──
「そういう訳では……」
「どうなってんだ……」
俺の隣で、リーが少佐に凄い剣幕で怒鳴り出した。さすが、あのガキどもの教育者だな。怖い物が無いのか?
「あの人、佐官になってから、下士官以下程度の兵には甘いらしい。専らの噂だ。」─ひそ─
成り行きに戸惑う俺に、同じ隊の奴が耳打ちしてきた。
「あぁ、なるほどな……まぁ…将官、佐官は大抵そうか。その階級になれば、大抵落ち着いているからな。あの人もああみえて、例外じゃなかったって事か。」
下級兵のした事だと、穏便にすまそうとしたのだろう。俺は納得したが、リーはそうじゃないらしい。
「あいつらは、絶対に独房に送りますからねっ!」
「わ、分かった。異論は無い。」
「おい、リー…もう止めろ。俺はもうどうでも良い。落ち着け。」
何故か、俺がリーをなだめて、この場は収まった。
──────────
「俺は、お前らが、品行方正な軍人になる、それが望みだ。」
独房の檻の前に胡座をかいて座り、リーは告げた。
目の前の檻の中には、オーウェンとジルベールが、仲良く並んで正座をさせられている。
オーウェンとジルベールは、あの後直ぐ、リーに捕らえられ、独房に放り込まれた。だが、急な事で独房の空きが無く、2人一緒に入れられたのだった。
「私は悪くないもん。あのねあのね、あの人がねっ!嫌な事を言ってきたんですっ!うわーん。」
「そうっすよ、リー中尉。あいつ、皆の前で、ジルの家を蔑んだんですよ?」
被害者ぶる2人を、リーは睨んだ。
「ジル!嘘泣きは止めろっ!じゃあ、何で、お前らは軍務を放棄してあの場にいたんだ?俺達は野営訓練中だろう?」
「いや、それはたまたま通りかかって────」
────ガチャガチャッ────
「ちわー!リーソーイーツでーすっ!」
「あっ!来た来た!」
「はぁ⁈なんで独房に宅配がくんだよっ!ここの見張りはどうなってんだっ!」
説教中の独房に、まさかの宅配が届き、リーは頭を抱えた。
「えーっと、ミートボールパスタと、冷たい珈琲ね。こっちは、フィッシュサンドと、ハムサラダと──」
「わーっ!フィッシュサンドも美味しそうっ!」
「おいジル、それは俺のだからな!」
頭を抱えるリーの横で、オーウェンとジルベールは檻の中から手を伸ばし、器用に食べ物を受け取っている。
「俺は……俺は本当にお前らの将来が───」
「リー中尉も食べます?アップルパイもありますよ?」
「いらねぇよっ!」
リーは、その場に泣き崩れた。
更新が遅くなり、申し訳ありません。
直近で、更新頻度が遅くなりますが、順次更新していきます。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。