6.膝の上のお茶会
閉ざされた執務室の扉の前で、一呼吸おいてから声を張り上げる。
「ジルベール・ガルシア軍曹でありま───」
しかし、途中で扉が開き、偵察班の上官がひょこっと顔を出して手招きされた。
「来たな。ん?なんだその白い容器は。…まあいい、入れ。」
「はっ。」
執務室に入ると、テーブルを挟んで置かれたソファーに50代位の男性がこちらを向いて座っている。そして、手前側のソファーには、先に執務室に向かったモニカが座っており、私をみて微笑んでいる。
おそらく、この男性がアイゼン大尉の父親、アイゼン中将だろう。白髪混じりの紺色の髪と、皺の刻まれた顔にある紺色の瞳、アイゼン大尉によく似ている。事前にモニカに情報を聞いていて良かった。
「閣下、ガルシア軍曹をお連れしました。」
上官が敬礼をする。私も続いて、その横で敬礼した。
「ジルベール・ガルシア軍曹であります。」
「ジョセフ・アイゼンだ。ガルシア軍曹、まあ座りなさい。君も、楽にしていい。」
「はっ。」
アイゼン中将はそう言うと、私の持っている白い容器をじっと見つめた。
確かに気になるだろうが、置いてくる時間がなかったのだ。
上官はソファーの後ろに立ったまま、敬礼を崩した。私は言われた通り、アイゼン中将の向かいに腰掛ける。上質なソファーが、座った重みでゆっくりと沈んでいく。隣に座っているモニカは、私ににっこり微笑んだ後、アイゼン中将の方を向いた。
アイゼン中将が、ゆっくりと口を開く。
「時に軍曹、この度は愚息が大変失礼をした。非礼を詫びたい。ベネット公爵令嬢にもご心配をおかけした事、重ねてお詫び申し上げる。」
「とんでもございません、自分の落ち度であります、閣下。」
「いや、今回の件はあれの勝手な行動が招いた事だ。率直に申し上げるが、あれには相応の処分をする。それで手打ちにしてほしい。」
私は言葉に詰まった。かわりにモニカがゆっくりと問いかける。
「閣下、どの様な処分をなさるおつもりですの?」
「ふむ。申し訳ないが、あれも軍では使い道のある男だ。左遷、という訳にはいかんのだよ。」
モニカが、チッと舌打ちをした様な気がしたが、淑女代表の彼女が、舌打ちなどするはずが無い。私の勘違いだろう。
「先の戦果で、褒賞と1階級昇進が決まっていたが取り止め、1階級降格とする。どうだろう?」
斜め後に立つ上官の表情は分からないが、雰囲気からアイゼン大尉を哀れんでいる様だ。
それもそうだろう。側から見れば、部下を手違いで医務室送りにした位で、今までの功績が無かった事になるなど、あり得ないのだ。我々は命懸けで軍務に就いているというのに。
これはどちらかといえば、今回の件に憤慨しているモニカに対して…公爵家に対してお伺いを立てていると私は判断した。
不作法だが、チラッとモニカを見やれば、まんざらでもない、という顔をしている。それに気づいた上官も、私に何か言え!という視線を送ってくる。私は仕方なく口を挟んだ。
「閣下、先程も申し上げましたが、今回の件は自分の落ち度であります。その様な処遇は望んでおりません。」
アイゼン中将は、穏やかに答える。
「君にそう言ってもらえるのは有り難いがね。しかし世間がそう思わないのだよ。あれは仮にもアイゼン家の人間だ。うちは代々軍人の家系でね。それでは示しがつかない。」
アイゼン中将は、ゆっくりため息をつくと、少し困った様な目で私の方を見た。
何だか時折、困った様な目でじろじろ見られる気がするが、なぜだろう。この件とは別に何かあるのか?困っているのはこちらなのだが…
アイゼン中将は、腕組みをして、また深くため息をついた。
「君が処分を望まなくても、周りの目が納得しない。それとも君は、周りを納得させる理由を言えるのかね。」
私は膝に抱えている、小ぶりの白い容器に目を落として先程の事を考えた───
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「ちょっと、ジル、大丈夫…⁈」
「どうした?やはりまだ具合が悪いのか?」
「あんたのせいでしょうがっ!もう、早くあっちに行きなさいよーっ!!」
石の様に固まって、どうすればいいか分からなくなってしまった私をモニカは心配し、全く見当違いの事を言うアイゼン大尉に怒号をあげる。
すると、門の方から、守衛の男が駆け寄って来た。
「旦那ー!すみませんが、門を開けるのを手伝ってくれませんかね⁈」
守衛は普段温和な男だが、どことなく、怒っているような気がする。
「あぁ…分かった、行こう。」
「すみませんねっ!」
「容易い事だ。まだ腰は悪いのか?」
「おかげさまで悪化してましてねぇ!あ!ガルシア軍曹、先程上官殿から守衛室に連絡がありましたよ。軍に到着されているなら、至急執務室へ、との事です!お急ぎ下さい。」
「分かりました。お取り継ぎ、感謝します。」
去り際に、アイゼン大尉が思い出した様に振り返った。
「ジゼル、これを。」
「ちょっとあんた、あんたはジルをその名前で呼ぶなって言ってるでしょ!何で呼んでいいと思ったのよっ!」
「…………」
「何で無言なのよっ!本当何考えてるのよーーーっ!!」
私には、もうモニカの怒りを抑えられない。
アイゼン大尉は、モニカの怒りなど自分には無関係だ、とでも言うように意に返さず、私に持っていた白い容器を手渡した。
それは両手に乗る位の、小ぶりな琺瑯の容器だった。
「何なのよこれはーーーっ!!」
アイゼン大尉が門の方へ去ると同時に、モニカの怒りもクライマックスを迎える。
私は、手渡された容器の蓋をゆっくり開けた。
そこには三角形の木の実のケーキが二つ、行儀良く並んでいた。
このケーキに、
この容器に並んでいる姿に、私は見覚えがあった。
このケーキは、生前兄が、よくお土産に持って帰ってくれていたもので、私が一番好きな木の実のケーキだった。
このケーキみたいに、家の庭に兄と二人行儀良く並んで、お茶会ごっこをしていた。私が紅茶を溢れさせると、小言を言いながらエイダンが来て、テーブルを拭いてくれる。
もう忘れていた。
ケーキの事も
兄とのお茶会の事も
自分に穏やかな幸せがあり
それがずっとずっと、続くと思っていた事も
忘れたと思っていたのに。
「ちょっと、何なのよこれはっ!普通いきなり食べ物渡す⁈毒でも入ってるんじゃないの⁈捨てた方がいいわよ!」
ケーキを覗き込んでモニカが言う。私は右手でケーキを掴んで頬張った。奥歯で木の実を噛み潰す。
それは、忘れたと思っていた、兄とのお茶会の味がした。
微笑みながら、モニカに言う。
「ケーキに罪はないよ、モナ。」
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「どうなんだね。何か、理由があるかね。」
「ジル…あなたは今回不当に怪我をさせられたのよ。アイゼン中将もこうおっしゃっている事だし。良いんじゃなくって?」
私の膝の上には、兄とのお茶会が乗っている。本当ならいつまでも、私の手の中にあったものだった。
私はゆっくり顔をあげる。
アイゼン中将は、一層深いため息をつき、モニカが言葉を続けた。
「だいたいあなたは、いつも不当な扱いをされすぎなのよ。いくら軍人だからって、もう少し怒っても良い位───」
「モナ。」
言葉を遮った私の瞳の中に、モニカが映る。
「私の愛する兄は、大尉の処分を望まない。」
兄が殉職した時、兄の遺体は綺麗なままでは帰って来なかった。軍人なら珍しいことではないのだが、千切れた兄の右腕や…兄の破片を見た時、いつか自分もこうなるのだと子供心に考えたと同時に、神様は本当に趣味が悪いと思った。
そして今さら、兄とのお茶会を思い出させるなんて、本当に悪趣味だ。
「ジル……あなた……」
モニカの金色の両目から、涙が落ちた。
膝の上で、兄と私がお茶会をしている。私はカップから、紅茶を溢れさせた所だ。