95.或る日の約束
『それはそうと、父さん。どおしてこの国に?普段ここまで来なあぃでしょ?』
『どうして、来ない、だ。ジーゼル。』
『えーっと…どうしてぇ、来ない。』
『……まぁいいだろ。俺が来た理由か?久しぶりに緑鱗鳥が食いたくなってな。歳取ると、あっさりした物が食べたくなる、ってやつかな。緑鱗鳥の飛来に合わせて、この辺まで来たんだが…時期まではもう少しみてぇだな。』
『へぇー。そうなんだ。』
『そしたら、なんだかこの国にしては良い祭りやってたからよ。寄ったんだが…まさかお前に会えるとは、思わなかったよ。』
『私も、びっくりした。あっ!父さん、よかったら、私の家に寄って行ってよ!皆、父さんに会いたがってるんだ。』
『お前の家か……そうだな。有難い申し出だが、それは日を改める。どうせ近々結婚すんだろ?その時に行く。』
『えぇっ⁈父さん、確かに私は家の事情で結婚を焦っているけどねぇ?そんな、いつの事やら──』
『あぁ?そんなに準備がいるのか?貴族とやらの結婚は面倒くせえなぁ。』
『うーん……そういう訳じゃ……』
『しかしなぁ、ジーゼル。お前、変わったなぁ。最初、すぐにお前だと分からなかった。』
『え?あぁ……この格好……普段、こんな格好しないから───』
『違う違う、顔だ。お前の顔付きだ、春の息子』
『顔付き……?』
『お前、今まで酷い顔してたろ?特に出会った時はそうだった。狩りを教えるうちに、少しはマシになったがな。だが、今日は全然違うぞ。』
『そ……そうなの?私、そんなに酷かった?』
『ああ。酷いなんてもんじゃねぇぞ。』
『ガーン……』
『表情は死んでるわ、目の下にくまはあるわ……そういや、くまも無えな、今は。血色も良いし。これが、あの馬鹿息子のおかげってのなら、まあ、お前にとって、悪くねぇんだろうな。』
『父さん、さっきから、何だか話が見えないんだけど───』
『いや、だとしても……お前は碌な仕事させられてねぇのは事実だな。』
父さんは、胸元から、なにやらガサゴソと紙を取り出してテーブルの上に置いた。
『これ、お前だろ?』
その紙は、本日の祭典のポスターだった。
『なぁ、ジーゼル。大体の国には、人権ってものが、あるらしい。初めて知ったか?』
私はポスターを握りしめ、わなわなと震えた。
『あんたら、親子だったのかい?』
ポスターをぐしゃぐしゃに丸めていると、頭の上で声がした。見上げると、先程、緑鱗鳥を運んで来てくれた、屋台の店主がテーブルの横に立っていた。手には、何やら料理を持っているけど、もしかして───
『親子に見えるかい?』
『ああ、そんだけ流暢に歌い合っていりゃあ、そうだろ。』
『確かに。その通りだ。』
『じゃあ、まさかと思うが、さっきの無愛想な軍人は……』
『俺の馬鹿息子だな。』
『こりゃあたまげたね。珍しい事もあるもんだ。』
『気持ちは理解出来るがね。俺も軍人連中は嫌いだからよ。だかな、この国の祭で、店を出して稼いでんだろ?多少礼儀はわきまえるべきだ。違うか?』
『あんたの言う通りだ、狩人仲間。』
屋台の店主は、父さんの肩にポン、と手を置いた。同じ狩人同士だと分かった場合、「兄弟」という表現を、良く使う。流石に、父さんが飢えた春の民だとまでは、分からない様だ。父さん、今日は普通の、よくある狩人の格好だしな。
飢えた春の民は、特徴的な民族衣装を身に付け、狩りをする。私も、前に父さんから譲り受けた衣装を持っている。それは、父さんの亡くなった妻の、衣装だったらしい。
『あんたがあの軍人を、連れだなんて言うからね。びっくりしちまったよ。これは、不快にさせた詫びだ。食べてくれ。』
店主は、持っていた料理を、私と父さんの目の前に置いた。紙皿の上に、こんがり焼かれた、真っ青な、分厚いステーキ肉が乗っている。
『青犬だ………』
私はうっとりして呟いた。
『うちのは鮮度も良いよ。良かったら、店で他の肉も……ん?ちょっと娘さんよ、あんたどこかで……あっ!もしかして祭りのポスターの⁈』
『ガハハ!俺の子は有名人でねぇ!』
『こりゃあびっくりしたね……あんたモデルさんなのかい?』
ジルベールは、顔を真っ赤にしながら、青犬のステーキを、フォークで思い切り突き刺した。フォークの先が、多少木製のテーブルに貫通し、ガツッと音を立てる。そして、屋台の店主を睨みながら、肉にかじり付いた。
───むしゃぁ……───
『む…娘さん、ポスターの事には、触れては駄目だったのかな?すまないね……それじゃ、祭典楽しみな。』
店主は、そう言いながら、逃げる様に戻って行った。
『ジーゼル、事情があるにしても、睨む事ないだろ?お前の一番好きな、青犬を貰ったんだ。鮮度も良い。』
ジョーエルは言いながら、自分もフォークで肉を刺し、かじり付いた。
『まぁ、美味えよなぁ。癖が少なくて、お上品な味だよ。俺に言わせりゃ、狩る手間に見合わねえ。青犬やけに賢いからな。』
『………もぐもぐもぐ……父さん、他人の好みに口出しするのはマナー違反だって言ってたでしょ?それに父さんの好みが癖強すぎなんだよ。……もぐもぐもぐ……癖っていうかさぁ……』
『あぁ?お前だって、俺の好みにケチつけてんじゃねぇか。』
『……父さんの好きな肉、祭典にも出てるの?』
私は青犬を食べる手を止め、父さんの顔を覗き込んだ。無意識に小声になる。
『あぁ。この祭典でも手に入る。もう食ったよ。』
『えぇっ!』
答えを聞いて、父さんの独特の体臭──意識しないと分からない、何となく甘い様な匂いに気が付いた。私は、祭典の匂いで、すっかり忘れてた。
おかげで、出会った人間から、この匂いがすると、すぐに分かるようになった。父さんと同じ好みだ、って。
『そんなに驚く事じゃねぇ、ジーゼル。何度も言うが、俺の肉の好みは、飢えた春の民の間じゃ珍しくはねぇ。多数派じゃねぇがな。それにだ、こういった祭典だと、どこの国でも手に入る。』
『えっ………!そうなの⁈』
『ああ。だが、堂々と表には出てねぇ。買い方、教えてやろうか?』
『………遠慮しとく。』
『そうか?どんな知識でもな、無駄にはなんねぇぞ?』
『うーん……そうなの?』
「お父様、ジゼル。お待たせしました。」
青犬のステーキはあっという間に食べ終わり、私が父さんの提案にほんの少し、悩み出した時。少佐が買い出しから戻って来た。少佐は両手いっぱいに食べ物を抱え、両腕には買い物袋を下げている。
「おぉ!ノア、早かったなぁ!」
少佐はテキパキと私達のテーブルに、買って来た食べ物を並べ出した。
「酒もあるじゃねぇか!」
少佐が、買い物袋から酒瓶を出すと、父さんはとびきりの笑顔で、少佐の肩をバシバシと叩いて喜んだ。
「お酒……私……」─ちらっ─
「駄目だ、ジゼル。君は先日酔い潰れたばかりだろう?少し控えなさい。」
「うぅ………」
ダメ元で聞いてみたけど見事に敗北を喫した。
「なんだぁ?ジーゼル、酒を止められてんのかぁ?確かにお前は、量は飲めるが強くはねぇがなぁ、ガハハ!ノアぁ、せっかくの祭りなんだ。少し位良いだろぉ?」
「駄目です。彼女は、少し酒を控えた方が良い。あまり言いたくは無いですが……酒代の為に軍服を売っていたのですよ?せめて、暫く外では飲まないで欲しい。お父様からも、叱って下さい。」
「そんな……それはもう反省したのに……」─ごにょごにょ─
「あぁ?軍服を酒代に……?ノア、それの何がいけないんだぁ?」
父さんは、早速ごくごくと少佐が買って来たお酒を飲みながら答えた。
「ね、ね!そうだよね、父さんっ!少佐、父さんも悪くないって!」
「駄目だと言っている、ジゼル。」
「ガハハ!まドばレソラーレぃ、ジーゼル。」
「………ドミ。」
私は撃沈した。
「……いいもん。美味しい物が沢山あるし。ありがとうございます、少佐!」
「足りないなら、いくらでも買って来る。遠慮なく言いなさい、ジゼル。」
食べ物を並べ終えた少佐は、私の隣に座って、嬉しそうに笑っている。
少佐、この祭典が楽しいのだろうな。
お肉がそんなに好きじゃない少佐にも、ちゃんと楽しんでもらえるか、心配だったけど……嬉しそうで良かった。
「ふふ。」
私は少佐に微笑んで、串焼きに手を伸ばした。
「そういやぁ、ジーゼル。お前、何でノアの事ショーサって呼んでるんだぁ?」
「え……」
父さんは、2本目の酒瓶を栓抜きで開けた。
「何でって───」
私は父さんの日に焼けた顔に付いている、キラキラした茶色の両目をじっと見た。私の隣で、少佐がじっと、眼光鋭くこちらを見ている気がする。
確かに、今、少佐に私の事を、「軍曹」って呼ばれるのは、嫌かもしれない。
嫌……あれ……?……どうしてなんだろう………
「まぁ良い。国を持つ人間の習慣は、分からない事が多いからなぁ……そんな事より、ノアぁ。お前に伝えておく事がある。」
「……チッ……はい、なんでしょう。お父様。」
少佐、気のせいか舌打ちした様な────
「ジーゼルは、俺の自慢の息子……勇敢な春の子だぁ。」
「はい。」
父さんは、2本目の酒を飲み干した。
「ジーゼル、羨ましそうに見るな。流石に飲みにくい……で、さっきも言ったが、血の繋がりは無い。親子の間には関係ない事だ。」
「理解しています。」
「俺は、ジーゼルの才能と……あと……この国の言葉では合う言葉がねぇが……とにかく俺が気に入って息子にした。ただ、それだけだ。だがな……当時この息子は、俺に狩りを習った礼をしたい、と申し出た。」
「父さん、その話?別に少佐に教えなくても──」
「ミ、をーラファがなーレぃ。」
「ドミ。」
私は黙って食事に徹する事にした。リクエストして買ってもらった、ココの実のクレープを、頬張る。チョコソース入りだ。爽やかな甘みの中に、一瞬だけ独特の渋みが広がり、チョコレートに混ざって消えた。
「ジーゼル、ココの実のやつ、俺にも残しとけよぉ……それでだ。俺は、ジーゼルとある約束をしている。親子の約束だ。」
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『まぁ……そうだな。悪くなかった。この森で、お前を育てた日は。』
私が軍に戻る日。荷物をまとめた帰り際。
改まって、ジョーエルは、そう言った。
彼が自分で建てた、木造の小さい山小屋。この、彼の家で狩りを習った数ヶ月は、私の気持ちを大きく変えた。
なんだろう。軍人に、戻りたくはない。
出来る事なら、ジョーエルの子として、ずっと暮らしていたい。
だけど────
『まぁ、お前なら、軍やらに帰っても、きっと生き抜ける。楽勝だ。俺の息子だからな。』
『ありがとう、父さん。』
『今のお前なら……大抵の獣は狩れるが……ジーゼル、勇敢な飢えた春の息子、よく聞きな。いつも言い聞かせていたが、二足歩行する、二本足じゃない獣には気をつける事だ。』
『うん。』
『だがな……勇敢な息子。例えそいつらだろうとな……お前に食事の姿をみせる様な、なめた獣なら、お前は十分仕留められる。狩り殺してやれ、ジーゼル。常に、腹を空かせていろよ。』
『分かった。』
私の返事を聞くと、ジョーエルは頷き、部屋の隅に置かれている、彼のクローゼットの前に立った。そして、何やら取り出すと、私を手招きして呼んだ。
近づくと、一枚の服を手渡された。それは、ジョーエルがいつも身に付けている、彼等、飢えた春の民の民族衣装だった。そして、服の上には、六角柱の宝石が付いた、首飾りが乗っている。
『これを、お前に渡す。必要な時に着ろ。』
私は、そっと、服と首飾りを受け取った。
『……いいの?』
『当たり前だ。春の子は皆、この服を着る。』
『ありがとう………父さん。』
私は、そっと服を広げた。
ジョーエルと同じ、薄い長袖の生地。服全体に羽根みたいな、派手な飾りが付いている。森で狩りを習い始めた頃、派手過ぎて目立ってしまわないかと、ジョーエルに聞いた事がある。
────あぁ?それは、国持ちの感覚だろ?俺達は、森で生きてる。これでいいんだ────
私の問いに彼は、そう答えた事を思い出した。今は……何となく……分かる気がする。
あと、手渡された服で、ジョーエルの着ているものと少し違うのは、腰の周りが羽飾りで覆われ、膝上丈のスカートみたいになっている事だ。それと───
『ジーゼル、』
独特のなまりで呼ばれる名前にも、最近は違和感が無くなっていた。
『何?』
『この服は、俺の妻が着ていたものだ。そして、この首飾りだがな。これは、配偶者に先立たれた者が、これから自分が死んで、再び魂が巡り合うまで……夫婦である事を誓って、身に付ける。』
『え………じゃあ、これはジョーエルの奥さんの?』
『ジーゼル、俺達は、子どもが親を名前で呼ばない。』
『ごめんなさい…でも、貰えないよ、そんな大切な物……』
私の返事を無視して、ジョーエルは、軍服に着替えた私のポケットに、首飾りをぐいっと押し込んだ。
『俺の妻が死んでるのは、前に話したな。』
『そうだね。死んだって聞いた。』
『勇敢な女だったよ。獣と……戦って死んだ。』
『そうなんだ。』
『子どもと一緒にな。』
『……………』
私は……多分、そういった人生経験が乏しすぎて……
何て言ったら良いのか分からなかった。
子どもは何歳だったのか、とか。それとも、まだ奥さんのお腹にいたのか、とか。何の獣と戦ったのか、とか。
どれも違う気がした。
それに、少し複雑だった。
彼も、私も……必ずしも善人では無い。
『俺達の間じゃ、普通の事だ。獣と戦って死ぬ。勇敢であればある程……最後はその死に方だ。今まで自分達も、獣を殺して食って、生きてきたんだからな。でもな、』
私はジョーエルがこんな表情をするのを、初めて見た。いつも、森のどんな獣より、強いのに。
『辛かったよ。家族を失ってからも生きるのは。』
ジョーエルは、首飾りを無理矢理押し込んだ軍服の胸ポケットの口を、手でグッと押さえた。
私の心臓の上に、首飾りの硬い感覚がある。
『いつか……歳を取れば……自分の死が近くなれば。忘れると思っていた。だが、それは違った。どんどん悲しみは深くなる。』
ジョーエルは、私の目を見た。
『………お前に出会って、それは止まったんだ。春の息子。死んだ妻も子も、もう帰らないが…また息子が出来て、俺は変わった。髪の色も、目の色も……例え容姿が違っても。今のお前の姿は、俺と、死んだ2人にそっくりだよ。狩りをやってる時は、妻の方に似てるかな。』
『だったら……これは貰うよ。私の母さんと、兄弟の形見なら。でも、無くしても文句言わないでね。』
そう言うと、ジョーエルは笑って、軍服のポケットから手を離した。
『ジーゼル、お前な。前に、何か礼がしたいって言ってたろ?俺が狩りを教えた礼を。』
『うん。』
『あれな……要らないって言ってたが……やっぱり一つ、頼んでいいか?』
『うん、良いよ!何が良い?』
『将来、もしお前に子どもが生まれたら……最初に生まれた子の、名前を貰う。俺に名付けさせて欲しい。』
私はぽかん、とジョーエルを見上げた。
『別に、良いけど……ガルシア家は誰が名前付ける、とか、全然気にしないし。でも……そんなので良いの?』
『そんなの?お前はそう思うかもしれねぇが……名前は生き方を決める事もある。少なくとも、俺達は古くから、そう考えている。』
『へぇー。じゃあ、子どもが生まれたら、お願いするね、父さん。孫の名前だからね!しっかり考えてよ!』
ジョーエルは笑って頷いた。
『ねーねー、父さん、このもらった服だけどさ……父さんのと、色が違うね。薄いっていうか……父さんのは濃い赤茶色でしょ?いろんな色があるの?』
『言ってなかったか?俺達は、自分の狩った獲物の血で、服を染める。強い獲物であればある程、他の獣に対して、威嚇にもなる。』
『へー!そうなんだ!じゃあ、これから他の仲間に会ったら、皆違う色の服なんだね。』
『そうだな。あと、必ずじゃねぇが、自分が人生で、一番に追い求める獲物の血だけで、染める事が多い。お前もこれからその服を、自分の好きな獲物の血で染めろ。』
『はい。』
『よし、じゃあ染め方を教えてやる。付いて来い!』
『えっ!待ってよ父さん!私今日軍に戻る───』
『染め方を覚えてから帰れ!血で服を染めるんだ。普通のやり方じゃ無理だぞ?』
『えー……そんな急だなぁ……』
『さっさと弓持って来い!』
ジルベールはジョーエルを追って、再び森へ入った。
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「分かりました、お父様。異論はありません。生まれたら、直ぐに知らせます。」
「頼んだぞ。」
少佐は、父さんから私達が過去に交わした約束を聞くと、そう返事をした。
「えっ⁈何で少佐が知らせるの……?」
「あぁ?産むのはお前だろ。俺も子どもがいたから分かるが。産んだらなぁ……直ぐには動けねえぞ?自分じゃ知らせられねぇだろ。」
「いや、そういう事じゃなくて───」
「ちなみに、名付け方に文化等はあるのですか?」
「ノアぁ、良い着眼点だな。ジーゼルは、そんな事全然聞かねぇからよぉ……あのな、性別はあまり関係無いが───」
ジョーエルとノアが2人で楽しそうに話し出したため、ジルベールはため息を付き、再び食事に徹する事にした。今では濃く、真っ青に染まった、自分の服を思い出しながら。
更新が遅くなり、申し訳ありません。
直近で、更新頻度が遅くなりますが、順次更新していきます。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




