93.さソばまドかーレ
─ガヤガヤ…さぁいらっしゃい!焼きたてだよー─
──ガヤガヤ…ワハハ…今日は良いのが入ってるよー!見てってー!──
──緑鱗鳥だよーっ!早い者勝ちだよーっ!──
周囲では、リソー国を含む、近隣諸国の公用語や、少数民族の言語も飛び交っている。俺には良く分からないが、狩人間で使用される言語も聞こえてくる様だ。
──ザワザワ…うちのは新鮮で安いよー!そこのお兄さん買ってってー!……はい、まいどありー!──
呼び止められた屋台には、香ばしい匂いのする、肉の串焼きがずらっと並んでいる。一本買うと、黒いソースを塗って渡された。
買い求めたそれをジゼルに渡すと、彼女は幸せそうに頬張った。
「………っ!!すごく美味しいっ!もぐ……少佐も食べてみて下さいっ!」
串を持つ彼女の右手を押さえ、串焼きを自分の口に運んだ。塗られた黒いソースは、意外にも甘かったが、焼かれた肉に良く合っている。
「ちょっとちょっとーお客さん!やだねー!昼間から店の前で見せつけちゃって!あんたらが美味しそうに食べるから、良い客寄せになるよ!」
店主が串焼きを忙しそうに焼きながら、野次を飛ばして来た。ジゼルは口をもぐもぐさせながら、俺から目を逸らし、頬を赤くしている。
かわいい……軍の玄関先で、一時はどうなる事かと思ったが、無事に来れて良かった。
「良い一日を!お客さん!」
彼女の肩を抱き寄せ歩き出すと、後ろから、屋台の店主の声がした。
肉の祭典──リソー国の市場で開かれているこの祭典に、俺はジゼルと2人で来ていた。
我々の軍事基地に近い市場から始まり、街の入り口付近まで続くこの祭典は、多くの客で賑わっていた。目当ての食べ物を頬張り、笑い合う人の波で、道の先は見えない。少し気を抜くと、すれ違う者と肩がぶつかりそうだ。ジゼルが他人とぶつからない様、彼女の肩をそっと引き寄せる。そうする度に、彼女は俺をチラッと見上げ、何故だか、不思議そうな顔をする。俺は、祭典に浮かれる、人混みを見渡した。
自分が……この、浮ついた人混みを形成する要素の一部分である事が、未だに信じられない。
この祭典に、来て良かったと……そう自覚する前から既に、祭典の一部になっていたのだろう。
彼女も───そう思ってくれているのだろうか。
「中には、値段に釣り合わない、粗悪な物も混じっています。そういった物を掴まされない為には、私の経験上───」
身勝手な希望を思い描いたが、先程から彼女は、一生懸命に、肉の種類や、焼き方、どういう状態の物が新鮮か…といった話をしている。俺に、いろいろと知識を教えてくれている様だ。
一生懸命に話す彼女は、誰よりも可愛らしい。
だが───
彼女は…こういった祭典に出掛ける事など、慣れているのだろうな。
「私は今日、緑鱗鳥と、青犬は絶対絶対、食べると決めてます!あの……しょ……少佐と一緒に食べたいなーって……」─ごにょごにょ…─
はしゃいでいる所を見ると、楽しみには、してくれていた様だが……彼女にとって、今日は、さほど新鮮な事では無いのかもしれない。
何故だろう。別にそれは……何の問題もない事だと理解はしているが……
俺は、一体何が気になるのだろうか。
「……………」─もや─
「……佐、……少佐?」
「……ん?すまない。どうした?ジゼル。」
「考え事をされていた様だったので……何か気になる事がありましたか?」
「いや、何でもない。少し……人の多さに気を取られていただけだ。」
「そうでしたか。確かに、想像以上の賑わいですね!」
あとは……他にも、本日気になる事がある。
「あっ!あっちに、お菓子の屋台もありますよ!」
彼女は、少し前へ出ると、人混みの奥の方を指差した。
「少佐、見に行きましょう!」
「!!」
───シュッ───
そう言いながら彼女は、俺の右手に向かって、鋭い目付きで手刀を繰り出して来た。流石に、正面から堂々と攻撃してくる為、殺気も読み易く、かわす事は容易だが───
「ジゼル……一体、どうして───」
「もうっ!くっそー………」─ギリ…─
「ジゼ……もしや、まだ怒っているのか?」
祭典に着いてから、既に数度目だ。彼女から、こう何度も殺気を向けられては、流石に傷付く。
「……少佐、あっち……お菓子の屋台……」
彼女は不機嫌そうに、屋台を指差す。
「………あぁ、行こう。君の気が済むまで、何でも買ったらいい。」
恐る恐る、また彼女の肩を抱き寄せると、振り解かれはしなかったものの、彼女は大きなため息を付いて俯いた。
───ドンッ───
「……ミ、ラがなファぞシばドがレ!!」
彼女に気を取られていたからか、大きな肉の塊を運ぶ通行人の男と、肩がぶつかってしまった。男は肉の血で汚れたエプロンを掛けている。恐らく、祭典に出店している者だろう。俺を見て、顔をしかめて怒鳴っている。
「………ぶつかってすまない。」
「ぞがドだソばファ!!」
男は、益々語気を荒げだした。
男の言葉は、恐らく狩人間で使われる言語だろう。狩人の間には、我々の公用語が生まれるより遥か昔から、使用されている言語があり、狩人の公用語だと聞いた事がある。どういう意味なのか、全く分からないが……俺に対して酷く怒っている事は、確かだ。
祭典に来てから店の前を通る時、時折りこの言葉で野次を飛ばされている様な気がしていた。気がするだけなのかと思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。一体、この言語を話す者達は、どうしてこちらに敵意を向けるのだろうか。分からない。
ジゼルの機嫌の悪さも……
俺には分からない事だらけだ。
「ミ、さソばまドかーレ。」
「!!」
男が続けて何か言おうとした時、ジゼルが流暢に、彼等の言葉で言い返した。ジゼルの言葉を聞いて、男は目を丸くして固まった。
「さソばまドかーレ。」
再度、ジゼルが繰り返すと、男はバツが悪そうに肩を落とし、ふん、と鼻を鳴らした。
「そりゃあ、すまなかったね。」
男は、俺にも分かる公用語でそう言うと、足早に去って行った。
「ジゼル、すまない。助かった。」
「いえ。少佐が気にする事ではありません。」
そういう彼女は、少し悲しそうにこちらを見上げている。
「俺には、全く理解出来ないのだが……さっきの言語は、狩人達の公用語か?」
「はい。正式には、狩人が使用する、古語です。」
「古語………」
「最も歴史が古いとされる、狩人の公用語で……基本的には、この古語の他に、メインで使用する言語を持っています。この古語は、狩人の親が、教養として、子に教えます。他者に知られず、狩人同士だけで、連絡を取りたい場合や……さっきの人みたいに、一方的に相手を罵る時に、使う様ですね。嫌な使い方です。」
「そうか。俺は気にしてない。それよりも、君がその古語を使える事が、興味深いな。君は、誰に教わったんだ?」
「この古語を、唯一、母語として使用する民族がいます。彼等は───」
「あーっ!やっぱりジルベールだーっ!!」
彼女の答えを掻き消す様に、甲高い声がした。声のする方を見ると、子どもが数人、こちらに向かって走って来る。
「軍人姉ちゃんもお祭り来てたんだーっ!」
「ジルベール、今日可愛いじゃん!デート⁈」
「ねー、ねー、何か買ってー!」
「ちょっと君達…どこでも相変わらずだなぁ!」
子ども等は、あっという間に俺とジゼルの間に割って入り、彼女を取り囲んだ。
確か……情報中隊の野営訓練が始まる前、彼女をテディの行き付けだった街の食堂に連れて行ったが、そこで会った町民の子どもか。注文し過ぎた料理を、食べてもらった記憶がある。
「あっ……ねー、ねー、このおじちゃん!僕覚えてるよ!」
「本当だー!ジルベールとデートしてた、恋人の怖いおじちゃんだ!」
「ジルベール、またこの人とデート?お仕事してないじゃんっ!」
「ちょ…ちょっと君達っ!人に向かって指差しちゃダメなんだよっ!あと少佐は恋人なんかじゃ…」─ごにょごにょ…─
子ども等は、俺を人形にでもするかの様に、騒ぎながら指差している。
「名前は確か……あっ!ショーサだっ!」
「そうだそうだー!ショーサだ!」
「あはは!変な名前ー!」
「ねー、ショーサはもうジルベールと結婚したの?」
「諸事情でまだだ。」
「ショーサ遊んでー!」
「ショーサ!ショーサ!」
子ども達は、今度は俺を取り囲むと、ショーサショーサと連呼しながら、軍服をぐいぐい引っ張り始めた。ジゼルが慌てて子ども等に割って入ろうとしている。
「だ……駄目だよ君達っ!少佐から離れてっ!」
「えーっ!なんだよジルベール。あっ!分かったー!俺たちがショーサに遊んでもらうのが羨ましいんだ!」
「やきもちだー!」
「恋人だもんねー!取られるのが嫌なんだ!」
「えぇっ!違うよっ!少佐は───」
「やーきもちっ!やーきもちっ!」
「君達ねぇっ!いい加減に──」
ジゼルは、顔を真っ赤にして騒ぎ立てる子ども達を押さえ付けようとしている。
「お前達、」
俺が口を開くと、子ども達とジゼルは、一斉にこちらを見た。
「……せーの、ありがとうごさいましたっ!」
「構わない。」
子ども達は、皆両手にどっさりと出店の食べ物を持ち、俺に対して全員で声を揃えてお礼を言った。
子ども達に向かって、出店の好きな物を何でも買ってやる、と言うと、それを聞いた子ども達は、地響きがするかと思う様な歓声を上げて喜んだ。それから、わーわーと串焼きや、菓子や……思い思いの出店で食べ物を買い──ジゼルがせっせと、子ども達の買い物の世話をやいていた──はしゃぎ回っていた。それにしても、子どもの体力とは凄いものだな。少しも大人しくしていない。
「頂きまーす!……串焼きおっいしい!けど、あっつーーい!」
「甘ーい!ショーサ、ありがとー!」
「ねー、ジルベール。早く結婚しなよ!ショーサ良い人じゃん。」
「そうだよ。早くしないと、ジルベール嫌われちゃうかもよ!」
「君達、何かいろいろと誤解を……」
「大丈夫だ。俺が彼女を嫌う事は無い。」
「えっ……」
「良かったねー、ジルベール!」
「ショーサ顔は怖いけど良い人だね。結婚したら、毎日お菓子買ってもらえるじゃん!」
「そうだぞ、ジゼル。毎日買ってやる。」
「……えっと……お菓子……毎日?……」─あせ…─
子ども達に囲まれたまま、彼女は俯いた。そういえば、彼女の菓子をまだ買ってなかったな。
「ジゼル、君も、何でも好きなものを───」
「やっぱりっ!ジルベール様!」
「本当だーっ!サイン欲しいっ!」
今から、ジゼルの分の菓子を買い求めようとした時、市民が数人、彼女に近寄って来た。軍人令嬢ジルベール・ガルシアだと気が付いたのだろう。
「お会い出来て光栄です、可愛らしい皆さん。」
俯いていた彼女はパッと顔を上げ、すぐに市民へ微笑みかけた。
「キャー!」
「軍人姉ちゃん、何かいつもとちがーう。」
「ちょっと何なの、この子ども……僕、口の回りお菓子の粉だらけだよ?」
「少佐、私は少し皆さんにご挨拶しますので……あちらでお待ち頂けますか?すぐに来ますから。」
彼女は小声でそう言いながら、少し離れた場所に目配せした。そこは、屋台で買った物を食べる為の、木製の縦に長いテーブルと、それに合わせた長椅子が、数台設置されているスペースだった。ほかの場所と同じく、大勢の人間で賑わっている。俺は無言で頷き、ジゼルから離れた。
彼女が、子どもを含め、市民から支持されているのは、広報部に所属する軍人として、誇らしい事だ。これも、彼女の努力の結果だろう。
「ジルベール様、屋台で何か食べましたか⁈」
「先程来たばかりで、まだなんですよ。皆さんのお勧めはありますか?」
「それなら、街で人気の店が出店してて、あっちに───」
彼女と2人で来たはずだが───
何故だか、全く2人になれない。
「まいど。………ちょっと時間かかるよ、軍人の兄ちゃん。出来たら持ってくから、近くで待ってな。」
ジゼルが指定した食事用テーブルの付近に、彼女が食べたがっていた、緑鱗鳥の屋台があった。注文を済ませ、テーブルの空きを探すと、ちょうど屋台近くのテーブルの端が空いている。ジゼルと、2人並んで座れそうだ。俺はジゼルのスペースも確保し、テーブルに座った。
座ったテーブルの隣の席も、向かいも、少し離れた目線の先も、食べ物を頬張る人間で溢れている。凄い活気だ。所々に貼られた、彼女のポスターの効果……が全てではないと思うが、広報部としては十分な成果だろう。
人混みを見ていると、ジゼルと2人になれない事は、この祭典においては必然に思えてきた。
「おまちどおさま。」
暫くすると、先程注文をした屋台の店主が、紙製の皿に焼いた肉を乗せて持ってきた。
「運ばせてすまない。」
店主は、俺の目の前に肉を置いた。焼いた肉の香ばしい匂いが漂う。
ジゼルは、もうすぐ来るだろうか。出来れば冷めないうちに、一緒に食べたい……
「ミ、かラーなぁらドだファよぉ?」
俺が、離れた所で市民と話しているジゼルを目で探していると、いきなり、向かいに座っていた男が、声を上げた。俺が見ても、かなり体格が良い。全身に、無駄の無い筋肉が付いた男は、歳は恐らく40代か………
声を発した事で、初めて認識したその男は、焼かれた大きな肉を食べていた手を止め、俺に肉を持って来た、屋台の店主を見上げていた。
男は、何故か屋台の店主に向かって、話しかけていたのだった。声をかけられた店主は、驚いた顔をした後、少し顔をしかめた。
「ファよぉ?」
「………ソがファ。」
男が短く繰り返すと、屋台の店主も小さく返した。
ジゼルが話していた言語だな。
狩人達の、古語か……
「シなばレやがうラーレ。」
屋台の店主はぶっきらぼうに言い捨てた。向かいに座る男は、それを聞くと、店主をしっかり見据えた。
「さソばまドかーレぃ。」
そして向かいの男は、多少発音が違う気がするが、先程ジゼルが口にした言葉を発した。
次の瞬間、屋台の店主は、俺に持って来た緑鱗鳥の肉が乗った紙皿を再び手に取ると、それを持って足早に屋台へ戻ってしまった。
俺は、何も無くなったテーブルの上を見つめた。
「あんた……連れがぁいるのかぃ?」
俺とは対照的に、テーブルの上に大きな肉の塊を有する向かいの男が、おもむろに話しかけて来た。今度は、俺にも分かる公用語だ。多少独特の訛りがある。
先程の会話の内容が分からない為、何かこちらに有益な事をされたのか、定かではないが。礼を言った方がいいのか……
「ああ。婚約者と来ている。」
結局何と言えば良いのか分からず、社交上、当たり障りの無い返しをするに留まった。この国に置いて、の話だが。
「婚約者……俺はその辺はよく分からないがね。そうかぃ。じゃあこの祭も、楽しめそうだろうよ。」
「彼女と食事が出来るだけで、何にも変えがたいと思っている。」
「……はぁ?俺はあんたらの言葉は下手くそだがね……今のは流石に惚気だと分かるが。軍人ってのは、やっぱり変なのが多いねぃ。」
「惚気のつもりは無いのだが……」
「……そんなに可愛いいのかぃ?あんたの連れは。ここに来るんだろぉ?見てみたいね。馬鹿な軍人の連れの顔を───」
「父さん⁈」
空っぽのテーブルに座る俺の背後から、俺が待ち望んでいた声がした。鈴を転がす様な…可愛らしい、ジゼルの声だ。
だが、ジゼルは俺では無く、俺の向かいに座る男に向かって、驚いた様に声を掛けた。
「お前……ジーゼルか……?」
向かいに座る男は、暫くジゼルを見た後、彼女を上回る驚き様で、そう口にした。
だが、既にジゼルは、向かいの男ではなく、男が食べていた大きな肉の塊を、羨ましそうに見ている。肉塊を食い入る様に見つめる彼女の、小さな形の良い唇の端からは、透明な涎が垂れていた。
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